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古書まつり
神田の古書まつりである。
街頭にずらっとワゴンが連なっていて
多くの古書が並んでいるのを見ると
庵主は本が好きなものだからそれだけでうきうきしてしまう。

絵本を売っているワゴンがあって
見ると
たばこの絵本というのがあった。
たばこがいかに有害であるかを説いている絵本である。

絵本である。
活字も初めて文字を覚えた人のためにといった
大きな活字を使っている
絵や写真を多用した本である。

すなわち
子供向けの本なのである。
あるいはこういう形の本でしか理解できない人のためのものなのかもしれない。
喫煙の危険性を警告するおそろしい内容の本なのである。

だれが読むのか。
子供が読むのにしては禁煙の話では内容に興味はわかないことだろうと思われる。
というよりこの手の本でよく使われる病変した肉体のカラー写真は気持ちが悪い。
この手で自動車事故の絵本を作ったら子供には車を見ただけでも恐ろしくなるだろう。

庵主は、昔、
公民館にあった
広島長崎の原爆の写真集をうっかり見てしまい
その気持ち悪い写真が夢の中にまで出てきてうなされたことがある。

ニコチンで障害を受けた
歯がこぼれ落ちそうなっている写真などはそれに匹敵する悪趣味である。
庵主が今見ても
気持ち悪いのである。

善意に解釈すれば
これからたばこに接する年齢の
子供たちに対して
警告を発する親切な絵本である。

しかし、
それがどうみても
中学生や高校生向けの内容ではなく
小学生あたりを対象としているというところが恐ろしい。

アメリカでは
規制がきびしくて米国内ではたばこが
販売しににくなったため
たばこ会社はその販売先を後進国に求めたという。

日本で一時外国たばこの広告が増えたのはそういう理由からである。
社会の規範を乱すためには
女子供に酒たばこを常用させることだということである。
いかにも質(たち)の悪い白人の考えそうなことである。

一方、なんでもアメリカを見習うことが好きなわが国内においては
先進米国のたばこ規制を
それがグローバリズムだとしてアメリカに見習うことはなかったのである。
酒に関しては禁酒法をやった国のことだからまたかといなしたものかもしれないが。

そのうち子供向けのお酒の害を説く絵本が作られるようになるかもしれない。
日本の人口は来年(2006年)をピークに今後は減少に向かうという。
人口減少でそれを押しつけるところは女子供しかないからである。
大人はその動きを心して見ておかなくてはならない。
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by munojiya | 2005-10-31 00:17 | Trackback | Comments(0)
お酒が甘い
日本酒を三杯呑んで、
いずれも甘いのに閉口したのである。
どれもいいお酒なのにである。
齢(よわい)五十年を越えて庵主の体質が変わりつつあるのか。

お酒は「伊予賀儀屋」、「中屋」、「常きげん」である。
どれにも洗練されたきれいな酸味を感じながらも
酸味をオブラートだとしたら、
それが包んでいるお酒本体が甘く感じるのである。

歳をとった男たちが
日本酒から焼酎に転向していくのは、
日本酒は後に残るが焼酎は翌日が楽だという理由を聞くが
本当は体質が変わって日本酒の甘さにたえられなくなったからなのではないか。

焼酎なら舌に残る甘さはない。
キレがいいという点では
甘く感じる日本酒よりは呑みやすい。
ただ庵主には焼酎は呑んでもうまさがわからない酒である。

日本酒なら体がうまいと感応する。
理屈抜きに体が喜ぶうまさである。
しかし庵主の場合は焼酎はそのうまさを頭の中で推し量って呑んでいるのである。
だから呑んでいて疲れる酒である。

若い頃に大酒呑みだった人は
歳をとるにつれてだんだん酒量が落ちてくる。
焼酎なら水割りやお湯割りで度数を調整できるから
呑みやすいということもあるかもしれない。

接待の席で体調が悪かったりで
どうしてもアルコールが飲めないときは
「ソルティドッグ ウィズアウト ウオトカ」をバーテンダーに頼むという
技を読んだことがある。

日本酒を呑んでいると
すぐお酌をされるからつい呑み過ぎてしまう、
だから体がきついときには
ウイスキーの水割りを飲むのだという。

水割りなら注がれるということがないから
自分のペースで飲めるからである。
水で割って飲むウイスキーがうまいかどうかは異論のあるところだが、
接待の席である、どんな酒を飲んでもうまくないだろうからそれでもいいのである。

