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カテゴリ:番外篇( 300 )
2017-02-20 今週の誤植「非人道的な原爆を日本に透過」
世の中で何が人に嫌われるかといって、「他人が書いた文書の誤植を指摘する事」に敵うものは
ないだろう。
庵主は性格が悪いのそれを平気で、というより天真爛漫にやってのけるのである。
故に、人からは煙たがられているのである。

煙たがられているというと、マイナスイメージだが、実はその逆で、他人がこっちにちょっかい
を出してこないから庵主は平穏な生活が送れるということなのである。めでたしめでたしである。
人がちょっかいを出してきたことが何度かあったが、その都度お金を騙し取られたものである。
だから、笑顔で近づいてくる人を見るとどうしてもそれに見えてしまうのである。

最近は、入信しても何の役にも立たない宗教の勧誘とか、保険料を払っても何の利益もない保険
の勧誘の電話しかないから、そのときは格好の世間話の時間になっているのである。
さいわい、御布施は出せませんよと言い、保険料なんかいまさら予算計上していませんよと
いうと先様はなぜか諦めて去っていくのである。根性のない勧誘なのである。

齢をとると後に何も残らないものが身軽でいいのである。蔵書、美術品、財産等は重荷になる。
その点ではお酒は呑んだ後に何も残らないからいいのである。旨かったという記憶だけが残る。
さて『戦後世界覇権を握る為に、非人道的な原爆を日本に透過しても、アメリカが良い国であり
続けるためには、原爆を投下された日本が悪い国であり続けなければならない。』(典拠)。

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以下、その続きの文章である。
それはアパホテルの元谷外志雄会長が書いた本からの引用だという。
だから、アメリカは虚構の南京大虐殺や従軍慰安婦の強制連行を否定せず、プレスコード
(日本新聞遵則)によってメディア報道を縛り、東京裁判史観を押し付けてきたのだ。

このプレスコードは昭和29年9月21日に公表されたが、プレスコードで禁止された30項目
をここに記す。
(1)SCAP(連合軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
(2)極東国際軍事裁判批判→いわゆる東京裁判の批判

(3)GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
(4)検閲制度への言及
(5)アメリカ合衆国への批判
(6)ソ連への批判

(7)英国への批判
(8)朝鮮人への批判→いつの間にか日本人だった戦犯となるべき朝鮮人が戦勝国入りしている
ことへの批判の禁止ということ
(9)中国への批判→支那人の日本人虐殺事件等に対する批判の禁止ということ[次節に続く]

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(10)その他連合国への批判
(11)連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
(12)満州における日本人取り扱いについての批判→支那朝鮮人が日本人を殺害陵辱強奪した
ことに対する批判のこと

(13)連合国の戦前に対する政策に対する批判
(14)第三次世界大戦への言及→これは日本の報復を恐れたため
(15)冷戦に関する言及
(16)戦争擁護の宣伝

(17)神国日本の宣伝
(18)軍国主義の宣伝
(19)ナショナリズムの宣伝
(20)大東亜共栄圏の宣伝

(21)その他の宣伝
(22)戦争犯罪人の正当化および擁護
(23)占領軍兵士と日本女性との交渉→米兵御用達の日本人売春婦宿が存在することへの禁止
のこと[さらに次節に続く]

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(24)飢餓の誇張
(25)闇市の状況→朝鮮人暴力団朝鮮進駐軍の暗躍に対する批判のこと
(26)占領軍軍隊に対する批判
(27)暴力と不穏の行動の扇動

(28)虚偽の報道
(29)GHQ記または地方群生部に対する不適切な言及
(30)解禁されていない報道の公表→ここに朝鮮人電通の関与が登場』(典拠)。
最初の行の『非人道的な原爆を日本に透過しても』は「投下しても」の誤植である。

