カテゴリ:余外篇( 507 )
2017-06-21 照明さんを敵にまわしてはいけない
余外篇である。
読むだけ無駄である。
見ると目の毒である。
夢が壊れるからである。時のいたずらではあるが。

斉藤由貴が若く見えるというのである。
斉藤由貴が意外とマシ
照明のおかげかもしれんが』(典拠3:55)。
中山美穂が広瀬すずの未来像に似ているともいう(同2:30)。なるほど。

映画の撮影現場では、女優は照明さんとだけは喧嘩をしてはいけないといわれている。
喧嘩をすると大変なことになるからである。
好かれると、いくつになってもこの斉藤由貴のように綺麗に照明を当ててもらえるが、
そうでないときの光景は想像にかたくないのである。

きちんと照明さんの仕事があればそうはならなかたのだろうが、人の気持ちを知るわけもない
太陽光のベタな照明の下ではさすがの石田ゆり子もこうなってしまうのだという(同3:29)。
白日の下にさらされるのである。
美辞麗句で宣伝してもまずいお酒は、頭ではなく体という白日が真実をさらしてくれるのである。

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by munojiya | 2017-06-21 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-06-14 この映画が面白そう「22年目の告白」
藤原竜也という俳優は、狂気の悪役を演じたら他を寄せつけない俳優である。
日本映画が生んだ新悪役像の権化である。
これまでの日本映画の悪役は民衆の感情に根ざした悪役だった。
日本人なら、誰が見てもこいつは許せないという犯人像だったのである。

まだ、日本人なら、その心情を理解する事ができたのである。
しかし、新悪役はそうはいかない。
これまでの日本人には理解できない犯人なのである。
逆に犯人を非難するどころか、逆にもてはやす人が出る始末なのである。

新悪役像のキャラクターは、いうならば、チョウセン人のそれなのである。
日本人には理解できるわけがないのである。そんなみっともない犯人の心情なんか。
だから、映画としては物珍しいものが見れるという好奇心をくすぐるから面白いのである。
過去の日本人を引きずっていないからその違和感は科楽特奏隊に似ているのである。

お酒も過去を継承していない酒は目新しいけれども、やっぱりつまらないのである。
その藤原竜也の新作が「22年目の告白-私が殺人犯です-」だという。出来がよさそうである。
評判はいい。『どんでん返し系の映画好きだから、この映画かなり見応えあった。』(典拠)。
ということは真犯人は藤原竜也ではないという事である。心地よく騙されてみたくなるのである。

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そうそう、まずこれだけは伝えねば。
なんか割とポップに宣伝されていますが、この映画結構精神的に来ます。
終盤みてて苦しくなります。
ですので、軽い気持ちで行くの禁止。ある程度の覚悟を持って見に行ってください。』(典拠)。

裏の裏の裏をかかれ、結局騙され、知らぬ間にのめり込んでしまいました。
確かに、物語前半から飛ばしていて違和感があったが(ネタバレになりそうなので控えます)。
まさに、こんな展開ファンタッスティク。また、予告の使い方が秀逸だと感じた。先入観を植え
付けられるとはこういうことか。

普段、邦画はほとんど見ませんが、この映画はよく考えられた構成で日本らしいといえば日本
らしい映画だと思いました。こんなのコナン君でも解けるかどうか。
アクション厨の自分には新鮮な映画でした。』(典拠)。
予告に騙されてた。気分が良い。』(典拠)。その予告篇である。

仮に 実は真犯人コイツでした〜ってなっても最早驚かない役者陣。』(典拠)。
という手がかりから、役者の顔ぶれを見て「真犯人」を予想すると、大穴は「悪の教典」でも
サイコパスの犯人をやった伊藤英明か。一番怪しくない仲村トオルもちょっと臭うのである。
ならば藤原竜也が犯人の代役を演じる利益は何だったのか。やっぱり観に行かなきゃ。