日本酒に甘さを感じて体がもうそれ以上に受けつけなくなっても
そのあとに白ワインなら飲めるのである。
いやワインの酸味ならうまいのである。
庵主の体は酸味に共感を覚えるようになってきたのである

子供の時分は甘いものがうまいと思うものだが
歳をとると甘いものを口にしてもそれほどうまいとは思わなくなって
子供のときにはわからなかった渋みとか苦みに趣を感じるようになるように
体が酸味のうまさに快楽を感じるようになるようである。

ながらく日本酒のうまさに親しんできた庵主も
体は白ワインに転向しようとしているのかもしれない。
日本酒の酸味ではなく、もろ酸味のワインへである。
日本酒の甘さは閉口から辟易と化したのである。

期せずして「部長島耕作」のワインの話を読んでいるから
それに触発されてワインにひかれているのである。
「夏子の酒」を読んで日本酒を呑みはじめたという人もいるが
庵主は「部長島耕作」のワイン編がワイン入門となりそうである。

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酒銘は「いよかぎや」、「なかや」、「じょうきげん」である。
「常きげん」は「上喜元」と同じ読み方になるので、庵主は「常きげん」は「つねきげん」と「上喜元」は「うえきげん」と読みわけています。「じょうきげん」はどちらもうまいお酒です。
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by munojiya | 2005-10-30 00:40 | Trackback | Comments(0)
「ぜったい行ってはいけない有名店、行かなきゃいけない無名店 東京編」という本
今年出た本の中で一番長い書名ではないだろうか。
タイトルに掲げた本がである。
くいもの本である。
まずいものを食わせてくれる店が知りたかったわけではない。

およそその手のお店には行くことはないから
知ってもしかたがないのである。
出会うことのないお酒の名前を覚えてもしょうがないのと同じである。
知りたかったのは駄目なサービスの水準だったのである。

ひどい店というのはどこがよくないのかを知りたかったのである。
庵主がお店に入って感じる不快感がどの程度の水準なのかを確認するためである。
著者はJ.C.オカザワである。
金融アナリスト(アナリストというのは博打打ちみたいな商売である)であるという。

ラジオでその声を聞くと
かなりとっぽい感じがする人である。
よくいえばクールな人である。
スマートな人といったほうが無難かもしれない。

歯に衣(きぬ)着せぬ本書の書き方は
まさしく長か半かのアナリストの発想である。
その先に何が起こるかわからない時でもどちらかに賭けなければならない商売が
本書に生かされている。

白か黒かだからわかりやすい本である。
ただそれが著者にとって危険をともなうのは
お店はいつまでもあるから誰でも検証ができるということである。
その点、お酒はうそを書いても呑んでしまえばなくなってしまうからその心配がない。

そのお酒の味を確かめようと思っても現物が残っていないのである。
お酒は呑んだ人の勝ちなのである。
とりわけ庵主が呑んでいるようなお酒は一品物だから
探しても出てくるわけがない。

だから庵主は心置きなくお酒を語るのである。
その日の気分で語るのである。
同じお酒でも前に言ったことと今言ったことが違うことがよくある。
当たり前である、お酒の味というのは心理空間だからいつも違って当然なのである。

音楽の演奏と同じである。
同じメロディーでもその時々の演奏によって同じ物が二つとないのである。
いい演奏というのは
演奏家がいい場合とそれを聴いている人の気分がいい場合とがあるということである。

両者のノリがいいときが一番幸せな状態だろう。
お酒もまたそれと同じである。
幸せを味わうためには
いいお酒とそれを嗜(たしな)むいい呑み手が必要なのである。

いいお酒は蔵元が責任をもって造ってくれる。
そして庵主はいい呑み手になろうといつも研鑽しているのである。 
諸井薫が、近頃の披露宴は式の規矩をちゃかしたものが多くなった、と書くと、
諸井薫はその程度の披露宴にしか呼ばれない人なのかと毒づく庵主である。