そういう分かりきったことをわざわざ人から指摘されると、自分の書いてものに自惚れている、
おっとっと、自信をもっている自尊心のある書き手ほどそんなお節介がカチンとくるのである。
金甌無欠の筆者に向かって何をぬかすかと。しかもそれは明らかに間違っているものだから、
振り上げた拳〈いかり〉のやり場に困るのである。それほど癪に障ることはないのである。

ただこの誤植は、引用元の誤植も忠実に引用したものか、引用者が打ち直した時に誤変換が発生
したものは判らない。引用元が紙の本だというから、多分打ち直したときに間違えたのだろう。
引用時にすでに違っていたものなら「非人道的な原爆を日本に透過(ママ)しても」とか、文末
に「原文どおり」などと表記される筈だから。いずれにせよ嫌がられる事にかわりはないけれど。

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by munojiya | 2017-02-20 14:10 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-11 今週の誤植「期待にそぐわないご飯」
『[その電気炊飯器を使った時の]使用内容:
        米 = 南魚沼産コシヒカリ(奮発してみました。)
        量 = 1合 
見た目では輝きが“ゆめりか”よりも輝いていて、味も文句のつけようがないという感じです。

当たり前のことだと思いますが、米によってこんなに違うと改めて実感させられました。
使用する米は“ゆめぴりか”以上だと期待にそぐわないご飯が炊けると思います。
この炊飯器のお陰で最近ではご飯に合うおかずを考える日々になりました。』(典拠)。
同じ電気炊飯器なのに、この機種は、いいお米を炊くと俄然おいしく炊きあがるというのである。

お酒の場合は、その逆で、同じお酒でも、それを呑む器によって味が変わるのである。
いや、その炊飯器と同じか。酒盃が同じなら、中に入れるお酒がよくなると旨くなるのだから。
で、最初の「“ゆめりか”」は、勿論、「“ゆめぴりか”」の誤植である。
それは、誰が見てもすぐ分かるからどうでもいい誤植である。

問題は次の部分である。
期待にそぐわないご飯が炊ける』。ここでその書き手が言いたいことは、「いいお米を炊いた
ときには期待を裏切らないうまいご飯が炊きあがる」という事である。ならば「そぐわない」は
そぐわないのである。意味が逆になる。「期待に違〈たが〉わない」と言いたいのだから。

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by munojiya | 2017-02-11 07:59 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-12-10 なんだこの「写真」は
「写真」といっても、そこに写っている被写体の事ではない。
その「写真〈がしつ〉」のことである。以下の「写真」は全て「がしつ」と読んでほしい。
「美しい」のである。この写真である。二枚目の写真の立体感には泣ける。
一眼レフがデジタルになってから写真をやめた庵主にとっては驚異的な写真に見えるのである。

「男子三日会わざれば刮目して見よ」という。
「写真」もそうだった。
「ISO(フィルム、おっとセンサーの感度のこと)40000」といった数字を見ると
笑っちゃうのである。写真は、フィルム写真の時代とは別次元になっていたからである。

今どき、楽しく零戦〈れいせん〉を愛でている時に、世の最先端は、すでに無人機がバンバン
爆弾を落としてくる時代になっているようなものである。技がいらなくなったのである。
そういった最新の技術(思想)についていけない自分に笑っちゃったのである。
で写真は面白くなったのかというと、つまらなくなったのである。『化け物』になったから。

お酒も「三日会わざれば刮目して呑め」である。
花酵母で造ったお酒がある。当初のそれはエグい味わいで、笑って呑むしかない代物だった。
が、しかし、造り手はその癖を手なずけて、最近の花酵母酒は存外呑めるようになったのである。
お酒は先入観で呑んではいけないのである。出合ったら、必ず自分の舌で確かめることである。


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by munojiya | 2016-12-10 10:03 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-12-04 阿部寛のホームページ
俳優・阿部寛のホームページはあることで有名である。
その体裁が、すなわち見た目が昭和のそれだという事である。
ネット初期のホームページ作りの味わいがそのまま使われているからである。
すなわち、味も、そっけも、行間のアキすらない素朴なスタイルなのである。

