カテゴリ:酩酊篇( 1688 )
2017-05-29 「和らぎ水」が読めたらお酒の本当の通だ
今の日本は、マスコミ(新聞社・TV局)と広告屋は左翼が、はっきりいうと左翼を装った
チョウセン人ないしは朝鮮人脳の人達が占拠して、反日に励んでいるいう図になっている。
日本人は真実本意なのに、チョウセン人は嘘が本意だから、マスコミの振る舞いやそういう
TV局が作る番組は日本人の感性に合わないのである。TV離れが進んでいる理由の一端がそれ。

日本人は昔からチョウセン人が嫌いだが、チョウセン人は日本で生まれて日本で育った人でも
生理的に反日精神が芽生えるのだという。流暢な日本語を話していてもなぜか反日なのである。
おそらくは日本人の美意識とは相反するDNAを引き継いでいるからなのだろう。
当人がいくら頑張っても白人の子は白人体質なように、チョウセン人体質もそれなのである。

多くの人は蛇が嫌いである。理性で好きになろうと思っても、蛇の姿こそはシンプルデザインの
好手本だと思っても、へびちゃんは可愛いと思っても、やっぱり気持ちが悪いように、日本人は
チョウセン人とは合わないのである。それが分かっているのだから離れて暮らすことである。
しかし、チョウセン人は間を置こうする日本人に擦り寄ってくるのである。蛇のように、である。

そのチョウセン脳マスコミが、よく総理大臣は漢字が読めないと記事にするのである。
アホか、である。漢字の数はハングルの比ではないのだ。読めない漢字があっても当然なのだ
「和らぎ水」が読めるか、である。「やわらぎみず」と読む。読めてもその意味が分かるか。
分からないだろうが、意味はこの人が教えてくれるのである。ネットは手抜きができるからいい。

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by munojiya | 2017-05-29 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2017-03-28 春三月の燗酒
春。三月、四月、五月。
夏。六月、七月、八月。
秋。九月、十月、十一月。
冬。十二月、一月、二月と四季を割り振る。

春三月である。
この年(2017年)3月27日、春とはいえど、あたかもこれから冬に向かうのかと
まごうような寒い日になった。まもなく桜の花が咲く時期だというのに。
肌寒いを通り越して身が竦〈すく〉むのである。

厳寒の燗酒もうまいが、春冷えの燗酒もうまい。
うまいというより、その時分の燗酒は身にしみるのである。
身にはしみるのだが、なかなか燗をつけてうまいお酒がないのが現実である。
「旨い」というレベルではなく、燗にして「うまい」といえるレベルのお酒すらないのである。

「旨い」はいつ呑んでもウマイと感じる鉄板のウマサをいう。
「うまい」は必要して十分なレベルに達しているこれなら呑めるというウマサをいう。
今どきのお酒はすっかりモダンになってしまって、“燗”に堪えるものがなくなってしまった。
と言いながら「桜正宗」の山田錦の純米酒を猫舌燗で嗜んでいるのである。ああ身にしみいる。

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by munojiya | 2017-03-28 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2017-03-25 日本のキムチは贋者というならば本醸造酒も
日本にキムチは贋物なのだという。
本物のキムチはちゃんと乳酸醱酵させたものだという。
日本のキムチは、キムチ風味の「調味液漬け」だというのである。
ビールティストの「ビール」をビールと呼んでいるようなものだということである。

日本のキムチは単なる「浅漬け」「調味液漬け」なので、ちゃんとした乳酸発酵をしてない。
乳酸発酵は時間と手間がかかり、技術もムズカシイ。豆州楽市のたくあんは、3年間かかって
乳酸発酵を繰り返し、じっくり作るんだが、スーパーで売ってる普通のたくあんは、やはり
単なる「調味液漬け」です。』(典拠)。

日本のキムチは悪意があって作ったものではないので、贋物というわけである。
庵主は「贋物」と「偽物」は別の意味で使っていることは以前に書いたとおりである。
本醸造酒というのがある。
お酒は本来は醸造酒なのに、本醸造酒はそれではないのである。

なんと、お酒に醸造アルコールをまぜたリキュールを「お酒」と称して売っているのである。
善意で解釈すれば、それは日本のキムチと同じである。
よく言えば、お酒のアルコール漬けなのである。
アル添酒は「うまい純米酒を造るのは手間と金がかかり、技術もムズカシイ」故なのだろう。

