カテゴリ:余外篇( 513 )
2017-09-04 スター誕生
スター商売というのは、庵主のような神経が細い人間にはできない商売なのである。
もし、自分が「山崎郁三郎」だったなら、こういう指摘〈コメント〉に耐えられるか、である。
山崎育三郎を人気者にしようと東宝が頑張っているけど、所詮は小物だからなあ、歌も下手で
はないけど舞台で見ると魅力ないしなあ、なんで持ち上げるのかわからないけど』(典拠)。

人気者〈スター〉というのは、夢を見る商売なのかもしれないが、同時に、自分の現実を
思い知らされることになる商売なのである。
TVドラマの主役を張っているのに、その評価は『所詮は小物だからなあ、歌も下手ではない
けど舞台で見ると魅力ないしなあ』と言われて動揺しないか、ということである。

庵主ならだめである。そういうことに耐えられないのである。
自分が見ている鏡と、他人が見ている自分の姿とはそんなに違っているのかとがっかりして
しまうからである。人の言葉は心に刺さるのである。言葉という凶器に耐えられるか。
庵主は耐えられないのである。そういう凶器の言葉を「寸鉄」と言うのではあるが。

後に大スターになる人も、最初は小物なのである。ケチは見返してやるためにあるのである。
それが化けてスターになる。多くの人がその人に期待をすればスターの貫祿がつくのである。
お酒も最初は、呑んでもどおってことのない味わいだが、ときには搾った時が一番おいしかった
というお酒もあるが、旨いお酒は、そういうお酒が呑み手の期待に応えて化けたものなのである。

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庵主が初めてそのステマ記事で知った山崎育三郎という俳優はミュージカルスターなのか。
「育」の字を見るとつい、チョウセン人好みの漢字だなぁと思ってしまうのは、ネット中毒に
よって無意識に生じる前提条件を無検証で受け入れてしまったために起こる症状なのである。
ネット中毒というのは、ネットの嫌韓記事ばかり読んでいるとそうなるという事である。

前提条件の一。芸能界はチョウセン人が跋扈する、おっと活躍している世界である。
その世界での人気者なら、きっとそうなのだろうという邪推である。
前提条件の二。ジャニーズのタレントはみんな在日チョウセン人である。
そのジャニタレの重岡大毅と山崎育三郎はよく似ているといわれている、とされている。

ということは、その二人は同類なのだろうという推論である。
庵主の推論は杜撰で、結婚は同民族でするのが普通だから、チョウセン人の南果歩と結婚した
渡辺謙もやっぱりそうなのだろうと推論してしまうのである。
山崎育三郎主演のTVドラマはミュージカルが売りで、最終回は総勢50人で踊るという。

ミュージカルシーンというのは、夢見る物語の事である。
醜い、もしくは見たくもない現実を夢〈うそ〉で覆い尽くす唄って踊っての華麗な場面を映画で
はそう呼んでいる。本来の技法は、現実の見るに忍びない事柄を映像的に美しく表現して、その
現実をさりげなく晒すというものなのである。そのTVドラマにその現実は描かれているのか。

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by munojiya | 2017-09-04 04:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-08-24 BM伝「なにより楽しかった」
ロックといえば、庵主にとっては騒音音楽であり、
メタルに至って気違い音楽というのが庵主の認識である。
BMは、その気違い音楽の領域にあるのである。
ところが、そのライブはめちゃくちゃ楽しいというのである。

ネットで見ることのできる数多くの映像は、BMの核心を突いていない。
それは言うなれば絵に描いた餅にすぎないのである。
本物の餅のおいしさが味わえるのはそのライブなのだから。
BMの映像は、お酒の紹介記事を読んで呑んだ気になっているようなものなのである。浅い。

お酒の本当のうまさは際にお酒を口にしてみないて分からない。味わいは深いのである。
BMの本当の旨〈たのし〉さもそうなのである。
初めて吟醸酒を呑んだ人の感想が、初めてBMのライブを見た人の感想と似ている。
それを知らなかった事は『今までの人生を損してたもしれない』(典拠4:00)と思う所が。

BMにハマることを『キツネの穴に落ちていく』(同1:02)という。
『もうなんか、わけわかんね。
でも、音は凄かったし、なにより楽しかった。』(同5:50)。
旨いお酒も、なにより楽しいのである。BMを観た後にそれに劣らぬ旨いお酒が呑める幸せ。

