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酔うお酒と味わうお酒
味噌の作り方がいつの間にか変わっていたとは知らなかった。
仮に知っていてもその原料の大豆は舶来品である。
いうならばハーフの和食である。
昔の味噌とは中身がすっかり入れ替わっていることには変わりない。

日本酒がいつのまにか舶来のアルコールを混ぜて造る
ハーフのお酒になっていたということはいつも書いている通りである。
普通酒とか三増酒とか呼ぶ見掛けだけのお酒が跋扈している。
それらのお酒を貶しはしないが人間の呑み物じゃないと庵主は思っている。

そして醤油も原料の大豆は大豆油を搾ったあとの脱脂大豆に変わっていた。
廃棄物の有効利用というべきか。
国産大豆は高いのと、丸大豆を使うと油分を取る作業をしなくてはならないからだという。
安い醤油は三増酒よりすごい造り方をしているようである。

安い醤油や味噌を売ることのなにが悪いのかと居直られたら困る。
お酒は安くても高くても所詮毒であることにはちがないが、
醤油や味噌は違うだろうという判断による。
お酒も味わって呑む時には真っ当な酒でないと満たされないことで本物を知るのである。
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by munojiya | 2006-08-31 00:44 | Trackback | Comments(0)
居酒屋で呑むお酒は
居酒屋へ行って、いちいち呑むお酒を決めるのが面倒くさくなった。
というのも最近はお店におまかせで勧められるお酒を呑むことが多いからである。
酒の知識があるということはまずい酒を避けるためであるが、
うまいお酒しか置いていない居酒屋なら選ぶまでもないからである。

そういうお店にしか行かないからお酒を選ぶことがなくなってしまった。
ただし注文だけは付けるのである。
2杯しか呑めないから、1(ワン)~2(ツー)という呼吸で出してください、と。
普通は前座~真打ちと出てくるが、ときには最初にうまいお酒が出てくることがある。

じつは庵主の場合、最初の一杯がうまいお酒なら2杯目はいらないのである。
だから最初のうまいお酒を出してきたときの2杯目は癖玉だということになる。
同じタイプのお酒で格下の酒では2杯目は物足りないからである。
古酒でも花酵母でも好き嫌いはないからといっておいてお店のセンスを楽しむのである。

お店の手持ちのお酒をどのように呑ませてくれるかを楽しむというわけである。
居酒屋にお酒を呑みにいくときには銘柄を呑みに行くのではなく、
お店の日本酒に対していだいている主張を、すなわちお店の味を呑みにいくのだから。
酒祭り中のどのお酒が今一番味が乗っているかはお店の人しかわからないからである。
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by munojiya | 2006-08-30 00:43 | Trackback | Comments(0)
もうまずいお酒を呑むのは面倒くさくなった
夏は生ビールである。
庵主は酒量がないから、すなわち一日に摂取できるアルコールの絶対量が少ないから
暑さに耐えかねて一飲みする生ビールだけでその日の酒量が限界になってしまう。
夏はうまい日本酒をキリリと冷やして呑みたいがそこまでたどりつけないのである。

季節に合わせて、また場面に応じてその時々のうまい酒を飲めばいいのだから、
なにも日本酒にこだわることはないのである。
夏は生ビールがうまいのである、体がそれを欲するのだから。
そして飲み疲れたときにはうまい日本酒がいいのである。

そういう時にうまいお酒を呑むと疲れていた体がしゃきっとするのがわかる。
しかし、まずい日本酒を呑むとかえって体がだれてしまう。
以前はどんなお酒でも呑めたのである。
いまはもうまずいお酒は呑むまでもないと思っている。

うまいからお酒というのが庵主の定義である。
うまいお酒が数多くあるときにわざわざまずいお酒を呑むまでもないと知ったのである。
まずいお酒を呑んでそういうお酒を棚から外すのは呑ませ手のお仕事である。
庵主は呑み手だからそうして選んでくれたうまいお酒だけ呑んでいればいいのである。
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by munojiya | 2006-08-29 00:11 | Trackback | Comments(0)
品がない
品というのは我慢するということなのだろう。
いや、我慢できるということである。
立食パーティーに出席するときは空腹でいかないで
その前に軽く蕎麦でも食べていくものだという。

