カテゴリ:うまいお酒あります( 34 )
バーは照明空間
銀座で映画を見たあと
その余韻を楽しむために
はいったお店は
新しくできたバーだった

うまいお酒はだまっていても目に入ってくるように
夜の銀座を歩いていたら
そのお店が目にはいってきたのである。
酒呑みの直感である。

まだ少し時間が早かったので他の客はいなかった。
店内の空気が、空間の緊張感が心地よい。
内装がシンプルですっきりしているのがモダンな雰囲気がただよっている。
そしてバックバーの照明が美しい。

ここちよい明るさの
そして落ち着いた趣のベージュの光である。
心がなごむ。
気持ちが引き締まるバーの空間に身が包まれる快感。

はじめてのバーである。
一杯目はジントニックにした。
ていねいな仕事をするバーテンダーだった。
できあがったジントニックのライムの香りが甘い。

そして
それがうまかった。
カクテルがうまいお店でよかったと思う。
この前、飛び込みではいったバーのジントニックはそうでなかったから。

ジントニックの味がこんなにちがうとは。
ジントニックはどこにでもあるカクテルで
本当かどうかはわからないが
バーのカクテルの注文で70%がジントニックだという。

若い人がデートでバーにいったときに
だれもが知っているカクテルがジントニックだから注文がそれになることが多いとか。
そして
庵主のように初めてのバーで頼むのもジントニックだからである。

バーはお酒を飲む場所だと思っている人がいる。
もちろんバーはお酒を飲むところである。
しかし本当はその空間を楽しむところなのである。
じつはお酒を飲めない人も利用できる場所なのである。

ノンアルコールカクテルがあるからである。
アルコールが飲めない人のための飲み物もちゃんと用意されているのである。
もっともそれはお酒が飲めない女の子をユーワクするためのものかもしれないが。
でもなにかの時にお酒が飲めない人が利用することもできるということである。

バーにおける極めつきのカクテルは
「ソルティードック ウィズアウト ウオトカ」である。
その存在理由については前に書いたことがある。
そういう飲み方もまた可能なのである。

建築というのは空間を造る作業だという。
平面図ではなくその空間が建築なのだという。
バーの内装もまたその腕の見せ所である。
バーはその空間の心地よさでお金をとっているからである。

押し詰まったような空間では
いいお酒を落ち着いて飲んでいられない。
飲んでもうまく感じないからである。
お店は5丁目にあるバー「桜」である。 
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by munojiya | 2005-12-19 23:39 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
格が違うお酒
なにも足さない、
なにも引かない、
というのはサントリーのウイスキーの宣伝文句だと思った。
相撲でいえば横綱相撲である。

けれんもなければ
奇策もない。
ただ正統にして他を寄せつけない。
面白くはないが文句なしに強いのである、うまいのである。

数多く日本酒を呑んでみると
いろいろなお酒があることがわかる。
最初から土俵に登る気がない紙パックに入ったお酒がある。
しょっきり相撲みたいなカップ酒がある。

お酒にはそれぞれ個性があって、
幕内、小結、関脇、大関と格の違いがあるように
同時にそのお酒がもっている格
というのがあることがわかる。

山下清は
人の値踏みをするときに
兵隊の位にたとえて喝破していたが、
庵主は、お酒の格を相撲にたとえるのである。

うまいと思うお酒が大関なら
それを超えるうま過ぎるお酒というのは横綱級のお酒である。
横綱のお酒とはそんなにうまいのかと思われては困る。
お酒の格が高いということなのである。