「阿部寛のホームページ」の特徴といえば、人気俳優の公式サイトとは思えないほどシンプル
なデザイン。コテコテのフレーム設定、背景にずらりと並ぶ「ABE Hiroshi」の文字、
テキストリンクの羅列が中心の武骨な情報更新など、あふれだす「90年代後半のホームページ
感」でネット民に愛されてきました。』(典拠)。

それを称して曰く「ネット上の遺産」。
実は、庵主のホームページ「むの字屋」もそれなのである
流石に行間のアキがないという読みにくさがないように、そこはちゃんと調整してあるのである。
このブログを始めてから殆ど手を入れていないので、久しぶりに見てみたら、ベタ組があった。

当時から、このHPを見たプロに「スタイルが古〈ダサ〉い」と言われていたが、当今のような
モダンなスタイルを避けて、阿部寛のHPの様に初期の味わいをわざと残しているのである。
外国人に言わせると「日本のHPはどれも同じに見える」という。無個性〈モダン〉故にである。
「むの字屋」のHPのような見た目がダサいHPは今では案外と個性的だったりするのである。


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by munojiya | 2016-12-04 00:02 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-11-15 ウインドウズ10は欠陥ソフト
ウインドウズ10は欠陥ソフトだという意味は、肝心な機能が付いていないからである。
自動車でいえば、ブレーキが付いていないような欠陥商品なのである。
社名どおりにMS(マヌケ、ソフト)なのである。
それが世界の、そしてわが日本でも標準OSだというのだから泣けてくるのである。

ウインドウズ10はいかにもアメリカ製品である。
作りが荒っぽいのは否めない。
要するに、庵主にとってはウインドウズ10は使い勝手が悪いということをいいたいのである。
「ウインドウズ10は、好きな人にはたまらないOSなんでしょうねぇ。」といったところか。

日本が戦争に負けたために、21世紀になってこんな欠陥ソフトを使わされるハメになって
しまったのである。
パソコンで一番肝心なものは何か。
データーの確保である。

パソコンが故障したときに、データーを復活させる機能が一番肝心なのである。
ソフトは再インストールできるが、データーはバックアップを取っておかないとお手上げである。
ウインドウズ10には、庵主でも使えるまともなバックアップソフトが付いていないのだ。
お酒でいえば、まともな酸味が出ていない間抜けなまずい酒を呑まされているようなものである。


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by munojiya | 2016-11-15 00:02 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-11-13 悪戦苦闘篇「MSIME」しか使えない
韓国映画に「悪魔を見た」という映画がある。気分が悪くなるほどに執拗な復讐劇だという。
以前使っていたXPのパソコンが起動しなくなったので、一気にOSを最新のウインドウズ10
に換えたのである。
しかし、ウインドウズ10は映画でいう悪魔のようなOSだったのである。

庵主は、ワープロソフトはアメリカ産のMS「ワード」ではなく、国産の富士通「オアシス」を
使っている。日本語変換ソフトは「ジャパニスト2003」である。
ウインドウズ10パソコンに、オアシスV10をインストールして使うと、日本語入力には、
ちゃんとジャバニストが使えるのである。

しかし、ブラウザーに使っているエッジの画面で入力する時はMSの「IME」になってしまう
のである。「オアシス」以外のソフトでも、日本語入力にジャパニストを指定しても、やっぱり
IMEになってしまうのである。直感的な処置ではどうやってもIMEを排除できないのだ。
ウインドウズ10はIMEを押しつけてくる事では悪魔のようなOSなのである。

思い切って、しつこく出現するIMEをいっそ削除してしまえばいいのか。
使い勝手が悪いワードと違って、MSIME自体は使い勝手は悪くないものの、ジャパニスト
とIMEを切り換える一手間が煩わしいのである。解決法はこれかも
ウインドウズ10は庵主には使い勝手がよくない。お酒も呑まずに今苦闘している処である。

