カテゴリ:余外篇( 499 )
2017-03-19 「R28+」だ、という南鮮映画「お嬢さん」
「R18+」とは18禁映画のことである。表示は日本語で「18禁」と書いてほしいなぁ。
で、一説にこの映画は「R28+」だというのである。
すなわち、この映画は「28歳未満には刺激が強すぎる映画」だというのである。
その評判を聞いて庵主はさっそく日比谷のシネシャンテに出かけたのである。

南鮮映画「お嬢さん」である。
噂に違わぬ映画だった。
庵主は、南鮮製の商品で欲しいものがないが、どれも日本製の方がものがいいからであるが,
唯一、南鮮映画だけは贔屓にしているのである。面白いからである。

いや、贔屓にしている南鮮製品が、もとい、南鮮商品がもう一つあった。
「ヘイトビール」の「プライムドラフト/レギュラー」である。
ローソン100で111円(税税込)で売っている本ビールである。
新海誠のアニメを見た時に、「実写より美しい映画」だと言う褒め言葉がある。

で、この「お嬢さん」は、その新海誠のアニメより映像が美しいといえる映画なのである。
南鮮映画の実力に、いな、監督のパク・チャヌクの造形の見事さに感動を覚えるのである。
往年の黒澤明の映画を観ている時のようなワクワク感が味わえる。黒澤明にはない淫靡も。
原作の見つけ方が絶妙なのである。同監督の「オールド・ボーイ」が今なら只で観る事ができる

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この映画は詐欺師物なので、ネタバレ厳禁なのである。
楽しく騙されるための映画だからである。
劇場外では、今同様に詐欺師〈うそつき〉大集合の映画「アベ友疑獄」が公開中だが、そっちの
映画の方は果たして楽しく騙されて終わるかどうかは判らないのである。

いずれもキモ(核心)は“南鮮映画だ”ということなのだろう。
どちらも見物なのである。
こういう映画ねって把握するまでに時間がかかっちゃって乗れなかった
整理してからもう一回見たい

オールドボーイ的なものを期待しすぎた
画面はずっと綺麗』(典拠)。
「オールド・ボーイ的なもの」とは何を言っているか分からない。言葉不足なのである。
「もう一回見たい」という気持ちはよく分かる。庵主もうそだから、おっとそうだから。

新海誠のアニメが、その奇麗な画面を見ているだけでいやされるように、この「お嬢さん」の
画面も本当に奇麗なのである。
新海誠の風景は実写のトレースであるように、この映画の風景はアニメのトレースだったりして。
絵のような背景を観ているだけでも楽しめるのである。

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亀「脚本も原作である『荊の城』を全く知らんかったが、うまく日本と韓国の話に置き換えて
おる。脚色のうまさも本作の大きな魅力じゃな」
主「映画としてはケチのつけようがないよね。どのようなお話になっているかは、是非とも映画
を見て確認してほしい! 度肝を抜かれること間違いないし、楽しめるから!」』(典拠)。

見巧者〈みごうしゃ〉がそう言っているのだから観るにしくはない。
チャイナ人が、日本に来て、見て言うのである。
「日本人は恐ろしい」と。この「恐ろしい」は褒め言葉である。一目置くという意味である。
その伝で、「南鮮映画恐るべし」。観なきゃ損、という意味である。

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by munojiya | 2017-03-19 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-03-08 「神がかったタイミングの映画」という映画
いま公開されている「マン・ダウン」というアメリカ映画の事である。
庵主はこの呼び込み文句でその映画を観に行ったのである
まさに「政治的タテマエで戦場に派遣される悲劇」という本作の主題そのものであり、今公開
されるのは神がかったタイミングというほかない。

それにしても、こういう映画を見るとアメリカという国は、なんだか世界の貴重な実験台みたい
なものに思えてくる。大勢を殺し、殺されてきた彼らの未来は明るくないし、こうした戦争体質
を改めたとしてもすぐに社会の改善は望めないだろう。つくづく、こういう国にはなりたくない
と思う。まさに、アメリカのふり見てわがふり直せ、である。』(典拠)。

いつもながら、ストーリーが全然理解できなかった。すぐこんがらがってしまったのである。
ただ映像と字幕だけを目で追っていたのである。眠らずには見ていたという事である。
同類の感想をもった人がいて安心した。この映画、筋作りが下手くそ過ぎるようなのである。
言いたいテーマがあるのなら、ストレートに観客に分かるように撮らなきゃ。