会場で料理にがっつくようなことがあってはみっともないという美意識からである。
それは見た目がスマートではないということである。
庵主が最近は食事もお酒も量が要らなくなってきたのは歳のせいなのだろう。
そのかわり少量しか口にしないからうまいものでなくては満足できなくなってきた。

お酒に関しては若いころから心してそれに親しんできてよかったと思っている。
なんとなくまずいお酒が見えるようになったからである。
そういう酒を避けることができるからである。
まずい酒を呑むと口直しのうまいお酒が欲しくなるからいけない。

だから試飲会も最近は敬遠するようにしている。
おいしそうなお酒が並んでいると呑めないというのについ度を過してしまうからである。
食欲は減退しても
貪欲はなかなか減らないものだからである。
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by munojiya | 2006-08-28 00:40 | Trackback | Comments(0)
だまってうまい酒を呑む
庵主がこのブログで書いてきたことは
うまいお酒が呑みたいということだった。
まずい酒はなにが物足りないのかということを考察することだった。
はじめはまずい酒をばかにしていたが今は無視するようになった。

昨今はうまいお酒がふえたのでまずい酒を呑んでいる暇がなくなったからである。
いまではまともな居酒屋にいけば庵主でも呑めるお酒が出てくるからである。
またまずい酒にもそれなりの需要があるということを知っているから
それで妥協できるというならべつに庵主がくちばしをはさむことではないからである。

どんな商品でも高級品が一番いいということはないからである。
実用品で十分という需要もあるのである。
ただ、まずい酒を黙って受け入れているとうまい酒が少なくなるから、
庵主はそんな酒は呑みたくないという意思表示だけははっきりさせてもらったのである。

のべつまくなしハレの日もケの日も区別なく酒を呑むものではないと思うが、
呑みたいときにうまいお酒が呑めるならそれでいいのである。
庵主は量は呑まないから多少高いお酒でもかまわない。
だまってうまいお酒を呑むという環境が確保されているならそれで十分なのである。
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by munojiya | 2006-08-27 00:51 | Trackback | Comments(0)
流れとしてはしようがない
流れとしては仕方がないというか、
現実の圧倒的な圧力の前にあっては抗(あらが)いようがないということがある。
たとえばアナログレコードである。
庵主はデジタル録音は人間の聞く音ではないと思っているが世はデジタルである。

それは便利だからである。
カセットテープを使ったマルチトラックレコーダーと
デジタルの使い勝手を比べたらテープ式はおもちゃ以前の道具(シロモノ)なのである。
なのに庵主はなぜテープのヒスノイズ入りの音が捨てきれないのか。

それは庵主が生まれて初めて出会った音だからである。
音の味わいは雑音(ノイズ)の中にあることを知っているからである。
デジタル音の欠点はその味わいを削ぎ落としてしまったことである。
普通酒の何が悪いのか。

精製された癖のないアルコールを添加して造っているきれいなお酒なのである。
雑味をとりのぞいた洗練された味わいのなのである。
そして雑味がないゆえにちっとも心に響かない味わいなのである。
それをデジタル音と同じように人間の呑む酒じゃないといったらいいすぎになるか。
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by munojiya | 2006-08-26 00:52 | Trackback | Comments(0)
なぜ庵主は日本酒というか

清酒というのは酒税法の用語である。
馬券を勝馬投票券というようなものである。
酒税法でそれを清酒というのはその実態がそれにふさわしいからだとは
庵主がこれまで書いてきた通りである。

そして清酒を日本酒と呼べない理由がもう一つあるのである。
それは片手落ちともいえる日本酒政策によるものである。
日本酒のもう一つの世界を封印しているためである。
濁酒(だくしゅ・どぶろく)のことである。

日本酒は濁酒と清酒(きよざけ)から成り立っているのである。
酒税法はそのうちの一方を目の敵にしているのである。
正しくいえば、それはないものとしているのである。
あるのにないという虚構のうえに酒税法は成り立っているのである。