世の中に
うまいお酒はいくらでもある。
はっきりいって呑みきれないほどあるのである。
庵主が呑んでいるお酒はそのうちのごくわずかな数である。

それでも
うまいお酒しか呑めないという体質から
またいいお酒を呑ませてくれるお店が
東京には少なくないことからいつもうまいお酒に与っている。

だからときには
うまいお酒とは次元が異なるといってもいい
格の違ういいお酒に出会うことがある。
あきらかにお酒の格が他とは違っているのである。

もちろんうまいお酒である。
それを口にすると
庵主の体が喜ぶのがわかるからである。
庵主の頭の中にある自分の酒量は60MLのグラスで2杯である。

それ以上お酒を呑んでも味も何もないことがわかっているからである。
理性的に考えればそれは無駄というものである。
ところが、
そういうお酒は体が拒まないのである。

もう適量だと思っていても
また口にしたくなるのである。
うまいというお酒とはまた別の味わいのおいしいお酒なのである。
そういうお酒がある。

華やかな香りはない。
どこといってうまいと感じさせる味わいではない。
が、そのお酒のおだやかな味わいは酌めども尽きぬ趣をたたえているのである。
高橋貞実杜氏が醸した平成10年BYの大吟醸「志太泉」である。
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by munojiya | 2005-10-17 00:10 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
いまどきのお酒
郷乃誉 千年松寿翠 一九七三年 純米大吟醸 生 冷温熟成 (茨城県 友部町)
秋鹿 純米大吟醸 弐引上澄 無濾過生原酒 二〇〇五年 (大阪府 能勢町)
秋鹿 純米吟醸 生 山廃槽搾直汲 二〇〇三年
秋鹿 純米大吟醸 雫生 壱号田 一貫造り 二〇〇二年

奥播磨 鑑評会出品酒 大吟醸 生 冷温熟成 二〇〇一年 (兵庫県 安富町)
府中誉 渡舟 純米大吟醸 冷温熟成 一九九八年 (茨城県 石岡市)
田酒 純米大吟醸 斗瓶 二〇〇四年 (青森市)
十四代 双虹 二〇〇四年 (山形県村山市)

達磨正宗 古酒 昭和五十年 澱 (岐阜市)
達磨正宗 古酒 昭和五十四年 純米甘口果実香
とあると、興味のない人にはまるで経文のようである。
般若心経のような節をつけて読みたくなる。

昔なら、日本酒はただお酒であり、ビールはただビールだった。
今はそうはいかない。
何を呑みますかと銘柄を問われ、どれを呑みますかと造りを問われるのである。
答えているうちに喉が干上がってしまう。

とにかくお酒を、まずビールを飲みたいのにである。
お酒といえば、だまって出てくるのがお酒だった。
ビールも同じである。
どれもわけへだてなく一様にまずかったのである。

だから
どれを選ぶまでもなかったのである。
しかし今はちがう。
うまいお酒が、そしてうまいビールが造られるようになったからである。

それを進歩という人もいるが、庵主はためらわず贅沢という。
日本酒に関しては
年々造りが細分化されて親切にもそれをラベルに書きつらねるものだから、
知識がないと何をいっているものかお経同様意味がわからないようになっている。

ところが庵主はそれを読み取ることができるのである。
読み取れると変なことが起こる。
ラベルを見るとなんとなくその味わいが想像できるからである。
酒を呑む楽しみから、そのラベルを読み取ることに興味が走り出したのである。

先にお酒があって
あとから能書きがついてくるものなのに
能書きが先になってしまうのである。
予想した味わいが呑んでみてそのとおりだったことに満足しているのである。

本末転倒である。
だから普段は自分からお酒の注文はしない。
そのときの一番うまいお酒を出してくれというだけである。
今どれがうまいかはお店の方がよく知っているからである。

お酒の好き嫌いはあるが
どうしても呑めないというお酒はないから
出てきたお酒をありがたく頂戴するのである。
うまければその一杯で十分幸せである。

もし一杯目が口に合わなかったら
口直しといってはなんだが、次のお酒を頼む楽しみが生まれる。
ということができるのも
そういういいお酒しか置いていないお店にしか行かないからなのだが。

冒頭のお酒は酒が呑み手を選ぶ酒である。
選ばれちゃったのである。
これだけの種類を一度に呑むとなると庵主はそれぞれ20ccぐらいしか呑まない。
ただし「果実香」だけはしっかり2杯もいただいたのである。
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by munojiya | 2005-10-09 01:07 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
「陸奥八仙」
庵主が好むお酒の一つである。
青森の「陸奥八仙」(むつはっせん)である。
もともとは「陸奥男山」(むつおとこやま)だが
その新しい酒銘を「陸奥八仙」として八年前にお披露目したものである。

庵主は
去年初めて「陸奥八仙」に出会って
一目惚れしてしまった。
うまかったのである。

高くてうまいのは当たり前だが
「八仙」はその味わいに比べて
庵主が踏んだ値段より安かったからである。
うまくて安いから、かわいいお酒なのである。

かつて「十四代」の「本丸」が人気になったのは
うまいのに安かったからである。
いまでも定価で買えれば
その値段とは思えないほどにうまい。

庵主は
質素な家風の出自なので
贅沢ができないのである。
贅沢が似合わないといったほうがいい。

だから高いお酒を好んで呑むという芸当ができない。
安いお酒でしかもうまいお酒が性に合っているのである。
高い「十四代」を呑んでも、
うまいとは思うが「本丸」と比べると感動は小さい。