テーマは立派な、すなわち能書きに力〈りき〉がはいっているお酒もあるが、出来上がったもの
が旨いお酒でないと何の意味もないのである。呑み手としては、であるか。
造り手としてはそれがさらなる飛躍のための一段階になっている事も考えられるが。
映画の肝は、最後の最後に出てくる三行の字幕で足りたのである。ここにはそれを書かないが。

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アフガニスタンへ旅立つ前、戦場での上官との会話、帰還後の映像が入れ替わり立ち替わり
映し出されます。
そのせいか、途中で結末が見えて来ました。
もっとストレートに描いて欲しかった気がします。

作品の最後に出て来る帰還兵たちのデータには驚きました。』(典拠)。
しかし、三つの時間軸が並行して進んでいくミステリアスな展開は良かった。結構頭を整理
しながら観ることを余儀なくされますが、観る者の頭を混乱させようという意図はなかなか
心憎かった。』(典拠)。

庵主はその感想を、観た人をPTSDにする映画だという皮肉だと受け取ったのである。
違う場面の映像が入れ替わり立ち代わり映し出されるのと、つまり、時系列が前後するのと、
それに食えて脳内幻想の場面が重なるものだから、観ていて何が何だが判らなくなったのである。
最後までついていけた人は偉い、と庵主は皮肉ではなくそう思うのである。

それで、ストーリーを確かめるために、観終わってから、観た人の感想を読んでみたら、みんな
やっぱりストーリーを理解することに難渋していた事を知って安心したのである。
最後の三行の一行目は「帰還兵20人に1人はPTSDである」、二行目が記憶に残ってなくて、
三行目はホームレスになる帰還兵が多いという事だった。←どうやら記憶違いだったようだ。

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でも自分だったら戦場の出来事より、帰還してからの家庭内の出来事の方がショック大きい
だろうな。そのまま家を飛び出してヤケになってホームレスにでもなるかもしれない。
典拠)とあるから、これは戦争映画というよりホームレス醸成映画なのかもしれない。
いやホームレスだから戦争にいけるのだから、帰って来たら元に戻ったという事ではないのか。

のっけからずーっと続く閉塞感。とにかく苦しい…… ひたすら息苦しい……
そして自分が目にしているものの正体を知ったとき
戦慄とも言えるほどの震えが
身体中を駆け巡って……

劇場を出た今も衝撃は止まらない。』(典拠)。
そういう後遺症は「PTSD」とはいわないのか。
同じ心にあとあとまで残る衝撃でもその場合は「感動」と呼ぶのか。忘れることができるから。
庵主は、映画のストーリーにおいてけぼりにされて、その感動を味わえなかったのである。

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「マン・ダウン」というのは、戦場に行く主人公が息子と交わした秘密の合い言葉である。
この映画で意味しているところは「愛している」ということである。
「マン・ダウン」という言葉自体は軍隊用語で仲間が倒れることだという。
映画の方はまさにマン・ダウンの映画である。人間の精神がぶっ壊れてしまう映画なのである。

主人公が戦場から帰ったら、アメリカの故郷はなぜが街が荒廃しているのである。幻覚らしい。
その理由が判らないので、なにがなにやらさっぱり判らないのだが、判らない情報を提供される
ことで、それを正しく組み立てようとすると混乱が膨らんで、人間は精神的に無理がくるという
話なのかもれない。実際に戦場に兵士を送っているアメリカならではの映画なのだろう。

庵主なら間違いなく見落としてしまう細部まできちんと整理でき見巧者であるるネタバレ評論家
でさえも、この映画の構成には音を上げたというのである。庵主が敵う映画ではなかったのだ。
ぶっちゃけ、前半部分は時系列がぐちゃぐちゃで「???」の連続。
ストーリーも一定のリズムなので、あくびが止まりませんでした。[中略]

時系列がめちゃくちゃなストーリー構成なので、初見は必ずパニくると思います。』(典拠)。
「衝撃のラスト7分46秒、あなたの心は“えぐられる”」。なるほど、確かに過剰広告
どころか適切な言葉といえる。』(典拠)。
その7分46秒というのは、ひょっとしてエンドロールが流れている時間のことじゃないのか。

