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番外編・パソコンの使い方
これは素面(しらふ)で書いていることである。
パソコンを使っている人なら
泣きを見ないためにも
参考にしてほしい。

パソコンを使うときに何が肝心かというと
一にバックアップ、
二にインターネット、
三にセキュリティ、である。

パソコンはいつ壊れるかわからないということである。
ハードは大丈夫でも
OS(オペレーション システム)が起動しなくなることもある。
HDDも寿命があって4~5年とみたほうがいいという説を聞く。

パソコンが動かなくなって
一番困ることは
データーが読み出せなくなることである。
だからバックアップの重要性は強調しても過ぎることはないのである。

いろいろなソフトウェアのプログラムは
あとからインストールすればこと足りるが
そのソフトウェアで作った個人のデーターは
バックアップを取っておかなかったら再生することができないということである。

庵主のパソコンがそうだった。
LRNボードを増設したら
ウインドウズMeが起動しなくなったのである。
セーフモードで起動しても駄目だった。

リカバリーするしかないのだが、
そこであわててリカバリーしたのでは
まだHDDに残っているデーターが消えてしまう。
まずそれを取り出してからリカバリーしなければならない。

ただしこれは自分ではできない。
データー復元をやってくれるところに依頼することになる。
データーはちゃんと中に残っているのにただ読み出すことができなくなったHDDから
そのデーターをDVDか別のHDDにコピーしてもらうのである。

データー復元は
福井県鯖江市にある合資会社エムディエスに頼むといい。
ここが庵主の知っている限り一番費用が安いからである。
庵主の30GBのHDDのデーターを28000円で取り出してくれた。

もしそれができなかったら、
ここ数年来に作ったワープロの文章がすべて消えてしまうところだった
ぞっとしたものである。
そうなったら記憶喪失と同じである。

エムディエスのホームページを見るとはっきり書いてある。
データーの復元は不可能ではないが日頃のバックアップが大切ですと書いてある。
鯖江には「梵」(ぼん)を醸す加藤吉平商店がある。
鯖江はいい仕事をする町であると庵主は二、三の印象から思うのである。

パソコンを使うときに一番心しなければならないことは
バックアップの体制を整えてから使えということである。
そしていまのパソコンはインターネットが使えないと役に立たない。
高速回線のネット環境を導入することである。

もう一つ忘れていけないのは
セキュリティーである
ウィルス対策であり、個人情報対策をおろそかにしないことである。
そういう肝心なことをパソコンの取扱説明書に、最初にしっかり書いてほしいのだが。
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by munojiya | 2005-09-30 00:37 | Trackback | Comments(0)
番外編・娘通信るんるん体
ブログやホームページの文章の読みやすい書き方ということである。
紙に印刷された文章とちがって
画面で見る文章は読みにくいのである。
だからそれを読ませる工夫が必要だということである。

人に読んでもらうためにというよりも
庵主がいろいろなホームページやブログを読むときに
もっと読みやすくしてくれという
切なる願いなのである。

一般的には
画面で読ませる時には長い文章は書くなということである。
そして、ちゃんと行間をあけろということである。
さらに、段落を短くして段落ごとに1行あけるということである。

加えて、
一行の幅を広くとるなということである。
画面の左右いっぱいにひろがっている文章は読みにくい。
それがさらに横スクロールしていたら庵主ならそれを見ただけで読むのをやめてしまう。

本に書くのとは違って
だらだら長い文章は書かないほうがいい。
本ならばそれを読んでいる時間もまた文章であるが、
ディスプレイ上の長い文章は目にとって苦痛でしかないからである。

このブログのような読んでも読まなくてもどうでもいい文章ならともかく
何かの主張をしてその同意を求めたいという文章を書くというのなら
結論を先に持ってきた方がいいと思う。
長い文章をディスプレイで読んでいると確実に疲れてくるからである。