その点「陸奥八仙」は感動を呼ぶお酒である。
いまはその売場がなくなったが、
新宿の三越百貨店の地下の食品売場で
「陸奥男山」の純米酒を買ったことがある。

それは端正な酒だった。
と書いたら、庵主の口に合わなかったということがわかるだろう。
造りがしっかりしていることは分かったが、
味わいに芸のないストレートな純米酒だったのである。

そうなのである。
いくら丁寧に造ったお酒であっても
味わいになにか芸がないと
呑んでいてもおもしろくないのである。

おもしろくない酒なんか
呑んでもつまらない。
これって、面白くない=つまらない、だから文章になっていないか。
また呑んでみたいと気が起こらないお酒だということである。

庵主がいう芸とは、まずはほんのりとあまいということである。
そして香りが美しいということである。
あるいは酸味に魅力があるということである。
そこはかない渋みがあってそれがすっと切れていくというキレのよさのことである。

庵主が初めて呑んだ「陸奥八仙」は
丁寧に造った純米酒という水準を越えて
呑んで楽しい味わいだった。
美しいお酒が好きなのである。

最近呑んだ「八仙」には
酸味のうまさもあってうまさがアップしている。
が、庵主は、その中からためらわず本醸造を選ぶのである。
そしてそれが十分にうまいことを知って一人ほくそ笑むのである。
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by munojiya | 2005-10-07 00:50 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
「杜氏潤平」
日本酒なら
「波瀬正吉」(はせ・しょうきち)とか「中三郎」(なか・さぶろう)とつける。
中には名前だけで「忠義」(ただよし)としている場合もある。
杜氏が自信をもって世に問うお酒につける酒銘である。

「杜氏潤平」(とうじ じゅんぺい)は芋焼酎である。
氷を入れて呑んでみる。
いわゆるオンザロックである。
もちろん量は呑まない。

庵主は
焼酎は芋である。
米とか麦とか蕎麦とかがあるがやっぱり芋である。
では芋焼酎がうまいかと問われたら躊躇わず首を横にふる。

庵主はこれまで焼酎を呑んでうまいと思ったことがない。
日本酒はわかる。
うまいお酒を呑むと体が喜ぶからである。
日本酒のうまさは体が納得するうまさなのである。

それに対して
庵主の場合、焼酎のうまさは頭で感じるうまさである。
庵主がこれまで焼酎をうまいと書いたものは
頭の中で味わっていたにすぎない。

「杜氏潤平」はどうかというと
これはうまい芋焼酎である。
もちろん、これも頭の中で味わっているのだが。
「杜氏潤平」には気品がただよっているのである。

日本酒には
そばにあるだけではんなりとした気品が感じられるお酒がある。
それはお酒を呑むというより気品を口にふくむという豊かさを感じるお酒である。
ブランデーとかウイスキーにもそれはあるだろう。

焼酎の場合はすっきりしすぎてその感じを覚えることがない。
日本酒に比べると味に立体感がないような感じがする。
もっとも庵主はあまり焼酎を呑まないから
まだそういう焼酎に出会ったことがないだけなのかもしれないが。

しかし「杜氏潤平」にはただよう気品が感じられるのである。
オンザロックグラスに
小振りの氷が浮かんでいる。
焼酎の表面に輝きのオーラを感じるのである。

いつもの芋焼酎だろうと思って口にしてみる。
本当かどうかはわらかないが
芋焼酎は目をつぶって呑んだら
銘柄の違いがよくわからないという話をきいたことがある。

庵主もわからないから
他の人もそうだったのかと安心したことがある。
違いがないということはないだろうが
低圧蒸留で丁寧に造った焼酎なら同じようにきれいな味になるからなのだろう。

「杜氏潤平」の芋焼酎の味わいは美しい。
おもわずうまいと思ってしまう。
言葉があれば、フルーティーな香りがあって、木の実の香りも感じるのだろうが
それを知らない庵主にはそのすべてのトキメキをいう言葉がうまいだったのである。

お酒に輝きがあるということである。
杜氏潤平は麦焼酎も造っている。
そのしっとり舌に絡んでくる苦みともいえる麦の味わいも個性的である。
「兼八」(かねはち)の焦げたような麦の香りの方が庵主には呑みやすいが。
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by munojiya | 2005-09-25 00:32 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
リースリング
季節の変わり目である。
庵主の場合はいつもなら生ビールから日本酒に切り換える季節なのだが、
いま、日本酒を呑むと、その甘さが気になってしょうがないのである。
そこで酸味がうまい白ワインを飲んで後味を整えている。

