カテゴリ:余外篇( 510 )
2017-07-06 映画「女の賭場」
江波杏子の若いころの映画に「女賭博師」シリーズというのがある。
1966年に始まって1971年に終わった全17作をいう。もう半世紀も前の映画だ。
その最後の映画が「新女賭博師壺ぐれ肌」である。三隅研二監督が唯一女賭博師を撮った映画だ
ということで選んでそれを見に行ったのである。今角川シネマでやっているおとなの大映祭だ。

が、しかし、「新女賭博師壺ぐれ肌」は、これが三隅研二かという、期待外れの映画だった。
三隅研二ときたら、その光と影が美しい画面が堪能できるに違いないと期待するのである。
悪い酒ではないが、味のないお酒を呑んでいるような、不味いかといえば不味くはないが、
旨いかといえば旨くもないという困ったお酒みたいな映画だったのである。

が、しかし、がもう一つ。実はGyao!が「おとなの大映祭」を無料配信していたのである。
今は期間限定で女賭博師の第1作「女の賭場」が只で観る事ができる。色もちゃんと着いている。
それが、期待通りの大映映画だった。大映映画はこの照明でなくちゃという実に味のある画面が
次々に味わえる佳作である。ラストシーンのお寺の光と影などは余韻たっぷりの味わいである。

江波杏子がそうとは見えないぐらいに違って見える場面がいくつもある。その表情が一本の映画
の中で安定していないのだ。役の顔と地の顔が交錯しているといったらいいものか。でも奇麗。
悪役の渡辺文雄がいい。古い映画なので、レビューを探してみても殆ど見当たらなかった。
「女の賭場」のレビューではこれが白眉である。観る前には読まない方がいいかもしれないが。
 
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◎大変良く出来てますね。起承転結お見事でしっかりと造り込んでます。恐れ入谷の鬼子母神。
江波杏子姉さん、存在感ありますね。でも笑いません。クール・ビューティーって言葉が嵌り
ます。(昔はなかったかと)
登場人物の伏線もGOOD。弟に手を焼く姿は内藤やす子美人編。

顔立ち同様すっきりした作品に仕上がって見応え十分 あっぱれでした。』(典拠)。
まったくそのとおりの映画である。お酒同様、高い酒よりもこういう旨い映画の方がうれしい。
筋立てがいいのだ。そして、照明が美しい。開巻の渡辺文雄の啖呵の見事さと、それに呼応する
クライマックスの、一発の銃声だけでその最期を表現した演出の見事さにしびれるのである。

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by munojiya | 2017-07-06 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-07-05 増村保造監督の「女体」
庵主「亀泉〈きせん〉を小さいグラスでください」
お店の人「亀泉〈かめいずみ〉小グラスで1杯」。漢字が読めなかったのである。
庵主「11時から上映の女体〈にょたい)をシニア料金で1枚ください」
チケットカウンターの女係員「女体じょたいですね」。漢字が読めなかったのである。

長年日本人をやっていても、読めない漢字が少なくないのである。
その「女体」という映画は、浅丘ルリ子主演の大映映画なのである。
いま、新宿の角川シネマでやっている「おとなの大映祭」で見つけた映画である。
そういう映画があるとは知らなかった。本が池田一朗と増村保造。そして梓英子が出ている。

服を着ているより裸の方が魅力的な女がいる。服が似合わないのである。着物なら可なのに。
逆に、裸は貧弱で魅力がないけれど、服を着た方がずっと華やかになる女がいるのである。
どっちがいいかとなると、究極の選択問題である。一番いいのは抱き心地がいい女だろうが。
瓶は立派だがつまらない味のお酒と、味はスカスカだが香りは華やかなお酒ではどっちがマシか。

浅丘ルリ子は服を着た時にかっこいい女である。まるで女優みたいに見える。あ、女優か。
この映画で着ている数点の衣装はどれも今見てもそのセンスは古くなっていないのである。
しかし、当時の浅丘ルリ子の裸には、味も、そっけも、色気も、何にもないのである。
究極の選択の正解は第三の視点にあるように、庵主にとってはやっぱり梓英子なのである。