本書の著者がそうでないことを確認するために
おすすめのお店を二、三訪ねてみた。
まっとうなお店ばかりだった。
だから本書の指摘をうのみにするのである。

著者に同意するのは値頃感ということである。
こんな材料でこんな手の加え方では適正価格はせいぜい450円だなどと評価する。
お酒の評価もまた値頃感を踏むということである。
この味で、この造りなら、このお酒の値段はいくらかという判断力だからである。
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by munojiya | 2005-10-29 00:20 | Trackback(1) | Comments(0)
最低のお酒
それを最低の映画だと書くときっと誤解される。
いいたいことは
映画としての体(てい)をなしている
最低線にある映画であるということである。

つまりそれ以下になったら
おもしろくもなんともない
それはただスクリーンに写っているだけの映像になってしまうという
一歩手前にある映画のことである。

最低の映画はまさしく映画であるが
それに達していない映像は
映画というのには値しない代物(しろもの)であるということである。
そういうのを似て非なるものと庵主はいう。

最低の映画の例をあげるなら
伊丹十三監督の一連の映画がそれである。
映画を作るのなら
最低それだけのおもしろさがなくてはならないということである。

そうでない映画は
観客に対する不親切である。
ストーリーがよく理解できない映画とか
汚い映像がつづく映画を庵主は見たくない。

主張したいことが
難解なものであってもいいが、
それを映画として観客に見せる以上は
表面上は理解できるストーリーを作っておくというのが仁義だろう。

わかる人にはわかるようにシナリオを書くというのが
技というものである。
技のない粗削りのシナリオを見せつけられることほど
疲れることはない。

話は日本酒のことに変わる。
いろいろなお酒がある。
その前に自分の好みというのがある。
うまいお酒が呑みたいのである。

うまいと感じる最低線のお酒、
それが最低の日本酒である。
それに満たないお酒は
ただのアルコール飲料である。

庵主はアルコールは呑みたくない。
お酒が呑みたいのである。
庵主のお酒の定義は
酒税法とは違っている。

庵主が呑んでうまいものをお酒と呼んでいるからである。
庵主がお酒が好きというときには
当然のこととしてそれはうまい酒のことである。
うまくもなんともないお酒を思い浮かべてはいない。

一口含んだだけで
うめぇー、と感じるお酒がある。
そういうお酒は
言葉でうまいと感じる前に体が先にうっとりしてしまうのである。

そういううますぎるお酒から
うまいと感じる水準をどんどん落していくと
それ以下では呑めないがそれを越えるとうまいと感じる次元にはいる線がある。
その最低線を越えて初めてお酒といえるのである。
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by munojiya | 2005-10-28 00:17 | Trackback | Comments(0)
うれしいけれど困ること
最近は
日本酒のきき酒会やお酒の会に行くと
若い女性の参加者が多い。
それは場が華やかになるからうれしいことであるが困るのである。

庵主が酒に弱いのか
そういうところに出てくる女が酒に強いのかわからないが
みたところ
かなりお酒の量を嗜まれるようである。

しかし、お酒のラベルの注意書きにはこう書かれている。
「お酒は20歳になってから」と並んで
「妊娠中の女性の飲酒は胎児に悪影響を与えることがあります。」と。
一言でいえば、女子供はお酒を呑んではいけませんということなのである。

まさか
お客様に面と向かって
ガキと女はうちの酒を呑むんじゃないよとは書けないから
婉曲に書いてあるのである。

字が読めるのならその意をしっかり汲み取れということである。
もっとも
おれはもう子供をやめた
女をやめたという人はその限りではないということである。

ていねいな蔵元だと「妊娠中、授乳中の飲酒は控えましょう。」と書いている。
控えましょうとは、呑んではいけないという意味である。
そんな長い期間、一度癖になったお酒をやめられますか。
だから女性は若いうちからお酒なんか呑んじゃいけないよと書いてあるのである。