庵主は清濁合わせ呑むから、
日本酒というのはどぶろくを含めてお酒の世界をいうのである。
清酒というのは片端な日本酒だというわけである。
放送禁止用語の使用深謝である。
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by munojiya | 2006-08-25 00:38 | Trackback | Comments(0)
自分でお酒を造って何故悪いのか
なぜ自分で呑むお酒を自由に造ってはいけないのか。
大正6年に東北の農家に配られた警察、税務署連盟の官製ビラ
「濁酒をつくることなかれ」によるとこうである。
「政府の免許を受けないで酒をつくることは法律で禁じられております。

(中略)自分がつくった米で自分がつくって飲むのに
何も悪いことはあるまいと思う人もあるかも知れませんが、
これは自分の金銭のやりとりをする賭博をするのや、
自分の腹の胎児をおろすのと同様に悪いことであります。

皆さんの飲む酒は免許を受けた酒屋がつくったもので一石二十円の税金を
納めなければならないのであります。
酒を隠して造る人は此の税金を納めないで酒を飲むのであります。
酒を隠してつくる人は法律上の罪人であります。

三十円から五千円までの罰金を取られます。
罰金を納めることが出来ないときは監獄に入れられます。
今度は警察署でも厳重に取締りをすることになりましたから、
自分の町村からは一人も心得ちがいのものをださないで下さい」納得できる人はどうぞ。
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by munojiya | 2006-08-24 00:34 | Trackback | Comments(0)
知る人ぞ知るお酒
知る人ぞ知るお酒というのは
逆にいうと知っている人がほとんどいないうまいお酒だということである。
隠れたブームという言葉もあるが
先見性のある人はもう目をつけているということである。

ただし日本酒に隠れたブームはない。
それが取り上げられるとしたらそれは雑誌の強引な話題作りか体のいい宣伝である。
うまいお酒が大量生産できるわけがないからそのお酒が容易に手に入らないのである。
本当にうまいお酒はブームを支えるだけの必要量を簡単に造れないからである。

「十四代」がほしいといって蔵元に泣きを入れていた酒販店があったが
造りを増やして味が落ちたのでは元も子もないから
その要求は酒販店が自分で自分の首を締めるようなものである。
人気のでるお酒は追いかけるものではなく酒販店が自分で育てるものである。

ブームのお酒というのは味が落ちるということとほとんど同義語だから
明らかにうまいというお酒を知っている呑み手はあえてそれを口にしないのである。
うまい酒を知っている呑み手はまずい酒を呑みたいとは思わないからである。
本当にうまいお酒はそれを知っている人だけが呑んでいるのである。
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by munojiya | 2006-08-23 00:12 | Trackback | Comments(1)
「北斗随想」というお酒
北海道にはいいお酒はあるがうまいお酒はないというのが庵主の感想である。
いいお酒なら「男山」の純米大吟醸である。
「一夜雫」もしっかりした造りを感じさせるお酒である。
しかしいずれも高い酒なのに味わいに色気が感じられないのが惜しい。

北海道にはもっとうまいお酒があるという人もいるかもしれないが
実際にそういうお酒と出会う機会がない以上このブログではないと同じなのである。
それが北海道の日本酒の実力である。
そういう北海道のお酒の中で庵主が気に入っているのが純米酒「北斗随想」である。

「北斗随想」は純米酒の魅力の一つを楽しめるお酒である。
庵主はその味わいをうまいとはいわないが格調がある堂々たる純米酒なのである。
呑んでいてほっとするのはそのお酒にこもっている気合のせいである。
だから呑んでいると心がほっとする楽しいお酒なのである。

酒のうまさは酸味のうまさにあるが「北斗随想」は酸味の切れがいい酒である。
しかしもう一つのうまさの要素である甘味が弱い。
酸と甘の絡みが醸しだすうまさが感じられないので庵主には今一つ幸せ感が足りない。
とはいえ以前と変わらない「北斗随想」の緊張感に再会できた北海道の旅だった。
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by munojiya | 2006-08-22 00:07 | Trackback | Comments(0)