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by munojiya | 2016-11-13 00:02 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-08-16 ゴジラ映画は観るとはいわない。目撃するだ
「シン・ゴジラ」は映画を越えて、現象となっている。
だから、そのスクリーンと対峙することは観るとはいわないのである。
「シン・ゴジラ」は映画を観るのではなくて、そこで語られている現象を目撃するのだという。
CGという絵空事で作られた虚像を目撃する哀しさを目の当たりにするのである。

若くて、可愛かった女優が、齢をとって、その美貌が失われていくことを「劣化」という。
同時に若い頃のぴちぴちしていた時の輝きまでもなくなってしまう人がいる。
その輝きを星に譬えてスターと呼ぶが、劣化したときに残るのは星の残骸である。
そのスターに心をときめかせていた自分が虚しく思えて来るのである。

CGという技術が進化して、映画は却って詰まらなくったのである。
その映像が信じられなくなったからである。なにが写っていても「CGでしょう」で
すむのだから、創造する楽しみが亡くなったのである。それでいて、万能の技術であるCGが
最後に頼るのは生身の俳優なのである。

CGが万能なら、俳優に頼らずに、CGで俳優に相当するキャラクターを創造できるか。
できないのである。初音ミクはそれに近いが、ミクに恋する人はいないのである。
CGは人の目は驚かすが、人の心は動かせないのである。
呑んだ時に心を動かせないお酒も、いうならばCGみたいなものである。つまらなのである。

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会場は「シン・ゴジラ」ファンで満席になった。女性の1人客もちらほら。
本当に、色んな人がゴジラを目撃した夏なんだなあ。
』(典拠)。
柴尾 あと「シン・ゴジラ」の世界って東日本大震災はあったのかな、と疑問なんです。
避難とか放射線とか、3・11を思わせるワードは出るけど、直接的に震災の話って出ない。

3・11を描かないことで、3・11を思い起こさせる。その辺の虚構と現実の混ぜ方が最高
に面白いですよね。
』(典拠)。
第1作のゴジラは、観る人はみんなあの戦争のことを知っていたのである。その記憶が前提に
作られていた、その記憶がない人が観るとただの怪獣映画にしか見えないのだ。

映画のゴジラも、その記憶がない子供を相手に作るようになった時には怪獣バトル映画にする
しかなかったのである。
だから、大人が観ると、バトルゴジラは何と戦っているかが判らないのである。
「シン・ゴジラ」は勿論3・11を知っている事が観客の前提条件なのである。

その前提条件がない人が見ても面白いと思うかどうか、世界公開後の非日本人の感想が楽しみ
なのである。その記憶がない人が見たら、ゴジラが何なのかが判らないのではないだろうか。
ゴジラは理不尽な神なのである。人間に横暴を働くゴジラを抑止するために、人はゴジラに
対して特攻ができるのか。人間の生き方が問われる映画なのである。

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もし、このまま手を拱〈こまね〉いていたら自分達は滅びるというときに、日本がとった作戦
は特攻攻撃だった。
理不尽な巨大な悪に対して、されるがままを受けいれて滅びるべきか、一矢でも報いて、最期
まで納得のいく生き方をするべきなのか、ということである。

ゴジラを放っておいたら、常時撒き散らす放射能で、その周辺は人間が住めなくなるから、
自分達が生活をするためにはゴジラは排除しなければならないのである。
しかし、その方法が自分の命と引き換えにしないとできない方法しかなかったとしたら、
自分の命を捨てられか、ということである。

夢は、実現すると現実になってしまい、それまでの期待と希望とわくわく感は急に色あせて
しまう。結婚したら墓場だという人もいるのである。男の、もしくは女もそうなのかもしれな
いが、人の最高の結婚〈ゆめ〉でさえそうなのだからそれ以外の夢は推してしるべしである。
自分を殺す悪をとどめるために、自分の命を捨てたらそれは何のための死なのか。

