「ほっ」と。キャンペーン
<   2006年 03月 ( 41 )   > この月の画像一覧
呑む、打つ、買う
呑む、打つ、買うという。
お酒を呑んで、二日酔いになって病院で点滴を打ってもらい、
まわりの人から失笑を買うという愚かな酒呑みを揶揄した言葉である、わけがない。
男の花道のことである。

そういうことは先輩が後輩にその毒の部分もそして失敗したときの後始末の仕方も含めて
しっかり手ほどきするものだということである、悪の道のことである。
庵主は、その花道のうち、覚醒剤を打って、株式を買うということはやらないから
お酒を呑む手ほどきだけをもっぱらとしているのである。

できることなら、うまいお酒をまだ呑んだことがない若い人にそれを教えてあげたい。
多くの日本人が最初に出会った「日本酒」で辟易してしまうというのが実態である。
そういう酒もまたうまいといって呑む人がいるからまずい酒ではないという人もいるが
そういう人は庵主がいうお酒が好きなのではなくただアルコール飲料が好きなのだろう。

そういう好き嫌いのないそしてお酒に美意識をからめない呑み手もいるということである。
庵主は日本の文化としてのお酒をまだそれを知らない人に伝えたいのである。
お酒を酔っぱらうために呑むのだと思っている人に
日本酒に込められている日本人の心と技を伝えたいと思っているのである。
[PR]
by munojiya | 2006-03-31 20:46 | Trackback | Comments(0)
はじめてのお酒
はじめてお酒を呑もうとしたときにどこで呑めばいいのか。
何を呑んだらいいのかがわからない。
いっぱしの酒呑みならば呑む場所呑むお酒は考えるまでもないことである。
しかし世の中にこれだけお酒があふれていてもわからない人にはそれがわからない。

ノウハウという言葉がある。
庵主はあまり外来語を使いたくない質(たち)なのでそれを知恵と言い換えておこう。
未経験者にはその知恵がないということなのである。
その知恵をお酒の先達である庵主がご教示しようというのがこの「むの字屋」である。

先達といってもなにも偉いというわけではない。
庵主を先生と呼ぶ酔狂な人がいるのだがその人からのメールは先生様でくるので
ちゃんと冗談という気持ちがあふれているから苦笑しているのである。
もっともその人よりは先に生まれているからという意味でなら先生には違いない。

いちばん理想的なのは
お酒を知っている人が後輩にいいお酒をごちそうしてあげることである。
それができることがうまいお酒を知っている人の心の余裕だと思っている。
庵主が出会えた若い人やまだうまいお酒を知らない大人にはそうしてあげるのである。
[PR]
by munojiya | 2006-03-30 22:02 | Trackback(1) | Comments(0)
かもめ食堂
かもめ食堂はフィンランドのヘルシンキにある和食をたべさせてくれる食堂である。
庵主は庵から半径数キロ内で生活をしているから
フィンランドと聞いてもどういう国なのかイメージがわいてこない。
ムーミンの国だと聞いて、カバがすんでいるのかと思うだけである。

「かめも食堂」は良質の観光映画である、見たらフィンランドに行ってみたくなる。
群ようこ(むれ・ようこ)の原作を荻上直子(おぎがみ・なおこ)監督が撮った映画である。
その食堂をやっているのが日本人サチエ、そしてその手伝いをしてるのがミドリ。
主人公のサチエがミドリにたずねる。

明日が世界の終わりだということになったら最後に何をしたい、と。
私は最後においしい料理をたべたい、とサチエ。
ミドリもそれに同意して、そのときには私も呼んでくれる、と聞き返す。
もちろん、とサチエ。

たぶん庵主も答えは同じだろうなと思って映画を見ていたのである。
料理ならそれで完結している世界だがお酒はその先に造り手の顔が見える世界である。
最期には造り手との心のつながりを感じながらうまいお酒を呑みたい。
うまいお酒を、そして酔っぱらわない程度にちょっとだけ。
[PR]
by munojiya | 2006-03-29 22:58 | Trackback(3) | Comments(0)
呑んではいけない日本酒
「買ってはいけない」という本が売れたことがある。
食品に関しては食品添加物やポストハーベスト(収穫後農薬)の恐怖を煽るものである。
いつでもそうだけれどそういう不安は数カ月もすればどうでもよくなるのが常である。
海外から輸入される柑橘類に使われている猛毒OPP(防黴剤)は今や話題にもならない。

