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お酒が呑める幸せと呑めないことの幸せ
庵主は量は呑めないのだが、お酒はちょっとだけ呑めるのである。
そして、お酒のうまさが判るのである。
お酒が呑めることは幸せだった。
お酒のうまさが判るということは快感で、そこに日本人の美意識を見たのである。

こんなことをいっても差し障りはないと思うから書いてしまうが、
庵主は美しいものが好きである。
美しいものを愛でることは、考えようによってはそうでないものを馬鹿にすることであるが
世間ではそれを差別とか軽薄な優越感と呼ばないことになっている。

本当にうまいお酒を、すなわち真っ当なお酒を呑んでいると、
そうでない安い(値段でなく評価が)お酒を呑んで満足している人が可哀相になってくる。
しかし、そういうお酒でも十分楽しむことはできるということはいうまでもない。
中にはアルコールを全然受け付けないという人がいる。

奈良漬けのにおいを嗅いだだけでも酔っぱらうというのは本当らしい。
そういう人は、お酒のこのうまさを、すなわち身も心もとろけさせてくれる快楽を知らずに
死んでいくということなのだから余計なことではあるが憐憫の情を催すのである。
もっとも呑めない方が安酒を馬鹿にしないですむから本当は幸せなのかもしれない。
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by munojiya | 2007-07-31 02:23 | Trackback | Comments(0)
原理主義
原理主義者と呼ばれるのは、一つの考え方を一途に信じ込んでいる人のことである。
一般的には宗教用語で、キリスト教原理主義者などという。
原理主義というのはよくいえば考え方にブレがない一本気な生き方ではあるが、
ふりがなを振ると「こまったものだ」ということになる。

原理主義を下世話な言葉でいうと頑固である、一番楽な生き方なのである。
ときに頑迷と見えることがあるのは考え方に可撓性がないからである。
日本酒の世界では「純米酒原理主義者」と呼ばれる人たちがいる。
日本酒は純米酒に限る、アル添酒などは間違っていると考える人たちである。

結論をいうとそれは真っ当な考え方なのである。
それが呑み手の主流になれないのは市場の日本酒の7割がアル添酒だからである。
そのためにアル添酒の味わいに馴染んでしまった呑み手の中には
純米酒よりアル添酒のほうがうまいと感じるという人が少なくないからである。

また、純米酒がかならずしもアル添酒よりうまいとは限らないからである。
まずい純米酒よりうまいアル添酒を好むという庵主のような呑み手が多いと思われる。
なにもひたすら純米酒を信奉して、まずい純米酒を辛抱して呑むことはないのである。
それでも純米酒だという人は味覚が少しおかしいという可能性も考えられるのである。
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by munojiya | 2007-07-30 00:17 | Trackback | Comments(0)
アルミ缶入りのお酒
ガラスのコップにはいった酒をワンカップというのは大関の登録商標である。
だから他社はそれが使えないから普通名詞でカップ酒という。
宅急便はクロネコヤマトの登録商標だから他社のそれは宅配便というのと同じである。
サインペン、ドライアイス、着メロ、シーチキン、シャープペンシルも実は登録商標である。

ビデオテープとか、破魔矢とか、万歩計とか、フリスビーとか、ホチキスとか、
ホワイトチョコレートとか、セロテープになると普通名詞なんかわかるわけがない。
一方、缶入り日本酒には登録商標はないが、「ふなぐち菊水」があまりにもうまかったので
庵主はアルミ缶入りのお酒を見るとついうまいものと先入観から思ってしまう。

先入観というのはすごいもので人間の行動を変えてしまうのである。
地下鉄サリン事件に遭遇した人でもう地下鉄には怖くて乗れないという人がいるという。
庵主の場合はそれがアルミ缶入り日本酒はうまいというプラスの先入観なのである。
新潟の「吉乃川」が、アルミ缶入り、容量1合のお酒を出している。

「越後酒蔵からの贈り物六段仕込み生原酒ふなしぼり」である、最長酒銘である。
もちろん、「ふなぐち菊水」のまねっこであるが、それなりの主張があるお酒だからいい。
磨き65%の本醸造で、アルコール度数は19度である。
これも庵主が呑めるお酒に仕上がっているが「ふなぐち菊水」に一日の長がある。
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by munojiya | 2007-07-29 01:38 | Trackback | Comments(0)
ビールじゃ、ビールじゃ
夏になると、庵主はビールの季節になる。
日本酒はしばしお休みになるのである。
水を飲んだのではいやせない喉の渇きをビールなら一気に解消してくれるからである。
夏に飲むビールは汗となって散るから酔っぱらわないのがいい。