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この人の感想が、この映画の核心をちゃんと見据えていて一番わかりやすかった。
戦争映画だと思って見ていたものだから何が何だがわからなくなってしまったのである。
これは人間の感情が崩壊していく映画だったのだ。
これは、つらい。感情に逃げ場がない。

事故とはいえ母子を殺してしまい、友人はその相手に殺されてしまい、でもその友人は自分を
裏切っていて、しかも裏切った相手は自分が守ろうとした人で、守ろうとした人だから責められ
なくて、そもそも自分には誰かを責める資格などない。
感情がぐるぐる回るばかりで、どこにも行けない。

自分もつらいときは、たった一人で荒野に立っているような気持ちになるけれど、あの荒廃した
街は主人公の心そのものなんだろうな。
壊れてしまった街。
元には戻らない廃墟。

やるせない。』(典拠ビヨンセ)。
戦場の場面は風景にすぎない。戦場で人殺しがあるのは当たり前の事だからである。そうでなく、
守らないければならないと思っていたものに裏切られたやるせなさがこの映画の核心だったのだ。
心の支えが折れてしまったのだ。人は虚構の支えがないと生きていけないのだ。「国〈もの〉」。

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戦場から戻るための術は
愛する人を抱きしめたい想い
アフガニスタンから生還した男の
狂おしいまでの愛の果て

あまりの切なさに
嗚咽をもぎ取られた
体に刻みこまれた記憶は深い
苦しみを伝えるには充分すぎる

多くを語るなかれ……
観れば解るという作品』(典拠emedia)。
もっと言えば、観なくても分かるという映画なのである。
だって帰還兵のPTSDの映画だからである。

戦場での兵士の行動を非難してもはじまらない。
誰だって、そんなところに武器を持たされて放りこまれたら同じ事をやらざるを得ないのである。
自分ができないことを他人に求めるのは傲慢か、無知か、馬鹿だということである。
なぜなら、そういう事が平然と起こる事態を戦争と呼ぶのだから。戦争は兵士の自己負担なのだ。

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by munojiya | 2017-03-08 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-26 八代亜紀と藤圭子
テレビを持っていない庵主には、ネットがなかったら見ることができなかった映像である
以前は、演歌に興味なかったけれど、年をとったら、演歌に興味が出てきました。特に、
亡くなった藤圭子さんが気に入って毎日聞いています。』(典拠米)。『泣いちゃうな』。
僕が2歳の頃の日本に、こんなにソウルフルなディーヴァがいたなんて。』(典拠米)。

アルジェリアの歌なのに、私は日本を感じる。昭和を感じる。もう二度と生歌を聞けないのか
と思うと、ただひたすら、残念。』(同前米)。『まさに青春時代の天才歌手でした。当時は
気が付きませんでしたが、彼女がたくさんのカバー曲を歌っていたということと、彼女の本当の
天才たるのは高音部のやるせないほど訴えかける歌唱力にあると感じました。』(同前米)。

突然、華やかな山内惠介に変わって、
これまで敢えて聴く事を避けていた唄ですが、恵介さんが唄うと新鮮に聞こえます。特に
後半のど演歌は嫌いでした。』(典拠米)。なんでも歌いこなしちゃうというのである。
でも、この歌は今唄っちゃいけないというのである。まだ若いからである。

偉大な三波春夫氏と、どうしても比較しちゃいますね損なので、やめた方がいいようなが
ディスりではなく、ファンからの本心です』(典拠米)。
上手いだけでは唄えない歌がある。それが学芸会に見えちゃうのである。
歌も、若いと唄えないものがあるのである。齢を重ねないと見えてこないお酒があるように。 

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by munojiya | 2017-02-26 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-24 「オススメです。」
他人の言葉を信じられるか、ということである。
庵主は信じるのである。
日本人だから。相手の言葉を信じ(る振りをし)、活字を(眉に唾をつけて)信じるのである。
その、信じたいという期待を裏切る人は異邦人なのである。

期待通りに裏切ってくれる人は何と呼んでいいものか、今考えているところである。
庵主はまた、目の前にあるお酒を信じるのである。
きっと旨いに違いない、と。
その期待を裏切るお酒は、異邦人同様、関わり合いになりたくないのである。

前から楽しみにしていて、でもレビューを見てそこまで期待せずにいきましたが、予想以上に
面白かった! かなり笑ってしまいました。
家族一人一人のキャラクターもいいし、人間の汚い部分なども書きつつもグロさがない点も
観やすくてよかった。