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増村保造監督が、池田一朗(後の隆慶一郎)とオリジナルシナリオを書いて撮った映画である。
増村保造は東大出の監督で、噺家とか映画監督は、なにも東大を出てまでやる商売ではないと
思うが、中にはそういうことをやる奇人もいるということである。
その奇人が惚れた浅丘ルリ子に、映画用語でいえば体当たりの演技をさせているのである。

その相手が、渋い岡田英次である。岸田今日子もその妻役で出ている。
堅物な生活を旨としてきた岡田英次を、浅丘ルリ子が奇矯な行動で翻弄するという映画である。
見ていると、浅丘ルリ子の火病タッチな振る舞いがチョウセン人に思えてきてならなかった。
その「自由奔放」な生き方に翻弄される岡田英次が日本人代表に見えてくるのである。

では、この話をどうやって落とすのか。終わらせるのか、観ていてワクワクする映画である。
すなわち、日本人はチョウセン人に対して最後はどう対処すればいいのかという事である。
地味な色の服を着ている岡田英次に対して、浅丘ルリ子の服は色彩豊かなのである。
カラー映画なのに、その服にだけ色が着いているかのように見える映画だった。

そういう日本人の手に負えない女との結末は、そうするしかないというものだった。
岡田はそういう女とは自らの意志で縁を断つのである。(ネタバレになるので1行省略)
その映画が出した結末は、日本人にとって、チョウセン人に対するもっとも賢明な結論である。
1969年に作られた映画だが、そうやって見ていたら、示唆にとんでいる映画だった。

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これは、何だかすごい映画だ。浅丘ルリ子演ずるエゴむき出しの女性が、映画全体に異様な
雰囲気を発散している。[中略]
とにかく浅丘ルリ子演ずるミチの欲望全開のパワー。「人間の欲望」は増村映画頻出のテーマで
あるが、それを極端な形にするとこういう映画になるのだろう。

ミチはいつでも自分に正直な人間。好きなったら相手の立場なんてお構いなし、会いたくなったら
会いに行くというストレートな発想。
[中略]
つまりミチは瞬間・瞬間の自分の本能に忠実な女性なのだ。

その徹底して深みのないキャラは爆笑必至(こんな人間いないよ!)だが、同時に他人との
コミュニケーションをてんで無視する姿は、理性を貴ぶ近代的人間像を超越した不気味さも
感じる。』(典拠)。その不気味さを、どこかで見ているような気がしませんか。
こんな人間いないよ』が本当にいるからゾッとするのである。チョウセン人である。

さらに続くのである。『増村監督、この時点ですでに巨匠的地位だっただろうに、こんな怪作を
作ってしまうなんて、一体どういう人なのだろう。好き嫌いが分れそうな内容だが、私は傑作
(ケッ作?)と評価します。』(同前)。出合えた人は大儲けの映画である事は確かだ。
「ケッ作」は「ケッセキ(朝鮮語)」に掛けた皮肉ではないだろうが。

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by munojiya | 2017-07-05 01:57 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-06-26 「ハクソー・リッジ」の戦場は吐きそうになる
今、「ハクソー・リッジ」という映画が公開されている。
庵主が親しく通っている居酒屋「前田亭」が85点という太鼓判を押した映画である。
前田亭とは、店主の目利きでいいお酒を揃えている居酒屋に準えた、映画紹介サイトである。
庵主がお酒を呑む時は、目利きの店主がいる居酒屋でご厄介になるのである。

そういう居酒屋なら、そのお店にあるどのお酒を呑んでもハズレはないからである。
そもそもそういうお店に行ったときは、最初から、「今夜は3杯だけ」と公言して、お店に
お酒を勧めてもらうのである。
そこに庵主が知っている好きな銘柄があっても、あえてそれを頼む事はしない。

そこにある庵主の知っている銘柄がそのとき一番旨い状態かどうかは判らないからである。
それが分かっているのはお店だからお店任せなのである。映画も、前田亭まかせなのである。
前田亭にはヒーロー物の映画もあるが、お酒でいえばそれは超辛口のお酒だから庵主は呑まない。
その前田亭が勧める最新の映画がメル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」である。