薬として売られているドリンクには少しばかりのアルコールを入れておくという。
それだけで何となく体の疲れが飛んでいくように感じるのだという。
カフェインを加えるとさらに頭がすっきりしたような感じになるのだという。
それならなにも高いドリンクなんか呑まなくてもビールとコーヒーを飲めばいいのである。

夏になると、庵主はまず一杯のビールを口にしてしまうから、
酔っぱらわないとはいっても体は十分アルコールを感じているわけで、
その先のお酒までたどり着けないのである。
自分ではまだ呑める思っていても、体はすでに定量を知っているからである。

しかも日本酒と違って大手ビールメーカーはいいビールも造っているのである。
麒麟の「日本プレミアム」、サントリーの「プレミアムモルツ黒ビール」がうまい。
そしてサッポロの「黒ラベル」も米糠ビールながら結構うまい。
まずい発泡酒を造っていてもきちんと飲めるビールも造っているのがいいのである。
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by munojiya | 2007-07-28 01:07 | Trackback | Comments(0)
「消費者」ぎらい
消費者という言葉が嫌いである。
女は産む機械とたとえて大方の反発をくらった大臣がいたが、
消費者という言葉は、庵主にとってはその産む機械の語感に匹敵するのである。
産む機械と言われても気にならない人も少なくないから個人的な感覚である。

消費者のなにが気に食わないのか。
人間は、ものを消費するために生きているのか、ということである。
その身も蓋もない露骨な言葉遣いに対する不快感なのである。
そうじゃないだろう、生きるために必要な物を活用しているのである。

それを消費と見るのは人間性に欠けている経済学者の物の見方なのではないか。
命の見方が軽薄なのである。
俺は消費者なんかじゃないという人間としての自尊心がその言葉を毛嫌いするのである。
生き続けていることで自分は命をつないでいるのだという自尊心があるからである。

庵主はお酒を呑むが、それはお酒を消費しているわけではないのである。
嗜んでいるのである、命を寿いでいるのである、けっして消費しているわけではない。
それはお酒というものを、心の潤いに転化しているのである。
お酒には呑み手という言葉があって、だから庵主はそれを好んでいるのである。
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by munojiya | 2007-07-27 00:08 | Trackback | Comments(0)
日本の選挙がだんだんアメリカに似てきた
この前のブッシュとゴアの大統領選挙で
本当はゴアが勝っていたのにブッシュの勝ちとなったのは
あらゆる不正が行なわれたからであることは識者はみんな知っていることである。
発展途上国の選挙に選挙監視団を送ることがあるが米国にも送れと揶揄する人もいる。
             
今度の29日は参議院議員選挙の投票日である。
が、数多くの投票所で投票の終了時刻を繰り上げることが行なわれるのだという。
午後8時までに行けば投票できると思って投票所に行ったらもう投票できないのである。
有権者に投票させないというのは典型的な不正選挙の手口ではないか。

日本の選挙もだんだんアメリカ並みになってきたのである、不正先進国並みにである。
信頼も、信用もできない選挙方式に近づいてきたのである。
そのうち電子投票になるのだろうが、それが不正の温床であることはいうまでもない。
あるいはやたらと手間と金がかかる普選自体が間違った選挙方式なのかもしれない。

へんな選挙がまかりとおる社会で一人日本酒業界がその外にいることはありえない。
紛い物を「本」と称しても平気な日本人である、お酒は日本人の文化なのである。
その業界もまた日本人がやっているからである。
ただ真っ当なお酒を造ろうという意志のある蔵元だけが呑み手の信頼に足るのである。
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by munojiya | 2007-07-26 00:46 | Trackback | Comments(0)
真実は反対側にある、お酒のうまさも
鏡に映った自分の顔は、鏡の中に顔があるように見えるが、
その顔の実体は鏡のこちら側にあるということである。
また、見た目でしか自分の顔を認識することができないということである。
真実は目で見えるところとは反対のところにあるということは少なくない。

よくある勘違いは、
新聞の購読者とかTVの視聴者は自分が新聞社やTV局の客だと思っていることである。
それらは新聞紙や視聴率を売るためのカモにすぎないのである。
新聞社やテレビ局にお金を出してそれらの会社を養っているのは広告主なのである。

只読み、只見の人が新聞やテレビに文句をいってもせせら笑われるだけなのである。
税金を払わない人が税金の使い方を非難しても説得力がないということである。
小説(作り話)でしか伝えられない真実があると小説家は主張する。
現象を見ただけではわからない真実は嘘(想像力)の中にしかないということである。