そのときのワインがリースリングである。
馬鹿の一つ覚えで、庵主の場合、ワインはリースリングなのである。
たまたまはいったワインの試飲会がドイツワインのそれで、
リースリング種の葡萄で造ったというワインの香りの虜になってしまったのである。

香りがきらめいていた。
華やかなのである。
甘美な香りなのである。
そのワインが美人に見えたのである。

それからは
寝ては夢起きてはうつつ、ワインはリースリングである。
その甘い味わいと、きれいな香りと
白ワイン特有の明確な酸味のうまさにはまってしまったのである。

季節の変わり目を
男の心変わりで知った女の歌があったが、
庵主が日本酒の甘さが気になるようになったということは
体質の変わり目なのかもしれない。

よく聞くように
それまで日本酒に親しんでいた人が
焼酎に向かうということは、
体質が変わって求めるうまさが違ってきたということなのだろう。

昔から厄年という言葉があるが、
人間の一生には周期的な体調の変化があるようである。
年をとるとともに
体質も変わっていくのだろう。

少なくとも
年をとると食べ物の量が食べられなくなる。
食べ過ぎるとかえって体によくない。
そしてまずい物を食べると途端に体調が悪くなる。

うまい物を控えめに食べるというのが年寄りの健康法である。
うまいお酒をちょっとだけという庵主の酒の呑み方は
そういう点では
ぐっと大人の呑み方だったというわけである。

日本酒なら
庵主が呑むお酒は四合瓶で1600円のものである。
それより高ければ贅沢なお酒だし
安くてうまかったらお買い得なお酒ということになる。

ところがワインの値段は
飲めるワインが750MLなら2000円台で
1000円台で飲めるワインはお買い得と言った感じである。
安心して買えるのは3000円台であって日本酒の倍なのである。

いま飲んでいるのは1500円の「ドクターローゼン リースリング」である。
そこそこのうまさがあるが、
2037円の「ユルツィガー ヴェルツガルデン」(丸写しです)よりは
確かに格下であることがワインにさほど親しんでいない庵主にもわかる。

もっとも近くのコンビニで買った950円の「モーゼル ザール ルーヴァー」が
飲んだあとにもっとうまいのを飲みたくなるリースリングなのに比べたら
これだけで満足できるからいいワインなのである。
低価格帯の酒のうまさはまさに値段に比例しているということである。
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by munojiya | 2005-09-23 00:06 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
ほんとうの地酒はここにある
最初にあやまっちゃいます。
贔屓の引き倒しです。
でも、庵主の
一番好きなお酒なんです。

好きに、他人からとやかく言われる理由はない。
惚れてしまえばあばたもえくぼなのである。
秋田の「福乃友」が醸している
純米吟醸「冬樹」の生酒のことである。

米は、地元産のキヨニシキというご飯用の米である。
純米吟醸酒だから舶来アルコールの添加はない。
水は、酒造りには好都合な鉄分が少ない雄物川の伏流水である。
杜氏は、山内杜氏鶴田惣太郎である。

ほんとうの地酒はどこにあるの答の一つがここにある。
思うに、
なんでも地元のもので造ったから地酒というものではない。
その風土に依っているうまいお酒が地酒なのである。

そのうまいお酒に造り手の気持が感じられればいい。
もっともお酒を呑んでそこに造り手の気持がわかるわけがない。
ただ一つたしかなことは
そういうお酒はまちがいなくうまいということである。

うまいに、あれこれご託を並べる必要はない。
呑めばわかるからである。
そのうまいという一事(いちじ)が地酒のすべてである。
大手メーカーの酒の真似をした酒まで地酒と呼ぶまでもないだろう。

大手メーカーが大量に造っている日本酒というのは
うまい酒をめざして造っているお酒ではない。
庵主が呑んでいる地酒が高級乗用車だとしたら
大手の酒は軍用トラックのようなものである。

乗り心地を比べても意味がない。
軍用トラックのような実用的なお酒を
まともな日本酒だと思われても困るのである。
どっちがいいお酒であるかは目的が違うから比べることはできない。

