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カテゴリ:余外篇( 495 )
2017-02-20 沈黙
庵主の中では、宗教の話は余外篇扱いなのである。本線ではない。
宗教は、映画と同じく一人の人間の妄想のなせる世界であって、そこには一枚のスクリーンが
在るだけで、映像が映っているスクリーンの裏側には何にもないという、期待させておいて
ガッカリさせられる世界なのだ。信じる前にむなしさが襲ってくるから精神衛生によくない。

暇な人はそれを語ればいいが、庵主には興味のない世界の出来事なのである。
とはいっても、宗教のお墨付きをもらって平気で人を殺しちゃう信者たちがいるのだから、
興味はないとはいっても、チョウセンジンと同じくそれに対する警戒だけは怠れないのである。
宗教では裏切ることを「転ぶ」という。日本では信条を曲げることを「転向」という。

遠藤周作が原作を発表した1966年は、新左翼が元気な頃ですからね。吉本隆明が「転向論」
を出したのが1958年ですから。原作には、第二次世界大戦のときに弾圧され、拷問を受けて
「転向」した共産主義者や自由主義者、そして敗戦によって実質的に「転向」せざるを
えなかった国粋主義者や天皇主義者たちの問題をも含まれていたはずです。』(典拠)。

「地獄に堕ちた者にはいかなる救いもない、信徒の親族であっても例外ではない」って
ザビエルとかが言ってたから&死ねば天国行けるっていう短絡化した信仰を抱いているから
キリシタンは転向しなかったわけで。』(同)。いかなる救いもないことはどうやって担保
されているのだろうか。庵主のお酒の感想はそのお酒を実際に呑んで担保されているのだが。

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庵主はさいわいにして、宗教り理屈が理解できないのである。
そのお蔭で、御布施に使うお金を旨いお酒との出合いに使うことができたのである。
御布施で買った宗教より、旨いお酒を呑んでしみじみ感じるありがたさの方がずっと価値がある
と庵主は思っているのである。

それは人から教えられて教条的に感じる他人まかせの「有り難い」ではなく、自分の心の内から
湧いてくる「ありがたさ」だからである。
他人に支配されているという不純物がない「ありがたさ」だからである。信じるに足るのだ。
宗教をやって遊び暮らしている人の言葉には、それが真実であっても説得力がないのである。

弱さを含めて人間存在を肯定する、そういう人間の生にも意味があるとしたい、そういう思い
が多くの人にあったからこそキリスト教がここまで流行ったのだろうか。』(典拠)。
自分が自分を肯定できなくなったときに、代わって肯定してくれるのが宗教なのだろう。
それを「すがる」というのである。藁をも掴むときの藁の役が宗教屋のしのぎなのである。

庵主のように言葉で説教されると、その意味を理解しようと思うものだから疲れるのである。
その点、お酒は、ただし旨いお酒に限るけれど、それに触れた時の感情は言葉なしに伝わって
くる感謝の念だからそれを素直に受け入れることができるのである。
すくなくとも相手との関係でどっちが利口かと詮索する必要がないので救われるのである。

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by munojiya | 2017-02-20 13:51 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-19 読んだあと記憶に残らない本
映画館で[その映画の]予告編を見て[原作を読んだのにその内容は]ほぼ忘れてたので
読み直したくなって借りました。』(典拠おかむらさん)。
あ、あれっ?? 読んだ気がするのに内容全く覚えてない(汗 感想をサルベージした。
実質は星3.5位。流石にこれでは犯人を予測するのは相当に難しい。』(同かなでさん)。

出版された時に読んだはずなのに、全然覚えてなかった。』(同冴子さん)。
読んだのに、後に全然記憶に残らないというのは貫井徳郎の「愚行録」のことである。
しかし、面白いのだという。
一応ミステリー仕立てなのに、犯人を当てるのは相当むずかしいようだ。

一家四人殺人事件の話なのに、ひょっとして、犯人はいないというオチだったりして。
庵主はまだその作家の本を読んだことがないが、インタビュー形式で書かれているというその
本は読んでみたい。すぐ忘れる本らしいから、ブックオフで探せばいいか。
内容をすぐ忘れるというのは、作者の読者に対する最大の親切心なのかもしれない。