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by munojiya | 2017-06-14 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-25 あれ「無限の住人」は無限の彼方へ
2017年5月20日(土)から5月21日(日)の週末映画興行成績(興行通信社)である。
1位はディズニーの「美女と野獣」で売上げも上々だという。興行収入が100億円を突破する
勢いの大ヒットだという。この映画は世界的にヒットしているという。
庵主は全然触手が動かないのである。世界の動きから取り残されているようである。

2位はアニメの「コナン君」だという。庵主は予告篇しか見たことがないが、人気があるようだ。
題名は「名探偵コナンから紅の恋歌(ラブレター)」である。「紅の」か「唐紅」なのか判らん。
発動城で3位になったのが人気コミックの実写映画の「ピーチガール」だという。
週末2日間で動員12万人、興収1億4300万円を記録したという。
ちなみに「美女と野獣」は動員30万7067人、興収4億3456万円である。

初登場で3位の「ピーチガール」はこんな感じだという。
ギャル風な見た目で誤解されやすい女子高生“もも”を山本美月、そのももが中学時代から
好意を寄せる“とーじ”を真剣佑、ももに興味を持つ学校の人気者・浬[読めない]を伊野尾慧
が演じ、10代を中心に熱い支持を集めているようす。』(典拠)。

「とーじ」ときたら「杜氏」という字を思い浮かべてしまうのは庵主のサガゆえにである。
で、キムタクの鳴り物入り映画「無限の住人」は10位の中に入っていないのである。
無限の彼方に消えていったみたいである。
コンピタの発達で興収の集計が速くなったのだろう。不入り映画には辛い時代になったのである。

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by munojiya | 2017-05-25 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-16 BM伝「笑い話・両サイドに抜かれる」
関係者なら「両サイドに抜かれる」で分かってしまうのである。
今、大変なことが起こりつつあるということが。
顔が小さくて、足が長い三人娘のことである。
この動画を見たら吹き出してしまった。

しばらく見ないうちに大変なことになっていたのである。
業界では、タレントの老化現象のことを「劣化」と呼ぶのである。
しかし、これを「劣化」と呼んでいいものか。
背が伸びるのは自然現象ではあるが、その自然現象をしてはいけないのが業界の掟なのだ。

自然現象に逆らうために、少なからずの努力をしているタレントも多いのである
顔で売る商売の弱みがそこに集中してしまうのである。
ファンを絶句させてしまうからである。
顔で売る商売と言えばヤクザもそうである。タレントもヤクザも人気商売なのだ。

肉体から発する人気という気を売っているのである。自分の肉体を売るという点では売春婦と
同じであり、また人気を長く維持する事が難しい故に堅気の商売とはみなされない。
味で売る商売であるお酒造りはもっと厳しくて、感度の高い舌の持ち主が、一口で酒質の劣化を
いい当ててしまうのである。造り手の気を一瞬で敏感に察してしまうのである。

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by munojiya | 2017-05-16 01:00 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-15 キムタクのタブー
キムタクといえば、今や「いじられタレント」の代名詞化している。良く言えばおいしい肴だ。
どんなに馬鹿にしても誰もそれに異存を唱える人がいないタレントという事である。
どんなにその欠点をあげつらっても誰もそれを制しようしないという事である。
それを褒める事がかえってそれを馬鹿にしていることにもなるというタレントの事である。

『この役はヤバい! 木村拓哉「無限の住人」主演で隠せなくなったタブーな部分とは』
典拠)。あの神聖不可侵のキムタクのタブーに迫るというのがツカミである。
大手映画配給会社の広報担当者が語る。「この作品の実写化自体は十分あり得る話なのですが、
木村さんが主演を引き受けたのは正直、意外でした。

私も原作のファンなのですぐ気づきましたが、木村さんが演じる万次はいつも雪駄を履いている
んですよ。『この役はヤバいんじゃないか』と、発表後、社内でもざわついていましたね」
(同)。さあ何がヤバいのか。なんでヤバいのか気になるのである。どうでもいい事なのに。
要するに、身を切らせる話題作りなのである。策士がメディアにお金をばらまいているのだろう。