東日本大震災から暫く経って、忘れかけていた防災の意識を思い出させてとくれました。
オススメです。』(典拠)。矢口靖史監督の映画の最新作の事ある。勿論、史靖の誤植である。
ところで映画監督というのは映画を撮っていない時は失業者という事でいいのだろうか。で、
矢口映画なら期待を裏切られることはない事が判っているので、期待して劇場に向かうのである。

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『普通に面白かった。
リアリティーを求めて変にツッコミを入れる映画ではないと思う。
予告動画を見て「面白そうだな」と思い、劇場へと足を運ぶ。
そのままであった。

それでよろしいンでは?』(典拠)。
映画もそうだけれど、お酒も普通に旨ければいいのである。
その普通のお酒がなかなか造れないのである。
だからこそ、旨いお酒に出合ったときは僥倖〈ぎょうこう〉なのである。ありがたいのである。

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by munojiya | 2017-02-24 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-20 沈黙
庵主の中では、宗教の話は余外篇扱いなのである。本線ではない。
宗教は、映画と同じく一人の人間の妄想のなせる世界であって、そこには一枚のスクリーンが
在るだけで、映像が映っているスクリーンの裏側には何にもないという、期待させておいて
ガッカリさせられる世界なのだ。信じる前にむなしさが襲ってくるから精神衛生によくない。

暇な人はそれを語ればいいが、庵主には興味のない世界の出来事なのである。
とはいっても、宗教のお墨付きをもらって平気で人を殺しちゃう信者たちがいるのだから、
興味はないとはいっても、チョウセンジンと同じくそれに対する警戒だけは怠れないのである。
宗教では裏切ることを「転ぶ」という。日本では信条を曲げることを「転向」という。

遠藤周作が原作を発表した1966年は、新左翼が元気な頃ですからね。吉本隆明が「転向論」
を出したのが1958年ですから。原作には、第二次世界大戦のときに弾圧され、拷問を受けて
「転向」した共産主義者や自由主義者、そして敗戦によって実質的に「転向」せざるを
えなかった国粋主義者や天皇主義者たちの問題をも含まれていたはずです。』(典拠)。

「地獄に堕ちた者にはいかなる救いもない、信徒の親族であっても例外ではない」って
ザビエルとかが言ってたから&死ねば天国行けるっていう短絡化した信仰を抱いているから
キリシタンは転向しなかったわけで。』(同)。いかなる救いもないことはどうやって担保
されているのだろうか。庵主のお酒の感想はそのお酒を実際に呑んで担保されているのだが。

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庵主はさいわいにして、宗教り理屈が理解できないのである。
そのお蔭で、御布施に使うお金を旨いお酒との出合いに使うことができたのである。
御布施で買った宗教より、旨いお酒を呑んでしみじみ感じるありがたさの方がずっと価値がある
と庵主は思っているのである。

それは人から教えられて教条的に感じる他人まかせの「有り難い」ではなく、自分の心の内から
湧いてくる「ありがたさ」だからである。
他人に支配されているという不純物がない「ありがたさ」だからである。信じるに足るのだ。
宗教をやって遊び暮らしている人の言葉には、それが真実であっても説得力がないのである。

弱さを含めて人間存在を肯定する、そういう人間の生にも意味があるとしたい、そういう思い
が多くの人にあったからこそキリスト教がここまで流行ったのだろうか。』(典拠)。
自分が自分を肯定できなくなったときに、代わって肯定してくれるのが宗教なのだろう。
それを「すがる」というのである。藁をも掴むときの藁の役が宗教屋のしのぎなのである。

庵主のように言葉で説教されると、その意味を理解しようと思うものだから疲れるのである。
その点、お酒は、ただし旨いお酒に限るけれど、それに触れた時の感情は言葉なしに伝わって
くる感謝の念だからそれを素直に受け入れることができるのである。
すくなくとも相手との関係でどっちが利口かと詮索する必要がないので救われるのである。

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by munojiya | 2017-02-20 13:51 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-19 読んだあと記憶に残らない本
映画館で[その映画の]予告編を見て[原作を読んだのにその内容は]ほぼ忘れてたので
読み直したくなって借りました。』(典拠おかむらさん)。
あ、あれっ?? 読んだ気がするのに内容全く覚えてない(汗 感想をサルベージした。
実質は星3.5位。流石にこれでは犯人を予測するのは相当に難しい。』(同かなでさん)。