お酒のうまさもそうである。
お酒がうまいのではない。
そのお酒を呑んだ呑み手の理解力と想像力の中にそのうまさは存在するのである。
だからお酒は深く知れば知るほど、広く知れば知るほどうまくなるのである。
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by munojiya | 2007-07-25 00:37 | Trackback | Comments(0)
そんなことが信じられるわけがない
安倍内閣の支持率がどんどん下がっているという。
その調査なるものが庵主には信じられないのである。
だれかが意図的に適当な数字を作って記事を創作しているのだろうと思っている。
庵主の商業ジャーナリズムに対する信用度はその程度だということである。

読者と呼ばれる鴨が自分の立場を知ってしまったというわけである。
新聞社の本当の客は広告主なのだということである、読者は鴨にすぎないのである。
納豆などの原材料に「大豆(遺伝子組み換え大豆を含まない)」と書かれているが、
そんな表示を信じられるだろうか。

大豆は90数%が輸入品で多くは米国産だから少なからず混じっているはずである。
その表示を信じる振りをしているのは本当のことを暴くのは煩わしいからである。
戦前の日本人が天皇陛下を現人神といわれて信じる振りをしていたのと同じである。
そんなことがあるわけがないということは常識でわかっていたはずである。

精肉業界は表示と中身が一致しないことがよくあるらしい。
みかけと中身が違っていてもわからない商品だからである。
お酒も同じような商品だから、その表示を信用するしかないのである。
呑み手と造り手はただ一点、信用で成り立っているということなのである。
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by munojiya | 2007-07-24 02:08 | Trackback | Comments(0)
本質は見た目とは反対のところにある事例
見た目と本質が逆という事象がいくつもある。
文字を書くということは、筆記具が書いているように見えるが、
じつはそれが書かれているもの、すなわち紙なり粘土板が文字を表しているのである。
もっとも筆記具で書く行為を字を書くといっているのではあるが。

日本のジャーナリズムにはいくつかのタブーがあるというのは一市民、宇野彬氏である。
「創価学会及び公明党(日本に巣くう獅子身中の虫ではないか)、パチンコ業界、
同和問題、日教組、自治労、国会議員の多さ、経費のかかり過ぎ、
マスコミの質の低下と情報寡占、地方自治体の実態、東大を中心とする学閥」等々。

新聞やTVの客は購読者や視聴者のように見えるがそれは見た目の客にすぎない。
それらは鴨であって新聞社やTV局の本当の客は広告主なのである。
だから、広告主に都合の悪いことが出てくるわけがないということを思えば
タブーこそがジャーナリズム商売の儲けのネタなのだということがわかるのである。

黙っているかわりに広告を出せというのが商業ジャーナリズムの仕組みである。
本質は逆の所にあるということでは、お酒はアルコールがうまいのだと思ってしまうが、
そのうまさの本質はアルコールにあるのではない。
お酒のうまさは、アルコールに乗っている微量成分の妙の中にあるのである。
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by munojiya | 2007-07-23 00:45 | Trackback | Comments(0)
中国的肉饅頭
中国では段ボールをまぜた肉饅頭が作られているという話題が耳目を引いている。
何でも食べる好き嫌いのない民族だと感心するのである、先祖は山羊なのか。
と、その報道はTV局のヤラセだったというニュースが中国政府によってばらまかれた。
段ボール入りの肉饅はデレビ局がでっちあげたのが真相である、というわけである。

冷静な人は、それもまた中国政府のヤラセだろうとそのご苦労に理解を示している。
時を同じくして韓国ではゴミ野菜で作った餃子があることが報道された。
それを非難された食品会社は、これは輸出用で韓国内には出回っていないから
大丈夫なので安心してほしいと釈明したという。

輸出先は多分わが国なのだろう、「原産地:韓国」の餃子は要注意である。
で、日本ではミートホープ社が牛肉に豚肉を混ぜて売っていたことが問題になった。
それは挽き肉で、挽き肉などはまともに食えない肉のいうなれぱ廃物利用なのだから、
牛肉に豚肉が混ざっていても気にすることはないのである。

日本のビールなどは、麦芽・ホップに加えて、副原料と称して米を使っているのである。
米を使うことによってビールの味わいが滑らかになるのだというから信じましょう。
ミートホープ社もそれにならって、豚肉は副原料だと称すればよかったのである。
段ボールと違って豚肉は間違いなく食用だから日本ではそれが通ってしまうのである。
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by munojiya | 2007-07-22 02:24 | Trackback | Comments(0)