メディアとはスポンサーからお金を頂いて「記事」をでっちあげるのお仕事だから、金主次第で
記事の内容はどうにでも変わるのである。白を黒にしちゃうことも可能なのである。
キムタクのタブーとは。欄外に引用。でもそれよりも、キムタクは足首に刺青がなかったっけ
金主の要請で「不味い」を「旨い」に変えたお酒の記事は一口呑めばその真偽は判るのである。

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「百聞は一見にしかず」とはお酒の事をいう諺みたいである。
その記事がいうキムタクのヤバいとはこれだという。
キムタクが雪駄を履くと何が問題なのか。「以前から都市伝説のように語られていますが、
木村さんには昔から『足元のタブー』があるんです。

公称身長176センチはウソで、いわゆるシークレットシューズを履いているのではという噂
です。[時代劇なのだから、高下駄というものがあるのでなんの問題もないではないか]
この噂のせいで、業界でも『上げ底できない履物や裸足の役』は木村さんには絶対に
キャスティングできないという共通認識がありました」[なのにそうなったのだからネタなのだ]

まことしやかに囁かれるキムタクの身長詐称疑惑。かつてなく「足元」に注目が集まる作品と
なりそうだ。(白川健一)Posted on 2015年10月10日』(典拠)。
白川健一さんほか各位の金主に忠実な人々の努力にもかかわらず、2017年4月26日に
封切られた映画「無限の住人」は空母信濃のように戦わずして大コケしてしまったのである。

そもそも、2015年にもうこういう記事が書かれていたのにもかかわらず、庵主がその映画の
事を知ったのは、封切後のことなのである。独善的にいうならば、そんな映画があることを誰も
知らなかったという事なのだ。知ってすぐ「無限の住人」の感想を検索したら好評なのである。
が、よく見たらそれは原作の漫画の評価だったのである。公開時期を間違えたのではないのか。

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by munojiya | 2017-05-15 00:04 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-05 10億1人目になりませんか
極上の月夜 10億人が泣いた衝撃の美少女パフォーマンス千手観音』(典拠)。
女はどうして踊りたがるのだろうか。
肉体を見せ物にすることを賤業と呼んで蔑視するのである。神に対する冒涜だからである。
女は好んで蔑視されることを選ぶのである。それを艶やかというのではあるが。

また女はどうして自分の肉体を飾りたがるのだろうか。
高価な宝石を身につけても、ご本人の価値はなにも高まらないというのに、である。
見せびらかすことを下品とするのが日本人の美意識である。中韓人とは異なるところである。
粗末な表地の着物の裏地に贅を尽くすのが日本人の美意識である。それを粋と呼ぶ。

分かる人だけが分かればいいという贅沢のことである。見える贅沢を下品と見るのである。
分かる人には分かるという連帯感のことである。分からない人を巻き込まない配慮なのである。
旨いお酒というのは、その連帯感をいうのである。
分かる人には分かる味わいのことである。分からない人はそれはそれでいいのである。

「あー、日本人に生まれてきて良かった」という思いががその合いの手である。
非日本人には分からないだろうが、という密かな優越感のことである。
日本人の矜持である。そういう事は口にはしないのが日本人の美意識である。
ね、分かるでしょうという密かな連帯感なのである。

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by munojiya | 2017-05-05 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-05 キムタクの映画がコケたという情報
SMAPという犯罪者集団で売るグループが解散してバックボーンがなくなった木村拓也が
主演した映画「無限の住人」がコケたという情報が流れている。木村拓哉、だった。
真実の報道なのか、ためにする報道なのか、それも宣伝なのか、庵主には判じ得ない。
庵主はそういう映画があるという事も知らなかったから、大方の人も知らないのではないか。