庵主の場合
このブログを書き続けるために採用したのがこのスタイルである。
ひとつには読みやすさを求めた。
そしてもうひとつに書きやすさを求めたからである。

このブログの初期の書き方は一つの段落がもっと長かったが、
それを思いきって短くしたのである。
その参考としたのが
「娘通信」という人気ブログの文体だった。

文体が軽いのである。
すっと読めてしまう。
それでいて中身は重い。
そして読みごたえがある。

そのスタイルを真似したのである。
一行が短い。
それをたたみかけるように書いて
興味をぐいぐいと引っ張っていく。

で、最後まで読めてしまう。
そのテクニックにあこがれたである。
むかし、椎名誠などが書く文体が
昭和軽薄体とよばれていたことがある。

そこでそのブログで使われていた文体を
庵主は「娘通信るんるん体」と名付けたのである。
同じ「るんるん体」でも、このブログでは少しスタイルが異なっている。
4行ごとに切ったスタイルは庵主に合わせたものだからである。

このスタイルだと
お酒を呑んで酔っぱらっていてもスイスイ書けてしまうのである。
ならば「むの字屋酔酔(すいすい)体」と呼んだがいいかもしない。
だからそれを読む人は酔っぱらっている文章だと覚悟して読んでほしいのである。
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by munojiya | 2005-09-29 00:34 | Trackback | Comments(0)
お知らせ
パソコン故障のため、9月28日から1週間ほど休載します。
休載期間の記事は復旧後にまとめて掲載します。
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by munojiya | 2005-09-28 13:22 | Trackback | Comments(1)
清酒「む」
「むの字屋」の屋号については
ホームページにその由来を書いてある。
「むの字屋」は今のところはインターネット上では本邦唯一みたいで
検索サイトで一発で出てくる。

その「むの字屋」にありがたくも
ファンがいて
このたびは
結構なお酒を頂戴したのである。

うれしいことに、
清酒「む」である。
庵主の苗字と同じ日本酒はあるが、
「む」の字のお酒があるとは知らなかった。

精米歩合50%のそのお酒は
アルコール度数が13度~14度と低めに調整してある。
呑んでみると酒くさい。
熟成が進んでいるからである。

製造年月日を見ると
17.3とある。
3月に詰めてから半年を経ている。
どうやら常温で酒屋の棚に置かれていたようである。

きちんと低温で保管してあったなら
すっきりした味わいが楽しめたろうと思われる酒だった。
もったいないことをした。
日本酒は温度管理が命なのである。

お酒は愛知の「四海王」(しかいおう)の「む」である。
いまはインターネットで
容易に情報を取ることができるようになった。
パソコンがあるとなにかと重宝なのである。

カタログには「命名依頼の酒」とあるから
どなたかが無理をいって蔵元に付けてもらった酒銘らしい。
それ以上のことはわからなかった。
無理をいったの「む」なのか、おいしく呑むの「む」なのか、「む」なのである。

「アルコール度数を若干低くし、
数ヶ月貯蔵して味わいを豊かにして出荷している吟醸酒です」という。
さらに「女性向けの香りのやさしい吟醸酒」ともある。
庵主は女子供には酒は呑ませるなという考えの持ち主である。

だから、なにもわざわざ女に酒を飲ませることはないと思うし、
酒を飲む癖をもっていない人に飲酒を勧めるのはよくないと考える。
そして、ことさら「女性向け」という度数を下げたお酒に
疑問を持っているのである。

だいたい、お酒の好きな女の子は
中途半端なアルコール度数のお酒は好まないからである。
呑みやすい酒よりも
うまいお酒を好むということである。

じつは、
庵主は、
女の子が呑んでうまいというお酒を聞いてはその酒を追いかけているのである。
女の子はうまいまずいをはっきり言うからである。

そしてうまいといっている酒を見ると度数を下げて呑みやすくしたお酒ではなく、
度数もしっかりしている本当にうまい酒であることが多い。
よく磨いた上で呑みやすさを求めた「む」のコンセプト(商魂)は悪くはないから、
あらためてしっかり温度管理された「む」を味わってみたいものである。
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by munojiya | 2005-09-27 00:21 | Trackback | Comments(0)
飲むことが目的でない酒
飲むことが目的でない酒があるという。
酒は飲むためのものだから
飲まない酒なんて無意味じゃないかと思ってはいけない。
ここで言う酒というのは液体のそれではなく、場としての酒のことである。