6月23日は沖縄戦終結記念日だというが、その日マスコミは海老蔵のかみさんのガン死を騒ぎ
立てていたらしい。くしくもその日に合わせるかのよう2017年6月24日に封切られたのが、
「ハクソー・リッジ」である。1945年5月の沖縄での日米の激戦が舞台の映画である。
英語に疎いので最初「ハキソー・リッジ」と読んでしまった。戦場場面は本当に吐きそうになる。

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「22年目の告白」という、藤原竜也が狂気の犯人を演じる映画があった。
その映画の予告篇がヒッカケなのだという。
予告篇を信じて観に行くと間違いなく騙されるという。庵主もそうだったのである。
「ハクソー・リッジ」の予告篇もそうなのである。これで騙されるという。

日本版トレイラーでは「感動の実話」みたいな煽り方』で、『客を油断させるような作りに
なっている。』(典拠)というのである。しかしこの映画がR-12の理由は観たら分かるのだ。
この映画は、戦場に負傷兵を求める狂気のキャラクターが主役なのだという。
一説には監督がドの付くマゾで監督からして狂っているとか。映画を観た人によるとこうである。

デズモンド[映画の主人公]という狂人を狂人として描いたまま、兵士たちの救いとなる戦場
の聖人としての側面も描き出すに至る。そしてあのラストだ。狂っているのは誰なのか。
デズモンドは聖者なのか狂人なのか。』(典拠)。
配役にまで気が回る映画の見達者なら、即ち注意深い人なら予告篇でもピンとくるのである。

主役の役者のキャラクターがなんとなくアブナイからである。
ハリウッド映画なのに、主人公がイケメンではなく、アブナイのである。
キラキラした瞳と妙に快活な態度。機嫌が悪くなったりしんどくなった時の上目遣いな目つき
など、目力だけで「こいつちょっとやばいな」という緊張感を表現しているのだ。』(典拠)。

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「ハクソー・リッジ」の主役はなぜ、アンドリュー・ガーフィールドだったのか。
頑固で敬虔なキリスト教徒でしかもコミュ障という役柄を、アンドリュー・ガーフィールドは
生々しく演じている。』(典拠)。
その表情を出せる故に選ばれた俳優なのだという。

コミュ障(コミュニケーション障害)は今は病気ということになっているが、昔なら気違いと
までは行かないが、その一歩手前と見られていた症状のことである。
ところで、自閉症が置かれている位置は、今はどうなっているのか。
それも今は病気だと認識している人が多くなって気違いとはされていない筈である。

ならば、アルコール依存症はどうか。
これも今では病気だということになっているようである。
コミュ障と自閉症は常時それだからなんとなく分かるものの、アルコール依存症は一見正常に
見える時間があるから困るのである。大体、家族以外は迷惑を感じない事が多いことにもよる。

家族にとっては、アルコール依存症はホント迷惑な「病気」なのである。
そんなものを引き起こした「麻薬〈アルコール〉販売人」を呪い殺してしまいたいのではないか。
本物の麻薬の販売人が許せないように、である。ところで、チョウセン人は一見正常に見えるが
中身は気違いだということが知られるようになってきた。こっちの方は本当に怖いのである。

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「ハクソー・リッジ」は映画の見達者である日本人にとってはこういう映画なのだという。
振り返ると、監督の演出はことごとく的確かつ挑発的で文句なし。あの戦争における知らな
かった史実にも圧倒された。
なにより大きかったのはこれまで自信を持っていた[筆者の]価値観を揺るがされた事だ。

これは認めたくはないが、たとえ脚色分を差っ引いても事実を前にしては反論の余地はないし、
そんなことをする意味もない。フィクションだろうが実話だろうが、凝り固まった固い頭を
ほぐし、新たな視点を提供していただいたものに対しては最大限の敬意を表する。大人の人間
なら当たり前のことである。』(典拠)。

前田亭がいう、その「自信を持っていた価値観を揺るがされた事実」と何なのか。
この映画はフィクションであるとはいえ、「ある事実」に基づいているという事なのである。
南鮮の歴史時代劇はその逆で事実と称してフィクションだから当てにならないのである。
友好を口にして擦り寄ってくる国でも、約束を守れない国は信用がおけない。