コケたというより、その映画が知られていないというのが真相なのではないのか。
広告は打ったというが、庵主は知らなかったからである。予告編を見ると結構良くできている。
それがクライマックスなのか、その一つ前に置かれたシーンなのか、300人をぶった切ると
いう場面の、殺される方がみんな青い着物を着ているという色設計が心地よいと庵主は感じた。

ならば、映画の評判はと思って「無限の住人 感想」で検索したら、それがコケたという話に
しては評判がいいのである。と、よく読んだら、原作の30巻に及ぶ漫画本の方の評判だった。
一言で言うと絵が本当に汚らしいです…… 要するに絵が雑過ぎて読みにくいです
許容範囲のレベルを超えているのでこの評価で…… また戦闘シーンも酷くつまらないですね

時代モノ作品としても魅力を何も感じませんでした』(典拠米2012/12/01)という感想
の直後に(前か)『作画のクオリティ。構図でいうと、ここまで完成度の高い作品は他にない。
拷問フェチの作者による、他では見られないような強烈な描写。』(同2011/07/04)
という感想がある不思議な漫画だ。辛口のお酒を旨いというか、不味いとするかの違いか。

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原作は19年掛けて、作者の成長とともに延々と続いた気の長い復讐漫画だという。
復讐心は馬鹿にされる感情だが、結構生き続けるための原動力になるのである。
少なくとも、漫画を描き続ける気力の淵源にはなるということである。
ただ、恨みを晴らすというのは、成就した時に夢がなくなってしまうというむなしさが伴う。

生きる意味を失ってしまうのである。そんなことで人生を棒に振ってしまってもいいか、という
事だが、多くの人はそんな事にでも情熱を傾けないと暇が余ってしょうがないという事である。
健全娯楽とは復讐心を伴わない時間つぷしの事なのである。凡人には自分の人生を自由に使い
こなせないのだ。逆か。自分に与えられた人生を生かすことができない人を凡人というのである。

才能がない人が凡人なのではないのである。凡人に徹しきれる人は非凡だからである。
原作はすでに完了しているという。作者の成長が楽しめる傑作だというのである。
しかしこの作品が傑作なのはだれた後の爆発力が素晴らしい。まるで蛹が蝶に孵化するかの
ような前準備としてくどさやだれた展開が続く様。

この作品を始めてみた時そして最終回にいたるまでこの作者は大きく様変わりした。
この作者は書いてて成長している。それゆえ良く成長の前段階としてだれた展開になる。最終巻
読んで、1巻を思い返すとこんな話を描ける人だったかな?と強く感じてしまう。
(典拠2013/03/23)。

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で、肝心の映画の出来はどうか。2016年11月11日の予言はこうである。『長編時代劇
エログロありバトル漫画として出来が秀逸。名作の域かと。内容含めてしっかり完結しているの
で、来年映画化予定(質量ともに実写化は困難で酷評の悪い予感しかないが)というタイミング
もあり、現在こそさらに薦められる作品。評価は「最高」に近い「とても良い」で。』。

お酒と同じで、下手な酒呑みはお酒を貶す。
上手な酒呑みはお酒を褒めて楽しむ。
そして賢い酒呑みはどうでも言いお酒には近寄らないといったところか。健全娯楽みたいである。

原作は知りませんでした。男性が好きそうなストーリー、演出だとおもいます。もちろん女性
が見ても。大スクリーンで観るべきエンターテイメントです。木村くんの殺陣も素晴らしい。
福士蒼汰くんも新境地開拓の作品になると思う。最後戦わないでと感情移入してしまった。海外
で評価されて、木村くんの代表作になる作品です。』(典拠)。なるほど。

昨日観てきたが、爽快感と興奮で朝方まで眠れず未だその興奮は続いている。
とにかく、木村拓哉は“万次”だった。納得と嬉しい驚きに満ちていた。配役は適材適所……
どれも魅力的だったが、何せ木村拓哉の臭い立つような貫禄とオーラに圧倒された。そして勿論、
殺し合いの殺陣も凄まじく良かった。

