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手の打ちようがない
いまどき三増酒なんかあるのかと思ったら
それがちゃんとあるのだからおかしい。
うれしいといったほうがいい。
お酒は勝手に造ってはいけないからそれを味見したいときに役立つからである。

そしてまっとうなお酒がいかにうまいかということがそれでよく分かるからである。
合成酒というのがある。
成分を組み合わせてお酒を造ろうという大胆な試みのことである。
人間を真似してロボットを造るようなものである。

人間の形をしたロボットはペットがわりになるかもしれないが、
お酒の見掛けをしたアルコール飲料はなんの役にもたたない。
それはお酒の代用品であって人間が呑むものとしてはろくでもないものだからである。
日本酒の多くは普通酒といわれる、いうならば合成酒なのである。

そんなお酒を造るべきではないと庵主は思うが現在の日本酒の主流はそれである。
それをうまいといわれたら庵主は苦笑するしかないが、
信念でそれを造っている大手酒造メーカー(日本酒メーカーとはいわない)にとっては
ほとんど量を呑まない呑み手である庵主の主張などは聞くまでもないのである。
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by munojiya | 2006-09-30 01:51 | Trackback | Comments(0)
★もう一つのウソ報道のやり方
ウソ報道のもう一つのやり方は
事件があっても報道しないということである。
見ないことはないことにしてしまうことである。
そういうことが平気でできる人をジャーナリスト(野次馬←庵主訳)とはいわない。

そういうことをやるメディア(情報媒体)をジャーナリズムとはよばない。
バブルが崩壊したときに全然報道されなかったことがある。
株で大損して首をくくった人たちのことである。
今ならサラ金の借金が返せなくなって自殺してその保険で返済した人たちのことである。

サラ金返済自殺は年間4000人余というから毎日10人以上がそれで死んでいる。
このまえの三菱トラック方式で記事を作れば毎日サラ金自殺が起こっているのである。
そんなことは全然報道しない。
なぜか。

一つにはつまらないから読者がそんな記事を喜ばないからである。
サラ金は新聞やテレビにいっぱい広告代を払ってくれるスポンサーだからである。
じつは起こっていることを書かないということを「むの字屋」でもやっている。
大量に作られているパック酒の実態をはなから無視しているのである。
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by munojiya | 2006-09-29 00:26 | Trackback | Comments(0)
ウソ報道の補足
事実を報道していてもそれがウソであるという例をあげておく。
少し前のことであるが三菱のトラックがよく発火事故を起こしていたことがある。
新聞では毎日のように今日もまた三菱トラックのエンジンが火を噴いたと報じていた。
それだけ読んでいると三菱のトラックは拝火教かと思ってしまう。

ところが真実は違っていた。
自動車のエンジンが火を噴くという事故は毎日20件ぐらい発生しているのだという。
そのうちの三菱の車だけ狙い撃ちして記事にしていたというわけである。
なぜか。

そういう記事を読者が喜んで読むからである。
新聞社に読者が馬鹿にされていたというわけである、隠されていた部分に真実があった。
三菱車の発火事故がせいぜい1、2件だとしたら残りの十数件は他のメーカー車である。
当然今でも国内の車メーカーの市場占有率に応じて発火事故が起こっているのである。

「むの字屋」の記事もまた書かれていない部分に真実があるのかもしれないが、
しかし、東京は酒都である、いい情報(=お酒)がいっぱい集まってくる街である。
それらを呑み比べているからほぼ真実に近いと思われてもまず間違いないのである。
ただし、庵主はまずい酒は呑めないので、うまいお酒についてだけではあるが。
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by munojiya | 2006-09-28 00:20 | Trackback | Comments(0)
信用
在仏20年という人が書いていた。
「巴里で暮らしていて
日本人ゆえに疑いの目、蔑みの目で見られることはまずない。
むしろ盗んだり騙したりしない人種と見做されているように感じる。

それは百数十年前からこの地に住んでいる日本人が、
正直に生きてきたからこそ生まれた信用だと思う。
この信用こそが日本人の品格の証ではないだろうか。」(岩本宏紀氏)と。
信用ということばの定義である。

