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高い酒を必要としない人
酒の安売屋の目玉商品みたいになっている紙パック入りのお酒を誰が呑むのだろうかと
常々疑問に思っていたが、なんてことはない、その事情を理解したのである。
高い酒はいらないということなのである。
なぜか。

庵主、久しぶりに、ちょっと力仕事をしたのだが、
それを終えて帰ってきたときのお酒はべつにいい酒でなくてもよかったということである。
ちょっとだけ口にしたお酒が、酔いが回ってくるとともに
酔いが酔い求めてお酒がすいすい次の一杯を呼び込んだからである。

いつになく多い量のお酒が呑めてしまったが疲労が心地よくお酒にとけていくようだった。
それは体の疲れが求める酒なのである。
昔、焼酎は力仕事をする人が呑む酒として一段下に見られていたことがある。
仕事を終えたあとに酒をあおらないと翌日になっても疲れが残るからである。

酔うための酒だから、量を呑むので清酒より安かった焼酎が選ばれたということである。
農業をやっている知人は2.7リットル入りの焼酎「大五郎」を箱ごと買って呑んでいた。
疲労回復剤として呑む酒には、うますぎるお酒はかえって邪魔なのだという。
そういうお酒の呑み方があるということを庵主は体験的に理解したのである。
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by munojiya | 2007-04-30 01:00 | Trackback | Comments(0)
スティール・パートナーズ・ジャパン・ストラテジック・ファンド
落語の寿限無を思い出すような長い名前である。
なにをやっているかはすぐ分かるが、三菱東京UFJ銀行同様傍迷惑な社名である。
今、サッポロビールの株式を買い占めて金儲けを企てている、西洋風にそれを頭が゚いい、
というか、日本風に阿漕というか、その手の投資ファンド会社の名前である。

外資によるわが日本のビール会社に対する主権侵略行為だというわけで、
俄然愛国心がわいてくるのである。
と思ったら、台風みたいなもので、一過性の嵐のようである。
長い名前といえば、最近の日本酒が長い。

酒銘に関しては庵主が覚えられないほど長過ぎるものはないから問題ないのである。
しかし昔のように等級表示がなくなったのでお酒の品質表示部分が長くなったのである。
「山田錦純米大吟醸無濾過生原酒袋吊り斗瓶囲い」などとなる。
それに精米歩合が何パーセントとかが付くと庵主にはもう覚えられない。

それを庵主は戒名と呼んでいる。
知らない人には呪文のような言葉が連なっているからである。
昔のお酒は「月桂冠」「大関」「剣菱」ですんでいたのである、加えても一級、二級である。
今日の日本酒は品質が分かりやすくなったものの、かえって面倒くさくなったのである。
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by munojiya | 2007-04-29 00:35 | Trackback | Comments(0)
タブーというのは陰(いん)のこと
紙にはかならず表と裏があるということに気付いてから庵主は物の見方が変わった。
裏面がない紙というのは存在しないということである。
世の中の仕組みはそういうことだったのだと理会したのである。
物事には表と裏があってそれで世の中が成り立っているということである。

それを陽と陰といっても同じことである。
表にはかならず裏があるということである。
その裏が面白いとそれをほのめかして語る表も面白いのである。
また裏はわかっていても見ないことにしている場合が多い、だって人間だものである。

それをタブーという。
あからさまにすると差し障りがあるから口にしないことになっている事柄である。
いま朝鮮人が「従軍」慰安婦のことで数十年前の日本を執拗に非難しているが
その振る舞いに違和感を感じるのはタブーの問題を表に引っ張り出したことによる。

しかもすでに解決済のことを何度も何度もほじくり返してくるものだから、
そこに幼稚な精神を感じてしまうので相手にしてあげたくても疲れてしまうのである。
日本酒業界にもタブーはある。
関係者はみんな知っていることなのに口にしてはいけない事柄が。

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昨夜は久しぶりに遅くまでうまいお酒を呑んだのでブログの更新を忘れていました。
お酒がすいすいはいるのですから、呑んだのはいずれも味のあるお酒ばかりでした。
林立する酒瓶が宝の山のように見えて、ためらうことなく酔っぱらってしまいました。
いやー、酔っぱらうということはいいものですね、うまいお酒に身をまかせることは。

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by munojiya | 2007-04-28 09:35 | Trackback | Comments(0)
タブー
タブー。
禁忌という。
日本酒業界のタブーは。
それを明らかにすることは禁忌である。