レストランのお酒は呑むためのものではないという。
ではなんのためにあの値段の高いワインが用意されているのか。
お店の売上に貢献するためだなどと考えてはいけない。
それは料理と料理の間をうめるためのおしゃれな小道具なのである。

レストランを飯を食うところと考えていけない。
それは食事を楽しむ場なのである。
空腹を満たすためだけなら、
そんなにお金をかけなくてもできるではないか。

一つの皿が下げられて次の皿が出てくるまでの
何もないテーブルの空間を豊かにしてくれるのがワインなのである。
赤ワインならまずテーブルの上に照らし出されるワインの色がいい。
それだけでもテーブルはロマンチックになるのである。

ワインが他の飲み物と違ってレストランという場にふさわしいところは
時間の経過による味わいの変化が楽しめる飲み物だからという。
ビールやコーヒーなどは
はじめはうまいが時間がたつと最初のうまさがなくなってしまう飲み物である。

その点、
ワインは時間の経過とともに味の表情が変わるから
いつまでも味わいが楽しめるので時間つぶしにふさわしい飲み物なのである。
いやそこになくてはならない飲み物なのである。

料理を楽しみ、そして次の皿が出てくるまでの時の流れまでも楽しませてくれるのが
ワインというわけである。
日本酒も、
そういう点では重宝な酒である。

一般的に
日本酒を冷や(常温)で頼むと
それまで冷蔵庫の中に冷やしてあったお酒を
徳利や片口にいれたものが出てくる。

その段階では冷えすぎなのである。
冷えているお酒は口当たりがいいからうまく感じるものである。
そして少しずつ酒温が上がっていくことでお酒の味わいが変わっていくのがわかる。
だんだんそのお酒の本来のおいしさが出てくるようになる。

冷えているときには隠れていた味わいが表に出てくるのである。
一粒で二度おいしいキャラメルではないが、
時間をおくことで一つのお酒で二つの味わいとそのうつろいが楽しめるのである。
そういう日本酒もまた時間の流れが楽しめる優雅な酒なのである。

しかし、酒が呑めない人はではどうすればいいのか。
なにもないテーブルの上をさびしく見つめているだけなのか。
そういうときはガス水を頼むといいという。 
炭酸ガス入りのミネラルウォーターである。

ところが
実際にそれを頼んでみたがちっともうまくないのである。
というよりガス水を呑んでいても楽しくならないのである。
酒が呑めない人にとってはレストランは鬼門のようである。

そしてまた
750ML瓶のワインが出てきたら
そんなに呑めない庵主のような人はどうすればいいのか。
全部呑むまでもなく残ったワインはお店に置いてくればいいのだそうである。
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by munojiya | 2005-09-26 00:08 | Trackback | Comments(0)
「杜氏潤平」
日本酒なら
「波瀬正吉」(はせ・しょうきち)とか「中三郎」(なか・さぶろう)とつける。
中には名前だけで「忠義」(ただよし)としている場合もある。
杜氏が自信をもって世に問うお酒につける酒銘である。

「杜氏潤平」(とうじ じゅんぺい)は芋焼酎である。
氷を入れて呑んでみる。
いわゆるオンザロックである。
もちろん量は呑まない。

庵主は
焼酎は芋である。
米とか麦とか蕎麦とかがあるがやっぱり芋である。
では芋焼酎がうまいかと問われたら躊躇わず首を横にふる。

庵主はこれまで焼酎を呑んでうまいと思ったことがない。
日本酒はわかる。
うまいお酒を呑むと体が喜ぶからである。
日本酒のうまさは体が納得するうまさなのである。

それに対して
庵主の場合、焼酎のうまさは頭で感じるうまさである。
庵主がこれまで焼酎をうまいと書いたものは
頭の中で味わっていたにすぎない。

「杜氏潤平」はどうかというと
これはうまい芋焼酎である。
もちろん、これも頭の中で味わっているのだが。
「杜氏潤平」には気品がただよっているのである。

日本酒には
そばにあるだけではんなりとした気品が感じられるお酒がある。
それはお酒を呑むというより気品を口にふくむという豊かさを感じるお酒である。
ブランデーとかウイスキーにもそれはあるだろう。

