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いいお酒を造ることは非国民だった(闘6)
放送禁止用語というのがあって、放送で使うにはふさわしくない言葉というのがある。
まず人体の障害をいう伝統的な言葉が差別用語ということで軒並みだめである。
上から、白痴、盲、聾、唖、片手落ち、飛んで、飛んで、跛に至るまで、
それらはすべてそれぞれの部位の不自由な人ということに言い換えることになっている。

だれがそう見做すのだかよくわからないが、それで穏当だと思う。
「座頭市物語」で出入りの時に悪役のヤクザの親分柳永二郎が市に投げつけるセリフ。
「ど盲、こんな時のために今まで飼っておいたのにいざというときに糞の役にも立たねぇ」。
勝新太郎演じる座頭の市の怒りに火を付けるセリフである。

目のご不自由な人といったのなら、セリフにならないが市を怒らせることはなかったろう。
次に職業を軽視した言い方は差別につながるからよくないという。
床屋が駄目で鉄道員がそれなのだという。
高倉健の「鉄道員(ぽっぽや)」は放送禁止用語だったのである。

究極の差別用語といえば「非国民」である。
前掲の「神亀」の蔵元夫人に対して投げかけられたセリフの一つがこうである。
「お国のため、免許を返上し給え。非国民と呼ばれてもいいのか」と威圧されたという。
「非国民」という言葉は使わないようにしないといけない、理不尽だからである。
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by munojiya | 2007-02-28 09:17 | Trackback | Comments(0)
英霊の使い方(闘5)
陸海軍が向かうところ敵なしで大手を振って歩いていた戦時中の話である。
「酒屋は皆から喜ばれる大切な仕事だから苦しくても続けてほしい」と言い残した
「神亀」の蔵元が戦死した後、残された蔵元夫人に
腰にサーベルを下げた税務署長や地元の酒造組合長は廃業を勧めたという。

女手一つでこの非常時にいつまでも酒造りをやっていけるわけがないというのである。
小さい酒蔵などはなくなった方が徴税の手間が省けてお国のためになるというのである。
国のために殉じた将兵を英霊と呼ぶ。
先の大戦では戦病死した日本の将兵の6割は餓死だったと書いている人がいる。

戦って死んだのではなく食い物も与えられずに倒れていった兵士が多かったのである。
何人かの戦死者が出ると、不利な戦争でもやめられなくなる。
ここでやめたらお国のために死んでいった英霊に申し訳ないというのである。 
商売軍人とか戦争好きの人たちの戦争継続の口実に使われるのがあわれ英霊である。

その無敵用語である英霊のこんな使い方が「闘う純米酒」に書かれていた。
戦死した蔵元の中国戦線時代の連隊長が蓮田に現れて「国策も大事だが、
お国のために尽くされた英霊の生家を踏みにじるような真似はしてはならない」と
税務署長に釘をさして神亀酒造はようやく存続が認められたというのである。
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by munojiya | 2007-02-27 01:36 | Trackback | Comments(0)
原料はサウトキビのお酒(闘4)
日本のビールを飲んだ時に原料の中に「米」という文字を見つけて驚くことがある。
ビールは麦から造るものだと思っている常識が覆されるからである。
原材料に「コーン」ともあるから、ビールを蒸留したらバーボンになるのかと思ってしまう。
ビールメーカーにいわせると米を混ぜるとまろやかな味わいのビールになるのだという。

ビールは使用する麦芽の量が少なくなると発泡酒ということになる。
発泡酒は飲み手の懐具合を慮(おもんぱか)って原価をケチったビールのことである。
日本酒の場合は原価をケチるときには醸造用のアルコールを大量に加えるのである。
その表示が「醸造アルコール」となっていることに庵主は疑問をもたなかったものである。

が、それは正しくはサトウキビの廃糖蜜から造ったものだから(米等から造ることもある)
「サトウキビ」とするのが正しいのだということを「闘う純米酒」を読んでいて気付かされた。
アル添の清酒というのはラム酒を混ぜて造った酒なのである。
ビールの「米」を笑えないのである。

庵主は「米」を原料に使ったビールを米糠ビールと呼んで好んでいるのであるが、
「サトウキビ」清酒も第三の清酒と思って呑めば結構いけるのである。
もっとも、庵主はそういうお酒を好んでは呑まないが。
それを呑む前にうまい清酒を口にするから酒量の関係でそこまで辿り着けないのである。
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by munojiya | 2007-02-26 00:11 | Trackback | Comments(0)
行ないとがいいと天気がよくなるか
2月18日に3万人のランナーが走る東京マラソンが行なわれた。
行事があるときに、みんなの行ないがいいので今日はいい天気になりましたというのが
小学校の校長先生の挨拶だった。
この日は統計的には雨が降ることが少ない時期なのだというがあいにくの雨だった。

