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★歳をとったらまずい酒がわかる
自分は酒の味の違いがわかるということに矜持をいだいている青年と、
蔵元さんを囲んでうまい酒を呑もうという会で意見が対立したことがある。
庵主がまずい酒があるといったことに対して
まずい酒といっちゃいけないとお酒に対する愛情いっぱいの言葉が戻ってきたのである。

どんな酒でもうまいと思って呑む人がいるのだからまずい酒はないという説である。
庵主がいうまずい酒というのは庵主の好みでしかないというのもおきまりの言葉である。
その青年の日本酒に対する感覚の鋭さは庵主も一目置いているのである。
酒の違いがわかる、酒の熟成が読める、いい酒を見つける感度が高い男だからである。

青年である、庵主よりいささか歳が若いから体が丈夫なのである。
そしてお酒を舌先で味わっているようである。
そこで庵主は切り札を切ったのである。
歳をとったらまずい酒を呑むと覿面に体の調子が悪くなるものだということを。

アル添や三増酒を指してではなく自分の体を痛める酒のことをまずい酒というのである。
庵主も体調がいい日にはどんなまずい酒でもどんなまずい食い物でも飲み食いできる。
青年ではわからないお酒の違いを少し先に生まれたということで知っているのである。
すなわち庵主はお酒の味を青年よりもより深く楽しんでいるということなのである。
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by munojiya | 2006-04-30 22:08 | Trackback(1) | Comments(0)
酒道みたいになってきたが
庵主の言っていることはなんとなく酒道(しゅどう)の確立に向かっているように見えるが
そんなものをめざしているものではないことはもちろんである。
お酒は楽しんで呑めばいいのであって
庵主の能書きは実は酒の肴なのである。

まずいお酒が大好きという人は別として
うまいお酒が好きだという人にとっては強い味方になっているはずである。
はっきりいってほとんどのお酒はまずいから
庵主の語りはそういうお酒を少しでも楽しんで呑むための余興にすぎないのである。

お酒はカッコつけて呑むものではない。
そのうまさを味わって呑みたいというのが庵主の考え方である。
正しくいえばお酒の気を味わうということなのである。
それが食い物の生気を「いただきます」ということなのである。

お酒は一期一会だと書いているから茶道のようなスタイルを思い浮かべたとしたら
そういう形式に美を求める呑み方を気障(貶しているのではない)というのである。
品よく呑めたらそれにこしたことがないということである。
そして同じうまいお酒を知るもので乾杯ができたら最高にお酒はうまいのである。
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by munojiya | 2006-04-29 23:11 | Trackback | Comments(0)
庵主は和食の正統派である
庵主の立脚点を披露しておきたい。
和食の正統派なのである。
食というのは地産地消が真っ当であると考えているからである。
食というのはその形(見た目)ではなくその中身(実質)をいうのだという考え方である。

地に足がついている生き方を高く評価するということである。
当然その立脚点が異なる人とは意見が合わないということになる。
どっちがいいというものではないから争うことはない。
選択肢があるときは正統派の立場を選ぶということなのである。

背に腹はかえられないから腹が減ったときは何でもいいということである。
日本の食料自給率は30%を切っているというから
国産の食材で作った和食というのは3割もないということである。
そんな中でせめて日本酒ぐらいは本物の材料で造ったものを呑みたいと思うのである。

酒などは呑まなくても生きていけるものだから、庵主は伊達で呑んでいるからである。
せっかくの伊達なのだから一番カッコいいものを嗜みたいということである。
それに作物がとれない不毛の地に住んでいるわけではないのだから
わざわざ他の土地の収穫を収奪しにいくことはないと思うのである。
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by munojiya | 2006-04-28 21:15 | Trackback(1) | Comments(0)
大逆転
キリスト教に久しぶりの新刊である(「ナショナルジオグラフィック日本版」5月号に記事)。
その発見も神様がこの時代に発見されるようにと決めてあったのだろうから新刊である。
それをそのまま信じるとこれまでキリスト教徒はウソに立脚して生きてきたことになる。
教団は詐欺師だったということだから金返せと言われかねないことになったのである。

今度発見されたその「ユダの福音書」によるとキリストを裏切ったとされている弟子ユダは
実はキリストから命じられてキリストを売ったのだという。
イエスは自らの魂を肉体から解放するためにユダにそれを命じたのだという。
ユダがその命を受けるのにふさわしい信頼できる一番弟子だったということである。