でも、お酒をきこしめして
ほんのりくつろいでいる若い女性の表情は美しいのである。
それに日本酒を呑んでいる女性の肌はきれいである。
きれいに見えるのである。

昔なら
たばこを吸う女は不良少女だった。
いまはたばこ会社の長期CM戦略が功を奏して
いまやたばこは女が吸うものという観を呈している。

ほんとうは女性の社会進出が進んでストレスが高まったからである。
むかしの男がよくたばこを吸ったのも
それなりのストレスがあったからである。
男でも女でも仕事をもっている人の喫煙率はそれほど変わらないと思う。

これまでは
外に出て働く女性が、男に比べてすくなかったから
女の喫煙が目につかなかっただけである。
女性の飲酒もそれに似たところがある。

うちで一人で酒を呑んでもおいしくないが、
会社勤めなどを始めると
一仕事終わったあとの一杯とか
コミュニケーションの一杯が必要なのである。

息抜きである、接待である。
すなわち女性がお酒を呑む機会が増えたということなのである。
しかも女はケチだから
同じお酒を呑むならしっかりうまいお酒をみつけてきて呑んでいる。

それで、庵主は呑み会では女の人に聞くのである。
最近呑んだうまいお酒を教えて、と。
それを探して呑んでみるとたしかにうまいのである。
だから女の酒飲みは庵主にとっては情報源として重宝なのだが、でも。
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by munojiya | 2005-10-27 01:23 | Trackback | Comments(0)
お酒を造る人
昔、「私作る人、ボク食べる人」というテレビのCMがあった。
その発想が男女差別だというような因縁をつけられて
テレビから消えたことがあった。
お酒に関してはだれもが「あなた造る人、私呑む人」である。

造る人は呑む人より低い地位にあるという発想があるなら、
酒造りも酒造会社がもっぱらにするということも解放しなくてはいけなくなる。
物をつくることは差別だということなのだから。
差別はいけないのである。

今の酒造りは
造り手に対する呑み手の優位を肯定する社会構造だから
造り手の奴隷状況を解消するために酒造りを人民に解放せよという
因縁をつけてくれる人はいないものか。

差別を助長する社会通念を醸成するCMはいけないのである。
したがってお酒のCMはやめろということになる。
それはいいことである。
たばこのパッケージの規制はきびしい。

見るとパッケージの3分の1はたばこの有害性の表示になっている。
お酒のCMもそのぐらいのスペースを使って
アルコール常飲の有害性を表示せよという主張が出てこないともかぎらない。
それを思うと今のお酒の広告の状況は天国なのである。

呑み過ぎて体を壊した人だけがバカを見ることになっている。
飲酒は自己責任なのである。
家庭内暴力がなかなか表面化しないように
アルコール依存症の家族を抱えた家庭の崩壊もなかなか表に出てこない。

家族に酒癖の悪いのがいるために苦労している家庭は少なくないはずである。
家族の問題は家族の責任とはいってもそうはいかないこともある。
親の面倒は子供が見るのが当然だという考えも老齢化の世では無理が出るように
惚け老人や重度の要介護者をその家族だけで支えよと言う方が間違っている。

もっとも自動車事故でなんと年間百万人(国民の約1%)の死傷者が出ているのに、
それを見越した上でそれを見て見ない振りをして社会が成り立っている程だから
家庭内のその程度の負担は軽いということか。
それともそういう家族は前世のたたりとでもいうのだろうか。

自動車事故に対して自動車メーカーがその救済処置をとっているということを
聞いたことがないように
酒メーカーもアルコール依存症や飲酒に起因する家庭崩壊に対して
なんらかの救済処置をとっているということを聞いたことがない。

もうけは自分だけのもの、
その被害は社会負担という構造になっているのである。
自動車事故の死傷者などは病院が患者を確保するための既得権となっている
のではないかとさえ思えるほどである。

信憑性はないが、
酒税の上がりよりも
酒を飲んで治療にかかる費用の方がその数倍も多いという説もある。
だから飲酒を勧めることは社会的損失の拡大であるというわけである。