雨の東京マラソンは日頃の行ないが悪い人が3万人も集まったせいなのだろう。
走らない庵主にとってはこの日を楽しみにしていた人には悪いがそれはいい天気だった。
雪どころか、雨も降らない日が長く続いていた東京はカラカラに乾燥していたからである。
湿り気が加わったのはいいことなのだが雨の翌日は花粉の飛散量が多くなるのが困る。

韓国人は日本が水害に見舞われた時に、日本人に天罰が下ったと喜ぶ癖がある。
するとその後に韓国が未曾有の大水害に襲われたものである。
日本海を東海などと呼び替えたものだから海の神様の怒りにふれたものか。
天気と運命をこじつけるとそういうことになるという笑い話である。

諺は物事が思い通りにいかなかった時に関係者を慰めるものもちゃんと用意されている。
そういうときは、雨降って地固まる、というのである。
杜氏は、自分が造っているのではない、お酒を造るのは最後は神様の仕業だという。
至って謙虚であるがお酒の出来が悪かった時に神様の思し召しと逃げられるからである。
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by munojiya | 2007-02-25 00:59 | Trackback | Comments(0)
いじめの起源(闘3)
いま学校ではいじめが流行っているという。
日教組の先生がやってることを子供が真似しているというのが実相だったりして。
いじめと言えば税務署の蔵元いじめが半端でないということを時々耳にする。
「神亀」(しんかめ)の蔵元が徹底的にやられたという。

そのため小川原良征専務がストレスで失明しそうになったことがあるという。
神亀は埼玉県蓮田市にある蔵元である。
管轄の税務署は春日部税務署だという。
税務署の担当者が良くなかったものか税務署ぐるみなのか、とことんいじめられたという。

純米酒を造るというのがよくないというのがその指導(いじめ)だった。
しかも造ったお酒を2年も3年も熟成されたのでは
その年の酒税の上がりが少なくなるからよろしくないというものである。
アルコールを混ぜない酒を造るのも、熟成させるのも、前例がないと言われたという。

それなら昭和24年以前に三増酒を造っていた前例があったのか教えてもらいたいが。
会社は労働組合の結成と税務署の査察を経験して一人前になると聞いたことがある。
その試練を乗り越えることができれば会社はいちだんと強くなるのだという。
「神亀」はお酒も強い酒だが、専務も苛酷な試練を乗り越えた強い人なのである。
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by munojiya | 2007-02-24 00:45 | Trackback | Comments(0)
読めない(闘2)
案外読めないものなのである。
お酒の名前が、である。
庵主がいつも例に挙げるのが「亀泉」である。
庵主は読めなかったのである。

「キセン」か「かめいずみ」か判断できなかったのである。
だから、酒銘には振りがなをふってほしいといつも言っているのは
「亀泉」が正しく読めなかった時の記憶が蘇(よみがえ)るからである。
土佐の「亀泉」は、「かめいずみ」と読む。

埼玉の蓮田に「神亀」というお酒がある。
「ジンキ」か「かみかめ」か、あるいは濁音を嫌って「シンキ」かもしれない。
正しくは、「しんかめ」と読む。
純米酒しか醸さない蔵として呑み手の間ではつとに有名な蔵元である。

知っている人はためらわず「しんかめ」と読めるが初めての人は戸惑うかもしれない。
見て読むだけなら文字どおり「神亀」と読めるが、口に出して読むとなると分からない
その蔵元の専務が小川原良征ということは目では知っていたが読めなかったのである。
おがわはら・よしまさ、と読むのだということを「闘う純米酒」で初めて知ったのである。
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by munojiya | 2007-02-23 00:17 | Trackback | Comments(0)
「能書き」の能書き
能書きというのは、
お酒のうまさを伝えるために造り手の気持ちをくんで文字にすることだと書いた。
聖書・仏典・儒書はどれも開祖が書いたものではなく
商売気の強い弟子が書いたものである、おっと師の言葉に感銘を受けたとしておこう。

これは儲かるという古人の直感と商才によるものである、それも知恵だったとしておこう。
いまでもそれらの言葉は売れているからその直感は正しかったのである。
お酒のうまさも一般的に造り手はそれを自分から口にしないものだった。
よって、そのうまさの伝導は上掲書のように呑み手がそれを引き受けるのである。

口にしてみてこう感じたということをそのお酒を受け取った人が言葉巧みに書くのである。
神を語る言葉はそれを誰も見たことがないから自由自在である、ほとんど狂気に近い。
神には実体はないが、お酒には舌に感じる実体があるから、
お酒を語る時は言葉がそれについていけないというもどかしさがあるのは否めない。