実写化する意味のある映画は殆どない見当たらないが、この「無限の住人」は、実写化する意味
も観る価値もある極めて稀な作品だと思った。
興行収入に関係なく、これは間違いなく「成功例」と言えるだろう。』(典拠)。ふ~む。
お酒同様、先入観なしに映画を楽しめる人は達人なのである。否定の人生では味がむなしいから。

以下、タイトルと一部抜き書きだけ。『体調が良い時に観て「疲れます/手塚治虫のどろろを
彷彿とさせるような肉体バラバラから再生の繰返し/出演者の血反吐を見るたびにめまいが
しました』、『どっかで見たような……』、『一番最後が「最後の最後のセリフが決め手。物語
のすべてを表している。」』、『結局なんだったの?』。疲労型の健全娯楽みたいな映画り様だ。

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by munojiya | 2017-05-05 00:01 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-02 BM伝「前史の抱きしめてTONIGHT」
なぜBMなのに田原俊彦なのか。
「見せる」を「魅せる」と書くことがある。
これはその魅せる歌である。

この運動量で生歌
今どきのアイドルじゃ絶対に無理』(同米)。
今これだけ口パクなしで
歌い踊れるアイドルがいない。やはり私の永遠にアイドルはトシちゃんだけだな~』(同米)。

もう二度と、トシちゃんみたいな歌って踊れるスーパーアイドルは、出てこないだろうね。
私の永遠のスーパーアイドル』(同米)。諦めることはない。すぅちゃんとゆいもあがいるのだ。
トシちゃんもいいけどバックダンサーの人も好き!』(同米)。
この歌が魅せるのは、歌とダンスの3人のバランスがいいからなのである。その絶妙な快感が。

その面白さを今に魅せてくれるのがBMなのである。3人でないと駄目なのだ。3人だから最強。
BMにハマる人なら、「抱きしめてTONIGHT」にもハマる筈である。
今ならユウツベに数多くの「抱きしめてTONIGHT」の録画があるがクセになるのである。
旨いお酒にハマってもクセになる。1杯ならず3杯呑むと非常にバランスがいいのである。

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「抱きしめてTONIGHT」はダンスがないとその魅力がなくなってしまう歌だ。
BMにゆいもあのダンスがなかったら、何かさびしく感じるのと同じである。
トシちゃんの後ろで踊っているのは木野正人と乃生佳之(めがねをかけている方)である。
ダンスのキレのよさと、トシちゃんの歌いながらもダンスがぴったり合うのは見事である。

すぅちゃんが、歌を唄いながらも、ゆいもあのダンスと同調しているのを見るのは驚異である。
下手なカメラマンは肝心のダンスの部分を撮り込めないのだ。歌い手をアップで撮ってしまう。
ビールから、アルコールを取り除いてしまうようなものである。何か物足りないのである。
庵主はそれを間抜けビールと揶揄しているが、BMからダンスを取ったらそれだろう。

今アップされている♪抱きしめてTONIGHTの動画では、一番のお気に入りです。
この歌番組の演出やカメラアングル…… とても良かったですよね。
上半身だけでなく、引きで全身を撮ったり、足元にズームしたり、シルエットでダンスの美しさ
を見せたり…… トシちゃんの魅力が存分に感じられて、好きでした。』(典拠米)。

こっちの映像の方がいいという人もいる。
この曲のテレビ放送ものは、この映像が一番いい。ザ・ベストテンは全身を映す映像が多いの
で、踊りもちゃんと全身を映してくれる。夜ヒットは上半身アップの映像が多いのでダメ。ま、
あれもあれでいいのだろうけど、この曲のように踊りを楽しむには向いてない。』(典拠米)。

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このバージョンが(3:21から)、ひときわダンスのキレがいい。
とりわけ4:53の3人の顔の位置と角度がピタリと決まるところなど観ていて気持ちがいい。
やっぱりこの赤い衣装でなくちゃ。
床に膝をつくところで微妙に振り付けがちょっと違っているバージョン全貌はこれがいい。