日本酒には防腐剤が使われているんでしょうと聞かれたことがあった。
落語で圓歌を聞きにいくと今でも歌奴と呼ばれることがあるとぼやいている。
ずいぶん古いテレビを見てんだね、といって笑わせる。
その酒呑みもずいぶん古い日本酒を呑んでいるようである。

今や日本酒は国内食品では数少ない無添加食品の一つなのである。
しかもアルコール漬けになっているから腐らないので保存にも問題がない。
中にはそのアルコールを心配する人がいるのである。
今の日本酒にはほとんどの酒に原料用の醸造アルコールが入っているからよくないと。

それ以前に原料の国産米の農薬使用量が半端でないから安心できないという人もいる。
速醸モトに使う乳酸が醗酵乳酸から合成乳酸に変わったのが心配だという人もいる。
そういう人もいるが、安心して日本酒を呑んでいる人も含めて肝心なことを忘れている。
アルコール自体が体に有害な物質だからその毒性に比べたらどうってことないのである。
[PR]
by munojiya | 2006-03-28 22:12 | Trackback(1) | Comments(0)
アルコールという毒のうまさ
アルコールを飲めない人は無理してお酒を呑むことはない。
いや、飲んではいけないのである。
農薬という言葉があるが実体は毒である。
毒だから害虫を殺せるのだから。

本当は農毒と書いた方がいいのであるがそれでは刺激的すぎるので農薬と呼んでいる。
お酒も猛毒アルコールの美称であるということである。
それをうっかり呑みすぎて体を壊してしまう人はいっぱいいる。
それが表面化しないのは酒税というものに守られているからである。

同じようなものに自動車がある。
毎年、約1万人の死亡者と約百万人余の負傷者を出している野放しの凶器である。
毎年毎年、日清戦争の戦死者よりも多い数の日本人をひき殺しているのである。
それが表面化しないのはお酒同様に自動車で食っている人が多いからである。

アルコールは社会的に問題になっていないから大丈夫だと思ってはいけない。
それは国をあげての偽装なのである。
もっともアルコールの毒は実は呑み方によって制御できるものなのである。
それは毒のない社会はおもしろくないという経験則から得られた快感なのである。
[PR]
by munojiya | 2006-03-27 22:40 | Trackback(1) | Comments(0)
庵主(あんしゅ)がブログをはじめた理由(わけ)
庵主が春三月にプログをはじめたのは花粉症だからである。
この時分は庵主の体にそれまではなんとか耐えていた花粉症が発症するころである。
朝起き掛けのくしゃみの連発はそのときだけのことだからまだ我慢できるが、
鼻がつまる、頭がいつも二日酔いのようにすっきりしないという日々がだらだらと続く。

そうなったらお酒を呑んでも心から楽しめないのである。
健康でないとお酒がおいしくないからである。
だからお酒を呑むことがめんどうくさくなる。
元来アルコール依存症の体質ではないので呑まなくても一向にかまわないからである。

伊達眼鏡という言葉がある。
目が悪いわけではないのにお洒落で眼鏡をかけることをいった。
庵主のお酒は伊達飲酒なのである。
お洒落で呑んでいるから能書きがすごいのである。

本物の酒呑みならお酒を呑むのにいちいち能書きを垂れるわけがない。
お酒を呑まない分時間に余裕ができたからせっせとこのブログを書きはじめたのである。
お酒をネタにしてあることないことを書きつらねるという芸をやっているのである。
だからこのブログに書いてあることを信用してはいけない、酒呑みのいうことなのだから。
[PR]
by munojiya | 2006-03-26 21:28 | Trackback(1) | Comments(0)
お酒が教えてくれたこと
庵主がこのブログで書いていることはすべてお酒が教えてくれたことである。
いい酒になじんでいるとそれを呑んで心に浮かんでくることが少なくない。
ただ酔っぱらって寝てしまうために飲むアルコール飲料との違いである。
お酒を呑まなかったとしたら庵主はその違いを実感として理解できなかったことだろう。