アル添酒は、お酒の精神性をじっくり味わうというより、アルコールを手っとり早く安価に
楽しむためのお酒なのである。造りの方向が異なるものを比べて優劣を論じてもはじまらない。
ただ、調味液に漬けたキムチを本物と言わないように、醸造アルコールに漬けたお酒も
そうは呼べないという人の気持ちの分かるのである。本醸造酒を贋物とは言わないまでも。

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by munojiya | 2017-03-25 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2017-03-01 発泡酒に関する小泉総理の名言
小泉総理の名言を思い出すよ。
レポーター「最近、発泡酒の売れ行きがすごいですが」
小泉「だったら発泡酒の税金を上げればいいじゃない」(そしたらビールに戻るでしょ)
典拠8:35)。

今は、その発泡酒より酷い、おっとっと、格下の、人によってはアルコールを混ぜている
ということで混ぜ物とも呼ぶ本ビール(アル添ビールの事)が跋扈しているのである。
時の小泉総理は、発泡酒がまずいものだということは判っていたようである。
そういう不味いものを一掃する方法は簡単なことだと教えてくれたのである。

醸造アルコールを混ぜたお酒、すなわちアル添酒を上品に「本醸造酒」と呼んでいる。
純米酒原理主義者というのがいて、アル添酒をお酒とは認めないという人達もいるのである。
アル添酒を造っている人の中には、アル添の何が悪いのかと居直る人もいる。
アル添酒は日本酒の新しい発展的技法なのだからなんら間違ってはいないというのである。

ならば、庵主は訊きたいのである。
「醸造アルコールの値段が、お酒より数倍高かったら、それでもなおその主義主張に殉じて
お酒にわざわざアルコールを混ぜるのですか」と。醸造アルコールが安いからに決まっている。
ただし、吟醸酒は造りの発想が異なるのでアル添もしかるべき量においてなら可なのである。

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by munojiya | 2017-03-01 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-26 「薩摩宝山」の過去記事を訂正しました
歴史書は、それまでの説とは異なる事実が判ったときには書き直されるのである。
日本では、より真実の方向に向かって書き直されるが、
特アでは、よりファンタジーな方向に、である。
真実を大切にする文化の日本人と、嘘の方が大切とする特アの文化の違いなのである。

本当のところは天動説であろうが、地動説であろうが、どっちでも大して変わらないのである。
日本の歴史が、万世一系であろうが、そうでなかろうが、大して変わらないようにである。
チャイナ人には、天安門事件があったとしても、なかったとしても生活は変わらないのである。
南鮮人なら、「従軍慰安婦」が性奴隷でも、高給売春婦でも、どっちでもいいように。

北鮮人なら、暗殺された金正男が本物でも、影武者でも生活には何の関係もないように、である。
お酒も、それが純米酒だろうが、アル添酒だろうが、実用上はなにも支障はないのである。
2008年に、西酒造の焼酎「薩摩宝山」に降りかかったのが毒米騒動で、当時の報道やネット
では、西酒造は毒米を買って焼酎を造って売っていたに違いないと印象づける事実が流れていた。

その様子を伝える記事を、庵主は当ブログの2008年9月22日に掲載したのである。
しかし、その印象は事実ではないという指摘を、西酒造がわざわざ庵主に伝えてくれたのだ。
委細を知り、庵主は記事中の間違った印象をいだかせかねない引用部分を速やかに書き直した。
真実の方向に。昔の事を覚えている記憶力のいい人は真実を確かめるためにご一読いただきたい

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西酒造は、「薩摩宝山」はなんの心配もなかったと判った後でもあの焼酎はいかがわしいという
風評被害を受けているという。新聞は訂正記事を小さくしか扱わないから、間違った第一印象が
強く記憶に残ってしまうからである。しかも日本人はとりわけ食い物には厳しいのである。
と、風評被害が予想されるもう一つの事件が起こったのである。現時点では真相は判らないのに。

まぁ、どちらにしろあの小学校[通称、安倍晋三記念小学校の事]はもうだめだろう
風評で完全に死んだ
幼稚園の方まで大量に人がやってきたり、親御さんを追跡するのもいるらしい。
もう幼稚園の継続すら怪しい』(典拠)。

