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余外篇 ゆとり教育

文科省という字面を見ると、
庵主は、文句あるか(科)省、と居直っているように見えてしまう。
文科省の若き官僚がゆとり教育というのを掲げて教育界(所詮狭い業界なのである、
チンケな業界でもある)を振り回していたことがあるという。

その世界からは足を抜いて(卒業して)数十年になる庵主にはその事情を知る由もないが、
影響力がある業界なのにも関わらず、今でも君が代をまともに唄えない教師がいたり、
校長上がりの天下り団体である何も仕事をしない教育委員会といった利権が残っている業界
だと聞いている。教育委員会は校内のいじめを認定しないという仕事だけはしているようだ。

ゆとり教育を推進した戦犯はもうとっくのとうに文科省を離れて吾無責任に遊んでいる。
だいたい、子供の教育に自主性だの個性だのを期待する方が間違っているのである。
そんなものは教育でもなんでもない、学校の校の字は縛りつけることだとわが永教祖はいう。
仮に、少年時代の庵主に自主性を期待したら、勉強なんかしないのである、後回しである。

今なら個性を期待したら怠惰を極めるのである、磨き上げるのである、酒に淫するのである。
そんな人間が増えたら社会はどうなるというのだ、歴史とは滅びに向かうことだからいいか。
教育とは、大人が自分の生活の利益のために社会正義を掲げて子供を騙し込むことである。
その枠内に収まらない部分を個性というのである、個性とは目的ではなく結果なのである。
by munojiya | 2009-02-13 02:39 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)

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