カテゴリ:酒の肴( 555 )
2017-06-22 皇太子の国辱写真
皇太子はかなりヤバい、いや、イオカシいのではないかと思われる写真がある
そのサイトの3枚目の写真である。
皇太子が、人前で、カメラを取り出して構えているのである。
皇太子は写される人であって、カメラマン(写す人)ではないのである。

すなわち、自分の立場を全然弁〈わきま〉えていなということである。
写説はこうである。『相変わらずカメラ小僧。ヤフオク流出画像の時のカメラの構え方を想起
させるのが、イタイです。』(同)。そういうのは、ヤバいでなくて、イタイというのか。
自動車をアニメの萌え画で装飾したものを痛車という。それの痛〈いたい〉である。

その4枚目の写真はもっと酷いのである。これは国辱写真だろう。誰も窘めないのだろうか。
写説は読むのも嘆かわしい。『賓客の身で、写真を写しまくる幼稚さ。オランダ女王の前に
カメラを突き出す非礼。天皇となってもこうでしょう。』(同)。恥さらしなのである。
しかも日本を代表しての恥さらしである。親の顔が見たいのである。見なくても分かるけれど。

窘めないわけがないから、それを覚えられないという事なのである。非常識なのか、あるいは。
皇太子夫妻を次の天皇皇后として容認できるかという事につながるのである。
秋篠宮殿下に任せた方がいいのではないかという事である。
皇太子には、乾杯の時、ひとりグラスにフライングで口をつけている写真もあるのである。

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by munojiya | 2017-06-22 00:04 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-06-10 生理的に嫌いなものは変えられない
生理的に嫌いなものは変えられないというのである。
蛇が嫌いだという人は理屈ではなく、なぜか、生理的に嫌いなのである。
いくら「蛇は可愛いよ」とか、「これほどシンプル・イズ・ビューティフルな生き物はいないよ」
と言われても気持ち悪いのである。生理的な嫌悪感は拭えないのである。

どういう思惑で日本の国会議員をやっているのかわからない辻元清美議員は皇室が嫌いだという。
思想じゃねーだろう
自分で「生理的」って言ってんだから
生理的なものが他人の指摘や意見で変わることはないだろう』(典拠2:56)。

辻元清美議員が『皇室は生理的に嫌だ。同じ空気吸いたくない』と過去に明言しているという。
若い頃の発言なので、それから何十年もたって、今はそうは思っていない、とは言っているが、
生理的に嫌なものが、果たして簡単に変わるものか、という事である。
二日、三日で、蛇が好きになるものなのか。それよりなぜ嫌いな蛇の国の議員になったのか。

「同じ空気を吸いたくない」というのは究極の差別だろう。嫌悪の究極だろう。
例えば、もし「チョウセン人と同じ空気を吸いたくない」といったなら、相手方は劣化のごとく、
おっと烈火の如く謝罪と賠償を要求してくるのではないか。それほど極めつけの言葉なのだ。
旨いお酒は逆にお相伴である。同じお酒を分け合って呑むものなのである。実に親和敵なのだ。

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「同じ空気を吸いたくない」という人に対するアンチワードは
「だったら、息を詰めて死んだら」である。
これスレタイ詐欺じゃなくて本当に言ってたのかよ』(典拠2:19)。
息止めて死んでほしかった』(同前2:23)。

日本人がマジギレする2大タブーは食い物と皇室って事もわからないんだなコイツ
(同前2:54)。
いっそのこと「日本人であることに耐えられません」くらいのこと言ってくれよ
なんでこんなのが政治家やれるんだ』(同前2:44)。某国のスパイだから、じゃないか。

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by munojiya | 2017-06-10 14:51 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-05-31 「支那の戦争文化」
5年、10年で民族の精神が変わるものではないのである。
否、百年、二百年と言い換えても同じだろう。
今の日本人の食い物は、日本人の体質に合わないのではないかということである。
ココナッツオイルは、日本人は食べてはいけないという説がある

