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740ML詰めの日本酒
ビールに慣れた体で久しぶりにお酒を1合呑んだら酔っぱらってしまった。
お酒は「あさ開」の「昭和旭蔵 蔵出し純米吟醸生原酒」である。
そのお酒が変わっていた。
変わっていた一つはその容量である。

四合瓶を開栓すると瓶の口までめいっぱいにお酒が詰まっている。
ラベルを見たら740ML詰めとあった。
一合入りのカップ酒を200ML にした蔵元を庵主はわらったことがあったが、
四合瓶のこの20ML増量は合理的である。

瓶の中の空気空間をほとんどなくすることができるからである。
お酒は空気を吸うと確実に味がさめてくるから空気に触れないようにするにしくはない。
とはいえ、開栓する前のお酒なら20MLぐらいなら大して影響はないのだが。
変わっていたその二は、その味わいにニヤリとさせられる技があったことである。

アルコール度数は17~18度で庵主好みの少し高めの度数である。
それでいて、呑んだときの味わいは淡いのである。
低アルコール酒みたいな軽い呑み口なのに、味はしっかり厚いから飽きがこない。
夏用の冷酒には味がスカスカなものが多いがこのお酒はその裏をかいているのである。
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by munojiya | 2007-08-31 01:00 | Trackback | Comments(0)
お酒が恋しくなる季節
東京では、この夏の猛暑をひきずっていまなお蒸し暑い日が続いているが、
しかし、季節は秋に向かって確実に変わりつつあるのがわかる。
体がお酒を恋しくなってきたからである。
夏は、お酒よりもまず生ビールだったが、それが今一つ物足りなくなってきたのである。

汗が吹き出る夏は、水分を補給するために体はまず水を欲するのであるが、
そのときに水を飲んだのでは喉の渇きがいやされないのは多分に精神的なものだろう。
生ビールの刺激でないと、水を飲んだという満足感が残らないのである。
ビールがもっている苦みが決め手なのである、それがうまいのである、夏場はとくに。

その時にアルコール分が高いお酒は、度数が5%前後のビールにはかなわない。
度数を落としたお酒はまずくて呑めないし、適度のお酒なら味が濃過ぎるからである。
低度数の日本酒でも「ぷちぷち」とか「ねね」とか爽やかでうまいお酒はあるのではある。
が、売値が高いので、ビールにはとうていかなわない。

今年も庵主の夏は生ビールだった。
缶ビールも飲んだが、「ニッポンプレミアム」とか「プライムタイム」はさすがにうまかった。
その味わいが、秋の気配とともにそれだけではなんとなく物足りなくなってきたのである。
秋に向かって体は今度はお酒のうまさを求めはじめたのである、季節の代わり目である。
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by munojiya | 2007-08-30 01:41 | Trackback | Comments(0)
酒の上の雲
お酒を味わうということは
盃の上をそよぐ風を味わうことだといった人がいた。
お酒を味わうということは、煙草のみが自己顕示なのに対して、風雅の心なのである。 
それを口にして酔っぱらうというのはおまけにすぎない。

お酒を楽しむということは盃に映る白い雲に日本人の心をみて慈しむことである。
だから、「酒の上の雲」。
盃に映るお月さまでもいいが、それだとなんとなく色っぽいのがわずらわしい。
お酒は邪心なく、こころよく酔いたいからである。

空に浮かぶ雲を見ていると心は古(いにしえ)に飛ぶのである。
古の日本人(ひと)も同じようにこうして雲を眺めていたのかと思うと
古人と命が繋がっていることと、日本人の心が連綿と続いていることを感じるのである。
米国人なら二、三百年前までだが日本人なら千年前に思いを馳せることができる幸せを。

庵主にとってお酒とは酒の上の雲に思いを馳せることである。
その香り、その味わい、その舌触りに日本人の技と心を確かめることである。
それを呑んで酔いがまわるのは、庵主にとっては蛇足だと思っている。
庵主がお酒を呑むのは酔いが回る前までの瞬間芸なのである。
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by munojiya | 2007-08-29 01:59 | Trackback | Comments(0)
真相
日露戦争で日本の命運を決めたのは、
日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破ったことである。
連合艦隊の東郷平八郎は知将秋山真之の作戦を採用して、
明治の日本人の知恵と勇気と気概によって敵を破ったということになっている。