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by munojiya | 2017-02-26 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-25 「あら玉/改良信交」燗酒30度で当たり
庵主が住んでいる庵から二番目に近いところにある酒屋が升籐〈ますとう〉酒店である。
そこにあったのだ。
「あら玉」の「改良信交」が。「改良信交」は米の品種の名前である。
庵主は、躊躇わず、その特別純米酒の生酒を買ったのである。四合瓶で1404円(税税込)。

なぜなら、かつて、その純米大吟醸の改良信交の燗酒が、口に含むと、とろけるほどに
旨〈あま〉かったという記憶が鮮明に残っているからである。
来週はもう春三月というのに、なお寒冷なこの時期には旨い燗酒が呑みたいのである。
しかし、今、その願いは容易に叶えることができないのである。

今時のお酒は冷やして呑んだ時に旨く感じるように設計されているから、燗を付けるとその旨さ
が吹っ飛んでしまうのである。のみならず、ペラペラな味わいに劣化しまうのである。
駄洒落だが「燗に堪えない」が多いのである。
ああ、やっぱり冷やで呑むんだったと後悔を誘うお酒が殆どなのである。

流石、余丁町の宝、升籐酒店、そのお酒の揃えはいつ行っても魅力的である。
庵主が呑みたくなるお酒が冷蔵庫に並んでいるのである。
で、「あた玉/特別純米酒/改良信交」はこの年の冬の終わりに来てやっと庵主の願いを叶えて
くれたのである。30度の日向燗で当たりである。燗酒のあのとろける甘さが味わえた。

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by munojiya | 2017-02-25 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2016-10-24 フランスワイン「ベル・エキップ」
ワインを飲む。
庵主は、お酒(日本酒)と焼酎は「呑む」と書き、それ以外の酒は「飲む」と書き分けている。
庵主も、最近はワインの味わいが分かるようになってきたのである。
どんな酒でも、体がウンという酒はうまい酒なのである。

庵主の体がなじむワインと出合えるようになったということである。
庵主の専門は日本酒だが、といっても、酒呑みに専門もなにもあったものではないが、
ワインの酸味に体が馴染むようになったのである。齢をとったという事なのかもしれない。
下手なお酒は酸味が弱いのである。酸味の弱いお酒は呑み続けられないのである。

酸味が頼りないお酒が多い中で、酸味がピタッと決まったお酒に出合ったときは僥倖である。
その旨さは至福という言葉を思い出させてくれるのである。
瞑想法には、静的瞑想と動的瞑想があるという。座禅が前者でランナーズハイは後者だ。
そして、本当に旨いお酒は、呑む瞑想法ともいえる境地に導いてくれるのである。

美酒に酔いしれることで、己〈おのれ〉をむなしくできるからである。
この場合は「酔いしれる」ではなく、「美酒の余韻ひたる」と言うべきか。
造り手の気合と、その旨さとに共鳴したときの、自我から解放された瞬間なのである。
で、「ベル・エキップ/カベルネソーヴィニヨン」に辿りつけなかったのである。
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by munojiya | 2016-10-24 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2016-10-20 むの字屋からのお知らせ
パソコンの入れ替えのため、しばらく更新ができなくなっています。
これまで使っていたパソコン(XP機)が突然起動しなくなってしまいました。
それで一気にウインドウズ10に換えましたが、庵主のパソコンの技術力では、
引っ越し作業などがいつ終わるものか見当がつきませんので。

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by munojiya | 2016-10-20 13:28 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2016-10-10 日本酒の定義
国税庁はこのほど[この記事の配信日時からして2015年のことか]、日本国内で国産の
米や水を原料に製造された清酒だけを「日本酒」と呼べるよう酒類業組合法を改正することを
提案した。背景には、安価ながら質のいい「日本酒」が中国などで製造され出回っていること
があるようだ。

そうしたなか、長春理工大学の李爽さんは、日本酒をめぐる中国人と日本人の交流について、
作文に次のようにつづっている。
』(典拠)。
まず前段について、庵主はそういう噂を知らなかったのである。
酒税法は、お酒を「日本酒」とは呼んでいないのである。国税庁にそんな概念があったっけ。

なぜか、それでは困る事情が税務当局にはあるからである。
醸造アルコールで増量した混ぜ物の酒を日本酒と呼んだら嘘になってしまうからである。
日本酒は本来は醸造酒なのに、今のお酒の殆どのものはそれにアルコールを混ぜたリキュール
なのである。それを見掛けがお酒とよく似ているという事で「清酒」と呼んでいるのだ。

