2017年 04月 13日 ( 2 )
2017-04-13 ヤソ教の「神」は神ではないという正論
「やそきょう」と打って変換したら「ヤソ教」としか変換できないのである。
ジャパニスト2003は。信心のないワープロ字書なのである。
そのくせ、「創価学会」は一発で変換できるから、ワードの字書作りはチャイナ人が下請けを
しているらしいが、ジャバニスト2003は南鮮人が作っているのかもしれない。

ワープロの字書は使う人が育てていくものだから、デフォルトの登録語彙に不備があっても文句
を言ってもはじまらないのだ。使い勝手の悪いワープロ字書は使っている人の責任なのだから。
で、さっそく語彙を登録した。(ややあって)耶蘇教と一発で変換できるようなったのである。
庵主が「キリスト教」を「耶蘇教」と書くのは字数節約の原則によるのである。

「基督教」だから、「基教」と書けば2文字ですむのだが、それはやりすぎに思えるので。
『私はある時期より「キリスト教」という表記をやめて「耶蘇教」と書くようにしている。』
典拠)という正論がある。なるほど、である。耶蘇教でいいのである。
ならば「創価学会」は「南鮮教」でいいのか。「統一教会」は「北鮮教」か。思案を要するが。

似たような意味でキリスト教におけるGodを「神」と表記しない。「神」とはあくまで神道
の神であって、耶蘇教的造物主ではありえない。この場合旧来使われた「天主」を使用するのが
妥当であろう。』(同)。庵主が感じていた耶蘇教の神と日本の神との違和感が解消されたのだ。
「酒」(酒一般)と「お酒」(日本酒の事)を同じに思っていたようなものである。

-----

「天主」を使うとまるで耶蘇教の造物主が天の主であることを認容しているような錯覚も
受けかねないので不満はあるが、一神教と多神教の概念の違いも無視して「神」という同一呼称
で呼ぶよりははるかに良い態度であると思う。』(典拠)。
そこで、Godは文字通り「逆犬〈ぎゃくけん〉」と呼ぶというのは如何だろうか。

「dog」の逆だから「逆犬」である。
さすがに「天主」を「犬」呼ばわりするのはまずいので「賢」の字に代えて「逆賢」である。
「逆」も麗字ではないので、「逆」を「げき」と読んで「激賢〈げきけん〉」とすればいのだ。
「賢すぎるもの」である。

いや「天酒」と当てるのが一番いいのかもしれない。
それなら、つい様をつけて天酒様と呼びたくなるのである。
「激賢」というのは、まさに逆犬を如実に表現している言葉になっているのである。
耶蘇教の激賢は「俺の言うことを聞かない奴は皆殺しにしていい」という激しい気性なのだ。

日本人から見たら、殆ど気違いにしか見えないのである。
度を過ぎた淫乱を激しすぎるという。激賢もそういう点では激しすぎるのである。適訳である。
「賢」は「クール」という意味である。「クール」には相反する二義があることはご存じの通り
である。激賢の二重人格をも的確に表現しているのである。Godは激賢と呼ぶのがいいのだ。

-----

キリスト教徒でもないのに、イエスを救い主と呼ぶのはおかしいですよね(笑)
私が、中国と呼ばずに支那と呼ぶのと同じ感覚だと思います。』(典拠米6)。
そういえば、「支那そば」はいまは何と呼んでいるのだろうか。
「中国そば」でいいのか。そんな“そば”を食いたい人がいますか。

食べるのなら、おいしい支那そばでしょうに。
「ラーメン」というのも、日本で異常な進化を遂げてしまい、もはや郷愁の支那そばの範疇を
逸脱した化け物に進化してしまっている。いわゆる「ラーメン」は支那そばとは別物である。
お酒もそれに似て最近の酒は化学実験みたいに観念的に造られたものが増えてきたのである。

ラーメンはよりうまいものを目指して、作り手があの手この手で進化させてきたものである。
スープなら、鶏ガラに豚だの牛だの煮干しだのを加えたらもっとうまくなるだろうという思考で
改善してきたのである。それはそれで楽しい味ではあるのだが、鶏スープのうまさからどんどん
離れていってしまい、ついにあの郷愁の味わいのスープが作れなくなってしまったのである。

案外、庵主の郷愁のラーメンは鶏ガラに味の素と胡椒の香りだったのかもしれないが、
今時のラーメンでは味わえない、最高に旨いラーメンだったのである。また食べたくなる味の。
最近のお酒は、精米歩合の向上や酵母の改良もあって、みんな奇麗になってきている。
素朴な美しさに溢れていた少女が、長じて化粧が上手になったような印象を受けるである。