その間の事情は司馬遼太郎が書いた小説「坂の上の雲」にくわしい。
自分は日本人だと思っている人がその小説を読んだらワクワクするはずである。
しかし、覚めている日本人もいて、あれは旗艦三笠に同乗していたイギリスの
観戦武官の指示どおりに戦ったから勝つことができた海戦だったというのである。

イギリスの奸智が日本をして露西亜との戦争に勝たせてくれたというのが真相らしい。
いま日本人が心に描いている対露戦の戦捷に対する誇りは紙の表側というわけである。
紙には裏面があってそちらの方がどうやら事の真相のようである。
表面は歴史物語、裏面は歴史学である。

もちろん日本人にとっての歴史は歴史物語でいいのである、それで間違いではない。
しかし国会議員みたいな指導者は歴史物語を囃し立てると同時に歴史学は必須である。
わかっている上で嘘をついてもいいのである。
ところで庵主も「酒の上の雲」といった法螺話を書いてみたいとふと思ったのである。
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by munojiya | 2007-08-28 02:16 | Trackback | Comments(0)
おかまバーに行けなくなる話
東京で新宿二丁目といえば、その手のお店が集まっていることから
同好の士には一目置かれている街である。
で、食わず嫌いというのがある。
別に襲ってくるわけではないのに先入観とか偏見からそれを毛嫌いすることである。

庵主が共産主義的発想を毛嫌いするのは、それは襲ってくるからであって他意はない。
おかまなんて変態だと思って毛嫌いしている人は甘い。
そんなものは人間の性向の一つに過ぎないからである。
酔えない人から見れば、酒を飲んで酔っぱらっているのも十分変態なのである、きもい。

おかまに対する偏見に輪をかけるわけではないが、
おかまバーに行けなくなる話というのがある。
それを聞くとおぞましくておかまバーには行けなくなるはずである、ノンケの人は。
もっとも同好の士にはそれだから面白いということになるのだろうが、ここでは書かない。

同様に、韓流ブームというのがあって好きにつけ、嫌いにつけ韓国が注目されているが、
その韓国人の日本人に対する嫌悪感を伝える話があって、
それを聞いたら気持ち悪くて韓国には行きたくなくなるが、それもここでは書かない。
お酒が呑みたくなくなるそういう話を思いついたら、いい断酒薬代わりになるのだが。
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by munojiya | 2007-08-27 01:44 | Trackback | Comments(0)
「殺しの烙印」
よく耳にする言葉なのに「烙印」という言葉の意味がわからなかった。
庵主はてっきり焼き印と同じだと思っていたのである。
辞書を引いたら違っていた。
庵主は、日本語の素養に関しては頼りない日本人なのである。

「殺しの烙印」は鈴木清順監督が日活をクビになるキッカケとなった映画である。
その映画を見た社長から意味がわからない映画を撮るなと罵倒されたという。
オールナイトで上映すると殺し屋大和屋竺が殺されるシーンで爆笑と拍手が起こる。
主役の殺し屋である宍戸錠の性癖がおかしいのである。

ご飯が炊ける匂いが好きだという殺し屋で、炊飯器を抱いている場面が出てくる。
庵主もご飯が炊けるにおいが好きなのである。
ご飯をたべると元気が出てくるのである、毎日食べてもあきないといううまさである。
そのうまさに心引かれてまた食いたくなるから、まるで麻薬のような食い物である。

元気の気の字は、旧字体では氣と書いて、米が発する生気をいうのだという。
日本人の力は米に拠るという説があるが、庵主もご飯でないと元気がでない質である。
その米から造るお酒というのはなんと贅沢な酒なのだろうとつくづく思うのである。
しかしその米のうまさにかなわない酒しか造れない人には苦笑を禁じえないのである。
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by munojiya | 2007-08-26 01:27 | Trackback | Comments(0)
お酒の味わいは女性にたとえるとわかりやすい
女の酒呑みはどう感じているかわからないが、
男の酒呑みなら、
お酒の味わいを女性にたとえると呑み手同士で共感が得られることが多い。
女優などの具体的イメージにたとえることもあるがその性格にたとえることもある。

このお酒の色気は女優のだれそれに似ていると一人が口にすると、
いやむしろ女優でいうならばだれだれを思い浮かべる、とくる。
そういわれてみればそんな感じがする。
そうやって覚えたお酒の味はいつまでも記憶に残るのである。

味わいの記憶はいったん何らかの言葉にしておかないと思い出せないものである。
お酒の味わいの微妙な違いについてはだれも教えてくれないから
違いは判っているのにそれを言葉で表現できないことが多い。
庵主も、そういう味わいがいくつもあってとりあえず自分だけの言葉で記憶している。