それでも、あの戦争のときには、進んでもしくは喜んで打ち向かっていった人は少なかった
だろうが、若い人が特攻攻撃をかけて打っていったのである。文字通り、散っていった。
「シン・ゴジラ」では、ゴジラとは一時休戦で終わっているが、東京都のど真ん中に屹立する
あの巨大なゴミをどう処理するのだろうか。やっぱり続きが気になる映画なのである。

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柴尾 それから、皇居と天皇について一切触れないですよね。
伊藤 そこ言っちゃいますか。
柴尾 触れないけど、皇居のすぐそばでゴジラは暴れてる。東京駅とか。あの物語の中では、
日本に天皇はいないのかなあとか考えちゃいますよ。
』(典拠)。

「シン・ゴジラ」の賢いところはそこである。
日本人の中にも天皇や日の丸や君が代が嫌いな人がいるのである。
そういう人の殆どは、日本人の振りをしているチョウセン人とかシナ人だろう。
自分がホモだという事を告白することを「カミングアウト」というのだったか。

日本人は、その人がホモだろうとなんだろうと人に迷惑をかけないのならどうでもいいので、
当人が思っているほどに「カミングアウト」に関心を示す事はないのである。
「ああ、そうかい。お大事に」で終わりである。
なので、「カミングアウト」というのは他人に告白する勇気の事をいうのかもしれない。

外来語はよく意味が判らないが、天皇嫌いは非日本人であるというカミングアウトなのである。
反天皇主義者は、それが日本人だったとしても、真っ当なうまいお酒を呑んだ事がない日本人
のようなものである。本当のうまさを知らないものだから、お酒を過少評価しているのである。
お酒とはまずい酒だと思い込んでいるだけなのである。

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by munojiya | 2016-08-16 00:03 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-08-14 西洋の「神」は「破壊者」の事である
今度の「シン・ゴジラ」である。
怪獣バトル映画だと思って高を括って観に行ったら、壮大な肩すかしをくらうのである。
庵主などは、怪獣映画を観ながら、涙しながら見ていたものである。
「シン・ゴジラ」を観ながら、近くの席に座っていた女の子が泣いていたという報告がある。

連れの男の子がおろおろしていたというのである。
庵主が落涙した場面と同じところで涙していたものかどうかは判らないが、
「シン・ゴジラ」は長く日本人をやっている人なら間違いなく泣ける映画なのである。
伊福部昭〈いふくべ・あきら〉のゴジラの音楽が流れるエンドロールは壮観である。

数多くの、こんなもの誰が読むのかと思うような、だらだら続く年寄りのおしっこのような
ロールクレジットを見てきたが、このエンドクレジットは格別である。
とにかく出演者が多い。「ピーエル瀧」とか「モロ師岡」とか「岡本喜八(写真)」は、
どこに出てきたのか、最初に観た時には気がつかなかったのである。

そのエンドクレジットだけで楽しめる映画はこれ以外にはないことだろう。
伊福部昭のゴジラが流れていればなんでもいいといえば、そうなのだが。
そのエンドロールを大きい文字で見たからっから、品川のIMAXで再見したのである。
映画を観た後の映画は、品川だから古酒の「酒茶論」だろうが、お店の場所が判らなかった。

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「シン・ゴジラ」を観たら、熱く語りたくなるようである。
西洋の一神教の、といってもそれは建前で、地元の数多くの神々を吸収して一つと言っている
ようなのだが、その唯一の神(GOD)と日本の八百万の惟神〈かんながら〉の神を同じ
「神」という字で表しているものだから紛らわしいのである。

駄洒落で家は、日本は示す「神(旧字体は示申)」だが、唯一神は申す「神」なのである。
「聖書」では神は創造主と言っているようだが、しかし、「神」は「破壊者」なのだという。
『要するにゴジラでありエヴァの使徒であり(鷺巣さんのBGMもあり)「巨神兵東京に現る」
であり、日本の誇る破壊者を混ぜ合わせたら“神”になったということ。