座席に使う生地の素材がちょっと違うだけで
全然乗り心地が変わってくるといった楽しむために乗る乗用車と違って、
丈夫が第一の軍用トラックの座席に
高級なめし革を使えというのは用に反するのである。

ただ残念なことは
日本酒の世界においては平和日本にあっても
軍用トラックの生産台数のほうが
乗用車よりずっと多いという戦時体制が敷かれているということなのである。

平和は戦時と戦時の合間だという見方がある。
それが間違った見方であったとしても
明日をも知れない日常生活において保険をかけておくような堅実な考え方だから
違っていても悪い方にはころばないのでだれも文句はいわない。

しかしである。
明日は戦時かもしれないから
それに備えて今はまずい酒を我慢して呑んでおこうという考え方は
生活の幅がせまいと庵主は思う。

戦時になったら
しかたがないからまずい酒でも呑むのである。
平時になればまたうまい酒が呑めるという夢があるからである。
その夢を奪うようなお酒造りを庵主はよろしいとは思わないのである。
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by munojiya | 2005-08-08 00:27 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
「うまい」について
純米酒の実態について書く前に
確認しておくことがある。
「うまい」酒とはどういう酒かということである。
庵主はうまいと書くときに、カギカッコをつけて「うまい」と書く。

この「うまい」という意味は
あくまでも庵主がうまいと感じる味わいであるということである。
庵主が「うまい」と書いたお酒を呑んでみて
俺にはちっともうまくないぞといわれても困る。

庵主が日本酒を呑むのは
アルコールがほしいからではない。
それが「うまい」からにほかならない。
そして「うまい」お酒を呑んでいると気分がいいからである。

お酒も酔いがまわらなければいくらでも呑めるのに、
と庵主が冗談をいうと
長老は
酔っぱらうからうまいんだよと庵主を窘(たしな)めるのである。

庵主は
体質的に少量しかお酒を呑めないので
だらだら呑みつづけたときにうまさが身にしみてくるというお酒はダメである。
最初の一杯から「うまい」とわかる酒ではなくてはならない。

庵主にとってどういうお酒が「うまい」と感じるかというと
まず、あまい酒である。
日本酒には甘口と辛口という言葉があって
いまは辛口の酒が好まれるというが、そこでいう甘口のことではない。

日本酒の辛口と甘口とは
日本酒度のプラスとマイナスで表される指標であって
実際にそのお酒を呑んだときの
印象とは必ずしも一致しないのである。

辛口の酒なのにあまいと感じるお酒がある。
お酒のあまさというのは糖分の量のほかに酸の寡多も関係してくるからである。
だから甘口の酒なのに
それほど甘いと感じない場合もあるから呑んでみないとわからないのである。

庵主が好むあまい酒というのは
辛口であって口に含んだときに
あまく感じるお酒である。
酒質がまろやかな酒がそれである。

庵主が「うまい」と感じる第二の条件は
アルコールの度数が少し高い酒である。
標準とされる15度のお酒だとなんとなく薄いと感じてしまう。
度数が17度以上になると反射的に「うまい」と感じてしまうのである。

そして酸味がきれいなお酒である。
酒の酸味は日本酒のみならず「うまい」酒の隠し味なのである。
ウイスキーやビールなどでもそれがうまい酒なら
庵主は飲むことができる。

庵主が「うまい」と感じる日本酒は
その味わいの基準が
ある程度できあがっている。
その条件に当てはまるお酒が「うまい」酒なのである。

庵主が「うまい」と感じるお酒は
質の高いお酒であることが多い。
造りの手を抜いたお酒では満たされないのである。
だから庵主が「うまい」と感じるお酒の水準は一般的に高いということなのである。
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by munojiya | 2005-07-28 23:21 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
特別純米大吟醸
困るのである。
日本酒の特定名称を勝手に複雑にされては。
が、うれしくもある。
それを邪道だとは思っていてもそこにうまいお酒があるからである。

最近
特別純米大吟醸という酒が出まわっている。
たとえば
「天保正一」の特別純米大吟醸である。

天保正一といえば
「喜楽長」の杜氏であり、
能登杜氏の最高峰の一人だ。
その天保正一が特別純米大吟醸を世に問うたのである。

山田錦を
30%まで精白して醸したお酒である。
はたして本当にうまいのか。
その評価は文末までとっておこう。

日本酒という商品は
大きくわけて、普通酒と特定名称酒に分けることができる。
どこが違うのかというと
一応うまいお酒が特定名称酒とされている。

では普通酒はまずい酒かというと
そうではないのである。
普通酒はけっしてまずい酒ではない。
大手の日本酒メーカーが心を込めて造っている酒である、呑めない酒ではない。