この曲の発売日は1988年だから、6年目のショーである。
ダンスもコクは出てきているが、当初の3人ときのトキメキはない。別の味になっているのだ。
「冬樹」がそれなのである。今も確固たるお酒ではあるが、当初のトキメキはないのである。

BMではベースギターのBOHが、3人と一緒に、ギターを弾きながらジャンプするのである。
ここではギターのギターの松川淳一郎がギターを弾きながら3人と同じステップを踏んでいる。
魅せるのである。
ジャンプしながら、あるいはダンスしながらギターが弾けるか、である。そんな器用な事が。

歌い方も当初よりは安定してよくなっているのではないか。『振りが違う……』(同前米)。
そして、この会場は、観客の女の子たち、というかお姉さん方の品がいい、というかファンに
落ち着きが感じられる。トキメキの会場の中にも節度が感じられて気持ちがいいのである。
この色気、世界レベル』(同前米)。そうきたか。

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by munojiya | 2017-05-02 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-03-19 「R28+」だ、という南鮮映画「お嬢さん」
「R18+」とは18禁映画のことである。表示は日本語で「18禁」と書いてほしいなぁ。
で、一説にこの映画は「R28+」だというのである。
すなわち、この映画は「28歳未満には刺激が強すぎる映画」だというのである。
その評判を聞いて庵主はさっそく日比谷のシネシャンテに出かけたのである。

南鮮映画「お嬢さん」である。
噂に違わぬ映画だった。
庵主は、南鮮製の商品で欲しいものがないが、どれも日本製の方がものがいいからであるが,
唯一、南鮮映画だけは贔屓にしているのである。面白いからである。

いや、贔屓にしている南鮮製品が、もとい、南鮮商品がもう一つあった。
「ヘイトビール」の「プライムドラフト/レギュラー」である。
ローソン100で111円(税税込)で売っている本ビールである。
新海誠のアニメを見た時に、「実写より美しい映画」だと言う褒め言葉がある。

で、この「お嬢さん」は、その新海誠のアニメより映像が美しいといえる映画なのである。
南鮮映画の実力に、いな、監督のパク・チャヌクの造形の見事さに感動を覚えるのである。
往年の黒澤明の映画を観ている時のようなワクワク感が味わえる。黒澤明にはない淫靡も。
原作の見つけ方が絶妙なのである。同監督の「オールド・ボーイ」が今なら只で観る事ができる

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この映画は詐欺師物なので、ネタバレ厳禁なのである。
楽しく騙されるための映画だからである。
劇場外では、今同様に詐欺師〈うそつき〉大集合の映画「アベ友疑獄」が公開中だが、そっちの
映画の方は果たして楽しく騙されて終わるかどうかは判らないのである。

いずれもキモ(核心)は“南鮮映画だ”ということなのだろう。
どちらも見物なのである。
こういう映画ねって把握するまでに時間がかかっちゃって乗れなかった
整理してからもう一回見たい

オールドボーイ的なものを期待しすぎた
画面はずっと綺麗』(典拠)。
「オールド・ボーイ的なもの」とは何を言っているか分からない。言葉不足なのである。
「もう一回見たい」という気持ちはよく分かる。庵主もうそだから、おっとそうだから。

新海誠のアニメが、その奇麗な画面を見ているだけでいやされるように、この「お嬢さん」の
画面も本当に奇麗なのである。
新海誠の風景は実写のトレースであるように、この映画の風景はアニメのトレースだったりして。
絵のような背景を観ているだけでも楽しめるのである。

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亀「脚本も原作である『荊の城』を全く知らんかったが、うまく日本と韓国の話に置き換えて
おる。脚色のうまさも本作の大きな魅力じゃな」
主「映画としてはケチのつけようがないよね。どのようなお話になっているかは、是非とも映画
を見て確認してほしい! 度肝を抜かれること間違いないし、楽しめるから!」』(典拠)。