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ついにここまできました』(典拠0:42)で泣けるのである。
悲しくて泣けるのではない。嬉しくて泣けるのである。涙しながら、笑いがこみあげてくる。
騙されたと思って、一度旨いお酒を呑んでみた方がいいように、
同様に、騙されたと思って、『みんな1回ライブ言ったほうがいいよ。』(同前2:22)。

初めてBABYMETAL見たけど
宗教だ。』(同前1:26)。キツネ教だから伏見稲荷みたいなものか。
さっきBABYMETALを観終えたんだけど、「とんでもないもんを観てしまった」って
感想しか出てこない。マジですげぇから、いやホント』(同前1:57)。

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by munojiya | 2017-08-24 00:05 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-08-01 日本映画のタブー「シベ超」
日本映画には、見てはいけない3本の映画というのがある。
一つは、橋本忍脚本・監督の「幻の湖」、二つ目は深作欣二監督の「宇宙からのメッセージ」、
そして、最後が知る人ぞ知るマイク水野監督の「シベリア趙特級」である。
佐藤純彌監督の「北京原人」は張出としておこう。

マイクミズノ監督というのは、原作・脚本・製作・監督・主演の水野晴夫の事である。
とにかく、観る前にその評判を聞いたら、ビビること間違いなしの映画である。
なのに、シリーズ化されてしまったという、「超ドB級映画」である。
いまや、それは「超Z級映画」とも呼ばれているのである。すなわち、神格化されているのだ。

いまではカルト映画と呼ばれ、下手に見ると麻薬性があるとされているのである。
噂の本作をようやく拝見。噂に違わぬ怪作でした。見ている私は何も悪くないはずなのに、
だんだん息苦しさを覚え、ひどく赤面し、終盤の「どんでん返し」に至ってはもう勘弁して
くださいと哀願したくなりました。

鑑賞に耐える作品をつくるというのはすごいことなんだなと、これまでボロクソに言ってきた
映画を思い出しつつ反省することしきりです。とはいえ「シベ超2」も機会があれば見てみたい
けど。』(典拠206)。数多くの映画の駄作・凡作・愚作に救いを与える映画だという。
見た後に、笑ってお酒が呑める映画なのである。一人では観ない方がいいかもしれないが。

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と、庵主はうっかりそれを見てしまったのである。
Gyao!が、今、只で配信しているものだから。
しかも、「シベリア超特急2」(このリンクは期間限定)までも。
「シベ超」にはさらに「3」もあるのだ。段々映画が上手になっていくのである。

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by munojiya | 2017-08-01 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-07-06 映画「女の賭場」
江波杏子の若いころの映画に「女賭博師」シリーズというのがある。
1966年に始まって1971年に終わった全17作をいう。もう半世紀も前の映画だ。
その最後の映画が「新女賭博師壺ぐれ肌」である。三隅研二監督が唯一女賭博師を撮った映画だ
ということで選んでそれを見に行ったのである。今角川シネマでやっているおとなの大映祭だ。

が、しかし、「新女賭博師壺ぐれ肌」は、これが三隅研二かという、期待外れの映画だった。
三隅研二ときたら、その光と影が美しい画面が堪能できるに違いないと期待するのである。
悪い酒ではないが、味のないお酒を呑んでいるような、不味いかといえば不味くはないが、
旨いかといえば旨くもないという困ったお酒みたいな映画だったのである。

が、しかし、がもう一つ。実はGyao!が「おとなの大映祭」を無料配信していたのである。
今は期間限定で女賭博師の第1作「女の賭場」が只で観る事ができる。色もちゃんと着いている。
それが、期待通りの大映映画だった。大映映画はこの照明でなくちゃという実に味のある画面が
次々に味わえる佳作である。ラストシーンのお寺の光と影などは余韻たっぷりの味わいである。

江波杏子がそうとは見えないぐらいに違って見える場面がいくつもある。その表情が一本の映画
の中で安定していないのだ。役の顔と地の顔が交錯しているといったらいいものか。でも奇麗。
悪役の渡辺文雄がいい。古い映画なので、レビューを探してみても殆ど見当たらなかった。
「女の賭場」のレビューではこれが白眉である。観る前には読まない方がいいかもしれないが。
 
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◎大変良く出来てますね。起承転結お見事でしっかりと造り込んでます。恐れ入谷の鬼子母神。
江波杏子姉さん、存在感ありますね。でも笑いません。クール・ビューティーって言葉が嵌り
ます。(昔はなかったかと)
登場人物の伏線もGOOD。弟に手を焼く姿は内藤やす子美人編。