実態をあからさまにできないお酒を造っている人たちに対する批判になるからである。
批判されて気持ちがいいという人は少ない。
だから不要な波風を立てることはないということである。
というのもその人が生きている限りその手の酒はよくなることがないからである。

お酒という商品は造り手の生き方なり考え方や妥協の産物だからである。
どんなことでも真面目に批判したら最後は殺し合いになってしまうからである。
そういう真面目のことを過激という。
過激のふりがなはバカである。

呑んでいて気持ちがいいお酒が、ちょっとさがせばいっぱいあるのが嬉しい。
そういう真っ当なお酒を造る人が少なくないということがわかるからである。
そうでないお酒を語るときは、自分の粗相を酒のせいにする場合と違って、
「そのお酒がそう言わせるのだ」とお酒のせいにするのである。
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by munojiya | 2007-04-27 01:06 | Trackback | Comments(0)
新学期シリーズ9(終) お酒を呑むということ
米と、水と、そして杜氏の技と。
お酒は日本の風土の恵みと日本人の心から生まれた酒である。
日本酒は日本人の生き方がこもっているということで日本の文化そのものなのである。
お酒は日本人の体と心にかなっている一番うまい酒なのである。

真っ当に造られた日本酒には日本人の酒造りの精華が詰まっている。
庵主が語っているのは真っ当に造られたお酒のうまさである。
大量生産された日本酒はそれはそれでまた別の世界なので混同しないことである。
お酒を呑むということは日本の伝統を継承していくということなのである。

アルコールをまったく受け付けない人には申し訳ないが、
実は、本物の日本酒は本当にうまいのである。
そういうお酒を味わってみると、体がうまいと喜んでいるのがわかるほどである。
本物のお酒が持っている生命力と呑み手の肉体が共鳴するためだと思う。

お酒を呑むときのしきたりを知ることは日本の文化を繋いでいくということなのである。
「書を捨てよ町へ出よう」と言ったのは寺山修司である。
それに倣(なら)って、書を捨てて、すなわち読むのはひとまずこれぐらいにして、
さあ、さっそくこれからうまいお酒を呑みに町に出よう。
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by munojiya | 2007-04-26 00:47 | Trackback | Comments(0)
お酒の原料表示の見方
市販されているアイスクリームの原材料を見ると使われてる原料の多いことに驚く。
例えば森永の「涼風堂桜もち風アイス」だと、「乳製品、桜餅ソース(あん、還元水飴、
餅粉、桜葉粉末)、砂糖、果糖ブドウ糖液糖、植物油脂、水あめ、食塩、乳化剤、
安定剤(増粘多糖類、セルロース、寒天)、香料、野菜色素、クチナシ色素」とある。

家庭の台所にないものが食品添加物で本来は不要なものだという。
果糖ブドウ糖液糖とかクチナシ色素がある台所はまずないといっていいだろう。
一方、遠藤製餡が作る「あんこ屋さんのおしるこ こしあん仕立て」だと、
「砂糖、小豆、澱粉、食塩」となっていて原料はただそれだけである。

アイスクリームもまともに作れば、牛乳と砂糖と卵黄とバニラぐらいなのではないか。
森永のアイスは原料を駆使して造られた食の芸術品なのである、創造の世界である。
次にサントリーの「ジョッキ生」だと、「ホップ、コーン、糖化スターチ、醸造アルコール、
植物繊維、以下略」と超芸術的なのはそれがいうなれば合成ビールだからである。

原材料が多すぎる食品は本来の道から外れてより模造品に近いということである。
お酒も同様に本来の造り方である純米酒なら「米・米麹」ですむが、
三増酒になると「米・米麹・醸造アルコール、糖類、酸味料」と多くなるのである。
合成清酒の場合は、と、もう書くまでもないが、それがお酒の表示の見方である。
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by munojiya | 2007-04-25 01:59 | Trackback | Comments(0)
新学期シリーズ8 自殺は病気
かつてアル中は当人の性格の弱さからくるものだと思われていた。
意志を強くもってすれば克服できると思われていたのである。
しかし、それは病気なのだということがわかってきた。
いまは、インテリはそれをアルコール依存症と認識するようになっている。

樺沢紫苑の新著「自殺という病」の宣伝メールが届いた。
それによると自殺も病気なのだという。
当人の意志ではどうにもならない状況なのだという。
意志を強くしてもやめられるものではないと指摘である。