後味悪っ』(同Horoshi Hishimotoさん)。『何でしょうこの胸焼けの
様なもの。』(同カタコッタさん)と、かなり心の負担になる話のようだからである。
そんな不快感をきれいさっぱり拭い去ってくれるのは作者の実力がなせる技なのかもしれない。
コクがあってキレがいい、うまいビールのような小説なのである。なんとかオチがついた。

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映画の予告を見て、面白そう!と思って読んでみました。展開が読めないモヤモヤから早く
解放されたいのと、犯人が知りたい一心で、一気読みしてしまいました。
カラクリがわかった瞬間、あっ!と声が出そうになりましたよ。
なるほどねー。久々に「うわー……」なイヤミスでした。

イヤミス好きな方には、読みごたえある作品だと思います。ご興味ある方は、是非。
典拠なっき~さん)。
その作家は知らなかったし、興味もなかったが、これを読んでご興味が湧いてきたのである。
そして、「イヤミス」という言葉を、庵主今初めて聞いたのである。意味は全然分からない。

イヤミスって言葉最近知ったんだけど、こういうのイヤミスって言うんだろうなぁーと
思った。』(同sayakaさん)というから、最近作られた言葉なのだろう。
「恵方巻き」とか、「朝鮮進駐軍」とか、「初午おいなり」というのと同じで、誰かが、何らか
の思惑があって広めた言葉なのではないか。

「イヤミス」は、「ファジー」とか、「しずる感」といった極めて抽象的な言葉の一つなの
かもしれない。雰囲気言葉のことである。
その感情なり味覚などを伝えたいのにうまく伝える言葉が出てこないときに取り敢えず
その感覚はあるのだという事を伝える言葉のことである。

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読者は便利と引き換えにここまで管理されているのだという。庵主などはそんなのは真っ平である。
読んでいる本がエロ本ばかりだから、そんなもの公にされたらみっともないからであるが。
で、冒頭のおかむらさんのサイトをクリックしてみたら、北千住の「大はし」の肉豆腐がうまい
という話にたどり着いたのである。

東京三大煮込みのひとつ、北千住の「大はし」に行ってきました。
超シンプルな肉とうふ320がホント旨い! とうふだけのおかわりも出来ました。とうふが
美味い! 飲み物はキンミヤ焼酎のウーロン割り。いい店だー。6時前ですでに満員。
典拠)。

酒呑みなら、うまいまずいは別にして、一度は呑んでおきたいお酒がある。
例えば、「獺祭/磨き二割三分」とか、「十四代」とか。
その伝で、「大はし」も一度を訪れたいお店なのである。お酒文化を知る上で。
肝心な事を書き漏らすところだった。

うわあ本の装丁に負けず内容、すんごい黒い……』(典拠スノーマンさん)とあるが、庵主は
その文庫のカバーの真っ黒いデザインが好きなのである。そういうシンプルな装丁が好みである。
加えて、「愚行録」は2006年の本だという。庵主がそれを知ったのは2017年の今だから、
庵主は世間からおよそ11年ほど遅れて生きているいるということである。

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by munojiya | 2017-02-19 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-02-11 総尺80分
「カメラ」の事を「キャメラ」という。
映画の業界用語である。
「レンズ」の事を「玉〈たま〉」と呼ぶ。長焦点レンズなら「長玉〈ながだま〉」という。
映画の長さを、時間ではなく「尺〈しゃく〉」でいう。尺はフィルムの長さのことである。

上映時間が長い映画は長尺の映画というわけである。
上映時間を時分でいうのではなく、フィルムの長さでいうのである。
時に「長尺」はだらだら長い映画を揶揄するときにも使う。
適当な上映時間にきちっとまとめる事ができない下手くそな監督だというわけである。

昔の、二本立て時代の映画は1本が90分前後だった。
その尺数でないと映画館で4回上映できないからである。
上映できる回数が少なくなると映画館の売上げが稼げないからである。
今の映画は1本立てなので、上映時間が2時間前後である。内容にかかわらず、である。