顔立ち同様すっきりした作品に仕上がって見応え十分 あっぱれでした。』(典拠)。
まったくそのとおりの映画である。お酒同様、高い酒よりもこういう旨い映画の方がうれしい。
筋立てがいいのだ。そして、照明が美しい。開巻の渡辺文雄の啖呵の見事さと、それに呼応する
クライマックスの、一発の銃声だけでその最期を表現した演出の見事さにしびれるのである。

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by munojiya | 2017-07-06 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-07-05 増村保造監督の「女体」
庵主「亀泉〈きせん〉を小さいグラスでください」
お店の人「亀泉〈かめいずみ〉小グラスで1杯」。漢字が読めなかったのである。
庵主「11時から上映の女体〈にょたい)をシニア料金で1枚ください」
チケットカウンターの女係員「女体じょたいですね」。漢字が読めなかったのである。

長年日本人をやっていても、読めない漢字が少なくないのである。
その「女体」という映画は、浅丘ルリ子主演の大映映画なのである。
いま、新宿の角川シネマでやっている「おとなの大映祭」で見つけた映画である。
そういう映画があるとは知らなかった。本が池田一朗と増村保造。そして梓英子が出ている。

服を着ているより裸の方が魅力的な女がいる。服が似合わないのである。着物なら可なのに。
逆に、裸は貧弱で魅力がないけれど、服を着た方がずっと華やかになる女がいるのである。
どっちがいいかとなると、究極の選択問題である。一番いいのは抱き心地がいい女だろうが。
瓶は立派だがつまらない味のお酒と、味はスカスカだが香りは華やかなお酒ではどっちがマシか。

浅丘ルリ子は服を着た時にかっこいい女である。まるで女優みたいに見える。あ、女優か。
この映画で着ている数点の衣装はどれも今見てもそのセンスは古くなっていないのである。
しかし、当時の浅丘ルリ子の裸には、味も、そっけも、色気も、何にもないのである。
究極の選択の正解は第三の視点にあるように、庵主にとってはやっぱり梓英子なのである。

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増村保造監督が、池田一朗(後の隆慶一郎)とオリジナルシナリオを書いて撮った映画である。
増村保造は東大出の監督で、噺家とか映画監督は、なにも東大を出てまでやる商売ではないと
思うが、中にはそういうことをやる奇人もいるということである。
その奇人が惚れた浅丘ルリ子に、映画用語でいえば体当たりの演技をさせているのである。

その相手が、渋い岡田英次である。岸田今日子もその妻役で出ている。
堅物な生活を旨としてきた岡田英次を、浅丘ルリ子が奇矯な行動で翻弄するという映画である。
見ていると、浅丘ルリ子の火病タッチな振る舞いがチョウセン人に思えてきてならなかった。
その「自由奔放」な生き方に翻弄される岡田英次が日本人代表に見えてくるのである。

では、この話をどうやって落とすのか。終わらせるのか、観ていてワクワクする映画である。
すなわち、日本人はチョウセン人に対して最後はどう対処すればいいのかという事である。
地味な色の服を着ている岡田英次に対して、浅丘ルリ子の服は色彩豊かなのである。
カラー映画なのに、その服にだけ色が着いているかのように見える映画だった。

そういう日本人の手に負えない女との結末は、そうするしかないというものだった。
岡田はそういう女とは自らの意志で縁を断つのである。(ネタバレになるので1行省略)
その映画が出した結末は、日本人にとって、チョウセン人に対するもっとも賢明な結論である。
1969年に作られた映画だが、そうやって見ていたら、示唆にとんでいる映画だった。

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これは、何だかすごい映画だ。浅丘ルリ子演ずるエゴむき出しの女性が、映画全体に異様な
雰囲気を発散している。[中略]
とにかく浅丘ルリ子演ずるミチの欲望全開のパワー。「人間の欲望」は増村映画頻出のテーマで
あるが、それを極端な形にするとこういう映画になるのだろう。

ミチはいつでも自分に正直な人間。好きなったら相手の立場なんてお構いなし、会いたくなったら
会いに行くというストレートな発想。
[中略]
つまりミチは瞬間・瞬間の自分の本能に忠実な女性なのだ。