それをいったら、「アルコール」もそれだろうといえないこともないから、食い物論は永遠の
出版ネタなのである。
庵主は牛乳有害説を取っているのである。
貧乏でそれを飲めないことによる嫉妬説といえないこともないけれど。          

牛乳は、アルコール同様、そんなものを飲まなくても何も困らないのである。
庵主は今オリープオイルを食しているが、ひょっとして日本人の体には良くないのではないか、
という懸念は拭えないのである。外国から輸入された食品は毒の場合があるということなのだ。
異国の農産物は日本人の体質に合わないから食べない方がいいという説もよく聞く処である。

で、その『支那の戦争文化』(典拠)も亦、今もその根底は変わっていないだろうという事は
想像に難くないのである。チャイナ人の残虐性は少しも変わっていないという事である。
チャイナ人という毒を、日本という国土に入れてはいけない理由である。チョウセン人はそれに
輪をかけて残虐なのである。その上タチが悪いという事は現に日々経験している通りである。

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中国兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で、例えば中国軍の捕虜になると、四肢を
斬り分けられ、生きながらに火炙(あぶ)りにされたり、磔(はりつけ)にされたりした
のである。
更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行なっている。

即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、或いは男根を切り落し、胸部を開いて石を詰め込み、
首は両耳を穿って紐や針金を通し、さながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を透して
持ち運びする等々、それが中国軍の戦争様式であり、日本軍には絶対に見ることのできない
支那の戦争文化である』(典拠2:14)。文化大革命では同族を本当に食った事もである。

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by munojiya | 2017-05-31 00:04 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-05-23 「平成」という元号の解題
「平成」という元号は、チョウセン人が日本を支配したぞという勝利宣言なのだという説がある。
日本は乗っ取られたというのである。チョウセン人に。
確かに、日本〈にっぽん〉の大金持ちの上位10位はみんなチョウセン人なのである。
一、二、日本人がいたかもしれないが財産を相続した人で実業家ではないだろう。

そして、国会議員の多くがチョウセン人、もしくはその親派であるという現実。      
南鮮や北鮮にお金を貢ぐ政治家がいい政治家だとみられている現実も。
日韓議員連盟というのがあるが、日米議員連盟というのはあったっけ。
北鮮は統一協会、南鮮は創価学会、アメリカへは日本政府が送金窓口という事でいいのか。

送金というのは日本人の血税を相手側に送るということである。垂れ流すともいう。
送ったお金に対する感謝の言葉もそのお金も戻ってくることはないとされているお金である。
お酒なら、いっぱいお腹に送り込めば、たっぷり戻ってくるのである。嘔吐するのである。
そもそも「平」のつく元号は呪いの元号なのだという。それを敢えて採用した奴は誰か、である。

日本人〈にほんじん〉ならそんな元号を付けないというのある。
その毒に当たったのだろう、小渕恵三総理は。
「金正日」は「金征日」なのだという説がある。宇野正美先生の説である。座布団5枚。
「平成」は「平壌・金日成」だというのである。それを提案したのは山本達郎ではないかと。

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安岡正篤という陽明学者がいる。
最後にくっついていた女は細木数子だったという。チョウセン人だとされている女である。
安岡にボケが出ていて気がつかなかったか、最後は同胞の誼だったかは庵主には知る由もない。
加えて安岡はその出自がはっきりしないのだという。生徒の名前を見れば、見当がつくか。

その生徒というか、塾生というか、信者には長州さんが多いのである。
長州といえば暗にチョウセン人と見做すのが歴史業界のしきたりになっているようである。
チョウセン人だと疑え、という程度なのだろうが。そこに住み着いたチョウセン人が多かったと
いうことなのだろう。昨日今日の在日コリアンではなく土着化したチョウセン人という事である。

安倍総理の下関の事務所もバチンコ屋が持っているビルの二階にあると聞いたことがある。
統一協会からの出前サービスによるものなのか、同胞の誼なのかは知る由もないが。
出前サービスというのは、統一協会がやっている国会議員に只で秘書を貸し出す事である。
勿論、善良な秘書が送られる来るわけではないのである。見返りはいうまでもない。