庵主は映画は90分で十分だと思っている。逆に印度映画はわざと長尺に撮ると聞いた事がある。
それがおいしい映画だったら、そのあと、余韻を駆って早く旨いお酒を呑みに行きたいから。
庵主の冗談である。「映画は90分で撮ってほしい。それ以上煙草が我慢できないから。そして、
上限は2時間にしてくれ。それ以上おしっこが我慢できないから」と。総尺80分とはこれだ

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by munojiya | 2017-02-11 08:15 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-01-23 「君の名は。」で醜態を見せた「キネ旬」
「ど盲」という言葉がある。
勝新太郎演じる座頭市に浴びせ掛ける悪態のことである。
「盲」と言われても笑っている市が、「ど盲」と言われるとその悪意に報いるのである。 
「キネマ旬報」という伝統のある映画雑誌がある。その主張はよく言えば格調が高いのである。

「暮しの手帖」とか「キネ旬」が21世紀のいまでも刊行されていることに驚くのである。
それらは20世紀の栄光を讃える化石雑誌なのである。「化石」のルビは「へんたい」である。
いつの世にも、化石マニアの数も亦、一定数はいるということである。
今を語る雑誌ではなく、昔の懐かしさを味わう雑誌なのである。今が見えない雑誌なのである。

「朝日新聞」とか「毎日新聞」が昔の栄光にしがみついているようにである。
今の時代に合わせられない人もいるのである。進歩が早すぎてついていけない。庵主もそれで、
すでに家にテレビはなく、スマホも持たず、音楽の再生装置はカセットテープである。
ただ、お酒だけは最新の美酒〈もの〉を好んでいる。古いタイプのお酒はダサいからである。

旨いお酒は呑まれるとなくなってしまうから、古いお酒は存在しないから呑む事ができない。
「昔は良かった雑誌」である「キネ旬」が、「君の名は。」を年間ベストテンに入れないという
醜態〈いじ〉を見せたということで笑い物になっている。真知子と春樹の「君の名は」世代は、
当時の映画には出てこなかったスマホが出てくる「君の名は。」についていけなかったのだろう。

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日本国内の興行収入232億2500万円を突破し、歴代2位に浮上した人気アニメ映画
「君の名は。」ですが、それに先駆け世界では歴代で最も興行収入の多い日本アニメ映画に
なったと海外で大きく話題を集めています。』(典拠0:32)。
ちなみに今のところ1位は「千と千尋の神隠し」である。

最新データによれば、これまで日本アニメ映画でトップだった「千と千尋の神隠し」の
2億7494万ドルを抜き、「君の名は。」は現在3億3160万ドルを記録。
12月に公開が始まった治癒動くでこれまで8100万ドル(93.2億円)を稼いだことが
大きいとされています。』(同前0:47)。

「君の名は。」が日本アニメ映画の中では歴代1位の興行収入になったみたいだぞー
(同前1:31)。
世界の興行収入は1位になったが、国内の興行収入はまだ2位である。
つまり日本の国内興行収入を抜いたら、もう破る記録は無いってこと?』(同前1:38)。

心配するな、あとは俺達(アメリカ人)が控えているんだから破る記録すら残らなくなるよ
(同前1:45)。
なお俺は未だにこの映画を見ることがてきない模様』(同前1:54)。
どこに住んでるの?』(同前2:00)。『アメリカだよ』(同前2:05)。

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まだアメリカで公開すらされていないのに
内輪でアンチすら生まれるほど盛り上がっているという事実』(典拠3:56。以下流し)
ドイツでもまだ公開されてない
おそらく映画館まで脚を運ぶであろう唯一の作品なのに

なぜ多くの国々でこんなに公開がおくれているのが理解できないね
この映画がいかに素晴らしいという書き込みを見るとウンザリするほどになったが
それでも自分は映画館で見ることが出来ないんだ
アカデミー賞受賞はズートピア確定でしょ

オタクの死にそうな顔が目に浮かぶよ
日本で千と千尋の神隠しを超えることは無いはず
それにアニメ映画市場は15年前と比べてすそ野が大きくなった
これは宮崎駿の成功のおかげ