その徹底して深みのないキャラは爆笑必至(こんな人間いないよ!)だが、同時に他人との
コミュニケーションをてんで無視する姿は、理性を貴ぶ近代的人間像を超越した不気味さも
感じる。』(典拠)。その不気味さを、どこかで見ているような気がしませんか。
こんな人間いないよ』が本当にいるからゾッとするのである。チョウセン人である。

さらに続くのである。『増村監督、この時点ですでに巨匠的地位だっただろうに、こんな怪作を
作ってしまうなんて、一体どういう人なのだろう。好き嫌いが分れそうな内容だが、私は傑作
(ケッ作?)と評価します。』(同前)。出合えた人は大儲けの映画である事は確かだ。
「ケッ作」は「ケッセキ(朝鮮語)」に掛けた皮肉ではないだろうが。

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by munojiya | 2017-07-05 01:57 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-06-26 「ハクソー・リッジ」の戦場は吐きそうになる
今、「ハクソー・リッジ」という映画が公開されている。
庵主が親しく通っている居酒屋「前田亭」が85点という太鼓判を押した映画である。
前田亭とは、店主の目利きでいいお酒を揃えている居酒屋に準えた、映画紹介サイトである。
庵主がお酒を呑む時は、目利きの店主がいる居酒屋でご厄介になるのである。

そういう居酒屋なら、そのお店にあるどのお酒を呑んでもハズレはないからである。
そもそもそういうお店に行ったときは、最初から、「今夜は3杯だけ」と公言して、お店に
お酒を勧めてもらうのである。
そこに庵主が知っている好きな銘柄があっても、あえてそれを頼む事はしない。

そこにある庵主の知っている銘柄がそのとき一番旨い状態かどうかは判らないからである。
それが分かっているのはお店だからお店任せなのである。映画も、前田亭まかせなのである。
前田亭にはヒーロー物の映画もあるが、お酒でいえばそれは超辛口のお酒だから庵主は呑まない。
その前田亭が勧める最新の映画がメル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」である。

6月23日は沖縄戦終結記念日だというが、その日マスコミは海老蔵のかみさんのガン死を騒ぎ
立てていたらしい。くしくもその日に合わせるかのよう2017年6月24日に封切られたのが、
「ハクソー・リッジ」である。1945年5月の沖縄での日米の激戦が舞台の映画である。
英語に疎いので最初「ハキソー・リッジ」と読んでしまった。戦場場面は本当に吐きそうになる。

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「22年目の告白」という、藤原竜也が狂気の犯人を演じる映画があった。
その映画の予告篇がヒッカケなのだという。
予告篇を信じて観に行くと間違いなく騙されるという。庵主もそうだったのである。
「ハクソー・リッジ」の予告篇もそうなのである。これで騙されるという。

日本版トレイラーでは「感動の実話」みたいな煽り方』で、『客を油断させるような作りに
なっている。』(典拠)というのである。しかしこの映画がR-12の理由は観たら分かるのだ。
この映画は、戦場に負傷兵を求める狂気のキャラクターが主役なのだという。
一説には監督がドの付くマゾで監督からして狂っているとか。映画を観た人によるとこうである。

デズモンド[映画の主人公]という狂人を狂人として描いたまま、兵士たちの救いとなる戦場
の聖人としての側面も描き出すに至る。そしてあのラストだ。狂っているのは誰なのか。
デズモンドは聖者なのか狂人なのか。』(典拠)。
配役にまで気が回る映画の見達者なら、即ち注意深い人なら予告篇でもピンとくるのである。

主役の役者のキャラクターがなんとなくアブナイからである。
ハリウッド映画なのに、主人公がイケメンではなく、アブナイのである。
キラキラした瞳と妙に快活な態度。機嫌が悪くなったりしんどくなった時の上目遣いな目つき
など、目力だけで「こいつちょっとやばいな」という緊張感を表現しているのだ。』(典拠)。

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「ハクソー・リッジ」の主役はなぜ、アンドリュー・ガーフィールドだったのか。
頑固で敬虔なキリスト教徒でしかもコミュ障という役柄を、アンドリュー・ガーフィールドは
生々しく演じている。』(典拠)。
その表情を出せる故に選ばれた俳優なのだという。

コミュ障(コミュニケーション障害)は今は病気ということになっているが、昔なら気違いと
までは行かないが、その一歩手前と見られていた症状のことである。
ところで、自閉症が置かれている位置は、今はどうなっているのか。
それも今は病気だと認識している人が多くなって気違いとはされていない筈である。

