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日曜日のくろつぎ篇 君の言葉には情がない

ラジオを聞いている。
「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」(殆ど寿限無)である、それで聞いた言葉。
「君の言葉には情がない。それでは人はついてこない」といったような言葉。
麻生総理の今度の施政方針演説(2009年1月28日)は評判が悪かった。

マスコミはわが総理のそれをオバーマ大統領の演説と比較して迫力に欠けるという。
麻生総理の施政演説よりも、中身のない田中真紀子使の代表質問の方がまだおもしろい、
というが、それよりもきっとオバーマ大統領の演説の方がずっとおもしろいのだろう。
幸い庵主には英語がわからないので比較のしようがないのだが。

たぶん、冷静に原稿を読むだけの演説では聞いていて心が動かされないということだろう。
オバーマ大統領のように同じ原稿を読むにしてももっと上手に読めということである。
両者の違いはどこにあるか、その言葉に情が感じられるかどうか、ということなのである。
映画批評の一つにオテロ氏のメルマガ「こんな映画は見ちゃいけない!」というのがある。

それが前田有一氏の映画批評と比べると味気なく感じるのは、物足りなく感じるのは、
行数を限っているせいか情が薄いからなのだと、その言葉を聞いて気付いたのである。
うまいお酒とは情が感じられるお酒だったのだということもはたと気付いたことである。
庵主のブログもそういえば情が足りないな、とは感じているのだけれど、器の限界なので。

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器の限界というのは掛け詞である。
本意は、それゆえに文章にちょっと情が足りないのではないかということであるが、
四行四連という形式の器では、情を醸し出す行(ぎょう)の余裕がないということでもある。
もっとも行数は少なくても器量があればそれはできるのである。

これも同じラジオ番組で聞いた言葉であるが、
安藤なんとかさん(名前を聞き漏らしたのである)の「おいしゅうございます」と
秋山ちえ子さんの「ごきげんよろしゅう」(これも曖昧だが)は美しい日本語の代表だという。
たしかに、それだけで十分情が感じられるのである。

その心があれば、一行にも満たない言葉でちゃんと情が伝わってくるものなのである。
その情が感じられないということは、理に走りすぎているということなのである。
それを書き手の器量が小さいといっても間違いではないだろう。
技術的には、文章が詰まりすぎているということである。

別の言葉で言えば、そういう文章は生き急いでいるということになるが、
心の余裕が感じられない演説や文章に人はついていかないということである。
心の余裕のことを、ユーモア(あそび)というのだろう、オテロ氏のそれは「余談」にある。
たしかにお酒もまたユーモアのないガチガチのお酒は呑んでいると疲れるのである。

by munojiya | 2009-02-01 02:19 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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