競馬をやらない庵主にとってはウマの顔を見ても区別がつかないようなものだったろう。
ウマの毛色の違いぐらいはわかるがそれは一升瓶の色の違いがわかるのと同じである。
中身の違いはそれではわからない。
馬券を買わないとウマがわからないと同じである。

お酒も競馬も度を過ごすと馬鹿にされるところが似ているのがおかしい。
お酒がいいところはうまいということである。
うまいというのは快感なのである。
お酒は麻薬なしで快感にひたることができることを教えてくれる。

そしてうまい酒とまずい酒の違いから食い物とはなにかということを教えてくれた。
いい酒とそうでない酒の違いから品の違いとはなにかということを教えてくれた。
さらにまっとうなお酒の味わいから日本人の酒造りの精華を知ったのである。
すなわち日本人に生まれた僥倖を教えてくれたのである。
[PR]
by munojiya | 2006-03-25 21:12 | Trackback | Comments(0)
悪い酒はなぜほめ言葉なのか
庵主はお酒が呑みたいのである。
アルコールが飲みたいのではないということである。
庵主が酒を呑めないというのは、
じつはアルコールがよう飲めないということなのである。

アルコールだけ飲んでもただ酔っぱらうだけでつまらないということなのである。
庵主にとってお酒とは呑んだときにそこから思いが広がるものでなくてはならない。
お酒として売られているアルコール飲料ではそれができないからダメなのである。
スカスカのお酒ではそういう感興がわいてこないから呑んでも意味がないのである。

お酒は液体だから飲み物というがようするに食品である。
だからきき酒師の第一講は酒とはどういう特性がある食品なのかという講義である。
酒は食い物なのである。
すなわち体(心も含む)にとって栄養になるものでなくてはならないということである。

そこのところを忘れて造られたアルコール飲料をまずい酒と言っているのである。
お酒を呑んでいていちばん白けるのはうまくもなければまずくもない酒である。
そういう味にめりはりがない酒を庵主はどうでもいい酒という。
悪い酒というのは味にめりはりはあるがそれが品のないものをいうのである。
[PR]
by munojiya | 2006-03-24 23:25 | Trackback | Comments(0)
いい酒
いい酒の反対にある酒は悪い酒ではない。
庵主はそういう酒を「どうでもいい酒」とよんでいる。
悪い酒という評価は庵主にとってはどちらかといえばほめ言葉の範疇にあるからである。
いい酒というときには二つの意味がある。

一つは、うまい酒をいうときである
そして、いま一つは丁寧に造られた酒をいうときである。
後者はかならずしも前者を意味しないことがある。
その酒をうまいと評価するのは庵主の好みによるからである。

うまい酒には二つある。
一つは品がいい酒である。
まっとうな造りをしたお酒である。
もう一つは酒造りの技で呑ませる酒である。

三増酒やにごり酒でも造り手の技でうまく感じさせてくれる酒がある。
庵主は味にめりはりがない酒を、すなわち気合がはいっていない酒をまずい酒という。
どんな酒でもうまいと思って呑んでいる人がいるからまずい酒などないという人がいる。
うまい酒しか呑めない庵主はそれはセールストークだといって一笑に付すのである。
[PR]
by munojiya | 2006-03-23 22:45 | Trackback | Comments(0)
お酒を呑むということ
お酒を呑むというと酒瓶の中のそれを呑んでいる光景を思い浮かべるが
それは形式である、すなわち見た目にすぎない。
庵主がお酒を呑むというのは
それを味わったあとの余韻を楽しむということをいうからである。

だから量を呑む必要がないのである。
のどごしを楽しむお酒ではなくて
その味わいにひたるお酒なのである。
もっとはっきりいえばお酒を呑んで妄想をふくらませることなのである。

お酒を呑んで心に浮かんだ空想を書いているのである。
そのときの気分を書きつらねているのである。
だから同じお酒なのに呑んだときによってその評価が変わるのはいたしかたがない。
そのことをさしてお酒は一期一会であるといっている。

世に同じお酒は二つとないということである。
だから庵主が呑んだお酒と同じうまさを味わうことはできないのである。
想像力が豊かな庵主はそれでもって人一倍うまいお酒を呑んでいるというわけである。
うまいお酒はこの「むの字屋」にあるという所以(ゆえん)である。
[PR]
by munojiya | 2006-03-22 23:10 | Trackback | Comments(0)