ならば、アルコール依存症はどうか。
これも今では病気だということになっているようである。
コミュ障と自閉症は常時それだからなんとなく分かるものの、アルコール依存症は一見正常に
見える時間があるから困るのである。大体、家族以外は迷惑を感じない事が多いことにもよる。

家族にとっては、アルコール依存症はホント迷惑な「病気」なのである。
そんなものを引き起こした「麻薬〈アルコール〉販売人」を呪い殺してしまいたいのではないか。
本物の麻薬の販売人が許せないように、である。ところで、チョウセン人は一見正常に見えるが
中身は気違いだということが知られるようになってきた。こっちの方は本当に怖いのである。

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「ハクソー・リッジ」は映画の見達者である日本人にとってはこういう映画なのだという。
振り返ると、監督の演出はことごとく的確かつ挑発的で文句なし。あの戦争における知らな
かった史実にも圧倒された。
なにより大きかったのはこれまで自信を持っていた[筆者の]価値観を揺るがされた事だ。

これは認めたくはないが、たとえ脚色分を差っ引いても事実を前にしては反論の余地はないし、
そんなことをする意味もない。フィクションだろうが実話だろうが、凝り固まった固い頭を
ほぐし、新たな視点を提供していただいたものに対しては最大限の敬意を表する。大人の人間
なら当たり前のことである。』(典拠)。

前田亭がいう、その「自信を持っていた価値観を揺るがされた事実」と何なのか。
この映画はフィクションであるとはいえ、「ある事実」に基づいているという事なのである。
南鮮の歴史時代劇はその逆で事実と称してフィクションだから当てにならないのである。
友好を口にして擦り寄ってくる国でも、約束を守れない国は信用がおけない。

しかし、敵国であっても、「ある事実」を全うする国なら信用できるのである。
芯が信頼できるからである。共通の価値観というのは、そっちの方をいうのである。
アル中の親によってゆがめられた息子の話ともとれるし、人を戦場に放り込むような神に騙され、
パールハーバーで合衆国に騙されて地獄に落とされたアメリカ人の話ともとれる映画である。

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by munojiya | 2017-06-26 00:04 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-06-21 照明さんを敵にまわしてはいけない
余外篇である。
読むだけ無駄である。
見ると目の毒である。
夢が壊れるからである。時のいたずらではあるが。

斉藤由貴が若く見えるというのである。
斉藤由貴が意外とマシ
照明のおかげかもしれんが』(典拠3:55)。
中山美穂が広瀬すずの未来像に似ているともいう(同2:30)。なるほど。

映画の撮影現場では、女優は照明さんとだけは喧嘩をしてはいけないといわれている。
喧嘩をすると大変なことになるからである。
好かれると、いくつになってもこの斉藤由貴のように綺麗に照明を当ててもらえるが、
そうでないときの光景は想像にかたくないのである。

きちんと照明さんの仕事があればそうはならなかたのだろうが、人の気持ちを知るわけもない
太陽光のベタな照明の下ではさすがの石田ゆり子もこうなってしまうのだという(同3:29)。
白日の下にさらされるのである。
美辞麗句で宣伝してもまずいお酒は、頭ではなく体という白日が真実をさらしてくれるのである。

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by munojiya | 2017-06-21 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-06-14 この映画が面白そう「22年目の告白」
藤原竜也という俳優は、狂気の悪役を演じたら他を寄せつけない俳優である。
日本映画が生んだ新悪役像の権化である。
これまでの日本映画の悪役は民衆の感情に根ざした悪役だった。
日本人なら、誰が見てもこいつは許せないという犯人像だったのである。

まだ、日本人なら、その心情を理解する事ができたのである。
しかし、新悪役はそうはいかない。
これまでの日本人には理解できない犯人なのである。
逆に犯人を非難するどころか、逆にもてはやす人が出る始末なのである。

新悪役像のキャラクターは、いうならば、チョウセン人のそれなのである。
日本人には理解できるわけがないのである。そんなみっともない犯人の心情なんか。
だから、映画としては物珍しいものが見れるという好奇心をくすぐるから面白いのである。
過去の日本人を引きずっていないからその違和感は科楽特奏隊に似ているのである。

お酒も過去を継承していない酒は目新しいけれども、やっぱりつまらないのである。
その藤原竜也の新作が「22年目の告白-私が殺人犯です-」だという。出来がよさそうである。
評判はいい。『どんでん返し系の映画好きだから、この映画かなり見応えあった。』(典拠)。
ということは真犯人は藤原竜也ではないという事である。心地よく騙されてみたくなるのである。