しかし、敵国であっても、「ある事実」を全うする国なら信用できるのである。
芯が信頼できるからである。共通の価値観というのは、そっちの方をいうのである。
アル中の親によってゆがめられた息子の話ともとれるし、人を戦場に放り込むような神に騙され、
パールハーバーで合衆国に騙されて地獄に落とされたアメリカ人の話ともとれる映画である。

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by munojiya | 2017-06-26 00:04 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-06-21 照明さんを敵にまわしてはいけない
余外篇である。
読むだけ無駄である。
見ると目の毒である。
夢が壊れるからである。時のいたずらではあるが。

斉藤由貴が若く見えるというのである。
斉藤由貴が意外とマシ
照明のおかげかもしれんが』(典拠3:55)。
中山美穂が広瀬すずの未来像に似ているともいう(同2:30)。なるほど。

映画の撮影現場では、女優は照明さんとだけは喧嘩をしてはいけないといわれている。
喧嘩をすると大変なことになるからである。
好かれると、いくつになってもこの斉藤由貴のように綺麗に照明を当ててもらえるが、
そうでないときの光景は想像にかたくないのである。

きちんと照明さんの仕事があればそうはならなかたのだろうが、人の気持ちを知るわけもない
太陽光のベタな照明の下ではさすがの石田ゆり子もこうなってしまうのだという(同3:29)。
白日の下にさらされるのである。
美辞麗句で宣伝してもまずいお酒は、頭ではなく体という白日が真実をさらしてくれるのである。

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by munojiya | 2017-06-21 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-06-14 この映画が面白そう「22年目の告白」
藤原竜也という俳優は、狂気の悪役を演じたら他を寄せつけない俳優である。
日本映画が生んだ新悪役像の権化である。
これまでの日本映画の悪役は民衆の感情に根ざした悪役だった。
日本人なら、誰が見てもこいつは許せないという犯人像だったのである。

まだ、日本人なら、その心情を理解する事ができたのである。
しかし、新悪役はそうはいかない。
これまでの日本人には理解できない犯人なのである。
逆に犯人を非難するどころか、逆にもてはやす人が出る始末なのである。

新悪役像のキャラクターは、いうならば、チョウセン人のそれなのである。
日本人には理解できるわけがないのである。そんなみっともない犯人の心情なんか。
だから、映画としては物珍しいものが見れるという好奇心をくすぐるから面白いのである。
過去の日本人を引きずっていないからその違和感は科楽特奏隊に似ているのである。

お酒も過去を継承していない酒は目新しいけれども、やっぱりつまらないのである。
その藤原竜也の新作が「22年目の告白-私が殺人犯です-」だという。出来がよさそうである。
評判はいい。『どんでん返し系の映画好きだから、この映画かなり見応えあった。』(典拠)。
ということは真犯人は藤原竜也ではないという事である。心地よく騙されてみたくなるのである。

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そうそう、まずこれだけは伝えねば。
なんか割とポップに宣伝されていますが、この映画結構精神的に来ます。
終盤みてて苦しくなります。
ですので、軽い気持ちで行くの禁止。ある程度の覚悟を持って見に行ってください。』(典拠)。

裏の裏の裏をかかれ、結局騙され、知らぬ間にのめり込んでしまいました。
確かに、物語前半から飛ばしていて違和感があったが(ネタバレになりそうなので控えます)。
まさに、こんな展開ファンタッスティク。また、予告の使い方が秀逸だと感じた。先入観を植え
付けられるとはこういうことか。

普段、邦画はほとんど見ませんが、この映画はよく考えられた構成で日本らしいといえば日本
らしい映画だと思いました。こんなのコナン君でも解けるかどうか。
アクション厨の自分には新鮮な映画でした。』(典拠)。
予告に騙されてた。気分が良い。』(典拠)。その予告篇である。

仮に 実は真犯人コイツでした〜ってなっても最早驚かない役者陣。』(典拠)。
という手がかりから、役者の顔ぶれを見て「真犯人」を予想すると、大穴は「悪の教典」でも
サイコパスの犯人をやった伊藤英明か。一番怪しくない仲村トオルもちょっと臭うのである。
ならば藤原竜也が犯人の代役を演じる利益は何だったのか。やっぱり観に行かなきゃ。