それを無批判に受け入れるのも同胞の誼によるものだと見れば奇異なところはないのである。
チョウセン人が日本で好き勝手なことをやっているという事なのである。
それよりも、今は、天皇陛下が政治に口出しをするという異常な事態が起こっているという。
天皇陛下と書いたが、操っているのは皇后陛下だというのが専らの噂である。その背後は尽紙数。

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紙数は尽きても、余裕はあるのである。
天皇クーデターです。
国民の選んだ代表者官邸の言うことも聞かず、勝手な論や気持ちを言い放ち[皇后が、ですよ]
国民を混乱に陥れ、内閣より自分の権力誇示をしている。

秋篠宮殿下が「公務は受け身です」と話された御意志とは真反対、
こんな皇室がありますか? [以下も原文通りである]
バカ天アキ天エロ天、最低天』(典拠米)。
それを読んだら、庵主はうまい天ぷらを食べたくなってしまったのである。

女性週刊誌では飽き足らずNHK、そして新聞報道
女帝と創価の専横極まれりという感じ
これではっきりしたのは
今の日本はこんなおかしな勢力に牛耳られているということ

ラスボスは間違いなく皇后[GHQから送り込まれた方]
秋篠宮は女帝の実子でない確率が高いことです[なるほど、邪推はそういう風にするのか]
歴史的に見て、後鳥羽上皇とか白河上皇など上皇が権力奪回や不倫でやりたい放題した時代は
大乱や内戦が起こります。』(同前米)。庶民の直感でもこれだけ分かるという事である。

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電車デート画像について。
腕輪の処理が甘い。
指輪の陰影おかしい。
女性の向かって右の腕の接続部分の位置がおかしい。

肩幅45cm?
左腕の肘の位置がおかしい。
髪形が変。2016年夏は前髪は薄かった。
髪の毛の生え方も変。

頭が大きすぎ。眞子さま、5頭身ですか?
隣の男性は愛子と同じで天辺が長いし、顔全体がでかい。
相変わらず下手な処理と、画像処理のプロの旦那が言ってます。』(典拠米)。
これがそのイカガワシイ写真らしい。な、何なんだ、このデタラメな写真は、である。

週刊誌は昔よく心霊写真を作っていたが、けっこうそういう写真を作るのが上手なのだ。
いや下手なのか。簡単に見破られしまうのだから。
今ほどにはフォトショの使い方に慣れていなかったという事なのだろう。
庵主が、映像のCGとか、画像のフォトショはつまらないというのはそういう事なのである。

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by munojiya | 2017-05-23 01:20 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-05-18 朝鮮政策
こういうのを政策というのだろう。
隣国に、強力な、あえて、凶力と書くが、凶力な反日国家があったのでは安心しておちおち生活
していらなれないということである。
いくら危険なお隣さんでも、国が隣通しでは引っ越しもできないというのである。

しかし、それは諦めというものなのだ。
そういう危険な状態を認識することが政治の第一歩である。
そして、自分の安全を守るために事を成す事が政治家の仕事である。
それを政策という。

危険な隣人であるチョウセン人から、日本が引っ越しして距離を置く事はではない、と
思わされてきたのである。この数百年の歴史からそう思い込まされてきたのだ。
しかし、すでに、政策はあるのだというのである。
すなわち、チョウセン人を朝鮮半島から他の場所に移住させるという政策である。欄外に引用。

目からうろこというが。今の南鮮人はもともと朝鮮半島にいた人達でないとも聞いている。
それがためにする嘘情報だという事も疑えないこともないが、である。
チョウセン人を北も南も全員移住させた跡にはロシア人を移住させるというのである。
北方四島のロシア人もそっちにまとめてほしい。隣国に呑めるウオッカが誕生しそうである。

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「これからどうなるか」ではなく、「これからどうする」というのが政策なのである。
(1)カザフスタン大統領ナザルバエフ氏は、日本国自民党麻生政権時代に、「韓国人たち
全員をカザフスタン国内の灌漑設備建設労働者たちとして受け入れる」と宣言しています。
(2)帰化未帰化在カナダ韓国人たちからロシア朝鮮族NPO経由で韓国式工作資金を受け取り