酒がやめられない、煙草がやめられない、というのは
当人の意志の問題ではなく、すでに依存症の状態になっているのである。
やめられる人もいることから、限界を越えると意志ではどうにもならなくなるようである。
パチンコ依存症(賭博癖)も病気だろうからパチンコ台は病気治療器なのかもしれない。

刑事裁判では弁護士は刑を軽くするために被告をなんでも精神障害にしてしまいたがる。
それを病気だということは患者の救済にはなるがその人格の否定という副作用がある。
依存症でもそうでなくても癖が悪いのは回りが迷惑することには変わりはないのである。
酒を呑むということは時にはそういう危険性をはらんでいるということである。
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by munojiya | 2007-04-24 00:25 | Trackback | Comments(0)
和らぎ水
お酒を呑む時にはたっぷり水を飲みましょうというのが和(やわ)らぎ水である。
ウイスキーを飲むときに、最初から水で割って飲むと折角の味わいが薄まってしまい、
スリルとサスペンスがなくなってしまうからあえてストレートで飲むことがある。
その時に度数の高いアルコールを緩和するために一緒に飲む水をチェイサーという。

日本酒のチェイサーが和らぎ水である。
水道の水でも全然かまわないのだが、洒落たお店では仕込水を出してくれることがある。
今呑んでいるお酒を仕込んだ水が出てきたらなんとなくうれしくなってしまう。
和らぎ水の主目的は悪酔いの防止である。

庵主の場合は60ミリリットルの酒に対してコップ1杯の水を呑んでいる。
しっかりお酒の味わいを確かめた後に、たっぷり水を飲むのである。
そうすると酔いの回りが緩慢になるから、なるような気がするから
長い時間呑み続けることができるのでお酒をいつまでも楽しめるということである。

同時にお店も、客がいつもよりも盃を重ねてくれるから売上があがるということである。
一石二鳥なのである。
水を飲みながらお酒を呑むと、飲み過ぎても翌日の余韻が爽やかだという説もある。
庵主はそんなに呑めないから実証のしようがないのであるが。
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by munojiya | 2007-04-23 00:17 | Trackback | Comments(0)
新学期シリーズ7 それでも呑まなきゃならないときがある
用意されたお酒は悪い酒ではなくても呑みたくない酒というのがある。
上司が会社の経費で奢ってくれる酒とか
接待で呑ませたり、呑まされたりする酒とか、
酒のよしあしに興味がない先生が沢山呑めとすすめてくれるお酒などである。 

それらのお酒は若造や弟子が無下に断れない酒だから本当に困る。
「むの字屋」などを読んだりして日本酒の実態を知ってしまった以上、
そのお酒がうまいグループの酒なのか、どうでもいいグループの酒なのか
見えてしまった人には出てきたお酒を見ただけでも閉口することがあるはずである。

そういう場合に、こんな酒は呑めません、などといってはいけない。
その時のお酒は、味わって呑むのが目的の酒ではないからである。
いっしょにお酒を呑むということに意義がある酒だからである。
同じ釜の飯を食う、という言葉がある。

いっしょに飲み食いすると気が通うようになるからである。
気が通わなくても、通ったことにして振る舞うのが日本のしきたりである。
本当にうまいお酒は自分のお金で呑むものである。
呑みたくないお酒を呑むときのコツは同時にしっかり水を飲んでおくということである。
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by munojiya | 2007-04-22 00:21 | Trackback | Comments(0)
お酒の余韻
お酒を呑んだときの余韻には二つある。
一つは心に残るそれ。
もう一つは体に残るそれである。
後者は宿酔いとか二日酔いという異名をもっている。

酒は百薬の長といわれているが
その薬には副作用があって
呑み手の意志を薄弱にして居酒屋を喜ばせてしまうことが多々あるということである。
庵主の飲酒時間は午後6時から午後10時までとなっている。

スタートの時間は守れるのである。
昼間っからお酒を呑んではいけないという規範が身についているからである。
だが、いったんその日のお酒を口にすると理性がお酒の誘惑に負けてしまうのである。
まずい酒ならすぐに呑み飽きるから、そういう酒は健康にはいい酒なのかもしれない。

夜の12時をまたいで呑んでしまうことがある。
本日の仕上げの一杯というつもりである。
そのお酒が翌朝にまで細く長くつづく余韻を残すのである。
それがわかっていてもやめられないのは薬の副作用なのである。
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by munojiya | 2007-04-21 00:20 | Trackback | Comments(0)