庵主はお酒にストーリー(能書きのことをいう宣伝用語)を造って売れという。
多くの場合庵主は、酒そのものというよりはそのストーリーを味わっているからである。
そういうストーリーをたくさん知っているからどんなお酒を呑んでも楽しめるのである。
ストーリーのあるお酒はうまく感じるものだからである。
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by munojiya | 2007-02-22 00:16 | Trackback | Comments(0)
能書きが大好き(闘1)
見出しのカッコの中に闘1とあるのは連載ものであるということである。
「闘う純米酒」(上野敏彦著・平凡社刊・1575円税込)をネタにしたシリーズである。
その1回目ということである。
シリーズというのはネタ切れを補うための庵主の手法である。

このブログは庵主にかかわってきた酒の話を書いているが
実は、すでに結論が出ていることなのである。
だからもうなにも書くことはないのだが、毎日惰性で16行を埋めているのである。
うまいお酒とは何かを知りたいというのが庵主がお酒を呑みはじめた理由である。

うまいお酒とはそこに造り手の気合がこもっている酒のことである。
呑んでもなにか物足りないというお酒はそれが希薄な酒だとわかったのである。
造り手の人智を超えてそのうまさが出現することがある。
そこに神様がいると見るのは杜氏の直感であるが、庵主もそこに神を見るのである。

文字で書かれた神ではなく、舌に感じる神であるからこれは実在の神である。
食い物であるお酒は料理と同じように造り手の気持ちがこもっている時にうまいのである。
それがない形だけの食い物を庵主は餌と呼ぶがそれでは心の滋養にはならない。
お酒の宣伝は、すなわち能書きとはその気持ちを文字にして伝えることなのである。
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by munojiya | 2007-02-21 00:39 | Trackback | Comments(0)
大手酒造メーカーのお酒はなぜまずいのか
庵主のようにお酒を味わって呑む呑み手の間では、
大手酒造メーカーのお酒はまずい酒というのが常識になっている。
そこまでハッキリ言い切らない人でも黙って避けて通るお酒である。
というのも、心して呑んでもつまらない味の酒が多いからである。

大手のお酒がなぜ、呑んでも物足りないという意味でまずいのかというと、
それはうまくないからなのである。
と書いたら当たり前ではないかということになるがそういう意味ではない。
同じお酒といっても大手の酒はうまいお酒とは酒の造り方が異なるということなのである。

まともなお酒を造っている中小の蔵は健気にうまいお酒を造ろうとしているのである。
一方大手酒造メーカーは安全に品質のばらつきがないお酒を造ろうとしているのである。
造る量が大きいから、ひどい酒ができたときには量が膨大なので大変だからである。
健気にうまいお酒を造ろうとしても必ずしもうまい酒になるとは限らない。

見込み違いのお酒ができることもあるが中小蔵の場合は大手の酒造量とは量が違う。
大手のお酒は、だから癖のないけっして悪くはない安心して呑めるお酒なのである。
そういうケチのつけようもない個性のないお酒はちっともうまくないということなのである。
出汁(=心)を入れない味噌汁を呑んでいるようなお酒なのである、うまいわけがない。
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by munojiya | 2007-02-20 00:58 | Trackback | Comments(0)
資本の論理
サッポロビールが外資に買われそうになっている。
おかしな世の中になってきたものだ、蔵がゼニカネで売買できるようなったのである。
ビールなら外来酒だから蔵のオーナーが外国人でもかまわないが、
それがもし日本酒の蔵元だったとしたらその風潮は不愉快の極みである。

企業の弱みに付け込んで金儲けのためにちょっかいを出してきたのだろうが、
そういう振る舞いを容認する勢力と庵主の感情は一致しない。
なんでもゼニカネで処理できると考える一神教的独善的発想が肌に合わないのである。
国内で西洋風の宗教にかぶれる人が少ないのは同様の嫌悪感からなのだろうと思う。

ビール造りは装置産業だから大きい方がいいのだという。
ビール自体が味わうというより水がわりだから飲めればいいというわけである。
かえってうますぎるビールはよろしくない。
しかし、日本酒はというとこれは造り手の顔が見える酒なのである。

大手酒造メーカーがこれがお酒だといって売っている酒に魅力が全然ないように、
だれが醸しているのかわからないお酒は一般的にうまくないのである。
お酒に関しては蔵が大きくなるとその味がぼやけてくるということは経験的事実である。
資本でお酒は造れないということなのである。
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by munojiya | 2007-02-19 00:28 | Trackback | Comments(0)