2014年 09月 03日 ( 2 )
2014-09-03 「敬虔な」キリスト教徒
身も蓋もない言い方が可笑しい。青雲和尚の慧眼の前に敵なしである。
で、世界平和やら、南北朝戦の統一を大仰に両手を広げて「神に祈る」というポーズをとる
だけで、何やら巨万の富が入ってきて、生涯何不自由なく暮らせる。それがバチカンの商売で
ある。
』(典拠)。これは庵主の邪推だが、バチカンは麻薬でも資金を運用してないか。

法王(宗教デブ)はその筆頭セールスマンだというわけである。
醜体〈デブ〉は贅食の結果なのだろう。おいしいものが食べられる商売のようである。
力士の巨体を、日本人は美しいと見るが、客観的には只のデブである。醜体である。
法王の醜体も信者にとっては神々しく見えるのだろうが、庵主からみれば只のデブである。

そもそもカルト集団の一つに過ぎない。ただ12憶も間抜けな信者がいるってだけの宗教
団体なのに、マスゴミも特別扱いしやがって、アホか。
』(同)。否、アホではないのだ。
「間抜けな信者」という言い方が可笑しいのである。うまいこと言うものである。
目明き千人、盲千人。利口千人、馬鹿千人。間抜けは実数12億人らしい。

だからどんなキリスト教信者にも「敬虔な」という、最上級の人格者を表しているような
形容詞をくっつけ褒めちぎる。
』(同)。そう書くことで儲かるからなのである。利口でしょ。
宗教のおいしさがよく理解できない庵主には「軽々な」信者と聞こえてしまうのである。
その庵主がうまいお酒に帰依したのは、そのうまさが実感として分かるからなのである。

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メタボの法王をデブと書いたが、思えば、痩せている宗団トップというのも、見た目が貧弱に
感じるのである。アメリカでは、デブは自己管理ができない人という評価を受けるという。
醜態〈デブ〉の法王は、信心が足りないから自己管理もろくにできない人なのだろう。
デブを貫祿ともいう。貫祿とはハッタリのことである。宗教だから貫祿があってもいいのか。

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by munojiya | 2014-09-03 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2014-09-03 笑い話 「籠絡」
庵主は、「逐電」という言葉を時代劇映画で知ったのである。「手込め」もそうである。
「天刑病」という言葉もそうだったが、さすがにこの言葉は現在では使われていない。
それを言ったら、どんな病気も「天刑病」ということになってしまうからである。
人にとっては嬉しい病気や幸せな病気はないからである。「恋煩い」はそうでもないか。

「籠絡」という言葉も、かなり時代劇がかった言葉ではないだろうか。
しかし、その言葉が突然、現代文の中に出てきたものだから吹き出してしまった。
『[ネズミーランドに]解雇された従業員(キャスト)が、[組合を]結成し、彼らの告発
からディズニーの過酷な労働条件とブラック企業的体質が次々と明らかになってきた。

だが、これまでのところ、その事実を報道したマスコミはない。いや、ユニオンに取材にきた
マスコミすら事実上皆無なのだ。いったいなぜか。
それは、企業の問題点をチェックして報道すべきマスコミがディズニーに篭絡されているから
だ。
[ネズミの毒をくらって、チュー毒症状を起こしているようである。]

テレビ、新聞、雑誌にとって、ディズニーは広告の大スポンサーであり、マスコミ内部で
ディズニーランドがタブーになっているというのは、これまでも心ある人々によって語られて
きた事実だ。
』(典拠)。「裏ボス」という言葉があるが、これは「裏ブラ」か。
確かに、庵主も只酒を呑ませてもらったら無下にその酒の悪口は言えないのであるけれども。
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by munojiya | 2014-09-03 00:03 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)