2017年 06月 15日 ( 2 )
2017-06-15 在日チョウセン人が半島に帰れない理由
ただ、在日チョウセン人はそれだけの事すらできないから忌避されるのである。
日本に居たいのなら日本の常識を知って日本の国内法を順守し、謙虚になれば誰も文句は
言わない。郷に入れば郷に従えだ。それができていないから嫌われるそれだけのこと』
典拠米)。多くは日本に馴染んでいるのだが、声高の少数がどうしようもないのだ。

在日チョウセン人が半島に帰れない理由は、その身分差別にあるというのである。
在日チョウセン人が祖国に帰ると、日本ではありえないような差別をされるというのである。
そういう穏やかな日本人を怒らせてしまったのだから在日チョウセン人は嫌悪されるのである。
「日本が嫌なら出て行け」と言っても差別でもなんでもないのである。当然の事なのだから。

持てなされたお酒に対して不味いとぐだぐだ言うのなら、好きな酒を自腹で呑めばいいのである。
それを、もっとうまいお酒を出せと文句を言ったら、嫌なら帰ってくれとしか言いようがない。
意に適う旨いお酒が呑みたかったら、自分で求めて呑めばいいのである。
人にたかっておいて、もっと旨いお酒を呑ませろと声高に言えば嫌われるのは必定である。

そして、在日チョウセン人の殆どは日本に密入国した人達なのである。
その存在自体が違法なのだ。追放しようにも本国である筈の南鮮がそれを引き取らないという。
自分を鍛え、修行する過程で、朝鮮民族のしがらみからはなれ、立派な選手になる人と、
やはり、朝鮮民族特有の血が残る人と別れると聞く。[リンクは庵主]』(典拠8:16)。

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by munojiya | 2017-06-15 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2017-06-15 物は言いよう「菜食主義者」
庵主ならそれを「偏食気違い」と言いかねないのが「菜食主義者」である。
庵主に言わせるとそれは殆ど気違いにしか見えないからである。
南鮮人同様、関わり合いにはならない方がいい人達である。
もっとも、毒蛇同様、向こうの方から関わってこなければ存在していても全然問題ないのである。

毒蛇は危険だから、あるいは気持ち悪いから皆殺しにしてしまえと叫ぶまでもないのである。
悪はよろしくないから、殲滅してしまえと叫んだら、善悪は一如だから、悪を殺すと善である筈
の自分も滅ぼしてしまうことになりかねない。
悪の正体は、それを表から見たら、善である筈の自分自身だからである。

人間の存在自体が悪なのである。それをいかに表に出さないかという努力が善なのである。
人は他の命を食わないと生きていけない。
菜食主義というのは、動物を食わないから私はいい人でしょうという発想のことである。
その植物だって、人に食われるために存在しているわけではないのである。

「完全菜食主義者」と自称するのなら、速やかに死んでしまえばいいのである。
日本は、その完全菜食主義者が生きていくのにすごくイジワルな国だというのである。
ところで、完全菜食主義者はお酒は呑んでもいいのだろうか。毒は飲んでもいいのか。
不完全菜食主義者は、卵、牛乳、チーズなどは食べてもいいという都合がいい主義らしい。

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日本では、「ベジタリアン」は「アンポンタン」と殆ど同義語なのである。
「アンポンタン」を別の言葉でいえば「気違い」である。
「気違い」には、敵わないという意味と、世間の迷惑という意味があって、
アンポンタンはもちろん後者である。

「ベジタリアン」というのは食わないという自己否定なのだから、真性の気違いなのである。
狂気は、料理でいえば、香辛料みたないものだから、少量なら皿に興趣を添えるのである。
ただし、香辛料はそれ自体は栄養にも満腹感にも役に立たない代物である。
ただ、上手に使うと食が楽しくなるのである。狂気も適量なら生活の彩りにはなるのである。

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by munojiya | 2017-06-15 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)