もしスタジオジブリが存在しなかったら新海誠の映画海外で今の半分も成功していないだろう
俺は世界興行収入のうち200ペソ(約550円)を払って見てきたけど、有意義な金の
使い方だった
まだ見れない人達がいち早くこの映画を見れるように願っているよ』。

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by munojiya | 2017-01-23 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-01-22 余外篇「君の名は。」の裏設定
映画を見ていても、庵主はそんなところまで見ていないというものである。
「君の名は。」には裏設定があるというのだ。
宮崎駿=ロリコン
新海誠=アネコン

細田守=ケモナー』(典拠1:28)。
映画の本質を一言で見抜いてしまう人がいるだ。同じアニメ師の高畑勲も三文字姓名である。
日本人の姓名は四文字が基本だから、三文字姓名の人は何かが欠けているのかもしれない。
今敏は二文字も足りないが、その人は、惜しい、「寿命」も足りなかったのである。

三文字姓名のアニメ師は欠けているところが「才能」として開花したのである。
長所は欠点であるという。逆もまた真で、この場合は欠点が美点になったのである。
お酒も、呑んだ後に印象が残るお酒は実は欠点のあるお酒なのである。
奇麗なお酒は呑んだという記憶だけしか残らないが、欠点のあるお酒はなぜか記憶に残る。

新海誠にとって、「君の名は。」のヒロインは、実は奥寺ミキだったというのである。
アネコンの監督は永遠の憧れである雪野先生もちゃんと映画に登場させているのである。
三葉ちゃんに注目しているようではまだ子供。四葉ちゃんに目が行ったらロリコンである。
「奥寺ミキの婚約者は藤井司だ」というのが裏設定なのだという。委細は引用先でどうぞ。

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by munojiya | 2017-01-22 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-01-15 「君の名は。」は誰が観ても「わからない」映画
映画を観ても、その筋〈ストーリー〉が往々にして理解できない庵主だが、こと「君の名は。」
に関しては多くの人がそのストーリーを理解できないという話を聞いて安心したのである。
そもそもなぜ男女が入れ替わったのかわからない』(典拠)というのである。
それは簡単である。SFの決まり事、お約束事なので疑問を持ってはいけないからである。

なぜお約束事に疑問を持ってはいけないかというと、それをほじくると、なぜ映画は画が動くの
かという疑問から考えることになって、それでは映画を楽しむことができないからである。
フィルム(今どきの映画はフィルムを使っているのかどうか庵主は既に知らないが)には1秒間
に24駒の画像がある。少しずつ絵柄が異なる駒を上映すると動いて見えるというのである。

それが映画はなぜ動いて見えるのかという説明をするときの子供騙しの説明である。
ならば、1/24秒で変わる画はなぜ残像が重なって見えないのか。それはともかく、『時間軸
がわからない』『入れ替わってすぐに他の人の生活に対応できるのがわからない』と続く。
一番わからないのは『なぜこんなにも人気なのかわからない』(典拠)という事だという。

それはお前さんも観に行くからだろう。(欄外参照
それもともかくも、雑誌の日本酒特集を見ると、日本酒は旨いとか、燗酒が旨いと書いてあるが、
ではなぜ殆どの日本酒は旨くないのか。燗を付けて旨くなるお酒は少ないのか。
答は簡単である。うまいお酒の出現率は美人の出現率と同じだからである。自然法則なのである。

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満員電車に乗っていて、「この電車、どうしてこんなに混んでるの」という人がいる。
それは、お前さんが乗っているからなのである。
その人が満員電車に乗り合わせているからなのである。
自分がその原因だという事をすっかり忘れてしまっているのである。

例えば民主党に政権を取らせるような選挙結果を見て、
「あんな候補者に投票するなんて、日本人はなんて馬鹿なんだろう」という人もいる。
それはあんたが日本人をやっているからなのである。「俺はそんな者に投票しなかった」と
言っても無駄である。あんたの無力がそうさせたのだから、馬鹿の原因はあんたなのである。