ユダがキリストの13番目の弟子だったということで西洋では13を不吉な数字とするが、
それは実は神が信頼を寄せた数字だったとしたら13を忌み嫌う習慣はどうなるのだろう。
「ユダの福音書」なんかどうせ偽書だということで片づけるのかもれしない。
13は神が選ばれた特別の数字だから畏敬して使うのを遠慮するのだという手もあるか。

これまで日本酒だと思わされてきた酒が実は代用食品だったと庵主が指摘しても
信者はそれは酒造りの進歩であるとかなんとかいって片づけるのだろう。
大手教団がユダ裏切り説を唱えることで食いつないできたように、
財務省と大手酒造メーカーもまたそのウソの上に成り立っているからである。
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by munojiya | 2006-04-27 21:02 | Trackback | Comments(0)
国産米とタイ米を混ぜた奴だけは許せない 乱文御免
似ているものだから混ぜて食えといわれたらふざけるなというのが当たり前である。
納豆は醤油をかけて食べるとおいしい。
醤油とソースが似ているからといってそれを混ぜたものをかけて食べられるか。
ほとんどの人はそんなまずい味にはたえられないだろう。

似ているけれど違うものを混ぜて食べるというのは時として無理があるということである。
1993年(平成5年)は冷夏による凶作で米不足をきたした年である。
翌年の3月から国産米に緊急輸入したタイ米をまぜて販売することが始まった。
その混合米で炊いたご飯のまずかったこと、それを主導した奴だけは許せない。

タイ米(インディカ米・長粒種)が悪いと言っているのではない。
チャーハンなどを国産米(ジャポニカ米)で作ると切れの悪いぐったりした食感になる。
チャーハンやドライカレーはインディカ米でないとしゃっきりしないようである。
性質の違うものを見た目が似ているからとまぜて増量するという考え方が間違っている。

日本酒にアルコールというよく似たものを添加して増量することを考えた奴がいる。
戦時中から戦後にかけて原料米不足を乗り切るための非常手段だったのである。
それは代用食だったのだがそれが癖になってしまったのである、今日の日本酒は。
いま呑んでいる多くの「日本酒」は実はお酒ではないということなのである。
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by munojiya | 2006-04-26 21:35 | Trackback | Comments(0)
お店のご流儀
お酒を呑ませてくれるお店にはそのお店のしきたりなりやり方というのがある。
それを庵主はご流儀と呼んでいる。
庵主がお酒を呑みに入ったら断られたことがあった。
一人で入ったところ、あいにくお一人様の客はお断りしていますとのことである。

見ると店内に客は少なくて満席というわけでもなかったから
その対応にひどく不愉快になったものである。
その時は頭に来たが、後にそれはご流儀なのだと思うようになった。
郷に入っては郷に従えという言葉があるがまずはそのお店の流れに従うものなのである。

会員制ということを厄払いにしているお店に非会員が押しかけてはいけないのである。
それはお店の風に合わないお客が入ってきたときに断る口実になっているのである。
庵主などはそういう看板を掲げているお店が気になったときは
非会員ですがよろしいでしょうかといって入っていくことがある。

もちろん体よく断られるのだが相手方の反応を楽しんでいるのである。
お店の中にはこれでは会員になる前に退会したいと思うようなお店もある。
店内が臭いお店である、うまいお酒を呑む雰囲気ではないからである。
わざとお店に断られることもお酒を呑む楽しみだと知ったのである。
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by munojiya | 2006-04-25 22:26 | Trackback | Comments(0)
醸造アルコールは酒なのか
現在のほとんどの清酒に混ぜられている醸造アルコールは酒なのか。
あれは正しくは増量剤と表示するべきなのではないか。
お酒の主成分がアルコールで増量用のアルコールも名前はアルコールだから
同じものだと思ってしまっているのは間違いなのではないかということである。

うまいお酒とまずいお酒はたしかに違うということは経験的にわかっていることである。
そしてアル添酒を呑んだ後の酔い覚めは純米酒を呑んだ後に比べると
気のせいかなんとなくよくないということも感じていることである。
醸造アルコールも酒だと定義してそれに従うのは納税業者にまかせておけばいい。

呑み手が望むのはうまいお酒である、ただしくいえばまっとうなお酒なのである。
増量剤で水増し、でなかった酒精増しした酒を貶してもしようがないと気づいたのである。
お酒に似ているが実はそうでないアルコール飲料を語ってもしかたがないのである。
味わうためにお酒を呑むのであって理科の実験をやっているわけではないからである。