反プーチン工作、反ドイツ工作、反日本国工作をやりまくっている現ロシア首相
メドヴェージェフ氏でさえも、ロシア大統領在任時、「韓国人たち全員が韓国からカザフスタン
へ移住した後、(スターリンが極東ロシアへ大量移住させた)ウクライナ系ロシア人たちのうち
450万人を韓国領域へ移住(入植)させる」と宣言しています。』(典拠米)。

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by munojiya | 2017-05-18 00:04 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-05-06 都志見隆
「つしみ・たかし」と読む。
全然知らなかったのである。その人の名前を。今日まで。
今日は2017年8月6日である。
たまたま田原俊彦と木野君・乃生〈のお〉ちんの振り〈ダンス〉を追いかけていて出合ったのだ。

庵主は田原俊彦の歌は「抱きしめてTONIGHT」しか知らない。
ほかにどんな“ヒット曲”があるのか知らないのである。
田原俊彦が全盛の頃は、庵主はすでにTVを見ることがなかったから、世の中のヒットという
動きに付いていけなくなっていたのである。それでも生活に支障はなかったのである。

だから、「ひとりぼっちにしないから」という田原の歌も今日まで聴いたことがなかった。
歌はこれである(7:16)。この歌は庵主にはぬるくてその味がいっこうに伝わってこない。
「TONIGHT」は、曲は、勿論、筒美京平である。
「ひとりぼっち」が、もし筒美京平だとしたら音がだるいと思って作曲者を確かめてみた。

それが都志見隆だった。多くの楽曲があるのにどれも庵主のヒット曲〈おきにいり〉と重なって
いなかったので、その名前を知ることがなかったのである。庵主とは別世界の人だったのだ。
お酒でいえば、超辛口のお酒みたいなものか。庵主にとってはそれは別世界のお酒なのである。
選択されない世界という事である。世には数多くの庵主には関わってくることのない才能がある。

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で、田原・木野・乃生ダンスのキレのいい振り付けをしたのは誰だったのか。
BMなら、勿論、MIKIKO先生であるが。
それを検索していたら、出合ったのがこれである記事はここ
このランクになると、オリジナルより真似している方が上手なことがあるが、多分それだろう。

上の「上手な」は「にぎやかな」と読んでほしい。そっちの方が気分が楽しいという事である。
と、思ってオリジナルを見たら、そっちの方が迫力があった。踊りたくなるわけだ。
恐るべしモーニング娘。。
句点が二つあるのは勿論誤植ではない。以後「MM。」と略記する。

で、見つかりました。(「TONIGHT」のオリジナル音源はここで聴く事ができる)。
「抱きしめてTONIGHT」の振付師の名前が。(余談。群舞バージョンあった)。
その人の名前は、Bobby吉野
洗練されたダンスパフォーマンスが魅力でした。スマートなカッコよさがあります。』(同前)。

「洗練」された、「スマート」な、「カッコよさ」と、褒め言葉の最上級が三つ並ぶのだ。
その褒め言葉はお気に入りのお酒にも使えそうである。「洗練されたお酒」とは旧来の古くさい
味わいを払拭したお酒である。「スマートなお酒」というのは重い兜を脱いだ軽快な味わいの
お酒である。「カッコいいお酒」というのは造り手の主張が感じられる好もしいお酒の事である。

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フォーメーションダンス、というのだそうだ。
なんだ、こりゃ、と庵主は思ってしまった。
面白いのである。

だれがこんなのを考えるのか。
振付師はだれなのか。
んー、日本人(だよね)、恐るべし。コメント数の4桁に吃驚。MM。って人気あるんだなぁ。

在チョンなのかな
組体操つーかマスゲームつーか
なんか気持ち悪い
日本人の感覚とズレてる』(典拠28)。庵主は感じないが、敏感な人にはそれが判るのかも。

華麗なマスゲーム=北鮮のそれ=創価学会のそれ=チョウセン人宗教、と来る連想なのかな。
もっとも、それを言ったら、MM。自体がそもそもが殆どソレなのではないのか。
つんくも、AKBの秋元康もソッチ側じゃなかったっけ。芸能界はソッチ系の世界だというから。
アイドルの束売り〈たばうり〉という売り方がK-POPのようにソッチ系の発想だったりして。

