2014年 09月 27日 ( 3 )
2014-09-27 無理
「私は中国人がどうして日本をののしるばかりで、日本から学ぼうとしないのかを知って
いる。
[ここで中断]』(典拠。以下同じ)。)
なぜなのか、庵主には分からなかった。
それで、その先を読んでみたのである。

『[前段から続く]答えは、学ぼうとしても無理だから」』。
「中国は永遠に日本に追いつけない。これは事実」』。
「永遠」という言葉が生き生きしているように思えるのである。
「これが、お前たちが日ごろたたきまくってる日本人だ。いいかげん、目を覚ませ」』。

発端はこうである。『上海の空港で雷雨のために7時間も機内に缶詰めにされた日本人の乗客
たちが、一切騒いだり文句を言ったりせず、水やパンなど必要なものは自分で取りに来て、
飲み終わったコップなどはまた自分で返しに来たというもの。乗客がお辞儀をしてお礼まで口
にする姿に驚いたCAは、「ありがとう、みなさん。おつかれさま」とコメントしたという。
』。

「無理」という言葉がこれほど実感をともなっている事例は少ないだろう。
「うまい」という言葉を実感するには、そういうお酒を口にしたときである。
欄外に、「知性」と言うべきか、「教養」と呼ぶべきか、人間が選ぶべき正道を弁えた人と
するかはともかく、そこに怜悧な判断力があることが分かる意見を載せておく。

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私はネット上に出回る「日本人が戦争を企てている」という言論が、急におかしなものに
思えてきた。政治のことはわからないが、1人の一般市民として日本社会を観察してわかった
ことがある。もし、豊かで調和がとれ、鍵をかけなくても物がなくならない社会で生活して
いたら、あなたは自国が戦争することを支持するだろうか? 私ならしない。
』(典拠)。

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日本人と中国人の違いを犬種の違いだと言ったのは小名木善行氏である。
性格の違いは直せないというのである。それを受け入れるしかないということである。
家庭内暴力を振るう子がいたら、矯正するには育んできた時間と同じ時間がかかるという。
中国は4千年の歴史である。仮に矯正できるとしてもこれから4千年かかるということである。

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by munojiya | 2014-09-27 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2014-09-27 記事は現場でなく会議室で書かれる
日本の報道も似たようなものだろうが、韓国の新聞記事の実例をとりあげる。
韓国の朴槿恵大統領が国連で演説をしたという。客席がガラガラだったという。(注)
演説の内容はここに書かれている。しかし、韓国の各新聞の見出しは、演説の中ではほとんど
語られる事のなかった名指しはしないでの対日批判を大きく持ってきたのだという。

管理人が一番笑ったのが、各社の記事に出てくるこの表現……
「日本を名指し批判しなかったのは国連での演説で特定国を名指しすることは慣例上しない
ため、このような表現になった。」という言う言い訳。
ダラダラと朴槿恵大統領の国連演説の要約を載せた理由はここにあります。

思いっきし「北朝鮮」は名指しして批判しています。あと全体のボリュームから見れば「戦争
下での女性への性暴力」に言及した分量が如何に少ないか分かるはずです。
日韓首脳会談に向け環境を壊したくないけど、国内向けに「反日」をしないと帰国できない
ので無理やり付け足した感がMAXです。

しかしメディアは、この部分を切り取り「日本を批判した」と持ちあげるんだから、印象操作
というのは本当に怖いですね。
』(同)。日本のマスコミも同様の報道をやってきたのだろう。
しかし、今はネットのお蔭で別の視点から書かれた記事を読む事ができるようになった。
それを信じるかどうかはともかく、まずいお酒はそれとはっきり言えるようになったのである。

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(注)
朴槿恵〈ぼく・きんけい〉大統領が演説したとき、「客席はガラガラだった」とは書いたが、
普段の演説はいつもガラガラというのが通常で、満員になるのは逆に特別な時だけなのかも
しれないが、庵主は国連事情にも疎い。故に「ガラガラ」は不人気を意味しないので、為念。

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話は突然変わるが、コンビューターになって分かりやすくなったのがこれだろう
視覚的になったというのが正しいのか。
筆順のことである。本なら、スペースの関係で、決まりきった書き順はまとめて表示されるが、
パソコンなら、画数が多い漢字でも一画一画全部表示できるのである。めでたし、めでたし。

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by munojiya | 2014-09-27 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2014-09-27 呑み直しの映画「バルフィ!」
インド映画「バルフィ!人生を唄えば」を見てきた。
「さまよう刃〈やいば〉」の口直しに見たのが「フライト・ゲーム」だったが、
「バルフィ」は、同様の仕掛けの映画である「舞子はレディ」がそれだけではちょっと
呑み足りなかったのでもう一杯呑みたいという気分で観た映画である。満足した。

インド映画というと歌と踊りでバカ騒ぎというイメージだったけれど、それとはだいぶ
イメージが違う。音楽の幅広さと豊かさは、各シーンを盛り上げ、素敵な余韻に浸らせて
くれた。歌もまた美しくて切ない詩が心をゆさぶる。
』(典拠)。
音楽が映画を奏でるという意味ではこれはミュージカルである。

聾唖者と自閉症というマトモに描いたら辛気臭くなる話を、ミュージカルという形式を上手に
使って和らげているのである。舞子の世界を描くにもそれは好都合だったのである。
唄って踊るインド映画という固定概念がこの映画によって覆された。』(典拠)。
さらにもっと昔のインド映画といえば「大地のうた」のような陰気臭いイメージだったのだ。

「きっと、うまくいく」もそうだったがこの「バルフィ!」も、インド映画は音楽が唄っている
から楽しいのである。楽譜を演奏するための音楽ではなく、気持を演奏する音楽である。
聴いていると心がうきうきしてくる。演奏も、本当に楽しんでやっている気持が伝わってくる。
楽しいから演奏しているのだという感情に満ちあふれた生きている音楽だからである。

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同じ映画がこういう風に見える人もいるのだから世の中は面白いのである。
ど貧乏な聾唖者は、身代金誘拐や電柱切断、自動車の走行障害(パンク)など、犯罪行為
オンパレードの男。その知的障害者とも思える男に、美女ふたりが夢中とは、馬鹿馬鹿しい
作品にもほどがある。
[中略]

観賞後、たいへん不愉快になる作品。哀れな唄が聴きたい人にはお薦めします。』(典拠)。
一方、『あらゆる点においてレベルの高いインド映画。
いや、インド映画というジャンルに収まらない、エンターテイメントとして、傑作映画でしょ。
あぁ……彼らにまた会いたいよ……

更に言えば、普通にめちゃめちゃうまい。映画として。
序盤で出てきたある映像が、終盤にうまく活用され、物語的、感情的にリンクさせてくれると
いう作りが実に巧み。
靴の使い方なんて印象的だよね。
』(典拠)。観た方が得する映画であることは間違いない。

まぁしかし、長丁場の中でも維持されるインド映画の高い表現力や脚本力、内容の濃さには
今回も驚かされた。で、(毎度、毎度のことですっかり書き飽きているのだが、)振り返って
邦画の状況を見るにつけ、それはもう……
凹むよね
』(典拠)。

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by munojiya | 2014-09-27 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)