出版された時に読んだはずなのに、全然覚えてなかった。』(同冴子さん)。
読んだのに、後に全然記憶に残らないというのは貫井徳郎の「愚行録」のことである。
しかし、面白いのだという。
一応ミステリー仕立てなのに、犯人を当てるのは相当むずかしいようだ。

一家四人殺人事件の話なのに、ひょっとして、犯人はいないというオチだったりして。
庵主はまだその作家の本を読んだことがないが、インタビュー形式で書かれているというその
本は読んでみたい。すぐ忘れる本らしいから、ブックオフで探せばいいか。
内容をすぐ忘れるというのは、作者の読者に対する最大の親切心なのかもしれない。

後味悪っ』(同Horoshi Hishimotoさん)。『何でしょうこの胸焼けの
様なもの。』(同カタコッタさん)と、かなり心の負担になる話のようだからである。
そんな不快感をきれいさっぱり拭い去ってくれるのは作者の実力がなせる技なのかもしれない。
コクがあってキレがいい、うまいビールのような小説なのである。なんとかオチがついた。

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映画の予告を見て、面白そう!と思って読んでみました。展開が読めないモヤモヤから早く
解放されたいのと、犯人が知りたい一心で、一気読みしてしまいました。
カラクリがわかった瞬間、あっ!と声が出そうになりましたよ。
なるほどねー。久々に「うわー……」なイヤミスでした。

イヤミス好きな方には、読みごたえある作品だと思います。ご興味ある方は、是非。
典拠なっき~さん)。
その作家は知らなかったし、興味もなかったが、これを読んでご興味が湧いてきたのである。
そして、「イヤミス」という言葉を、庵主今初めて聞いたのである。意味は全然分からない。

イヤミスって言葉最近知ったんだけど、こういうのイヤミスって言うんだろうなぁーと
思った。』(同sayakaさん)というから、最近作られた言葉なのだろう。
「恵方巻き」とか、「朝鮮進駐軍」とか、「初午おいなり」というのと同じで、誰かが、何らか
の思惑があって広めた言葉なのではないか。

「イヤミス」は、「ファジー」とか、「しずる感」といった極めて抽象的な言葉の一つなの
かもしれない。雰囲気言葉のことである。
その感情なり味覚などを伝えたいのにうまく伝える言葉が出てこないときに取り敢えず
その感覚はあるのだという事を伝える言葉のことである。

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読者は便利と引き換えにここまで管理されているのだという。庵主などはそんなのは真っ平である。
読んでいる本がエロ本ばかりだから、そんなもの公にされたらみっともないからであるが。
で、冒頭のおかむらさんのサイトをクリックしてみたら、北千住の「大はし」の肉豆腐がうまい
という話にたどり着いたのである。

東京三大煮込みのひとつ、北千住の「大はし」に行ってきました。
超シンプルな肉とうふ320がホント旨い! とうふだけのおかわりも出来ました。とうふが
美味い! 飲み物はキンミヤ焼酎のウーロン割り。いい店だー。6時前ですでに満員。
典拠)。

酒呑みなら、うまいまずいは別にして、一度は呑んでおきたいお酒がある。
例えば、「獺祭/磨き二割三分」とか、「十四代」とか。
その伝で、「大はし」も一度を訪れたいお店なのである。お酒文化を知る上で。
肝心な事を書き漏らすところだった。

うわあ本の装丁に負けず内容、すんごい黒い……』(典拠スノーマンさん)とあるが、庵主は
その文庫のカバーの真っ黒いデザインが好きなのである。そういうシンプルな装丁が好みである。
加えて、「愚行録」は2006年の本だという。庵主がそれを知ったのは2017年の今だから、
庵主は世間からおよそ11年ほど遅れて生きているいるということである。

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by munojiya | 2017-02-19 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-11 総尺80分
「カメラ」の事を「キャメラ」という。
映画の業界用語である。
「レンズ」の事を「玉〈たま〉」と呼ぶ。長焦点レンズなら「長玉〈ながだま〉」という。
映画の長さを、時間ではなく「尺〈しゃく〉」でいう。尺はフィルムの長さのことである。