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by munojiya | 2017-05-06 16:15 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-04-13 ヤソ教の「神」は神ではないという正論
「やそきょう」と打って変換したら「ヤソ教」としか変換できないのである。
ジャパニスト2003は。信心のないワープロ字書なのである。
そのくせ、「創価学会」は一発で変換できるから、ワードの字書作りはチャイナ人が下請けを
しているらしいが、ジャバニスト2003は南鮮人が作っているのかもしれない。

ワープロの字書は使う人が育てていくものだから、デフォルトの登録語彙に不備があっても文句
を言ってもはじまらないのだ。使い勝手の悪いワープロ字書は使っている人の責任なのだから。
で、さっそく語彙を登録した。(ややあって)耶蘇教と一発で変換できるようなったのである。
庵主が「キリスト教」を「耶蘇教」と書くのは字数節約の原則によるのである。

「基督教」だから、「基教」と書けば2文字ですむのだが、それはやりすぎに思えるので。
『私はある時期より「キリスト教」という表記をやめて「耶蘇教」と書くようにしている。』
典拠)という正論がある。なるほど、である。耶蘇教でいいのである。
ならば「創価学会」は「南鮮教」でいいのか。「統一教会」は「北鮮教」か。思案を要するが。

似たような意味でキリスト教におけるGodを「神」と表記しない。「神」とはあくまで神道
の神であって、耶蘇教的造物主ではありえない。この場合旧来使われた「天主」を使用するのが
妥当であろう。』(同)。庵主が感じていた耶蘇教の神と日本の神との違和感が解消されたのだ。
「酒」(酒一般)と「お酒」(日本酒の事)を同じに思っていたようなものである。

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「天主」を使うとまるで耶蘇教の造物主が天の主であることを認容しているような錯覚も
受けかねないので不満はあるが、一神教と多神教の概念の違いも無視して「神」という同一呼称
で呼ぶよりははるかに良い態度であると思う。』(典拠)。
そこで、Godは文字通り「逆犬〈ぎゃくけん〉」と呼ぶというのは如何だろうか。

「dog」の逆だから「逆犬」である。
さすがに「天主」を「犬」呼ばわりするのはまずいので「賢」の字に代えて「逆賢」である。
「逆」も麗字ではないので、「逆」を「げき」と読んで「激賢〈げきけん〉」とすればいのだ。
「賢すぎるもの」である。

いや「天酒」と当てるのが一番いいのかもしれない。
それなら、つい様をつけて天酒様と呼びたくなるのである。
「激賢」というのは、まさに逆犬を如実に表現している言葉になっているのである。
耶蘇教の激賢は「俺の言うことを聞かない奴は皆殺しにしていい」という激しい気性なのだ。

日本人から見たら、殆ど気違いにしか見えないのである。
度を過ぎた淫乱を激しすぎるという。激賢もそういう点では激しすぎるのである。適訳である。
「賢」は「クール」という意味である。「クール」には相反する二義があることはご存じの通り
である。激賢の二重人格をも的確に表現しているのである。Godは激賢と呼ぶのがいいのだ。

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キリスト教徒でもないのに、イエスを救い主と呼ぶのはおかしいですよね(笑)
私が、中国と呼ばずに支那と呼ぶのと同じ感覚だと思います。』(典拠米6)。
そういえば、「支那そば」はいまは何と呼んでいるのだろうか。
「中国そば」でいいのか。そんな“そば”を食いたい人がいますか。

食べるのなら、おいしい支那そばでしょうに。
「ラーメン」というのも、日本で異常な進化を遂げてしまい、もはや郷愁の支那そばの範疇を
逸脱した化け物に進化してしまっている。いわゆる「ラーメン」は支那そばとは別物である。
お酒もそれに似て最近の酒は化学実験みたいに観念的に造られたものが増えてきたのである。