見巧者〈みごうしゃ〉がそう言っているのだから観るにしくはない。
チャイナ人が、日本に来て、見て言うのである。
「日本人は恐ろしい」と。この「恐ろしい」は褒め言葉である。一目置くという意味である。
その伝で、「南鮮映画恐るべし」。観なきゃ損、という意味である。

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by munojiya | 2017-03-19 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-03-08 「神がかったタイミングの映画」という映画
いま公開されている「マン・ダウン」というアメリカ映画の事である。
庵主はこの呼び込み文句でその映画を観に行ったのである
まさに「政治的タテマエで戦場に派遣される悲劇」という本作の主題そのものであり、今公開
されるのは神がかったタイミングというほかない。

それにしても、こういう映画を見るとアメリカという国は、なんだか世界の貴重な実験台みたい
なものに思えてくる。大勢を殺し、殺されてきた彼らの未来は明るくないし、こうした戦争体質
を改めたとしてもすぐに社会の改善は望めないだろう。つくづく、こういう国にはなりたくない
と思う。まさに、アメリカのふり見てわがふり直せ、である。』(典拠)。

いつもながら、ストーリーが全然理解できなかった。すぐこんがらがってしまったのである。
ただ映像と字幕だけを目で追っていたのである。眠らずには見ていたという事である。
同類の感想をもった人がいて安心した。この映画、筋作りが下手くそ過ぎるようなのである。
言いたいテーマがあるのなら、ストレートに観客に分かるように撮らなきゃ。

テーマは立派な、すなわち能書きに力〈りき〉がはいっているお酒もあるが、出来上がったもの
が旨いお酒でないと何の意味もないのである。呑み手としては、であるか。
造り手としてはそれがさらなる飛躍のための一段階になっている事も考えられるが。
映画の肝は、最後の最後に出てくる三行の字幕で足りたのである。ここにはそれを書かないが。

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アフガニスタンへ旅立つ前、戦場での上官との会話、帰還後の映像が入れ替わり立ち替わり
映し出されます。
そのせいか、途中で結末が見えて来ました。
もっとストレートに描いて欲しかった気がします。

作品の最後に出て来る帰還兵たちのデータには驚きました。』(典拠)。
しかし、三つの時間軸が並行して進んでいくミステリアスな展開は良かった。結構頭を整理
しながら観ることを余儀なくされますが、観る者の頭を混乱させようという意図はなかなか
心憎かった。』(典拠)。

庵主はその感想を、観た人をPTSDにする映画だという皮肉だと受け取ったのである。
違う場面の映像が入れ替わり立ち代わり映し出されるのと、つまり、時系列が前後するのと、
それに食えて脳内幻想の場面が重なるものだから、観ていて何が何だが判らなくなったのである。
最後までついていけた人は偉い、と庵主は皮肉ではなくそう思うのである。

それで、ストーリーを確かめるために、観終わってから、観た人の感想を読んでみたら、みんな
やっぱりストーリーを理解することに難渋していた事を知って安心したのである。
最後の三行の一行目は「帰還兵20人に1人はPTSDである」、二行目が記憶に残ってなくて、
三行目はホームレスになる帰還兵が多いという事だった。←どうやら記憶違いだったようだ。

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でも自分だったら戦場の出来事より、帰還してからの家庭内の出来事の方がショック大きい
だろうな。そのまま家を飛び出してヤケになってホームレスにでもなるかもしれない。
典拠)とあるから、これは戦争映画というよりホームレス醸成映画なのかもしれない。
いやホームレスだから戦争にいけるのだから、帰って来たら元に戻ったという事ではないのか。

のっけからずーっと続く閉塞感。とにかく苦しい…… ひたすら息苦しい……
そして自分が目にしているものの正体を知ったとき
戦慄とも言えるほどの震えが
身体中を駆け巡って……