その伝でいくと、
うまいお酒があるから日本人ならぜひそれを味わってみてほしいて書いている
この「むの字屋」などは
戦犯といわれてもおかしくない主張だということになる。

ようするに酒を飲むということは自己責任なのである。
だから庵主はいうのである。
お酒は呑まない方がいいですよ、と。
うまいから、である。
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by munojiya | 2005-10-26 00:13 | Trackback | Comments(0)
ちょっと呑み過ぎ
市販酒のきき酒会があった。
初めて目にするちょっとうまいお酒もあったが、
多くの酒は
期待通りの、いや期待しない通りの味わいである。

それらのお酒はけっして悪いお酒ではない。
庵主にも呑めないことはないのだが、
何かが物足りないのである。
うまい、という共感が、である。

だからあえて呑むまでもないと思ってしまう。
いうならば絶望の酒である。
庵主が呑んでいるお酒は希望に満ちたお酒なのである。
こんなにうまい酒を造る人がいるのかという感動があるからである。

酒は飲み比べてみるとその違いがよくわかるということを再確認してきた。
ある時は格の違いを知り、
ある時はその酒にこめられている気合の違いを知り
ある時はまた造り手の姿勢の違いを知るのである。

お酒を呑むことの楽しさは
案外、その違いが一つ一つわかっていくという過程にあるのかもれしれない。
それがべつに呑まなくてもすむ庵主がお酒をやめないでいられる理由に違いない。
わかるということは面白いからである。

市販酒というのは庵主が普段呑んでいるお酒とは
似て非なる世界であるということである。
そういうお酒を好んで呑むことはないが、
庵主は好奇心をそそられるのである。

たしかに、
やはり評判の蔵元のお酒には
市販酒とはいっても個性を感じさせるものがある。
世間の評判は当たっているのである。

いいものを造れば
ちゃんと聞こえて来るということである。
そのことがわかっただけでも
わざわざ足を運んだ意味はあった。

規格通りの大吟醸というのがある。
米を50%以下に磨いて
一応吟醸造りをすれば
大吟醸と名乗っていいことになっている。

その大吟醸にうまい大吟醸とそうでない大吟醸があるということである。
大吟醸にはそれなりの風格がほしいということである。
純米酒こそ本物の日本酒だという主張もあるが
純米酒だから必ずしもうまいとは限らないということもわかる。

そういう状況の中にあっても
しっかりした味の市販酒を造っている蔵があることがわかる。
ここでいうしっかりした味というのは庵主が好きな味ということである。
そういうお酒に出会うとうれしいのである。

これから先は贔屓の引き倒しだから話半分に聞いてほしい。
静岡の酒「花の舞」の純米酒が並んでいたのである。
庵主に静岡の酒はうまいという確信をいだかせた純米酒である。
ここで呑んでもやっぱりうまいのである。

気取った酒ではないのに飽きることなく呑めるのである。
きき酒会だから量を呑む場ではないのについじっくり呑んでしまったのである。
ここは居酒屋じゃないのだから2杯も3杯も呑むところではないとわかっていても
それを呑みながらホッとしていたのである。
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by munojiya | 2005-10-25 00:05 | Trackback | Comments(0)
名セリフ
「君は君たらずとも、臣は臣たらざるべからず」
と山崎闇斎(やまざき・あんさい)は説いたという。
一応学問の道ということにはなっているが
いうなれば後世に残った名セリフである。
 
セリフというのは磨き抜かれた不自然のことである。
ほんとうは間違っている内容でも
よどみなくセリフで語られると
そのまま心にしみてしまうのである。

映画やテレビの場合は
これは作り話だという前提で見ているから
見終わったらすぐに忘れてしまうが、
報道とか学校の教科書でそれをやられると本当に信じてしまう人が出てくる。

疑惑の銃弾の主役をはった
三浦和義(本ブログは敬称もしくは蔑称は略しています)の話を聞いたことがある。
報道で語られていたことが
本人の口から聞くと全然解釈が違うのである。

