「ほっ」と。キャンペーン
<   2007年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧
犯罪の陰に薬あり
犯罪の陰に薬があるという指摘がある。
見掛けが異なる色々な犯罪は症状であって、
その原因には共通項があるのではないかという仮説である。
その原因というのは薬である。

それは、薬(くすり)というよりは薬(ヤク)とよんだほうがいいかもしれない。
覚醒剤の成分に似た成分を主成分にする抗鬱剤を服用して犯罪に及ぶ人が多い
というのである。
風邪薬とされているタミフルが服用後に異常行動を起こすことがあるようにである。

ときどきアメリカで発生する銃の乱射事件の犯人も実はその手の薬を服用していた
という説があるが、それが真実かどうかを庵主は確認する手立てがない。
昔の薬は病気を治したらもう使用しないものだったが、今の薬はそれでは儲からないので
いったん呑みはじめたら服用を中止できないものが作られているという話もある。

泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸と見掛けの症状は異なるが、
その共通の原因は酒である、アルコールという薬物である。
色々な犯罪も実はそのアルコールに当たる薬のせいなのではないのかという見方には
案外真実味を感じるのである。
[PR]
by munojiya | 2007-05-31 00:17 | Trackback | Comments(0)
世の中の悪いことは食い物が悪いという説
最近は、凶悪犯罪というか、猟奇犯罪というか、想定外犯罪というか、
これまでの常識では考えられなかった犯罪事件が起こるようになった。
20世紀には体験できなかったことを新世紀では見聞きできるようなったわけである。
その原因はなべて、人間の食い物の劣化によるものだという見方がある。

少年犯罪が起きたときに、その犯行少年の食い物を聞いて愕然とすることがある。
食事ならぬ、ほとんど餌みたいなものしか食っていないことがよくあるからである。
その少年だけのことではなく、現在の多くの人々の食生活がそうなっているのである。
電子レンジで加熱するだけの加工食品というのは食い物ではないというものである。

食い物とは見掛けを食うものではない、その食い物の命を食うことなのである。
防腐剤をタップリ入れた食い物を食っても何の役にも立たないということである。
防腐剤は差別用語ということで、今は合成保存料と言い換えるのだっけ。
見た目だけの食品は人間の心をだめにするという説である。

アル添酒に使われているアルコールは実はその合成保存料ではないのか。
アルコールはもともとが毒だからそのことは大した問題ではないが、
やはり命がこもった本来の純米酒とはその中身が異なっているということである。
そういうお酒でも呑みたいですかというのがこのブログが問いかけていることなのである。
[PR]
by munojiya | 2007-05-30 00:23 | Trackback | Comments(0)
これは「著作権法」に悖るのかもしれないが
ロシアの小話である。
ウオッカである。
2007年5月25日付けの産経新聞に載っていた深堀明彦氏が書いた記事からの引用。
「悪いウオツカというのはあるのだろうか」

「ない。ウオツカはいいか、またはとってもいいかのどちらかである」
「悪い女はいるのだろうか」
「いない。でもウオツカが飲み足りないということはある」
ここまでが引用である。

その小話はさとう好明著「ロシア小話アネクドート」からの紹介(パクリ)だという。
さとう氏の自作の小話でないとしたらその小話の著作権はどうなっているのだろう。
庵主は多くの諸賢と同様著作権というのが理解できない一人である。
著作権を声高に主張する人を見るとヤクザの因縁付けを見るような思いがする。

「よい著作権法というのはあるのだろうか」
「ない。著作権法はいかがわしいか、あほらしいかのどちらかである」
というのも、庵主には著作権という考え方がよく理解できないからなのであるが。
小話を話すのに一々引用先を明示しなければならないなんておかしいと思いませんか。

-----

そういえば日曜日の第74回日本ダービーの勝ち馬の名前が「ウオッカ」だった。
庵主は競馬には疎いのでその名前が酒の名前からとったものかどうかは知らないが、
競走馬の名前に酒の名前を付けてもいいというのなら、
「ワンカップオーゼキ」とか「キクマサピン」が走るレースが見られるかもしれない。

[PR]
by munojiya | 2007-05-29 01:59 | Trackback | Comments(0)
冗談生ビールを指弾しているわけではない
冗談生ビールのことを話題にしているが、庵主はそれを指弾しているわけではない。
飲めないビールを造っているわけではないのだから全然問題ないのである。
ただ表示がおかしいといっているだけなのである。
冗談生ビールは正しくは「非加熱ビール」といったところが正しいのだろう。

ビール業界が瓶やアルミ缶入りの冗談生ビールを「生ビール」と呼んでいるとなると
飲食店でサーバーで売られている一杯売りの樽生ビールも中身は冗談生ビールなのか。
せんだって、生麦にあるキリンビールの工場を見学してきたときに
瓶ビールも缶ビールも樽にはいったビールも中身はみな同じだと聞いたことがある。