お酒を「清酒」と呼べば、それが醸造酒でもリキュールでも嘘ではないからである。
米を原料として造った醪を漉した透明な酒を「清酒」と称しているのである。
見掛けだけでそれをお酒と呼べば、中身の品質に関係なく徴税できるからである。
現在の酒税法は酒税を確保するために、見掛け課税であって、品質課税ではないのである。

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後段の中国人のおじいさんの話に移る。
そのおじいさんは、若い時『日中戦争』で兵士として参戦したが、深手を負ったときに日本兵
に救われたという。
その日本兵と日本酒を呑む間柄になったのだという。以来日本酒が好きになったのだとか。

その話は若い中国人が話しているのだが、日本語作文コンクールの作文なので「中日戦争」
ではなく、「日中戦争」と言っているのか、あるいは中国には日本とシナの分閥(地方を割拠
している勢力の事で統一政府としての機能まだ有していない言うなれば馬賊の事)との事変を
いう言葉がないので日本語の「日中戦争」を使ったものかは分かりかねるのである。

そもそも「日中戦争」という言葉自体、庵主が若い頃にはなかった言葉である。
存在しなかったものに「従軍慰安婦」と名づけたように、それもまた左翼が、「天皇制」と
いう言葉と同じように、でっち上げた「歴史用語」なのではないのか。
日本は統一国家だが、中国側は分閥なのだから国家間戦争ではないのである。よく言って事変。

深手を負ったおじいさんを介抱してくれた日本兵が言っていたのだという。実話か否かは不問。
「日本酒の中には家族の温かさがある」』(典拠。以下も同)と。『そして、日本酒は二人の
「友情をつなぐ橋」として、彼らの感情を深める役目をしました。
』『おじいさんはこの世を
去る時、「日本酒をもう一度飲みたい」と言い残しました。
』。お酒は純米酒だったものか。

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アル添の日本酒造りが始まったのは昭和17年と聞いている。
戦局の悪化で、食べる米にも事欠くようになっために、原料米の不足を補うために、少ない米
で必要量のお酒を造れないかというのが、そもそもの切迫した事情だったのである。
まともなお酒が呑めない状態になったら、もう敗戦を認めればよかったろうに。

昭和20年3月10日、東京に大空襲があっても(左翼はなぜそれをアメリカによる
「東京大虐殺」と呼ばないのか。左翼の正体が見えてくるというものである。)があっても、
即ち、帝都が敵に思うように蹂躪されても勝てると考えていた当時の日本人のファンタジーに
感心するのである。始めた戦争はなかなかやめられないということは知っててのことであるが。

「言う易し、行なうは難し」という。
「禁酒」がそれだが、戦争もそれなのである。「始めるは易し、収むるは難し」である。
お酒がやめられない理由と同じだろう。酒を飲むというそれまでの価値観が崩れていくからだ。
容易に禁酒に踏み切れなかった気持はよく分かるのである。株で損切りができないと同じだ。

人の気持というのはそんなものなのである。損を思うと悪場面でもそれを切れないのである。
で、その中国のおじいさんが、昭和17年以前に、日本兵との出会いがあったなら、二人が
呑んだお酒は純米酒である。しかし、17年以降の出会いだと、それはアル添酒である可能性
が高い。そのおじいさんはどっちのお酒が好きだったのだろうか。シナ人だから酎でアル添か。

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余談である。
中国東北地方の小さい町で育てられた私が、物心が付いた時から人に教えられたものは無残
な日中戦争のことばかりだった。日本人
[日本兵という意味だろう]が来ると、殺りく[殺戮]、
強姦、放火、略奪など、悪事の限りを尽くしたということを聞かされて育った。

正直に言って、日本に対して親近感どころか、まるで永遠の敵のように思い、「いつか必ず仇
を討つ」という考えがいつの間にか芽生えてしまっていた。
その考えを抱きながら私は高校生になり、そして自分にとって人生のターニングポイントを
迎えた。
』(典拠)と、
「中日友好」路線に持っていくのがレコードチャイナ節である。

「中国東北地方」とあるが、満洲のことである。日本には中国地方があるのに、国名を「中国」
と呼んだり、おなじく東北地方があるのに、それをパクって「中国東北地方」と称したり、
紛らわしい事はなはだしいのである。
翻訳するときは「満洲」、「シナ」としなければならないのに、その記事はレコードチャイナ。