庵主が敬遠する大手酒造メーカーもそうやって信用を築いてきた。
呑み手にとっては大手酒造メーカーのお酒は呑むまでもないという信用を。
その信用が裏切られることはない。
間違ってもうまい酒は造らないという信用である。

信用というのは一貫性のことである。
本来ならいいことを続けることが信用であるが、
絶対いいことをやらない悪魔とやらもその一貫性ゆえに信用度は高いのである。
大手が間違ってうまいお酒を造るようになったら庵主にはもう呑みきれないのである。
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by munojiya | 2006-09-27 00:16 | Trackback | Comments(0)
当今の飲酒運転に関するニュースはウソである
飲酒運転を撲滅しようというブームが俄に出現した。
庵主はテレビがないのでテレビがどうであるかは知る由もないが、
新聞やラジオでは連日反飲酒運転キャンペーンが張られているというのに
そんな風潮に抵抗するかのように連日飲酒運転でつかまる人があとを絶たない。

世間の糾弾なんかにへこんでたまるかという一徹が感じられるから
そういうのを本当の抵抗勢力というのだろう。
飲酒運転の非難ぐらいで酒がやめられかというありがたい消費者なのである。
ただ代用ビールと同じでやっていることの方向が逆なのである。

新聞が、きょうも警察官が、副検事が、教育長が、だれそれが飲酒運転をやったと
報じているがそのニュースの報道はウソである。
何がウソなのか。
そんなものは、これまでもあったし、またこれからもなくなるものではないからである。

これまでは知っていても報じなかったのだからよくいえば問題意識が芽生えたのである。
とはいえ喉元過ぎればつまり読者があきれば不徹底のまま飲酒運転はつづくのである。
交通事故死に占める飲酒運転事故はささいなものだろう(十数%である)。
ことさらその部分だけを取り上げることは他の原因を隠蔽するようなものだからである。
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by munojiya | 2006-09-26 00:17 | Trackback | Comments(0)
ビールといわゆる発泡酒は上下関係である
日本酒とワインとビールの位置関係は上下関係ではなくて左右の関係である。
バターとマーガリンの関係は、昔はマーガリンは贋バターと思われていたが
今日では両者は別のものとして左右の位置関係にある。
すなわち品質の上下ではなく性質の違いで左右に位置にあるということである。

上下関係というのは二つの味わいが一級品と二級品の関係にあるということである。
二級品というのはあくまでも一級品の代用である。
あるときは金額的に、あるときは必要度の違いにおいてである。
数の子でワインを飲むとまずいがビールでならさわりがないという。

この場合のワインはビールの下位にあるというわけではない。
質の違いであって、ただ数の子とワインは味の相性が悪いということだけである。
あらゆる場面でワインをビールでは代置できるものではないからである。
一方、わが国のビールといわゆる発泡酒の関係はあきらかに上下関係なのである。

その発泡酒は庵主にいわせると脱法ビールであって品質を追求したものではない。
税率を回避するために麦芽の使用量を減らして造った手抜きビールなのである。
さらに代用ビールにいたっては造り手の良心を疑いたくなるアルコール飲料である。
ビール造りの方向が品質の向上とは逆に向かっているビールだからである。
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by munojiya | 2006-09-25 00:15 | Trackback | Comments(0)
いよいよ酒いじめが始まった
喫煙者に対する禁煙の囲い込みは狂気の様相を呈してきた。
煙草嫌いが嫌煙権を掲げて喫煙を糾弾しているからである。
庵主は煙草の煙が好きでないのでその動きを実害がないから横目でながめているが、
こんどは飲酒運転の撲滅にからめてお酒が槍玉に上がってきたのである。

さいわい庵主は車を持っていないので実害がないから全然心配がないのだが、
飲酒運転で家族をひき殺された遺族にとっては
それは「未必の故意」の殺人にほかならないという主張は魅力的だと思う。
車は凶器という認識から民事賠償は自動車メーカーが半分負担すればいいのである。

それが銃とか自動車という殺人道具を造っているメーカーの肚の据え方というものだろう。
では包丁メーカーはどうするのか問われたらその線引きがむずかしいのだが。
ならば、お酒を造っているメーカーはどうなのか。
それがなければ絶対発生しない飲酒運転である、飲酒運転殺人なのである。