ただ、まずくはないのだがうまくもないお酒なのである。
ちなみに庵主のからだはそれをうけつけない。
もともと酒が呑めない体質である。
うまくもない酒を無理して呑むことはないからである。

庵主にとっては
普通酒は呑んでも甲斐のない酒である。
呑んでいてもつまらないからである。
庵主は「うまい」酒でないと呑めない。

庵主が呑めるうまいお酒は
特定名称酒の中にある。
特定名称酒は
その原料と造りの違いによって八つのタイプに分けられている。

米だけで造ったお酒が
精米歩合の違いで4種類に分けられている。
純米酒、特別純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸の四つである。
精米歩合が小さくなるほどいいお酒ということになっている。

精米歩合というのは
たとえば精米歩合70%というのは30%を糠(ぬか)にして落としたということである。
純米酒で普通は70%ぐらいは磨いている。
特別純米大吟醸「天保正一」はそれを逆に30%まで磨いた狂気の酒なのである。

うまい酒に思えてきたでしょう。
純米酒に多少のアルコールを添加したお酒が本醸造酒である。
それがまた精米歩合の違いで4種類にわけられる。
本醸造酒、特別本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒の四つである。

特定名称酒の最高峰が大吟醸酒だとしたら
その極みのお酒として造ったのだという意気込みが付けた呼称が
特別純米大吟醸酒なのだろう。
庵主には蔵元の見栄と杜氏の悪乗りとしか思えないのだが。

特別純米大吟醸はうまいとかまずいとかは超越しているお酒である。
ただ黙って味わっていればよい。
それがどういうお酒であるかの一端は
庵主が「梵」の特別純米大吟醸を呑んだときに書いたとおりである。
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by munojiya | 2005-07-26 19:18 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
酒は管理のいいものを呑む
醸造酒の命は何かというと
温度管理である。
いくらいいお酒を造っても
流通過程やお店で粗雑な温度管理をしたらいっぺんに味が落ちてしまう。

気の抜けたビールという言葉があるが
そんなビールを飲んでもうまくないことがわかるように、
お酒も造られてから口に入るまでの温度管理がしっかりしていないと
うまいお酒を呑むことができないのである。

昔の輸入ワインはすごかったらしい。
船便で運んでくるのだが、
途中赤道の高熱地帯を通過するにもかかわらず
ドライコンテナを使っていたという。

ドライコンテナというのは
冷蔵装置がついていないただのコンテナである。
かわそうに、
日本に売られてきたワインは灼熱にさらされて日本に着くのである。

燗冷ましのワインが
日本では売られていたという。
そういうワインを
ドータラコータラというワインの蘊蓄を傾けながら楽しんでいたのである。

海外に輸出されたいた日本酒もそうだった。
かの地に着いた時には燗冷ましである。
そのまま呑んだのではうまくもなんともないので、
熱燗にして呑むという必殺技で売られていたという。

いまでもそうだが
質のよくない酒を冷やして飲めば
冷たいということだけで
そこそこに飲むことができる。

熱燗はその逆の呑み方だが、
質の善し悪しを問わない呑み方なのである。
味は第二の呑み方といったほうがいいか。
いまは船輸送もよくなった。

低温コンテナが使われるようになったという。
外国で呑まれる日本酒の味わいは
往時とは格段のうまさを外地で呑めるようになったのである。
もっともすべてのお酒がそうなっているのかは知らないけれど。

国内においてもお酒の温度管理の大切さは同様である。
流通の段階で、あるいは酒販店で、または居酒屋で、
そのいずれかで手抜きをすると
せっかくのお酒の味がそこなわれてしまうということである。

デパートの酒売場で
営業時間中は冷蔵庫が生きているが
夜間は電気を切っているところがあるという話を読んだことがある。
日中と夜間の温度差があるとかえってお酒には悪いのではないか。

しっかり温度管理がされているお酒を呑んだ時のうまさは格別である。
冷蔵庫から出してきた十分に冷えている瓶からつがれたお酒は
冷たいこともあってひときわうまく感じるのである。
その温度が正しい温度かというと問題はあるが。

同じお酒でも管理がよかったお酒と
そうでないお酒では味が違う。
お酒は管理のいいお店で呑むということが
うまいお酒を呑むコツである。
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by munojiya | 2005-07-11 22:59 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)