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そうそう、まずこれだけは伝えねば。
なんか割とポップに宣伝されていますが、この映画結構精神的に来ます。
終盤みてて苦しくなります。
ですので、軽い気持ちで行くの禁止。ある程度の覚悟を持って見に行ってください。』(典拠)。

裏の裏の裏をかかれ、結局騙され、知らぬ間にのめり込んでしまいました。
確かに、物語前半から飛ばしていて違和感があったが(ネタバレになりそうなので控えます)。
まさに、こんな展開ファンタッスティク。また、予告の使い方が秀逸だと感じた。先入観を植え
付けられるとはこういうことか。

普段、邦画はほとんど見ませんが、この映画はよく考えられた構成で日本らしいといえば日本
らしい映画だと思いました。こんなのコナン君でも解けるかどうか。
アクション厨の自分には新鮮な映画でした。』(典拠)。
予告に騙されてた。気分が良い。』(典拠)。その予告篇である。

仮に 実は真犯人コイツでした〜ってなっても最早驚かない役者陣。』(典拠)。
という手がかりから、役者の顔ぶれを見て「真犯人」を予想すると、大穴は「悪の教典」でも
サイコパスの犯人をやった伊藤英明か。一番怪しくない仲村トオルもちょっと臭うのである。
ならば藤原竜也が犯人の代役を演じる利益は何だったのか。やっぱり観に行かなきゃ。

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by munojiya | 2017-06-14 00:02 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-25 あれ「無限の住人」は無限の彼方へ
2017年5月20日(土)から5月21日(日)の週末映画興行成績(興行通信社)である。
1位はディズニーの「美女と野獣」で売上げも上々だという。興行収入が100億円を突破する
勢いの大ヒットだという。この映画は世界的にヒットしているという。
庵主は全然触手が動かないのである。世界の動きから取り残されているようである。

2位はアニメの「コナン君」だという。庵主は予告篇しか見たことがないが、人気があるようだ。
題名は「名探偵コナンから紅の恋歌(ラブレター)」である。「紅の」か「唐紅」なのか判らん。
発動城で3位になったのが人気コミックの実写映画の「ピーチガール」だという。
週末2日間で動員12万人、興収1億4300万円を記録したという。
ちなみに「美女と野獣」は動員30万7067人、興収4億3456万円である。

初登場で3位の「ピーチガール」はこんな感じだという。
ギャル風な見た目で誤解されやすい女子高生“もも”を山本美月、そのももが中学時代から
好意を寄せる“とーじ”を真剣佑、ももに興味を持つ学校の人気者・浬[読めない]を伊野尾慧
が演じ、10代を中心に熱い支持を集めているようす。』(典拠)。

「とーじ」ときたら「杜氏」という字を思い浮かべてしまうのは庵主のサガゆえにである。
で、キムタクの鳴り物入り映画「無限の住人」は10位の中に入っていないのである。
無限の彼方に消えていったみたいである。
コンピタの発達で興収の集計が速くなったのだろう。不入り映画には辛い時代になったのである。

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by munojiya | 2017-05-25 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2017-05-16 BM伝「笑い話・両サイドに抜かれる」
関係者なら「両サイドに抜かれる」で分かってしまうのである。
今、大変なことが起こりつつあるということが。
顔が小さくて、足が長い三人娘のことである。
この動画を見たら吹き出してしまった。

しばらく見ないうちに大変なことになっていたのである。
業界では、タレントの老化現象のことを「劣化」と呼ぶのである。
しかし、これを「劣化」と呼んでいいものか。
背が伸びるのは自然現象ではあるが、その自然現象をしてはいけないのが業界の掟なのだ。

自然現象に逆らうために、少なからずの努力をしているタレントも多いのである
顔で売る商売の弱みがそこに集中してしまうのである。
ファンを絶句させてしまうからである。
顔で売る商売と言えばヤクザもそうである。タレントもヤクザも人気商売なのだ。

肉体から発する人気という気を売っているのである。自分の肉体を売るという点では売春婦と
同じであり、また人気を長く維持する事が難しい故に堅気の商売とはみなされない。
味で売る商売であるお酒造りはもっと厳しくて、感度の高い舌の持ち主が、一口で酒質の劣化を
いい当ててしまうのである。造り手の気を一瞬で敏感に察してしまうのである。

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by munojiya | 2017-05-16 01:00 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)