「日本人が来ると、殺りく、強姦、放火、略奪など、悪事の限りを尽くした」と、中国少年が
教えられたことは、どうやら「中国兵がくると」と読み替えたほうが正しいみたいなのである。
ベトナムにおいては、「韓国軍が来ると」としたら、その部分は歴史的事実なのである。
嫌韓で、日本人は韓国を辟易するが、その「韓国」の部分は実は「米国」と置き換え読むのだ。

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国税庁には「日本酒」という概念がないと書いた。その理由は上述の通りである。
そのことは、チョウセン人には「恩」という概念がないという話と同じなのである。
国税庁の本心は、欲しいのは旨いお酒ではなく、「税〈かね〉よこせ」とという事なのである。
チョウセン人も、それ故に、欲しいのは謝罪なんかではなく、本心は「金よこせ」なのである。

即ち、国税庁が「日本酒」の定義を提案するというのは、ちゃんちゃらおかしいという事だ。
その可笑しさを指摘する言葉がある。
「日本にあるのは酒造法ではなく、酒税法なのである」と。
なお、「シナ人だから酎〈ちゅう〉でアル添酒か」というのは、紂王に掛けた駄洒落である。

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by munojiya | 2016-10-10 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
20169-09-07 なんなんだ「君の名は。」でラガブーリン
「893」と書いて「ヤクザ」と読む。
では「826」は。
「君の名は」と読むのである。その映画の封切日である。「うまい」と読んでもいいのだ。
今年公開されたアニメの最高という人もいる。庵主もそれに異はない。楽しく酔えたから。

それを「良くできている」と言ったら、上から目線ということになるのか。
「面白かった」と言ったら、お前には知性はないのかと言われるのか。
いいお酒を呑んだ時に、ただ「うまかった」と言ったのでは、何も言っていないのと同じ
だからである。なにが旨かったのかを言葉で示して、それは賛辞となるのである。

庵主は、お酒を呑んだ時に「いいお酒だね」と言うことがある。
その前に「どうでも」という言葉を、ぐっと呑み込んでのことである。
「うまかった」と言うのもそれと同じで、その前の言葉が気になるのである。
「今日呑んだお酒の中では」とか、「期待してなかった割には」とかが、略されていないかと。

庵主は「君の名を。」を、定宿のバルト9で、2016年9月6日の午後3時の回で見たが、
なんと、平日のその時間の回なのに、上映階では入場規制がかかっていたのである。ほぼ満席。
男女高校生の入れ替わり映画かと高を括って観に行くと見事に裏切られる。庵主がそうだった。
観終わった後に久しぶりに決め酒の「ラガブーリン」を飲んだが、それもやっぱり旨かった。

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この場合の「定宿」は「いつものこや」と読む。「こや」とは「劇場」のことである。
庵主が贔屓にしている劇場のことである。庵主にとって居心地がいい映画館のことである。
岩波ホールみたいに、その中にいるだけでなんとなく場違いを感じる小屋もあるからである。
岩波ホールの観客は、みんな頭がよさそうに見えて、庵主は気後れしてしまうのである。

で、その贔屓のバルト9が、やらかしてくれたのである。
新宿ピカデリーの悪い病気が感染ったようにである。
スクリーンの左右のマスキング幕(画面の大きさに合わせて移動させる黒い幕)を調整しない
で上映してくれたのである。

マスキング幕が、画面の端から見た目で5センチ(実寸ではそれ以上)ほど外側にあるまま
上映していた。明るい画面の端から、マスキング幕の間に光が当たらないスクリーンが見える。
その部分は黒いのだが、マスキング幕の漆黒と違って、目障りな暗部なのである。
それに気がつくと、見ていて、落ち着かないのである。


バルト9は、13階にある館内で一番客席の多いスクリーンである。
その下の階は11階だが、上映開始の少し前にエスカレーターで11階まで上がったときに、
そこでストップをかけられてしまったのである。
13階のフロアが混み合っているために、しばし11階で待っていてくださいというのである。

バルト9は客席429のスクリーンで、そこにほぼ満席の客が押し寄せたために、上映開始前
のフロアには客があふれてしまったようである。
庵主はたまたまその日は休みだったが、平日の午後3時に映画館にくる客層はどんなものかと
眺めてみたら、多くは、若い人で、学生のカップルなどでいっぱいだったのである。

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by munojiya | 2016-09-07 00:05 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)