世界で勝負できる白組のCG力が、庵野さんや樋口監督らアニメ畑の想像力を支えて、「恐怖」
を超えた「畏れ」にたどり着いたのです。』(典拠)。
西洋の神は人に指図する神である。支配者のための神なのである。言葉の神なので「言神」。
日本の神は自然に対する畏敬の気持をいうのである。 内心の神なので「心神」である。

自衛隊のステルス機の名称が「心神」である。
他人を支配する神でなく、自分を律する神という意味なら、専守防衛の飛行機に相応しい名前
である。ただ語感的には「心神耗弱」の心神に聞こえるのである。ひ弱な感じが否めない。
ステルス機は通称「見えない飛行機」だから、目につかない事を「ひ弱」というなら適称だ。

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by munojiya | 2016-08-14 00:03 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-08-09 この読み取りソフトはよくできている
文章を読み上げるソフトを、正式には何と呼ぶのか分からないので、かりに「読み取りソフト」
と読んでおく。
ソフトによって優劣が激しいのである。
多くは、まだ未熟な段階である。かろうじて実用的といったところだ。

読み上げる声が陰気なものもあるし、辞書が不備で漢字をよく誤読するものもある。
それを聴く人に忍耐を要求するレベルなのである。
悪いお酒ではないが、ちっともうまくないというお酒を、これはいいお酒なのだと自分を
騙しながら呑むお酒のようなレベルだということである。客観的にはダメなお酒なのである。

おっとっと、言葉遣いを間違えた。
客観的には、いま一つ残念なお酒なのである。けっ、そんな酒、誰が呑むかい。
漢字の誤読はまだいい。画面に文章が流れてるいるから、確認もできるからである。
声が、陰気臭いのは聞いていてつらい。

そんな中でこのソフトは良くできているのである。
読み取りソフトだけは安物買いの銭失いになるソフトのようである。
2002年のサッカーW杯もそれだった。間違って、いや、南鮮に騙されて、否、日本に
巣くっているソレに活躍で、“安物”を買ってしまったのである。二度と過ちは、である。

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何にせよ韓国に関わったら負け。
アイソレート・コリア 韓国隔離 がこれからの潮流。
』(典拠米)。アイソレートが分からん。
まだソウルサッカー場の建設費用超400億円を日本側に支払っていない。韓国にはおもて
なしという思考はない。詐欺詐称天国で同胞同士をだましながらいる社会。
』(同前米)。

最先端の潮流はここまできているらしい。庵主には知らされることのない世界なので不詳だが。
世界中から全部(帰化も含め)集めて、半島に隔離。国連やWHOででもいいから完全管理
して、じわじわ滅亡させていくのがいい。
』(同前米)。
諦観はここまできているのだ。『人間だと思うから腹が立つのではなかろうか?』(同前米)。

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by munojiya | 2016-08-09 00:03 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-07-20 「まったく皆無」
外国人が日本に来て驚くことの一つに、ネット宅配スーパーがあるというる。
ネット宅配スーパーというのは、欲しい惣菜などを電話で注文すると家庭まで配達してくれる
サービスのことである。
忙しい家庭や、出歩くのが不自由な老人などが利用している便利なサービスである。

こんなサービスは諸外国では
「まったく皆無」だそうで、
日本に来た外国の方は
みんな非常に驚くそうです。
』(典拠5:03)。

「まったく皆無」というのは「馬から落馬」ではないのか。
「皆無」というのは「全然ない」ということだから、それに「まったく」を付けると
「まったく、まったくない」になってしまう。
話し言葉では、よくあることだが、文章にすると違和感を感じるのである。

話し言葉でよく使われる「今の現状」というのが、庵主には引っかかるのである。
「現状」は「現在の状態」という意味だから、「今の、いまの状態」になってしまう。
ひょっとして「現状」とは「現場の状況」の意味なのか。それなら「今の現状」もありだ。
「本醸造酒」はどうか。お酒は醸造酒なのだから、本当のお酒なら醸造酒に決まっているのだ。
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by munojiya | 2016-07-20 00:02 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)