ラーメンはよりうまいものを目指して、作り手があの手この手で進化させてきたものである。
スープなら、鶏ガラに豚だの牛だの煮干しだのを加えたらもっとうまくなるだろうという思考で
改善してきたのである。それはそれで楽しい味ではあるのだが、鶏スープのうまさからどんどん
離れていってしまい、ついにあの郷愁の味わいのスープが作れなくなってしまったのである。

案外、庵主の郷愁のラーメンは鶏ガラに味の素と胡椒の香りだったのかもしれないが、
今時のラーメンでは味わえない、最高に旨いラーメンだったのである。また食べたくなる味の。
最近のお酒は、精米歩合の向上や酵母の改良もあって、みんな奇麗になってきている。
素朴な美しさに溢れていた少女が、長じて化粧が上手になったような印象を受けるである。

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確かスペインに売られた日本女子は耶蘇教=ユダヤ教徒=異端だったと記録されてますね。
十字軍人身売買や魔女狩り拷問全盛期のヨーロッパに、殆ど丸裸で売られていく嘆き苦しむ
日本人婦女子に、嘆いた使節団が豊臣秀吉に直訴してキリシタン狩りを始まったとか。
改宗すれば赦されるが、人身売買に荷担した者は刑場に引き渡され見せしめにされた。

灯籠流しが海から売られていった娘や子供たちの慰霊燈なんてことすぐに想像がつきますね。
この宗教を利用した人身売買似非キリシタンユダヤ商人のえげつない凄惨な歴史のために、
ユダヤ教徒は迫害されるに至ったのです。』(典拠)。ね、愛されるって怖いでしょう。
みんなよく物事〈れきし〉を知っているのである。連中がやった、否、今やっている事を。

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by munojiya | 2017-04-13 00:04 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-04-02 日本人と日本人
純米酒とアル添酒は見た目は殆ど変わらない。
その二つを黙って並べられたら多くの人はその違いが判らない筈である。
庵主も、自信を持って言えるが、区別がつかないのである。
日本人とチャイナ人とチョウセン人も、黙って並んでいたら、庵主には違いが判らないのである。

標題の「日本人と日本人」も見かけは全く同じなので区別がつかない筈である。
一つは「日本人〈にっぽんじん〉」と読み、後のは「日本人〈にほんじん〉」と読むのである。
「日本〈にっぽん〉」と「日本〈にほん〉」はどこが違うのか。
これからは庵主の仮説である。

「日本〈にっぽん〉」とは、外来の日本の支配勢力を呼ぶときの読み方である。
それに対して「日本〈にほん〉」は土着の日本人〈にほんじん〉の側をいうときの読み方である。
国政の支配層をいうときは「にっぽん」と読むのである。
「日本銀行」や「日本郵便」などは「にっぽん」と読む。当然、「日本会議」も、である。


「大日本帝国」も「だいにっぽんていこく」と読むのである。「だいにほんていこく」ではない。
その逆に、「日本共産党」は体制に反旗を翻す党だから「にほんきょうさんとう」なのである。
さて、「日本酒」は「にっぽんしゅ」ではなく、勿論、「にほんしゅ」と読むのである。   
それは日本人〈にほんじん〉の体質にとって一番おいしいお酒だからである。

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かつての支配層はシナ系だったが、現在はチョウセン人がになっているようである。
>イギリスは南インドから移住してきた少数派のタミル人を優遇し、彼等を教育して役人とし、
多数派のシンハラ人を治めさせた。
この巧妙な分割統治が、現在も続く民族闘争の原因となった。<

イギリス→アメリカ
タミル人→田布施
どこかの国の現状を表していますね。』(典拠米)。
ややこしいのは、さらに、日本国内で北鮮系と南鮮系が拮抗しているということなのである。

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by munojiya | 2017-04-02 00:04 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-03-06 南鮮の「ファンタジー」を嗤えない日本人
「歴史」という漢字がある。
漢字の読み方は自由なのである。
日本人は、一般的にはそれを「れきし」と読むのである。
それを「ぴかちゅう」と読む人もいるかもしれないが、そういう人はキチガイとされるのである。