同じ状況を語る言葉が
二つ以上あるということなのである。
第三、第四の解釈があってもおかしくない。
セリフというのは自分が主張する一つの解釈以外に目を向けさせない技術である。

日本酒は純米酒こそが本物だと語る人がいる。
しかしいま目の前にある日本酒というのは
そのほとんどがアルコールを添加した酒なのである。
現実を見ていない意見であるといって一笑に付すこともできないことではない。

アルコールをまぜて造ったお酒もまた日本酒の風情を保っているのである。
よくいえば日本酒の世界が広がったということなのである。
国の領土が広がったのと同様
よろこばしいことではないか。

それをなぜ指弾しようとするのか。
世界が狭い人だからである。
狭い世界で生きていける人だからである。
それは意志の強い人だからなのである。

いま日本酒は
外国から買ってきた安いアルコールをたっぷりまぜた
普通酒とか
水っぽい酒ならぬ、日本酒っぽいアルコールである経済酒が約7割を占めている。

純米酒を見つける方が難しいのである。
そういう酒を呑む人をどうして非難できようか。
生れたときからそれが日本酒だと思わされてきたのである。
そういう酒は疑うことなく日本酒なのである。

冒頭のセリフは
君主は君主としての能力がないときでも
臣下はそれに合わせて馬鹿をやるのではなく、
臣下としての立場を弁えてしっかり補佐しなさいという意味である。

上の人がちょっとたよりないときでもに
下の者はおろかな上の地位に代わって
世の中をよくしようとしてはいけないという
いったん上になった人にとっては大変便利な惰性的な考え方である。

酒の質はひどくても
呑み手はその惨憺たる現実を覆えそうという考えを起こすことなく、
すなおに甘受せよという意味だと解釈すれば
その言葉のいいがけさんが一遍にばれてしまうのである。
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by munojiya | 2005-10-24 00:08 | Trackback | Comments(0)
ビール酒造組合が立ち上がったものの
ビール酒造組合というのがある。
そういう組合があることを知っていますか。
そのホームページを読むと昭和28年に設立されたとあるから歴史は古い。
平成16年11月現在の組合員はビールの大手5社だけだという。

活動目的の中に
「ビールに課せられる酒税の減税活動」
そして「未成年者の飲酒防止の推進」というのが掲げられている。
その一環として今「ビール酒税減税要望キャンペーン」をやっている。

庵主はそんなことより
「ビール会社はまともなビールを造るキャンペーン」をやってほしい。
ビール会社を正道に戻すキャンペーンである。
日本人に代用ビールなんか飲ませるなという思いからである。

たかだかビールの税金すら適正にできない組合だから
たいして力のある組合ではない。
ビールを売るために宣伝費をふんだんに使えるのなら
それを減税キャンペーンに使えばいいのに。

昭和28年の酒税法の改正ともに制定された
「酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律(酒類業組合法)」により
設立されたとあるから、
おおよそ大蔵省の天下り先の一つなのだろう。

警察が交通安全協会という何をやっているのかわからない
天下り先を作るようなものである。
ビール組合が「未成年者の飲酒防止の推進」という目的を本気で掲げているなら
街中にビールの自動販売機が氾濫しているわけがないのである。

「ビール酒税減税要望キャンペーン」は
冒頭で「私ども 『ビール酒造組合』 は、
消費者およびメーカーの立場に立ち、
減税を要望していきます」という。

あれっ、ビールの呑み手とビールメーカーは共通の立場だったっけ。
大豆だかナントカから造った得体のわからない
代用ビールをビールの呑み手は歓迎しているとでも思っているのだろうか。
みんな苦笑しながら飲んでいるのだと庵主は思っている。

その苦笑を頼りない味である代用ビールの苦味として味わっているのである。
大手のビール会社はその看板の大きさをわきまえているのなら
その考え方において大人でなくてはならないはずである。
ビール会社が今度の邪道に踏み込んだのはサントリーの「ホップ」がきっかけだった。