焼酎の場合はすっきりしすぎてその感じを覚えることがない。
日本酒に比べると味に立体感がないような感じがする。
もっとも庵主はあまり焼酎を呑まないから
まだそういう焼酎に出会ったことがないだけなのかもしれないが。

しかし「杜氏潤平」にはただよう気品が感じられるのである。
オンザロックグラスに
小振りの氷が浮かんでいる。
焼酎の表面に輝きのオーラを感じるのである。

いつもの芋焼酎だろうと思って口にしてみる。
本当かどうかはわらかないが
芋焼酎は目をつぶって呑んだら
銘柄の違いがよくわからないという話をきいたことがある。

庵主もわからないから
他の人もそうだったのかと安心したことがある。
違いがないということはないだろうが
低圧蒸留で丁寧に造った焼酎なら同じようにきれいな味になるからなのだろう。

「杜氏潤平」の芋焼酎の味わいは美しい。
おもわずうまいと思ってしまう。
言葉があれば、フルーティーな香りがあって、木の実の香りも感じるのだろうが
それを知らない庵主にはそのすべてのトキメキをいう言葉がうまいだったのである。

お酒に輝きがあるということである。
杜氏潤平は麦焼酎も造っている。
そのしっとり舌に絡んでくる苦みともいえる麦の味わいも個性的である。
「兼八」(かねはち)の焦げたような麦の香りの方が庵主には呑みやすいが。
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by munojiya | 2005-09-25 00:32 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
気のせいじゃ
ラジオで聞いた話である。
漫才師の島田洋七は
子どもの頃
貧乏なおばあちゃんの所に預けられて暮らしていたという。

赤貧のおばあちゃんではあったが
めげない人だったという。
ある日、学校から帰ってきた洋七が
「ばあちゃん、腹減った」と言ったときのおばあちゃんの返事がすごい。

「気のせいじゃ」。
洋七は納得させられたという。
ただ、お腹はグーとなっていたことだろう。
とはいえ、この言葉は役に立つ。

酒が飲みたいと思うときがある。
庵主はうまいお酒でないと呑めないから
酒ならなんでもいうというわけにはいかない。
呑めるお酒がないところでその気が起きたら大変である。

酒は呑みたい、が、その酒がない。
だいたい、そのとき呑みたいと頭に描いているお酒が
「松の司」だとか「天保正一」だったりしたら
そのお酒がすぐ出てくるわけがない。

そうはわかっていても
一度心に思い浮かべたお酒は
その酒でないとだめなのである。
同じランクのいいお酒であってもだめなのである。

蘭光生を読みたいと思ったときに
似たようなものだから
宇野鴻一郎とか団鬼六でいいじゃないかといわれても
それでは満たされないのと同じである。

同じお酒といってもその味わいは全然違うからである。
その違いがわからないようだったら庵主は酒を呑まないだろう。
そのとき呑みたいと思ったお酒というのは
庵主の直感が求めたその瞬間に最善のお酒なのである。

直感というのは
経験的事実の積み重ねによる客観的即断
のことである。
いろいろなお酒があることを知らないときは幸せだったのである。

お酒といえば「千歳鶴」だったり、「北の誉」だったり、「菊正宗」だからである。
選ぶまでもないからである。
しかもそれらのいいランクのうまいお酒を呑んだことがなかったから
お酒といえばそういう味のものだとばかり思っていたのである。

しかし、日本酒の世界にはそれとは違う世界があることを知ったのである。
それまでのお酒がグレースケール(白黒の世界)だとしたら、
いま庵主が呑んでいるお酒の世界はカラーの世界である。
そして突然そのうちの一つの色が庵主の心を染めることがある。

そのときにその色が、すなわち呑みたいお酒がないからといって
替わりの酒が呑めるかというとそうはいかない。
心の中はすっかりその色に染まっているからもう諦めるしかないのである。
そのときにおばあちゃんの智恵が使える。