-----

確かスペインに売られた日本女子は耶蘇教=ユダヤ教徒=異端だったと記録されてますね。
十字軍人身売買や魔女狩り拷問全盛期のヨーロッパに、殆ど丸裸で売られていく嘆き苦しむ
日本人婦女子に、嘆いた使節団が豊臣秀吉に直訴してキリシタン狩りを始まったとか。
改宗すれば赦されるが、人身売買に荷担した者は刑場に引き渡され見せしめにされた。

灯籠流しが海から売られていった娘や子供たちの慰霊燈なんてことすぐに想像がつきますね。
この宗教を利用した人身売買似非キリシタンユダヤ商人のえげつない凄惨な歴史のために、
ユダヤ教徒は迫害されるに至ったのです。』(典拠)。ね、愛されるって怖いでしょう。
みんなよく物事〈れきし〉を知っているのである。連中がやった、否、今やっている事を。

[PR]
by munojiya | 2017-04-13 00:04 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-04-13 「(南鮮の)在留邦人救出という課題」=無理
こういう時に「無理」という言葉が役に立つのである。
「無理数」というときに使われる「無理」は、庵主が理解するには無理があるけれど。
「米軍が北鮮を空爆する」という期待が高まっている。
ニュースネタとしては視聴率が取れそうなのに、マスコミはあまり伝えていないようだ。

半径5メートルで生活をしている庵主の庵までその熱が伝わってこないのである。
むしろ、ネットの方は「早くやれ」とばかりに、識者と思われる人達が興奮して付和雷同して
その期待を煽っているのが可笑しい。識者に知性はあるのか。冷静もないのである。
北鮮に対する空爆は、かつての911のようにかなり前から計画されていた事のようである。

すでに、避難訓練と称して、在韓在留米国人(軍人の家族)を沖縄に避難させたが、その家族を
そのまま沖縄にとどめているという話もある。報道がないので本当かどうかは判らないけれど。
オバマ大統領の置き土産なのかもしれない。もう計画が進んでいるから、今となっては結果が
出るまでやめられない状況になっているのではないか。何事も起こらなければいいのだが。

空爆をやれとはやし立てる識者には想像力がないのか。空から爆弾が降って来るのである。
「恐怖の大王」が地上に落ちてくるのだ。そんなことは人間がやる事じゃないだろうに。
湯田金だからやれる芸当なのである。いや、連中だけがやる芸当なのだ。だから嫌われる。
先の戦争ではお酒の質が大低落したから、それだけは真っ平なのである。旨いお酒が好きだから。

-----

朝鮮動乱は、いうならば隣家の火事である。
そんなことになつたら、日本もうかうかしていられないということである。
そうなったら、北鮮は南鮮を攻めるだろうし、南鮮人は日本と戦争を始める気なのである。
なぜ南鮮人は日本と戦争をするのか。その経緯はさきに「異星のファンタジー」て紹介した。

北鮮も、ひょっとしたら日本に弾道ミサイルを打ち込んでくるのではないかと言う人もいる。
北鮮のミサイルは本当に実用的に飛ぶものなのか、お手並み拝見ということになる。
自衛隊・米軍連合軍はそのミサイルを本当に打ち落とせるのか、これまたお手並み拝見である。
いや、拝見していたら、まず撃墜は無理だろうから、核ミサイルだったお陀仏である。

日本に火の粉が飛んでくる前に、南鮮内にいる在留邦人をどうやって救出するかが課題だという
救出なんて、まず無理だろう。邦人の命運は天にまかせるよりないのである。
そもそも用もないのに、他国で生活するということが言葉を帰れば侵略行為なのである。
自分の命は自分で守れ、としか言いようがないのである。

そういう事態になったら救出のしようがないから、そんなことにならないような知恵を出すのが
識者の振る舞いだろうに、今は物書きはよほど実入りが悪いのか、世間の空気に迎合する言説を
ばらまいて読者の歓心を買うことに恬も恥じることがないようである。
朝鮮動乱で発生する難民は日本では受け入れない。済州島が引き受けろ。物資の援助はするが。

-----

災難時の支援物資で思い出したが、南鮮では、被災者に支援物資を送るときに、ゴミを送る人が
いると聞いた事がある。
日本でも、自分が要らなくなったぼろ(といっていい古着など)を送る人がいるのだという。
支援物資は新品に限るのである。できれば現金がいいのである。

不幸な人にゴミを送りつける南鮮人の振る舞いは、創価学会の学会員の振る舞いを思い出す。
藤原弘達が亡くなったときに、祝電を送ったというのである。
おそらくは、そんな事をしたのはチョウセン人の信者なのだろう。ということにしておきたい。
創価学会が朝鮮宗教と呼ばれる謂いである。

[PR]
by munojiya | 2017-04-13 00:03 | Trackback | Comments(0)