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by munojiya | 2017-01-15 14:54 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-01-14 御大と新前の違い
宮崎駿〈おんたい〉と新海誠〈しんまえ〉の違いはこうだという。
新前は新米ともいうが正しくは新前だと故・永六輔師が言っていた。新前掛け、新入りの意だと。
宮崎アニメが凄いのは、絵の上手なアニメーターを揃えているからではない。ストーリーから
背景の細部に至るまで、「宮﨑駿」の個性で貫かれているからで、どこにも「借り物」がない。

おいらが「君の名は」を評価しないのは、もちろん見てないからだが[観ないでも分かるという
から超能力の持ち主なのだろう]、そもそも「タイトルが借り物じゃん」というのがある。
君の名はといったら、数十年前に一世を風靡したメロドラマで、知らない人はいない。そんな
有名なタイトルをパクって、自分の作品に使う神経が信じられない。[だから「。」なのに]

しかもストーリーは「男女が入れ替わって」という、使い古されたパターン。
元は「とりかえばや物語」に始まるんだが、それが児童文学者の山中恒「おれがあいつであいつ
がおれで」に至り、それが大林宣彦監督の「転校生」で大傑作として歴史に残る。
以後、この設定は何度も繰り返し使われているが、みんなパクリで泥棒でインチキ。

クリエイターとしてやっちゃイケナイ事だと思う。つまり、タイトルも設定も借り物。まぁ、
金儲け目当てのエンターテイメントはそれでいいんだが、しょせん、借り物は借り物です。
典拠)。
先駆者の後を継いでいないものは狂気と呼んで文化とはいわないのではないか。文化とは上手な
パクリの事なのである。お酒も先達のお酒を磨いたものだ。狂気の酒はちっとも旨くないのだ。

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いや、見ないで評価すんのはいかがなものかと思いますよ。
オリジナリティいうなら、宮崎も動物の擬人化アニメみたいな使い古されたの作ってるし、
フィクションのネタなんて有史以外ほぼ使い尽くされてるでしょ。』(典拠米)。
訂正 有史以外→有史以来。』(同前米)。

新海の作品は世代を超えてオタクの琴線に触れるから、大林好きのジジイオタク世代にも
受けると思うんですけどね。
「星を追う子ども」辺りからオタク離れをしてますけど、
「星のこえ」「雲の向こう、約束の場所」は痛々しいほどオタクです。

Wiki見ると村上春樹に影響受けてるんだって、わかる、わかる。
猫を扱った2つの短編作品Youtubuにあるのでリンクしておきます。
彼女と彼女の猫」 完全にオタクです。
誰かのまなざしスポンサーいるからオタク臭が少ないです。

村上春樹嫌いの人は見ないでくださいね。
それにしてもわし還暦過ぎて、なんでまだオタクなんやろ。
きっと心がピュアなんやなあ。』(同前米)
「オタク」と書いて、「ピュア」と読むようである。

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大人の対応はこうである。
騙されたと思って一回観てほしいなあ
まだ劇場でやってるうちに
それから好きなだけ罵倒すればおk。』(典拠米)。

齢をとると、頭が固くなって、騙されることもできなくなるのである。ボケるともいう。
落語も、体力がある若い時でないと可笑しくても笑えなくなるのである。齢をとると分かる。
「君の名は。」拒否宣言は、老化を自覚したことの表明なのである。若い人が聞いても無意味。
齢をとると、味の好みも変わってくる。日本酒が甘くて呑めなくなってくるのである。

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評論家というのは、凡人(庵主のことである)が見えない観点が見えるのである。
◇母子家庭の「聲の形」と、父子家庭の「君の名は」。[「君の名は。」の誤植だろう]
>気付いた人は少ないと思うが、この2つの作品は、舞台が偶然そろっただけでなく、内容まで
見事に構造が対照的になっている。

聲の形は、主人公とヒロインが母子家庭=消極的性格=日常系リアリティ=静的な背景美術=
岐阜県大垣市(美濃地方)。
君の名[。]は、主人公とヒロインが父子家庭=積極的性格=セカイ系SFラブコメ=動的な
背景美術=岐阜県高山市(飛騨地方)。』(典拠米)。なるほど、そういう視点があったのか。