となると、樽入りのいわゆる生ビールもフィルターで酵母を除いたあとに詰めたものか。
そうだとするといわゆる生ビールも酵母がはいっていないスカスカビールということになる。
冗談生ビールと呼ぶのもちょっとイヤミなので、これからは「通称生ビール」と書く。
通称生ビールだからまずいというのではなく、ここでは表示の問題をいっているのである。

一つの表示が造り手と飲み手とでその理解が異なっていると話にならないからである。
はっきりいって通称生ビールはビール業界がつくり出した詐欺用語である。
実態は軍隊なのに自衛隊と呼ぶようなもので、実態を糊塗する嘘言葉なのである。
そういう神経の持ち主たちが日本ではビールを造っているということなのである。
[PR]
by munojiya | 2007-05-28 00:18 | Trackback | Comments(0)
偽生ビールは冗談生ビールと呼ぼう
庵主は平気で偽(にせ)とか似非(えせ)とか紛い物(まがいもの)という言葉を使うが
日本語では、その場合には当たり障りのない言葉に置き換えることになっている。
模造品はイミテーションなどと外来語でぼかしたりする。
そこで、庵主は偽生ビールを、冗談生ビールと呼ぶことにする。

冗談の部分に振りがなをふると、「もどき」といったところである。
よく似ているなぁという、感心にも似た苦笑の妥協のことである。
飲んでも実害がなければとやかくいうまでもないという諦めのことである。
蟹肉風かまぼこを指弾するようなもので益するところがないということである。

日本酒の場合、生酒というのは、火入れ(ひいれ)していない酒のことをいう。
火入れというのはお酒を65度ぐらいのお湯につけて酵母を殺すことである。
酒の中に酵母が生きていると醗酵が進むことがあるから酒質が劣化する場合がある。
醗酵がうまく進めば思ってもいなかったうまい酒になることもあるがその期待は小さい。

酒質の安全を考えると火入れして保存性を高めるというのが普通である。
ビールでも酵母を加熱殺菌するのが普通だが、それをやらないものを生ビールという。
生ビールとは、すなわちビールの中に酵母が残っているものなのである。
「生ビール」は加熱していないから生だという主張は冗談以外の何ものでもないのだ。

-----

生酒と呼ばれる日本酒には、
本物の生酒と生貯蔵酒と呼ばれるものと生詰と呼ばれる亜流の酒があるが、
ここではもちろん本物の生酒のことをいっている。
生貯蔵酒と生詰酒は通常2度火入れするところを1回だけの火入れにしたものである。

「生ビール」(カッコ付の生ビール)はたしかに火入れはしていないビールなのである。
火入れをしていなから生ビールだとビール大手5社は談合しているが、
その生ビールには酵母が残っていないのである。
フィルターを使って酵母をすっかり取り除いたものだからである。

[PR]
by munojiya | 2007-05-27 00:04 | Trackback | Comments(0)
本物と偽物の境界
たとえば、ビトン(ヴィトンと書く人もいる。美豚と書いたTシャツもある)の鞄を例にとる。
それが馬鹿高いのと、それでも、というかそれゆえにというべきか人気があることから、
そっくりの鞄を作って安く売るという人がいる、買う人がいるからである。
それは偽物ということになる、そういう行為はもちろん犯罪である、不正表示である。

が、しかし、その偽物が本物とほとんど変わらない商品である場合がある。
そういうときの違いは、いうなれば嫡出子か庶出子の違いである。
庶出子は偽物の人間なのか。
出自の違いだけであって、本物となんら変わるところがないのである。

食品に大切なことはその安全性である。
栄養がなくてもかまわないが毒であってはならない。
生の食品は日持ちがよくないこともあって保存料などで長持ちさせるのだが、
その塩梅をどこまで認めるかが、本物と偽物の判断の分かれ目になる。

生ビールというのは酵母が残っているビールのことだと庵主は思っている。
酵母を残しておくと品質の劣化を招くということで保存のためにそれを取り除いておいて、
加熱殺菌ではなくて、フィルターを使って酵母を取り除いたから「生ビール」なのだという。
そういうのは偽生ビールだと庵主は考えるのである、内質が変わっているからである。
[PR]
by munojiya | 2007-05-26 00:58 | Trackback(1) | Comments(0)
「貴州茅台酒(まおたいしゅ)」に水質汚染の危機
中国の環境汚染のひどさが取り沙汰されている。
以前日本が公害で数多くの被害者を出したような事態がより大きな規模で起こっている。
川の汚染、土壌の汚染、空気の汚染となんでもあって、
最近よく目にする中国からの輸入農産物の安全性を危惧する人は少なくない。

なんでも、日本国内に出回っている梅の実の50%が中国産、
辣韮(らっきょう)は70%が中国産、
そして、蜂蜜は90%近くが中国産なのだという。
中国では蜂蜜は毒だと思われていると書いている人もいるがそういわれても困る。