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by munojiya | 2017-06-14 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-25 あれ「無限の住人」は無限の彼方へ
2017年5月20日(土)から5月21日(日)の週末映画興行成績(興行通信社)である。
1位はディズニーの「美女と野獣」で売上げも上々だという。興行収入が100億円を突破する
勢いの大ヒットだという。この映画は世界的にヒットしているという。
庵主は全然触手が動かないのである。世界の動きから取り残されているようである。

2位はアニメの「コナン君」だという。庵主は予告篇しか見たことがないが、人気があるようだ。
題名は「名探偵コナンから紅の恋歌(ラブレター)」である。「紅の」か「唐紅」なのか判らん。
発動城で3位になったのが人気コミックの実写映画の「ピーチガール」だという。
週末2日間で動員12万人、興収1億4300万円を記録したという。
ちなみに「美女と野獣」は動員30万7067人、興収4億3456万円である。

初登場で3位の「ピーチガール」はこんな感じだという。
ギャル風な見た目で誤解されやすい女子高生“もも”を山本美月、そのももが中学時代から
好意を寄せる“とーじ”を真剣佑、ももに興味を持つ学校の人気者・浬[読めない]を伊野尾慧
が演じ、10代を中心に熱い支持を集めているようす。』(典拠)。

「とーじ」ときたら「杜氏」という字を思い浮かべてしまうのは庵主のサガゆえにである。
で、キムタクの鳴り物入り映画「無限の住人」は10位の中に入っていないのである。
無限の彼方に消えていったみたいである。
コンピタの発達で興収の集計が速くなったのだろう。不入り映画には辛い時代になったのである。

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by munojiya | 2017-05-25 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-16 BM伝「笑い話・両サイドに抜かれる」
関係者なら「両サイドに抜かれる」で分かってしまうのである。
今、大変なことが起こりつつあるということが。
顔が小さくて、足が長い三人娘のことである。
この動画を見たら吹き出してしまった。

しばらく見ないうちに大変なことになっていたのである。
業界では、タレントの老化現象のことを「劣化」と呼ぶのである。
しかし、これを「劣化」と呼んでいいものか。
背が伸びるのは自然現象ではあるが、その自然現象をしてはいけないのが業界の掟なのだ。

自然現象に逆らうために、少なからずの努力をしているタレントも多いのである
顔で売る商売の弱みがそこに集中してしまうのである。
ファンを絶句させてしまうからである。
顔で売る商売と言えばヤクザもそうである。タレントもヤクザも人気商売なのだ。

肉体から発する人気という気を売っているのである。自分の肉体を売るという点では売春婦と
同じであり、また人気を長く維持する事が難しい故に堅気の商売とはみなされない。
味で売る商売であるお酒造りはもっと厳しくて、感度の高い舌の持ち主が、一口で酒質の劣化を
いい当ててしまうのである。造り手の気を一瞬で敏感に察してしまうのである。

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by munojiya | 2017-05-16 01:00 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-15 キムタクのタブー
キムタクといえば、今や「いじられタレント」の代名詞化している。良く言えばおいしい肴だ。
どんなに馬鹿にしても誰もそれに異存を唱える人がいないタレントという事である。
どんなにその欠点をあげつらっても誰もそれを制しようしないという事である。
それを褒める事がかえってそれを馬鹿にしていることにもなるというタレントの事である。

『この役はヤバい! 木村拓哉「無限の住人」主演で隠せなくなったタブーな部分とは』
典拠)。あの神聖不可侵のキムタクのタブーに迫るというのがツカミである。
大手映画配給会社の広報担当者が語る。「この作品の実写化自体は十分あり得る話なのですが、
木村さんが主演を引き受けたのは正直、意外でした。

私も原作のファンなのですぐ気づきましたが、木村さんが演じる万次はいつも雪駄を履いている
んですよ。『この役はヤバいんじゃないか』と、発表後、社内でもざわついていましたね」
(同)。さあ何がヤバいのか。なんでヤバいのか気になるのである。どうでもいい事なのに。
要するに、身を切らせる話題作りなのである。策士がメディアにお金をばらまいているのだろう。

