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似ているが、中身が異なる物

庵主がお酒を知ったことで得したことの一つに、
見た目は似ていても中身が異なるものがあるということが分かったことである。
一つを本物、中身が異なるものを紛い物と呼んで区別する。
ただし紛い物という言葉に悪い物という評価を含めない。

それは一般的には軽蔑語だが、ここではただ単に本物に似せて造ったものという意味である。
純米酒と本醸造酒(アルコールをまぜて造った酒。ただし普通酒や三増酒は含めない)は
呑んでみるとほとんどその違いが分からない。紛い物をそっくりさんというと好意的かもしれない。
庵主は「断言」ができない付和雷同な性格〈たち〉であるが、一つだけ断言できることがある。

庵主には「呑んでみても純米酒と本醸造酒の違いがわからない」ということである。
下手な純米酒はアルコールを感じるし、上手な本醸造酒はそれを感じさせないのである。
実際に呑んでみても、それがどっちなのか分からないことが多いのである。
紛い物がよくできているのか、本物というのはその程度のものだということなのか。

実は、人間の生活の殆どはその紛い物で暮らしているのである。紛い物こそ人生なのである。
自由民主党の民主と民主党の民主もよく似ているが、中身が異なる実例だろう。
前者の主〈あるじ〉である民とはアメリカ人という意味であり、後者は人民国が金主という意味である。
どっちにも日本人のためという意味はない。幸い日本酒だけはまだ日本人のためにあるのである。

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「呑んでみても純米酒と本醸造酒の違いがわからない」と
「呑んでみても純米酒と本醸造酒の違いはわからない」の違いも分からないのである。
この場合は「が」を使うのか、「は」を使うのか、その使い分けが分からないのだから、
思えば、庵主も相当の紛い物みたいなのである。お酒を知って己を知ってしまったのである。

by munojiya | 2009-06-16 01:51 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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