加えて車で呑みに来ている客に酒を提供した居酒屋の責任もまた逃れられないだろう。
飲酒運転で加害事故が起こったら四者は共同正犯として被害者に補償すればいい。
飲酒運転が減れば確実に自動車事故死者が減ることは明白な事実なのだから。
1日数十人の自動車事故死者は今の社会では折込済だと考えるならべつであるが。
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by munojiya | 2006-09-24 00:02 | Trackback | Comments(0)
「極旨」「贅沢日和」
アサヒビールが10月から11月にかけて発売する新製品のうち、
一つが代用ビールで商品名が「極旨」(ごくうま)である。
もう一つの発泡酒は商品名が「贅沢日和」(ぜいたくびより)だという。
代用ビールが極旨というのならそれまではまずいビールを造っていたのだろうか。

「スーパードライ」はやっぱりまずいビールだったのかと知るのである。
代用ビールの方が旨いというのだから。
庵主は邪推が大好きだからそういうヒネタ解釈をするのである。
もっとも「極旨」の缶には小さい文字で「当社代用ビール比」とは書いてあるのだろうが。

ビール会社の認識では発泡酒が飲めることが「贅沢」になってしまったようなのである。
販売現場の実感ではビールが高くて買えないという人が増えたということなのだろう。
だから普段は代用ビールを飲んで、ときには贅沢して発泡酒を飲もうというのである。
先の戦中にアル添の日本酒が始まったようにビールもみじめな時代になったものである。

中にはエンジニアが苦労して麦芽を使わずに代用ビールを造ったというのに
すぐに税金を上げてその努力を無にするのは国の意地悪だと非難している人もいるが、
そんな下手物を造って欲しいと飲み手は頼んでいないと庵主はいいたい。
技術はまともなものを造るために使うのが本来なのである。
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by munojiya | 2006-09-23 00:22 | Trackback | Comments(0)
アルコール依存症と酒依存症
アルコールはイコール酒ではない。
酒の主成分はアルコールであるが、
アルコールだけでは酒にならないのである。
飲料水がイコールH2Oでないのと同じである。

微量成分が溶け込んでいる飲用アルコールが酒である。
酒ではなくアルコールが飲みたいという人がいる。
そういう人はアルコール依存症と呼ばれる。
肉体がアルコールを要求するようになった人のことである。

庵主は酒は呑めるがアルコールは量を呑めない。
すぐ酔っぱらってしまうからである。
酒を呑むときもアルコールの副作用をおさえるために水をタップリ飲むのである。
そして小さいグラス(60MLの日本酒グラス)で2杯しか呑まないのである。

酒を口にしてから酔いが回るまでのわずかな間に味わう酒のうまさと
体に負担にならない程度のほろ酔いの持続を楽しんでいるのである。
で、アルコールが呑みたいわけではないがうまいお酒が呑みたくなるのである。
精神的に酒から離れられなくなったことを酒依存症というのである。
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by munojiya | 2006-09-22 00:12 | Trackback | Comments(0)
香水は日本酒の敵だ
日本酒の敵はなにか。
三増酒は国が指導している酒なのにそれを造ることがなぜ悪いと居直る蔵元ではない。
いまはいい教科書があるのにそのとおりにお酒を造れずまずい酒を造る杜氏でもない。
現状に迎合して普通酒を楽しく呑みましょうと商売で甘言を弄する酒類評論家でもない。

日本酒の敵は香水である。
あの強烈なにおいである。
お酒の香りがわからなくなるからである。
食い物のまずい食い方は鼻をつまんで食うことである。

匂いがない食い物や酒は無味無臭の団子か刺激のある水にしか思えないからである。
食品は匂いなのである。
芋焼酎から芋の匂いを取ってしまったら呑む楽しみがなくなってしまう。
ただ酔っぱらうだけに呑むのなら薬を服んでるようなものである。

薬を服むときにそれを味わって服む人はいない。
お酒は薬ではないからその香りを楽しみながら心に感じて呑むものなのである。
そのお酒のうまさを、すなわち妙なる香りを殺してしまうのが香水である。
だらお酒を知っている男はコロンなどの香る水は使わないのである。
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by munojiya | 2006-09-21 00:44 | Trackback | Comments(0)