メディアとはスポンサーからお金を頂いて「記事」をでっちあげるのお仕事だから、金主次第で
記事の内容はどうにでも変わるのである。白を黒にしちゃうことも可能なのである。
キムタクのタブーとは。欄外に引用。でもそれよりも、キムタクは足首に刺青がなかったっけ
金主の要請で「不味い」を「旨い」に変えたお酒の記事は一口呑めばその真偽は判るのである。

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「百聞は一見にしかず」とはお酒の事をいう諺みたいである。
その記事がいうキムタクのヤバいとはこれだという。
キムタクが雪駄を履くと何が問題なのか。「以前から都市伝説のように語られていますが、
木村さんには昔から『足元のタブー』があるんです。

公称身長176センチはウソで、いわゆるシークレットシューズを履いているのではという噂
です。[時代劇なのだから、高下駄というものがあるのでなんの問題もないではないか]
この噂のせいで、業界でも『上げ底できない履物や裸足の役』は木村さんには絶対に
キャスティングできないという共通認識がありました」[なのにそうなったのだからネタなのだ]

まことしやかに囁かれるキムタクの身長詐称疑惑。かつてなく「足元」に注目が集まる作品と
なりそうだ。(白川健一)Posted on 2015年10月10日』(典拠)。
白川健一さんほか各位の金主に忠実な人々の努力にもかかわらず、2017年4月26日に
封切られた映画「無限の住人」は空母信濃のように戦わずして大コケしてしまったのである。

そもそも、2015年にもうこういう記事が書かれていたのにもかかわらず、庵主がその映画の
事を知ったのは、封切後のことなのである。独善的にいうならば、そんな映画があることを誰も
知らなかったという事なのだ。知ってすぐ「無限の住人」の感想を検索したら好評なのである。
が、よく見たらそれは原作の漫画の評価だったのである。公開時期を間違えたのではないのか。

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by munojiya | 2017-05-15 00:04 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-05 10億1人目になりませんか
極上の月夜 10億人が泣いた衝撃の美少女パフォーマンス千手観音』(典拠)。
女はどうして踊りたがるのだろうか。
肉体を見せ物にすることを賤業と呼んで蔑視するのである。神に対する冒涜だからである。
女は好んで蔑視されることを選ぶのである。それを艶やかというのではあるが。

また女はどうして自分の肉体を飾りたがるのだろうか。
高価な宝石を身につけても、ご本人の価値はなにも高まらないというのに、である。
見せびらかすことを下品とするのが日本人の美意識である。中韓人とは異なるところである。
粗末な表地の着物の裏地に贅を尽くすのが日本人の美意識である。それを粋と呼ぶ。

分かる人だけが分かればいいという贅沢のことである。見える贅沢を下品と見るのである。
分かる人には分かるという連帯感のことである。分からない人を巻き込まない配慮なのである。
旨いお酒というのは、その連帯感をいうのである。
分かる人には分かる味わいのことである。分からない人はそれはそれでいいのである。

「あー、日本人に生まれてきて良かった」という思いががその合いの手である。
非日本人には分からないだろうが、という密かな優越感のことである。
日本人の矜持である。そういう事は口にはしないのが日本人の美意識である。
ね、分かるでしょうという密かな連帯感なのである。

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by munojiya | 2017-05-05 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-05 キムタクの映画がコケたという情報
SMAPという犯罪者集団で売るグループが解散してバックボーンがなくなった木村拓也が
主演した映画「無限の住人」がコケたという情報が流れている。木村拓哉、だった。
真実の報道なのか、ためにする報道なのか、それも宣伝なのか、庵主には判じ得ない。
庵主はそういう映画があるという事も知らなかったから、大方の人も知らないのではないか。

コケたというより、その映画が知られていないというのが真相なのではないのか。
広告は打ったというが、庵主は知らなかったからである。予告編を見ると結構良くできている。
それがクライマックスなのか、その一つ前に置かれたシーンなのか、300人をぶった切ると
いう場面の、殺される方がみんな青い着物を着ているという色設計が心地よいと庵主は感じた。

ならば、映画の評判はと思って「無限の住人 感想」で検索したら、それがコケたという話に
しては評判がいいのである。と、よく読んだら、原作の30巻に及ぶ漫画本の方の評判だった。
一言で言うと絵が本当に汚らしいです…… 要するに絵が雑過ぎて読みにくいです
許容範囲のレベルを超えているのでこの評価で…… また戦闘シーンも酷くつまらないですね