「あー、うまい酒が呑みたい」
「気のせいじゃ」
たしかにうまいお酒は庵主の心の中にあるのだから
それは気のせいなのである。
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by munojiya | 2005-09-24 00:48 | Trackback | Comments(0)
リースリング
季節の変わり目である。
庵主の場合はいつもなら生ビールから日本酒に切り換える季節なのだが、
いま、日本酒を呑むと、その甘さが気になってしょうがないのである。
そこで酸味がうまい白ワインを飲んで後味を整えている。

そのときのワインがリースリングである。
馬鹿の一つ覚えで、庵主の場合、ワインはリースリングなのである。
たまたまはいったワインの試飲会がドイツワインのそれで、
リースリング種の葡萄で造ったというワインの香りの虜になってしまったのである。

香りがきらめいていた。
華やかなのである。
甘美な香りなのである。
そのワインが美人に見えたのである。

それからは
寝ては夢起きてはうつつ、ワインはリースリングである。
その甘い味わいと、きれいな香りと
白ワイン特有の明確な酸味のうまさにはまってしまったのである。

季節の変わり目を
男の心変わりで知った女の歌があったが、
庵主が日本酒の甘さが気になるようになったということは
体質の変わり目なのかもしれない。

よく聞くように
それまで日本酒に親しんでいた人が
焼酎に向かうということは、
体質が変わって求めるうまさが違ってきたということなのだろう。

昔から厄年という言葉があるが、
人間の一生には周期的な体調の変化があるようである。
年をとるとともに
体質も変わっていくのだろう。

少なくとも
年をとると食べ物の量が食べられなくなる。
食べ過ぎるとかえって体によくない。
そしてまずい物を食べると途端に体調が悪くなる。

うまい物を控えめに食べるというのが年寄りの健康法である。
うまいお酒をちょっとだけという庵主の酒の呑み方は
そういう点では
ぐっと大人の呑み方だったというわけである。

日本酒なら
庵主が呑むお酒は四合瓶で1600円のものである。
それより高ければ贅沢なお酒だし
安くてうまかったらお買い得なお酒ということになる。

ところがワインの値段は
飲めるワインが750MLなら2000円台で
1000円台で飲めるワインはお買い得と言った感じである。
安心して買えるのは3000円台であって日本酒の倍なのである。

いま飲んでいるのは1500円の「ドクターローゼン リースリング」である。
そこそこのうまさがあるが、
2037円の「ユルツィガー ヴェルツガルデン」(丸写しです)よりは
確かに格下であることがワインにさほど親しんでいない庵主にもわかる。

もっとも近くのコンビニで買った950円の「モーゼル ザール ルーヴァー」が
飲んだあとにもっとうまいのを飲みたくなるリースリングなのに比べたら
これだけで満足できるからいいワインなのである。
低価格帯の酒のうまさはまさに値段に比例しているということである。
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by munojiya | 2005-09-23 00:06 | うまいお酒あります | Trackback | Comments(0)
ウオトカ
ウオッカとか、ウオツカとか
はたまたウオトカと表記されるお酒のことである。
魚柄(うおつか)と書く人もいる。
ほとんど無味無臭の焼酎である。

鈴木宗男(すずき・むねお)代議士といっしょに国策捜査で逮捕された
外務省職員の佐藤優(さとう・まさる)氏は
ロシア事情に通じている外交官(現在は休職中)で
ロシア語が堪能なその人は著書でウオトカと書いていたのでウオトカとする。

焼酎と書くと
日本の「森伊蔵」とか「富乃宝山」などの味わいを思い浮かべるが、
ここでは蒸留酒という意味で使っている。
アルコール度数が20%を越える酒のことである。