ではアメリカ人はそれを何と読むか。庵主はアメリカの事情にも疎いが、たぶん「ヒストリー」
と読んでいる筈である。
ならば、あの剽軽民族南鮮人はなんと読んでいるか。
「ファンタジー」と読むのだそうだ。それは美しなくてはいけないというのである。

そして、西朝鮮とも呼ばれるチャイナ国はそれを躊躇わず「プロパガンダ」と読むのである。
それらは、どれが正しいとか間違っているというものではなく、そういう民族性なのだという
実に分かりやすい譬え話である。信長・秀吉・家康のホトトギスと同じである。
日本人はファンジーに酔いしれている南鮮人を嗤うのである。

しかし、このエピソード(欄外に引用)を聞いたら、南鮮人を嗤えなくなるのである。
日本でも、教えられている「歴史」は似たようなものだという事に気付くからである。
国を挙げて騙された振りをしているアメリカ人の方が一枚上手〈うわて〉なのかもしれない。
歴史はさておき、酒は日本の酒の方が一枚も二枚も上手なのである。旨いは真実なのである。

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エピソード。英語習得法を教えている本城武則〈ほんじょう・たけのり〉先生の話である。
25年前、アメリカ留学中に出会った、
UCLA卒の全米ディベートチャンピオンの友人と大東亜戦争の話になり
私が

「すみません、日本が真珠湾なんかを攻めたからあんなことになって」
と学校教育のままの話をしたら「なにいってんの? あれはアメリカが悪いんだよ。
日本をだまして戦争にまきこんだのさ」と言われ
「・・・・・・?」 

話を聴くといままでの学校で教わった話と違う!
それから自分で日本の歴史を1[庵主校正:漢字で一]から学び直し現在に至ります。』(典拠)。
チャイナ国や、南鮮や、加えて北鮮の三か国は特ア(特に危ない、の略かも)と呼ばれるのである。
特アは反日が建国の礎〈いしずえ〉なのだ。日本に勝ったという嘘しか建国の基盤がないのだ。

故に、その三国の反日政策は国が存在する限りなくならないのだ。だから、日本からすれば
そんな国は早くなくしてしまえばいいというのが取るべき政策になるのである。政策としては。
そして、反日が国家経営の支えになっている国がもう一つあって、それがアメリカ合衆国だ
というのである。アメリカ人のインテリはみんな真珠湾の嘘を知っているというのである。

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by munojiya | 2017-03-06 00:04 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2017-02-21 南瓜を買う
「一年に一回だけ、お汁粉が食べたくなる」と言っていた人がいた。
そういえば、庵主も、お汁粉を口にするのはそんなものなのである。
庵主の場合、伝統的な和菓子もそうである。
ネットの動画で、和菓子の映像を見たときなどに突然食べたくなるのである。

しかし、その時に一度味わったら、見た目どおりなのでそれで安心して終わりである。
お酒のように、もっと旨いものを呑みたいという期待と欲求がわいてこないのだ。
和菓子は、桜の花と同じで、一年に一度味わえばいいやという変わらない世界だからである。
一年に一度の行事ゆえに、お汁粉とか、和菓子とか、花見は一気に堪能するのである。

思えば、南瓜を口にするのも、庵主にとっては一年に一度の行事なのである。
普段はべつに食べたいとは思わないが、一年に一度ぐらい、突然南瓜が食べたくなる。
そして、一度口にしたら、変わらぬ味わいに安心して、あとはまた来年で十分なのである。
なのに、今、庵主はその南瓜を買ってきたのである。

なぜかというと、南瓜を切るためである。
新しい、よく切れる包丁を買ったので、その切れ味を試したかったからである。
南瓜は、並の包丁で切るのには相当力を入れないと切れない難渋物なのである。
それが、なんと、今度買った包丁では、すんなり、軽く、あっさり切れてしまうのだ。続く。

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by munojiya | 2017-02-21 08:07 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)