サントリーが酒飲みから軽蔑される理由がそこにある。
そこには酒に対する愛情が全然感じられないからである。
広告だけはうまいところの酒の販売会社だというのが酒飲みの共通の認識だろう。
うわつらの美しさを飾ることだけは上手なのである。

だから多少は酒の味がわかる人はサントリーの酒を相手にしない。
日本酒呑みが「久保田」を相手にしない気分と同じである。
飲むときはあとまわしなのである。
ビール会社はそのような思潮に流されてしまったのである。

日本酒の大手酒造メーカーが
ブラジルではガソリン代わりに使っているというアルコールを
大量に混ぜた「日本酒」を臆面もなく造っているのと同じ構造である。
大き過ぎて小回りがきかなくなっているのである。

大量生産酒の致命的な欠陥が
代用ビールとか、法定日本酒に現れているのである。
安けりゃいいのか。
酒も含めて口に入れるものはなによりも安心であることが前提なのである。
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by munojiya | 2005-10-23 00:15 | Trackback | Comments(0)
話のつづき
銀座にある板前BARでのことである。
東京の地酒「澤の井」の大辛口を呑んでみた。
大辛口である。
庵主の好みとは正反対のところにある酒である。

それなのにあえてそのお酒を選んだというのは
そのお店のお酒の揃えが悪くはなかったからである。
酒祭りに売値は高いが庵主が呑めるお酒がずらりと並んでいたからである。
だから「澤の井」の大辛口もうまい酒かもしれないと甘い期待を抱いたのである。

しかし、出てきた「澤の井」の大辛口はやっぱり予想どおりの味だった。
呑めない、庵主には呑めないお酒である。
その店ではそれが一番安かったから安心して頼んだのである。
ショーを見たあとに呑むちょっと一杯だから大枚をはたく気はない。

「黒龍」の「しずく」級のお酒がずらっと並んでいる酒祭りは
それらは一杯が2500円なのである。
冗談はよしてくれという提供方法だったからそれは避けて選んでのである。
「澤の井」に限らずこの手の大辛口がうまいという人がいるのだろう。

そういう味も一つの流派をなしているということなのだろう。
庵主には、そのニオイは貧乏神の臭いとしか思えないのである。
その暗い性格のというか、偏屈そうな味わいのお酒が苦手である。
でも怖いもの見たさでこうして呑んでみることもある。

ゆっくりお酒を呑むためにた立ち寄ったのではない、
楽しいショーを見たあとにちょっといいお酒を口にしたかっただけなのである。
だから肴も一番安い珍味の三種盛りを頼んだ。
これでまたびっくりしてしまった。

いや、うまかったのである。
なんだこのお店。
サービスと出てくる料理のうまさがアンバランスなのである。
真っ黒いイカはイカスミを絡めたものである。

シコシコのなまこは新鮮そのもので歯触りが心地よい。
そしてホヤもフレッシュである。
生臭さとは無縁の味わいである。
海の幸のうまさがそこにあった。

改めてまともな料理を頼んでみたくなる不思議なお店だった。
そして最後に頼んだデザートで
また楽しませてくれた。
シャーベットと焼きリンゴのデザートである。

庵主は
使っているコンピューターはウインドウズマシンであるが
ほんとうはリンゴが好きなのである。
焼きリンゴには特に弱い。

デザートに焼きリンゴがあるとつい食べたくなってしまうのである。
出てきた皿には炎の演出が施(ほどこ)されていた。
炎が消えてからお召し上がりくださいという。
うまかった。

汚れている酒祭り、ミントのにおいがきついおしぼり、高いお酒、掃除の手抜きと
けなしたくなることが四つあったお店だった。
そして「四季桜」の「聖」(ひじり)があるなど酒の揃え方に気合が感じられること、
料理の素材のうまさ、満足感にひたれるおいしいデザートと、美点が三つ。

加えて、お勘定の時にちゃんとレシートが出てくるという
明朗会計で美点がもう一つ。
それに立ち寄ることを勧めてくれた店員さんが美人だったからさらに1ポイントプラスだ。
一か八かで入ったお店でのできごとである。
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by munojiya | 2005-10-22 00:25 | Trackback | Comments(0)