時代モノ作品としても魅力を何も感じませんでした』(典拠米2012/12/01)という感想
の直後に(前か)『作画のクオリティ。構図でいうと、ここまで完成度の高い作品は他にない。
拷問フェチの作者による、他では見られないような強烈な描写。』(同2011/07/04)
という感想がある不思議な漫画だ。辛口のお酒を旨いというか、不味いとするかの違いか。

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原作は19年掛けて、作者の成長とともに延々と続いた気の長い復讐漫画だという。
復讐心は馬鹿にされる感情だが、結構生き続けるための原動力になるのである。
少なくとも、漫画を描き続ける気力の淵源にはなるということである。
ただ、恨みを晴らすというのは、成就した時に夢がなくなってしまうというむなしさが伴う。

生きる意味を失ってしまうのである。そんなことで人生を棒に振ってしまってもいいか、という
事だが、多くの人はそんな事にでも情熱を傾けないと暇が余ってしょうがないという事である。
健全娯楽とは復讐心を伴わない時間つぷしの事なのである。凡人には自分の人生を自由に使い
こなせないのだ。逆か。自分に与えられた人生を生かすことができない人を凡人というのである。

才能がない人が凡人なのではないのである。凡人に徹しきれる人は非凡だからである。
原作はすでに完了しているという。作者の成長が楽しめる傑作だというのである。
しかしこの作品が傑作なのはだれた後の爆発力が素晴らしい。まるで蛹が蝶に孵化するかの
ような前準備としてくどさやだれた展開が続く様。

この作品を始めてみた時そして最終回にいたるまでこの作者は大きく様変わりした。
この作者は書いてて成長している。それゆえ良く成長の前段階としてだれた展開になる。最終巻
読んで、1巻を思い返すとこんな話を描ける人だったかな?と強く感じてしまう。
(典拠2013/03/23)。

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で、肝心の映画の出来はどうか。2016年11月11日の予言はこうである。『長編時代劇
エログロありバトル漫画として出来が秀逸。名作の域かと。内容含めてしっかり完結しているの
で、来年映画化予定(質量ともに実写化は困難で酷評の悪い予感しかないが)というタイミング
もあり、現在こそさらに薦められる作品。評価は「最高」に近い「とても良い」で。』。

お酒と同じで、下手な酒呑みはお酒を貶す。
上手な酒呑みはお酒を褒めて楽しむ。
そして賢い酒呑みはどうでも言いお酒には近寄らないといったところか。健全娯楽みたいである。

原作は知りませんでした。男性が好きそうなストーリー、演出だとおもいます。もちろん女性
が見ても。大スクリーンで観るべきエンターテイメントです。木村くんの殺陣も素晴らしい。
福士蒼汰くんも新境地開拓の作品になると思う。最後戦わないでと感情移入してしまった。海外
で評価されて、木村くんの代表作になる作品です。』(典拠)。なるほど。

昨日観てきたが、爽快感と興奮で朝方まで眠れず未だその興奮は続いている。
とにかく、木村拓哉は“万次”だった。納得と嬉しい驚きに満ちていた。配役は適材適所……
どれも魅力的だったが、何せ木村拓哉の臭い立つような貫禄とオーラに圧倒された。そして勿論、
殺し合いの殺陣も凄まじく良かった。

実写化する意味のある映画は殆どない見当たらないが、この「無限の住人」は、実写化する意味
も観る価値もある極めて稀な作品だと思った。
興行収入に関係なく、これは間違いなく「成功例」と言えるだろう。』(典拠)。ふ~む。
お酒同様、先入観なしに映画を楽しめる人は達人なのである。否定の人生では味がむなしいから。

以下、タイトルと一部抜き書きだけ。『体調が良い時に観て「疲れます/手塚治虫のどろろを
彷彿とさせるような肉体バラバラから再生の繰返し/出演者の血反吐を見るたびにめまいが
しました』、『どっかで見たような……』、『一番最後が「最後の最後のセリフが決め手。物語
のすべてを表している。」』、『結局なんだったの?』。疲労型の健全娯楽みたいな映画り様だ。

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by munojiya | 2017-05-05 00:01 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)