日本酒などの醸造酒の繊細な味わいと違って
蒸留酒には
アルコール依存症につながる
てっとりばやく酔っぱらうための実用アルコールといった印象が庵主にはある。

そういう酒を飲む人は
アルコールの毒効に体が蝕まれている
依存症患者にちがいないと
どうしても見下した気持がぬぐえないのである。

というのも
庵主の子どもの頃の焼酎のイメージがそれだったからである。
焼酎は肉体労働をしている貧乏人が飲む安い酒だという
イメージのことである。

三つ子の魂百までというが、
子供の頃に刷り込まれたイメージは
大きくなっても
理性だけではそれをぬぐうことができないということである。

だから
ウオトカと聞くと
生活にうらぶれた貧乏なロシア人が自堕落に
それを呷っている光景が庵主の脳裏に浮かんでくるのである。

高アルコールの酒が下品な酒で、
低アルコールの酒が上品な酒かというとそうでもない。
ビールなどは下層労働者の飲み物というイメージなのである。
高アルコールでもブランディーと聞くとなんとなく高級感がただよってくるのである。

酒に上下はなく、
ただ飲んだときにうまいかどうかがあるだけだとはわかっているが
それらの酒がもっているイメージというのは
庵主が生きてきた時代の反映なのだろう。

だから「ジョニーウォーカー」の黒ラベルと聞くと
庵主は零落という言葉を思い浮かべてしまう。
かつてそのウイスキーは超高級酒として羽振りがよかったのを
知っているからである。

今日の焼酎ブームから焼酎に入った人は
それは日本が世界に誇る洗練された酒として
ハイクウォリティー(高級品)なイメージを懐いていることだろう。
時代が変わると酒に対するイメージも異なるということである。

ウオトカ、ラム、テキーラ、焼酎と
いたずらにアルコールで体をいためる酒は
いま全世界的にいじめられている煙草のあとには
健康マニアの正義に満ちた人たちから槍玉にあげられるのだろう。
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by munojiya | 2005-09-22 00:14 | Trackback | Comments(1)
あと一ふんばり
「辛い」をあと一頑張りすると「幸せ」に転ずる。
そう書いてあるのを読んで
なるほど
辛と幸は一画の違いだと初めて気がついた。

世の中にはうまいことを考える人がいるものだ。
一の字と書いて何と解く。
お寺の小僧さんと解く、というのがあった。
その心は、辛抱すれば住持になる、というのである。

一の字に縦棒(心棒)を書き加えると
十の字になる、十字になる、住持になるというわけである。
一の字が上にあれば下になり、
下にあれば上になるものなんだ、というのもある。

カタカナのトの字である。
なるほどである。
よくそういうところに気がつくものだと
感心する。

酒銘によくあるナントカ正宗の正宗(まさむね=セイシュウ)は
清酒(セイシュ)に掛けたという。
この辺になると
語呂合わせである。

庵主などは
三倍醸造酒のことを孫悟空と呼んでいる。
三増酒の三増を三蔵法師の三蔵にかけたのである。
そのお供の孫悟空である。

辛口のお酒というのがある。
この定義が
どうやら
一人一人の呑み手によって異なっているようなのである。

お店にやってくる客は
「辛口の酒」と注文することが多いという。
そこで辛口のお酒を出したら
「甘い」というのだそうだ。

日本酒度で+3前後のお酒を出したら
甘いとくるのである。
そこで「久保田」の千寿あたりを出しても
まだダメである。

ではその客のいう辛口とはどんな酒なのか
どうやらアルコールをいっぱい入れた酒みたいなのである。
焼酎を飲んだ方がよさそうである。
それほどに辛口の定義は人それぞれなのである。

日本酒度による甘口、辛口が実際に呑んだときの印象と一致しないからである。
そこで新甘辛度というのを考えた人がいて
「 グルコース含有量(g/100ML)- 酸度 」で比較するのだという。
グルコースはお酒の甘味成分である。

まっとうな日本酒はよく味わうとどれも甘いと庵主は思う。
最近庵主はその甘さが鼻につくようになってきた。
そもそも日本酒に辛口を望むことが間違っているのである。
日本酒はその甘さを味わう酒だからである。

酸味がほしかったらワインである。
辛口が呑みたかったら焼酎を呑めばいいのである。
新甘辛度が標準となるかどうかはあと一ふんばりである。
そうなったら辛口の酒は幸口と呼ぶことになるというわけである。
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by munojiya | 2005-09-21 00:43 | Trackback(1) | Comments(1)