上映時間が長い映画は長尺の映画というわけである。
上映時間を時分でいうのではなく、フィルムの長さでいうのである。
時に「長尺」はだらだら長い映画を揶揄するときにも使う。
適当な上映時間にきちっとまとめる事ができない下手くそな監督だというわけである。

昔の、二本立て時代の映画は1本が90分前後だった。
その尺数でないと映画館で4回上映できないからである。
上映できる回数が少なくなると映画館の売上げが稼げないからである。
今の映画は1本立てなので、上映時間が2時間前後である。内容にかかわらず、である。

庵主は映画は90分で十分だと思っている。逆に印度映画はわざと長尺に撮ると聞いた事がある。
それがおいしい映画だったら、そのあと、余韻を駆って早く旨いお酒を呑みに行きたいから。
庵主の冗談である。「映画は90分で撮ってほしい。それ以上煙草が我慢できないから。そして、
上限は2時間にしてくれ。それ以上おしっこが我慢できないから」と。総尺80分とはこれだ

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by munojiya | 2017-02-11 08:15 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-01-23 「君の名は。」で醜態を見せた「キネ旬」
「ど盲」という言葉がある。
勝新太郎演じる座頭市に浴びせ掛ける悪態のことである。
「盲」と言われても笑っている市が、「ど盲」と言われるとその悪意に報いるのである。 
「キネマ旬報」という伝統のある映画雑誌がある。その主張はよく言えば格調が高いのである。

「暮しの手帖」とか「キネ旬」が21世紀のいまでも刊行されていることに驚くのである。
それらは20世紀の栄光を讃える化石雑誌なのである。「化石」のルビは「へんたい」である。
いつの世にも、化石マニアの数も亦、一定数はいるということである。
今を語る雑誌ではなく、昔の懐かしさを味わう雑誌なのである。今が見えない雑誌なのである。

「朝日新聞」とか「毎日新聞」が昔の栄光にしがみついているようにである。
今の時代に合わせられない人もいるのである。進歩が早すぎてついていけない。庵主もそれで、
すでに家にテレビはなく、スマホも持たず、音楽の再生装置はカセットテープである。
ただ、お酒だけは最新の美酒〈もの〉を好んでいる。古いタイプのお酒はダサいからである。

旨いお酒は呑まれるとなくなってしまうから、古いお酒は存在しないから呑む事ができない。
「昔は良かった雑誌」である「キネ旬」が、「君の名は。」を年間ベストテンに入れないという
醜態〈いじ〉を見せたということで笑い物になっている。真知子と春樹の「君の名は」世代は、
当時の映画には出てこなかったスマホが出てくる「君の名は。」についていけなかったのだろう。

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日本国内の興行収入232億2500万円を突破し、歴代2位に浮上した人気アニメ映画
「君の名は。」ですが、それに先駆け世界では歴代で最も興行収入の多い日本アニメ映画に
なったと海外で大きく話題を集めています。』(典拠0:32)。
ちなみに今のところ1位は「千と千尋の神隠し」である。

最新データによれば、これまで日本アニメ映画でトップだった「千と千尋の神隠し」の
2億7494万ドルを抜き、「君の名は。」は現在3億3160万ドルを記録。
12月に公開が始まった治癒動くでこれまで8100万ドル(93.2億円)を稼いだことが
大きいとされています。』(同前0:47)。

「君の名は。」が日本アニメ映画の中では歴代1位の興行収入になったみたいだぞー
(同前1:31)。
世界の興行収入は1位になったが、国内の興行収入はまだ2位である。
つまり日本の国内興行収入を抜いたら、もう破る記録は無いってこと?』(同前1:38)。

心配するな、あとは俺達(アメリカ人)が控えているんだから破る記録すら残らなくなるよ
(同前1:45)。
なお俺は未だにこの映画を見ることがてきない模様』(同前1:54)。
どこに住んでるの?』(同前2:00)。『アメリカだよ』(同前2:05)。

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まだアメリカで公開すらされていないのに
内輪でアンチすら生まれるほど盛り上がっているという事実』(典拠3:56。以下流し)
ドイツでもまだ公開されてない
おそらく映画館まで脚を運ぶであろう唯一の作品なのに

なぜ多くの国々でこんなに公開がおくれているのが理解できないね
この映画がいかに素晴らしいという書き込みを見るとウンザリするほどになったが
それでも自分は映画館で見ることが出来ないんだ
アカデミー賞受賞はズートピア確定でしょ