絵の上手なアニメーターを宮崎駿が一本釣り、スタジオ・ジブリは凄腕アニメーターが揃って
いました(過去形)。ジブリが解散したお陰で「君の名は」「聲の形」「この世界の片隅に」等
の作画クオリティーがアップ、業界的にはよかった(?)。』(同前米)。よかったのである。
日本の漫画は手塚治虫につながるように、日本のアニメは宮崎駿に行き着くのである。

映画のヒット作が多かった2016年、東宝が絶好調なのは優秀なプロデューサー:川村元気氏
のお陰でしょう。ジェンコのプロデューサー:真木太郎氏も作品の「座組」が上手く、有能
過ぎる裏方が興行収入を上げています。SNSやネット配信などで取り巻く環境が変化して
来ました。』(同前米)。映画はプロデューサーで見るという観点もあるのである。

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君の名は[。]も 聲の形 も何も心理的構造背景を考えずに見ると「ふーんキレイな背景で
ハッピーエンドで良かったね。」と小学生並みの乾いた感想しか残らないので、ぼーっと見ると
危険な作品である。』(典拠)。
庵主は両方とももっとも危険な見方をしていたのである。ぼーっとして観ていたのである。

聲の形 も 君の名は[。] も同じように女性の断髪シーンがあったので驚いた。
古来より出家、文学でも決意表明的・新たな旅立ち・過去との決定(けつじょう)など効果的な
表現として使われる。』(同前)。
庵主はそんなことには全然気がつかずに、ぼーっとして観ていたのである。

なので、君の名はではヒロインが断髪し、聲の形ではヒロインの母親が断髪することになる。
下世話なことを言えば、
君の名は[。] の宮水三葉の恋人は #聲の形 の石田将也が合ってると思うし、
聲の形 の西宮硝子の恋人は ##君の名は[。] の立花瀧が合っているのである。

そういえばヒロインの「宮」の字も共通している。』(同前)。
「なので」の事情は引用サイトで読んでいただきたい。そこからつながっているのである。
二つの映画は、恋人が入れ替わっているというのである。
世の中は、庵主は裏を見る気はしないが、表だけ見たのでは判らないという事なのである。

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by munojiya | 2017-01-14 00:04 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-01-03 BM伝「世間におけるメタルの地位」
精神を病んでいる人の治療法に森田療法というのがある。
そういう患者に箱庭をつくりをやらせると症状がやわらぐというのである。
完治ではなく、対症療法みたいである。
盆栽作りはその究極なのかもしれない。精神が病んでいないとその良さが分からないのだろう。

音楽療法も、精神的に問題がある人に対する対症療法なのだろう。
症状を緩和させる効果はあるみたいである。
少なくても、それになじんでいる人たちが、その手の人たちだということが分かるから重宝だ。
世間には、日本人なのかチョウセン人なのか判らなくて困るような事が少なくないからである。

チョット病んだ人の精神療法みたいな世間的評価を受けていた、
実は単なる音楽的な手法にすぎないメタルに、
アスリートの爽やかさを持ち込んだから混乱しているだけ。』(典拠2:01)。
BMは、病人の世界に健康を持ち込んだものだから、患者が違和感を感じているというのだ。

健全な患者はBMの健康感に目覚めるが、そうでない患者はなお病気にしがみつくというのだ。
前者を病気からの脱出といい、後者をガチの完治不能〈メタラー〉と呼ぶようである。
実は、お酒も、本物の旨いお酒は精神療法に使えるのである。
その旨さにひたっていると、沈んだ心や、自信を失った時に、元気が蘇ってくるからである。

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純米酒原理主義という言葉がある。
その伝でいうなら、自分で作った曲を演奏していないプレーヤーは本物とはいえないという主張
は自作原理主義と呼べばいいのか。
そういう頑固な自己主張に対するつれない一言がこれである。

『それは「自分で書いて歌っているかどうか」が好きなだけであって
音楽自体を好きなのかどうか疑問だね』(典拠3:22)。
自作原理主義が正しいとするなら、今日の世界の名だたるオーケストラは、みんな贋物だという
事になる。バッハとかベートベンなどの他人〈ひと〉が作った曲を演奏しているだけなのだから。

