宗教新聞
年間8億円の増収になると試算した。客も喜ぶ。だからこそ、スピードにこだわっているという。
(原田泳幸「ハンバーガーの教訓」)』と引用して時は金なりと展開しているのは
2009年5月26日付「聖教新聞」の「名字の言」である。そのコラム子のHMは薬〈どく〉とある。
そういうのは、食事ではなくて、餌というのだろうと思うのが庵主である。
ご宗旨と最初から意見が合わないのである。信心はお金を儲けるためにするものなのかな。
食い物を口にいれることが食事だと思ってるうちはまだまだ人間性が低いのである。
食事と食事の間〈ま〉が本当の食事なのである。栄養は食ってから身にしみわたるのである。
軍隊では、早飯、早ナントカというらしいが、そんな生き方はしたくないのである。
もっともそれは戦時の智恵だろうから平時には適用できないが。
恋は会っているときではなく、会えないときに成就すると看破したのはその道の達人である。
信心も24時間やっているのはただの宗教マニアである。本当の信心は苦しくないときにある。
文章は行間を読めという。文字を読んだら騙されることがあるから。宗教新聞も、ね。
狭い日本、そんなに急いで何になる。ならば、短い人生、そんなに急いで何になる、である。
その無用とも思われる間〈ま〉を楽しむことを味わうという。それができる人を人間という。
お酒の味わいもまた飲酒と飲酒の間〈あいだ〉の思い募るところにあるということである。