オタクの死にそうな顔が目に浮かぶよ
日本で千と千尋の神隠しを超えることは無いはず
それにアニメ映画市場は15年前と比べてすそ野が大きくなった
これは宮崎駿の成功のおかげ

もしスタジオジブリが存在しなかったら新海誠の映画海外で今の半分も成功していないだろう
俺は世界興行収入のうち200ペソ(約550円)を払って見てきたけど、有意義な金の
使い方だった
まだ見れない人達がいち早くこの映画を見れるように願っているよ』。

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by munojiya | 2017-01-23 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-01-22 余外篇「君の名は。」の裏設定
映画を見ていても、庵主はそんなところまで見ていないというものである。
「君の名は。」には裏設定があるというのだ。
宮崎駿=ロリコン
新海誠=アネコン

細田守=ケモナー』(典拠1:28)。
映画の本質を一言で見抜いてしまう人がいるだ。同じアニメ師の高畑勲も三文字姓名である。
日本人の姓名は四文字が基本だから、三文字姓名の人は何かが欠けているのかもしれない。
今敏は二文字も足りないが、その人は、惜しい、「寿命」も足りなかったのである。

三文字姓名のアニメ師は欠けているところが「才能」として開花したのである。
長所は欠点であるという。逆もまた真で、この場合は欠点が美点になったのである。
お酒も、呑んだ後に印象が残るお酒は実は欠点のあるお酒なのである。
奇麗なお酒は呑んだという記憶だけしか残らないが、欠点のあるお酒はなぜか記憶に残る。

新海誠にとって、「君の名は。」のヒロインは、実は奥寺ミキだったというのである。
アネコンの監督は永遠の憧れである雪野先生もちゃんと映画に登場させているのである。
三葉ちゃんに注目しているようではまだ子供。四葉ちゃんに目が行ったらロリコンである。
「奥寺ミキの婚約者は藤井司だ」というのが裏設定なのだという。委細は引用先でどうぞ。

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by munojiya | 2017-01-22 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-01-15 「君の名は。」は誰が観ても「わからない」映画
映画を観ても、その筋〈ストーリー〉が往々にして理解できない庵主だが、こと「君の名は。」
に関しては多くの人がそのストーリーを理解できないという話を聞いて安心したのである。
そもそもなぜ男女が入れ替わったのかわからない』(典拠)というのである。
それは簡単である。SFの決まり事、お約束事なので疑問を持ってはいけないからである。

なぜお約束事に疑問を持ってはいけないかというと、それをほじくると、なぜ映画は画が動くの
かという疑問から考えることになって、それでは映画を楽しむことができないからである。
フィルム(今どきの映画はフィルムを使っているのかどうか庵主は既に知らないが)には1秒間
に24駒の画像がある。少しずつ絵柄が異なる駒を上映すると動いて見えるというのである。

それが映画はなぜ動いて見えるのかという説明をするときの子供騙しの説明である。
ならば、1/24秒で変わる画はなぜ残像が重なって見えないのか。それはともかく、『時間軸
がわからない』『入れ替わってすぐに他の人の生活に対応できるのがわからない』と続く。
一番わからないのは『なぜこんなにも人気なのかわからない』(典拠)という事だという。

それはお前さんも観に行くからだろう。(欄外参照
それもともかくも、雑誌の日本酒特集を見ると、日本酒は旨いとか、燗酒が旨いと書いてあるが、
ではなぜ殆どの日本酒は旨くないのか。燗を付けて旨くなるお酒は少ないのか。
答は簡単である。うまいお酒の出現率は美人の出現率と同じだからである。自然法則なのである。

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満員電車に乗っていて、「この電車、どうしてこんなに混んでるの」という人がいる。
それは、お前さんが乗っているからなのである。
その人が満員電車に乗り合わせているからなのである。
自分がその原因だという事をすっかり忘れてしまっているのである。

例えば民主党に政権を取らせるような選挙結果を見て、
「あんな候補者に投票するなんて、日本人はなんて馬鹿なんだろう」という人もいる。
それはあんたが日本人をやっているからなのである。「俺はそんな者に投票しなかった」と
言っても無駄である。あんたの無力がそうさせたのだから、馬鹿の原因はあんたなのである。

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by munojiya | 2017-01-15 14:54 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)