宗教が分からない人
宗教が分かるというのはどういうことなのか(他人を馬鹿にしないということじゃないのか)、
ということをその人に聞いてみないと分からないが、庵主は宗教が理解できない口である。
聖書の信者の方からも、創価学会の会員様からも、それでいつも馬鹿にされているのである。
たぶん、宗教が分かると豪語する人は、おそらく、頭がいい人なのだろう。
天から、それが分かるという才能を授けられた恵まれた人なのだろう。
庵主が宗教を理解できないのは、どうやら頭が悪いからだとやっと気付いたところである。
だから、宗教が分からない人は人間じゃないという人の優越感が理解できないのである。
そんなことで威張ってみてもその人にとって何か得る物があるのだろうかと思ってしまう。
それで何かいいことはあるのか、楽しいことはあるのかと要らぬ心配をしてしまうのである。
その人にとっては、そのご宗旨がうまいのかもしれないが、
他の人もまた同様にそれをうまいと感じるとは限らないのである。
お酒がそうである。
庵主は甘いお酒が好きだから、超辛口の酒なんか呑んでどこがうまいのかと思うが、
なんと、そういうお酒を口にしてうまいという人が本当にいるのである。
ああ、自分の世界というのはなんと狭いものなのかと思うのである。それだけは分かるのである。