今度は梅酒がブーム
日本酒よりも多くなったのは2003年のことである。
戦後一時焼酎が日本酒より呑まれていたことがあるが
その後はずっと日本酒が好まれてきたのである。
その原因はいろいろいわれているが、
主因は多くの日本酒がうまくないということだろうと庵主は思う。
少なくても庵主はうまくない日本酒は呑めない。
呑めない酒を好んで買う人はいないだろう。
遠因は戦後に始まった三増酒である。
アルコールを大量に添加して造った酒を
便宜的に日本酒と呼んだのである。
それが売れたのである。
いま庵主は目茶苦茶うまい日本酒を呑んでいるが、
それを真っ当なお酒と呼んでいるが、
かつて三増酒が抵抗なく受け入れられたということは
もともとそれまでの日本酒がそれほどうまいものではなかったのではないか。
品質が一気に下がったら
酒は嗜好品である。
呑まないと生きていけないから
呑んでいるのではない。
うまいから呑んでいるのである。
中には依存症になって呑んでいる人もいるが。
好みで呑んでいるものだから
まずくなったらすぐ文句が出るはずである。
それがそうはならずに受け入れられたということは
それまでの日本酒は
米だけで造っていた本物の日本酒だったとはいわれているが
今日の日本酒に比べるとさほどうまいものではなかったのではないか。
今時の日本酒は精米歩合50%というお酒はざらにある。
そのことを異常と感じないほどになっている。
贅沢を呑んでいるのである。
うまいわけである。
三増酒は造れば造るだけ売れた酒である。
それで売れるなら
なにも原価が高くて手間のかかるお酒を造る必要がないではないか。
酒造りの現場の体制がそれで固まってしまったのである。
酒造りの勘が鈍ってしまったのである。
もうすぐには元にもどせない。
体制を維持するために
惰性で、いや慣性でその程度のお酒が造り続けられたのである。
一方で、生産量は少ないながらも
経済的に豊かになった呑み手と
庵主のようにうまいお酒を求める精神的に豊かな呑み手は
真っ当なお酒を支持したのである。
いまでも日本酒の生産量の70%ちかくは、
三増酒の流れをくむ二流の日本酒なのである。
それゆえに最初に出会う日本酒がうまいとは思えないものであることから
敬遠する人が少なくないのである。
甲類焼酎との出会いの方がずっとなじみやすいのである。
うまい日本酒を呑んだことがない人が日本酒に親しみを感じるわけがない。
焼酎が勝ったというより日本酒がこけたのである。
そしてブームは焼酎から梅酒に移りつつあるというのだが。(つづく)