『[自作の詞曲にこだわる]こういう人達にこそ、ライブ見て言葉の子べを超えて伝わる
ベビメタの魅力に触れてほしいです!』(同前6:55)。
お酒で言えば、純米酒であろうと、アル添酒であろうと、呑んで旨くなかったら、造りの違い
なんか全然意味がないということである。

お酒は呑んでみろ、ベビメタはライブで聴いてみろ、というわけである。
世間では曲も書かずに楽器も演奏しない3人の女の子たちをガールスバンドとさえ言わない
だろうから、こうした反応は完全に想定内。』(同6:58)。
想定内の反応をしている人達は、踊らされているというわけである。踊らにゃ損々である。

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話変わるけど、ゆいもあのダンスを見て、俺は初めてダンスの「意味」というものを理解する
ことができた。歌詞や曲調の意味をダンスを通じても表現しているということ。
彼女たちのダンスを知る以前のダンスは、俺にとっては単なる振り付けでしかなかった。
意味を問うとかそういう必要性を感じることはなかった。

彼女たちのダンスは、ギタリストがギターを弾いて自分を表現するのと同じことなんだよな。
典拠8:37)。
耳でしか見えなかった音楽を、目でも見えるようにしたことがBMの画期的な点だというのだ。
これまでは、目に入ってくるのは世間離れしたむさ苦しい姿〈ざま〉のプレーヤーだったのに。

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by munojiya | 2017-01-03 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-12-24 「君の名は。」さえ「どこかの映画」になる映画
目下、快進撃中の「君の名は。」を「どこかの映画」と呼ばせるアニメが今公開中なのである。
そのアニメ映画は、ご存じのとおり、片淵須直監督の「この世界の片隅に」である。
庵主はそそっかしいから、「この世の片隅に」だとばかり思っていたのである。
「この世界」なら普遍的な世界だが、「この世」なら個人的な世界で、意味が全然違うのに。

庵主は生活圏が半径5メートル程度なので、「世界」を展望することがないからである。
で、「この世界の片隅に」を観た人の感想が一様に高評価なのである。
そして、まだ見ていない人に勧めたくなる映画だというのだ。
すずの声をやったのんが芸能界でイジメにあっているらしくTVではタブーの話題だという。

そのため、当初は「この世界の片隅に」を積極的に取り上げなかったTVも、ここにきて
ようやくそれを話題として取り上げるようになってきたのである。
そして、そこで観てきた人が語る言葉が一様に、まだ観ていない人はぜひ観てほしい、である。
そりゃどこかの映画みたいに亡くなったことをリセットできる世界では無いけども

懸命にその日を生きる話は現代の自分たちとも変わらないだろう』(典拠6:18)という
映画だという。
当時は、終戦に近づくほどに、お酒もどんどん質が悪くなっていったのだろうが、
映画ではそんな話が出てくるのだろうか。すずの夫はお酒を呑まない人という設定だったりして。

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予告編を見た限りでは、見たいとは思えない作品。
戦時下であることを強く印象付けているにも関わらず、庶民の暮らしに焦点を合わせたと言って
しまう所にずるさを感じてしまうのよ。
「じゃあ作品の何を見ればいいの?」となってしまうのね。

庶民は、軍部・政府とはかけ離れた存在で関係ないとでもいいたいのだろうか?
反省するでもなく突き放すでもない、まるで第三者的な目線がそこにあるように感じてしまう
から、だから多分、見たいとは思えないんだろう。』(典拠8:20)。
庵主も予告編を見ると似たように感じるが、「泣ける」映画とも聞くので見逃さないのである。

泣ける映画と思って観たら肩すかしくらうだろうな。
泣きはしなかったけどいろいろ考えさせらるものがある。
[中略]
とりあえず日本人なら一度はミテくべき作品。』(同9:06)。

私はとにかくよこくの空を見てとてつもない予感がしたので観にいったよ。
映画が終わるのが寂しいにはくらい[原文どおり]面白かった。』(同9:28)。
アニメの空を見てその水準が判る人がいるのである。
空の色がとても良い。たくさん空を見て育った人でなければ描けない色だ。』(典拠米)。