現在の三増酒や普通酒の起源が戦時中の代用食だったことを知っていれば
偽物をいくらきれいに磨いても本物にはならないということはいうまでもない。
日本酒の蔵元がどんどん減っているといってもなお呑みきれない数の銘柄がある。
なにも選んでまでもまずい酒に酔いしれることはないというなのである。
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by munojiya | 2006-04-24 23:21 | Trackback | Comments(0)
本醸造酒は詐欺表示である
お酒にまぜる原料用アルコールを合成アルコールだと思っている人がいた。
石油から合成したものだからアルコールを混ぜた清酒は体に悪いというわけである。
合成したアルコールじゃないよ、穀物を醗酵させた造ったアルコールだよということで
醸造アルコールと呼んでいるのである。

半分冗談であるが醸造アルコールはへたな「日本酒」よりうまいのである。
何から造るのかというと多くは安いサトウキビの廃糖蜜から造っている。
米から造ることもあってそういうときは米アルコールと表示していることもある。
安いサトウキビではなくて米から造った高いアルコールだと見栄を張っているのである。

その安い醸造アルコールを増量剤としてたっぶり混ぜて造ったお酒が普通酒である。
安いのが魅力であるが中にはうまい酒があるもののそのほとんどはうまい酒ではない。
同じアル添とはいってもその添加量を少なくして造ったお酒を本醸造酒という。
日本酒は何から造るかと聞かれたら米と米麹と答えるのが普通だろう。

だから本醸造酒といったら常識的に考えれば本物の醸造ということなので
米と米麹だけで造った酒だと思うのが当然なのだがそれがひっかけなのである。
本醸造酒はアル添酒である、世間の常識からかけ離れている不当表示なのである。
せめて原料名に醸造アルコールとは書かずに増量剤と書けと庵主は思うのである。
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by munojiya | 2006-04-23 23:30 | Trackback | Comments(0)
特定名称酒
普通酒と呼んでいる酒がまっとうなお酒ではないことから、
良心にかけて造った日本酒には普通ではないということでキチガイ酒と呼ぼうとしたら
酒はすでにキチガイ水といわれていたものだからそれも紛らわしいということで
かっこよく付けた名前が特定名称酒ということなのだろう。

特定名称酒というのは簡単にいえばいいお酒のことである。
庵主はお酒を呑むのなら、呑めないことはないがしかしうまくもない普通酒ではなくて
特定名称酒を呑みましょうといっている。
というとそれがなんとなくうまいお酒のように聞こえるがそんなことはないのである。

特定名称というのは運転免許証みたいなものである。
いちおう基準には達しているというお墨付きにすぎない。
免許証を持っていても運転が上手な人と下手な人がいるように
特定名称酒といってもうまい酒とまずい酒があるということである。

特定名称酒はなんと8種類もあるのである。
純米酒に4タイプ、またアル添酒である本醸造酒も4タイプに分けられている。
細かく分ければ呑み手は覚えられないからはっきりいって意地悪表示なのである。
庵主は冗談でうまい酒とまずい酒の二つに分ければそれで十分だといっているのである。
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by munojiya | 2006-04-22 21:20 | Trackback | Comments(0)
美空ひばりではないが悲しい酒
まずい酒をハッキリまずい酒といってはいけないのか。
そういう酒でもうまいといって呑む人がいるから、
それをまずい酒というのはよくないという考え方に対する反論である。
もちろん造り手の目の前ではそんなことは言わない、いや、言えない。

そういう酒といっているのだからアル添普通酒や三増酒を指していることは明瞭である。
しかし一度うまいお酒を呑んだことがある人ならそういう酒が
どちらかというとまずいという範疇にはいる酒であることは明確にわかることである。
そういう酒も日本酒だと声高に言い張ることには悲しさを感じるということである。

しかもそれが呑み手が集まっている会での発言だったからなお悲しい。
というのも庵主はそのときに出てきた蒲鉾が本物かどうかわからなかったからである。
これは本物の蒲鉾だからうまいだろうといわれたがそれが判らなかったのである。
その蒲鉾は甘いのである、うまいと思って食べていたのである。

しかし、それが本物なのか食品添加物で固めた蒲鉾なのかはわからなかった。
だからそれをうまいといっていいのかどうかもわからずに食べていたのだから悲しい。
庵主は食べる機会がないために本物の蒲鉾の味わいを知らないからである。
お酒もまた本物をきちんと教えないとそれがわからなくなるということなのである。
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by munojiya | 2006-04-21 23:23 | Trackback | Comments(0)