劇場を出た今も衝撃は止まらない。』(典拠)。
そういう後遺症は「PTSD」とはいわないのか。
同じ心にあとあとまで残る衝撃でもその場合は「感動」と呼ぶのか。忘れることができるから。
庵主は、映画のストーリーにおいてけぼりにされて、その感動を味わえなかったのである。

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「マン・ダウン」というのは、戦場に行く主人公が息子と交わした秘密の合い言葉である。
この映画で意味しているところは「愛している」ということである。
「マン・ダウン」という言葉自体は軍隊用語で仲間が倒れることだという。
映画の方はまさにマン・ダウンの映画である。人間の精神がぶっ壊れてしまう映画なのである。

主人公が戦場から帰ったら、アメリカの故郷はなぜが街が荒廃しているのである。幻覚らしい。
その理由が判らないので、なにがなにやらさっぱり判らないのだが、判らない情報を提供される
ことで、それを正しく組み立てようとすると混乱が膨らんで、人間は精神的に無理がくるという
話なのかもれない。実際に戦場に兵士を送っているアメリカならではの映画なのだろう。

庵主なら間違いなく見落としてしまう細部まできちんと整理でき見巧者であるるネタバレ評論家
でさえも、この映画の構成には音を上げたというのである。庵主が敵う映画ではなかったのだ。
ぶっちゃけ、前半部分は時系列がぐちゃぐちゃで「???」の連続。
ストーリーも一定のリズムなので、あくびが止まりませんでした。[中略]

時系列がめちゃくちゃなストーリー構成なので、初見は必ずパニくると思います。』(典拠)。
「衝撃のラスト7分46秒、あなたの心は“えぐられる”」。なるほど、確かに過剰広告
どころか適切な言葉といえる。』(典拠)。
その7分46秒というのは、ひょっとしてエンドロールが流れている時間のことじゃないのか。

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この人の感想が、この映画の核心をちゃんと見据えていて一番わかりやすかった。
戦争映画だと思って見ていたものだから何が何だがわからなくなってしまったのである。
これは人間の感情が崩壊していく映画だったのだ。
これは、つらい。感情に逃げ場がない。

事故とはいえ母子を殺してしまい、友人はその相手に殺されてしまい、でもその友人は自分を
裏切っていて、しかも裏切った相手は自分が守ろうとした人で、守ろうとした人だから責められ
なくて、そもそも自分には誰かを責める資格などない。
感情がぐるぐる回るばかりで、どこにも行けない。

自分もつらいときは、たった一人で荒野に立っているような気持ちになるけれど、あの荒廃した
街は主人公の心そのものなんだろうな。
壊れてしまった街。
元には戻らない廃墟。

やるせない。』(典拠ビヨンセ)。
戦場の場面は風景にすぎない。戦場で人殺しがあるのは当たり前の事だからである。そうでなく、
守らないければならないと思っていたものに裏切られたやるせなさがこの映画の核心だったのだ。
心の支えが折れてしまったのだ。人は虚構の支えがないと生きていけないのだ。「国〈もの〉」。

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戦場から戻るための術は
愛する人を抱きしめたい想い
アフガニスタンから生還した男の
狂おしいまでの愛の果て

あまりの切なさに
嗚咽をもぎ取られた
体に刻みこまれた記憶は深い
苦しみを伝えるには充分すぎる

多くを語るなかれ……
観れば解るという作品』(典拠emedia)。
もっと言えば、観なくても分かるという映画なのである。
だって帰還兵のPTSDの映画だからである。

戦場での兵士の行動を非難してもはじまらない。
誰だって、そんなところに武器を持たされて放りこまれたら同じ事をやらざるを得ないのである。
自分ができないことを他人に求めるのは傲慢か、無知か、馬鹿だということである。
なぜなら、そういう事が平然と起こる事態を戦争と呼ぶのだから。戦争は兵士の自己負担なのだ。

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by munojiya | 2017-03-08 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)