お酒の中には、呑むほどにその性格のよさがわかってくる気持ちがいいものもあるが、
惚れて呑んだのにちっとも振り向いてくれないお酒というのもある。
そして、数多くのお酒はあるけれどうまいお酒はほとんどないということは、
美人の出現率と似ているところもお酒は女性に似ているのである。
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by munojiya | 2007-08-25 00:43 | Trackback | Comments(0)
捕鯨問題
庵主は鯨肉に興味がないのでそんなものが食えなくても全然かまわないのだが、
それを好む人は、日本の捕鯨が西洋世界からそれをやめろと言われていることに対して
心おもしろくなく思っているところである。
自分たちは牛豚などを平気で食っているのに日本人には鯨を食うなというのである。

理不尽このうえない独善的なその発想が気に食わないのである。
最近は鯨の数が増えて、魚が鯨に食われてしまうために漁獲量が激減しているという。
例によって本当に「激減」してるのか原資料に当たっていないので、
「激減」の部分は裏をとっていないから話の綾である。

国民年金で5000万件が不明になっているという報道が盛んになされているが、
その5000万件という数字もだれが確認したのか知る由もないのと同じである。
すでに捕鯨問題はイデオロギーの対立となっているらしい。
ワインやウイスキーを売るために日本酒を呑むなといわれているようなものなのである。

思うに、今煙草が排斥されつつあるが、煙草を吸うなと声高に非難される煙草喫みは
捕鯨をやめろと狂気をぶつけられる鯨肉好きの日本人と同じ思いでいるのかと思うと、
人の食い物の好みに容喙するのは余計なお世話だと庵主は思うのである。
幸いなことに庵主は煙草も嗜まないので両方ともどうでもいいことなのであるが。
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by munojiya | 2007-08-24 01:00 | Trackback | Comments(0)
米を研ぐことは、その目的は洗うことではない
精米した米粒から糠の部分を洗い落とすことを研ぐという。
庵主は、研ぐというと包丁の刃のこぼれを研いで鋭利にすることを思い浮かべるから
食べるための米粒をなぜ鋭利に磨かなければならないのかわからなかった。
米粒を洗うことをなぜ研ぐというのか理解できなかった。

そこに浅井敏雄説である。
ご飯にパワーがあるのは、
手でしっかり研ぐことによってそこに気がこもるからなのだという。
いうならば本物のハンドパワーを利用するということでご飯はうまくなるという。

機械で洗米して作ったご飯は見掛けはご飯であるが
そこには米が持っている力がないと見るのは当たっているような気がする。
コンビニで売っているご飯より自分で研いで炊いたご飯のほうがずっとうまいからである。
ものを飲み食いしてうまいと感じるのはその食品にパワーがあるときなのではないか。

体がそのパワーと共振したときにうまいと感じるのではないか。
米をただ水で洗うのではなく、研ぐというのは、
人間が持っている手の気をこめることで米のうまさを引き出すためのなのではないか。
そういえばお酒も本当にうまいお酒は手で米を洗っているのである。
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by munojiya | 2007-08-23 00:32 | Trackback | Comments(0)
磨くといい、研ぐという
庵主のパソコンのOSであるウインドウズMeが、8月12日から突然お盆休みにはいってしまいました。故障です。本日やっと回復しましたのでブログの更新を再開します。

削るとはいわず、洗うとはいわない。
米を食うことである。
精米することを磨くという。
やっていることは玄米の外側を削り取ることである。

玄米の外側の部分は人間の体によくないという経験則からである。
その玄米が体にいいのだと考える人達もいて庵主は玄米食マニアなのだと見ている。
好んでまずいものを飲食するという感覚が庵主には理解できないからである。
人生は短い、まずいものを食っている時間はないのである。

いや、逆である。
庵主のような凡人にとっては人生は中途半端に長いから、
どうやって時間を潰すかに困っているのである。
せめて、時にはうまい物を飲み食いしないと虚しさが募るのである。

お酒を呑んで酔っぱらうのは恰好の時間潰しなのである。
酒を飲む人が多いのは、庵主同様人生を持て余しているのだろうと邪推しているのだが。
精米した米を洗うことを研ぐという。
ご飯をおいしく炊くコツは研ぎ方にあるというが、ここで紙数が尽きた。
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by munojiya | 2007-08-22 00:30 | Trackback | Comments(0)