日本で流通している蜂蜜の実態がそうなら蜂蜜を選ぶ際に選択肢がないからである。
蜂蜜は食べないという選択肢はあるが、
健康とお酒を比べて体に悪いお酒をやめるというのと同じでそれができれば世話はない。
そんなことはできないから食品に対して安全性を求めるのである。

中国の水質汚染は茅台酒にまで及んでいるという。
中国の公式な饗宴で供される茅台酒は貴州省にある赤水川の水を使って製造している。
その川の水が汚染されて茅台酒の品質保持に問題が起きているのだという。
もちろん、日本国内で流通している「貴州茅台酒」は当然100%が中国産である。
[PR]
by munojiya | 2007-05-25 00:11 | Trackback | Comments(0)
小粋とはんなり
庵主は北海道生まれで、東京暮らしが長くずっと日本の北の方に住んでいるので
関東人的律儀な発想が身にしみこんでしまっている。
また落語が好きだから、インテリ(だまされやすい人のこと)なのである。
だから江戸言葉の「小粋(こいき)」という言葉は全国共通だと思っていたのである。

やくざな気風を誇る関西人には「小粋という言葉がない」と永六輔がいっていた。
では関西に小粋な人はいないのかというと、そんなことはない。
それを「はんなり」というのだそうだ。
関西人の方が奥が深いのである、別の言葉で言えば意地が悪いのである。

小粋が経済的な痩せ我慢なら、はんなりは精神的な痩せ我慢である。
日本では精神的なものの方が、経済的なものより格が高いことになっている。
そういえば江戸という地名は穢土と同じ発音だということに気がついた。
小粋は小生き(こいき)で、けちな生き方という意味なのかもしれない。

小粋はまた「粋(すい)」ということもある。
小粋と粋の違いはとなると庵主はその違いを示す例え話ができない無粋者なのだが、
粋は酔の境地なのではないか。
ちょっと酔っているよという、軽い、そして、非日常的な小洒落た気分のことである。

-----

念のための補足である。
永六輔がラジオ番組で言っていたのは
「関西には小粋という言葉がない」という部分である。
やくざな気風を誇る関西人というのは庵主の見方である。

[PR]
by munojiya | 2007-05-24 02:09 | Trackback | Comments(0)
それはお酒の上級者が呑む酒
2リットル入りの紙パックにはいって売値が千円を切っている「清酒」がある。
いうならば、いまでも終戦後をやっている日本酒である。
原材料を見ると、米・米麹・醸造アルコール・糖類・酸味料とあるから
いわゆる三増酒である。

そういうお酒は、お酒の初心者が呑む酒ではないと庵主は思っている。
初心者は、最初はうまいお酒から呑むのが正しい。
まずい酒からはいると、次にも日本酒を呑みたいとは思わなくなるからである。
また、三増酒をしみじみ味わえる境地に至るには長い酒歴を要するということである。

初心者には、初めてお酒を口にした人でもそのうまさがすぐわかるお酒を庵主は勧める。
ただ、お酒を教えてくれる人が回りにいない若い人は
ついその手の酒を日本酒だと勘違いして手を出してしまうのである。
まず安いから得だと勘違いしてしまうのである、そして「清酒」と書かれているからである。 

物には相場の値段というのがあって、日本酒なら1升瓶で2000円からである。
それが半値で売られているということはかなり無理な造りをしているということである。
どんな物でも最初はまともなものから、できればいいものから入るのが正しいのである。
格下のお酒を呑んでもその味わいが理解できるのはいろいろ経験してからのことだろう。
[PR]
by munojiya | 2007-05-23 00:06 | Trackback(1) | Comments(0)
分厚い本
日本人はなんでも本にしてしまうクセがあるから、
中には値段だけの価値がないスカスカの本も少なくないが、
一方、翻訳書を見てみると逆に紙の無駄遣いみたいなやたらと分厚い本が多い。
1冊の本に詰まっている字数が必要以上に多いのである。

なにかを言いたいために本を書いているのだろうが、
そのために、そんなに字数が必要なのだろうかというのが庵主の疑問だった。
有用なことを主張したいのなら結論を先に書いてほしいと思うのだが、
どうやらそういう本は書き手の自己顕示欲を示すための手段らしいのである。

庵主の読解力ではその手の分厚い本を読んでもしょうがないということが分かったので
それらの本は暇人の、おっと頭がいい人の時間潰しの娯楽なのだと思うようにしたのと、
簡単なことをわざわざもったいぶって書くのは書き手の能力不足なのだと思うことにした。
分厚い本を読むということは忍耐力を養うトレーニングにはなるだろう。

若いうちは時間があるからそういうものを読むのもいいのだろうが、
年を取ると、気が短くなるからそういう読書はわずらわしくなってくる。
推理小説じゃないのだから、いいたいことは先に書けとイライラしてくるのである。
で、このブログでいいたいことは、真っ当な日本酒は本当にうまいという一言である。
[PR]
by munojiya | 2007-05-22 02:07 | Trackback | Comments(0)