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自分が観た感想は、一言でいうと、生きていくことの愛おしさだよ。
いたるところに暗喩が散りばめられていて、見つけるたびに深みを増していく映画。
当時の日本人の感性や、反応が今と少し違っていても、幼い頃に感じていた気持ちを思い出す。
幼い頃は今よりも映画の時代に近いからね。』(典拠9:40)。

昔と今がつながっていて、少しずつ変わっていくけれども、変わらないものがある、
そんな映画。
言葉では伝わらないなにかを心に残すんだよ。』(同善9:54)。一つ前の続きなのかも。
そういう体験ができる映画なのだという。

封切り 観てきました。 不覚にも落涙しましたが、大きな感動に包まれた作品でもあります。
戦前、戦時中、そして戦後の市井の人々の、懸命な、そして したたかな日常。これ自体が一つ
の記録映画なのでしょう。
一人でも多くの人々、特に小中高生にこそ観てもらいたいと感じます。

私自身、もう一度劇場に足を運ぼうと思います。』(典拠米)。
観たら、それを人に勧めたくなる映画みたいである。
一種の洗脳映画なのだろう。否、催眠映画と言い換えておこう。
そして、「君に名は。」が前座に見えちゃう映画みたいなのである。

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by munojiya | 2016-12-24 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2016-12-22 今年の掉尾を飾る泣ける映画「ぼく明日」
新海誠監督のアニメ「君の名は。」が、時間軸をずらして世界中を泣かせているというが、
今年の掉尾を飾るかのように、今度は実写で時間をいじって泣かせる映画が飛び込んできた。
三木孝浩監督の「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」である。
映画を見た人の感想の多くが「泣いた」ということなのである。

「君の名は。」が、時間が3年間ずれている出会いの物語だとは知らずに見ていた庵主である。
今度の「きみ明日」も時間をいじっているラブ・ストーリーなので、例によって、当初、庵主は
何が起こっているのか理解できなかったが、しかし、映画の中盤で懇切丁寧な種明かしがあって、
映画冒頭で二人が出会ったときに愛美が不意に涙を流した訳を後から知ることになる。

高寿〈たかとし〉が愛美〈えみ〉に初めて会った日に愛美はなぜ涙を流したのか。
映画を見た感想のもう一つのキーワードが「せつない」映画だということである。
その涙の意味を知ったら、「せつない」という以外にないのである。
最初からその涙の意味を知ってて見直したら、いっそうせつない気持ちにかられることだろう。

そして、小松菜奈が可愛いというのである。時間を区切った恋こそが美しいという映画である。
出会いの時、愛美が涙を流していた、本当の意味を後で知り、
胸が苦しくて、切なくて、泣けて泣けて仕方ありませんでした。』(典拠)。
庵主はこういう泣ける映画と旨いお酒が大好きなのである。この映画は見落とさない方がいい。

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エンドロールは、エンドレール
なんてステキなエンディングなのでしょう!
Back number“ハッピーエンド”のメロディーと歌詞に、また号泣。
今年の最後を飾るにふさわしい、宝物にしたいラブ・ストーリーでした。』(典拠)。

正直あまり、期待せず見に行った映画。
福士蒼汰さんが観れればいいかなくらい
いずれ終わりが来る出会い、ループになっていなくてもたくさんあることに気づきました。
例えば片思い。

いずれその人に好きな人ができる。
友人として楽しい思い出があっても、いずれ会えなくなる。
エンドロール、線路が続くだけなのに、涙が止まりませんでした。』(典拠)。
素晴らしい映画でした。切なく、胸の奥が少し苦しくなる感じ。』(典拠)。

原作は熟知しているので、"泣きどころ"は分かってる(笑)
なので簡単に泣かされるもんか、と心のガードを硬くして鑑賞。[中略]と思ったら、
最後の方で少しだけ変化球を投げてきて、それが非常に効果的だった。特に最初の方で違和感を
感じたシーン(原作と少し違う)がここで見事に効いた。つまり泣かされた。』(典拠)。

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by munojiya | 2016-12-22 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)