<   2007年 09月 ( 29 )   > この月の画像一覧
きちがい部落
きだみのるの小説に「きちがい部落」というのがあってそれが映画化された作品もある。
しかし、その映画がTVで放送されることは今はない。
きちがいという言葉が放送にふさわしくない言葉ということになっているからである。
さらに部落という言葉もよくないということでその題名は禁句になってしまったのである。

部落ときたら差別と繋がるから、その差別を連想させる言葉がよくないのだという。
なぜなら「部落差別」を商売(食い扶持)にしている人たちがうるさいからなのだろう。
気違いというのは常人という標準値からちょっと外れた行動をする人たちのことであり
部落というのは秘密倶楽部みたいな排他的な集団のことである。

今の日本相撲協会がほぼそれにあたるだろう。
名門時津風部屋で新弟子を扱(しご)いて殺してしまうという事件が起こった。
大相撲は、八百長あり、脱税あり、可愛がりありは当たり前の気違い部落なのである。
それがきちんと報道されないのは横綱審議会委員の新聞社の社長がぐるだからである。

その事件がなんで酒の話と関係があるのかというと、
時津風親方(元小結双津竜)が新弟子の頭をビール瓶でぶん殴ったことが発端だという。
そのビールの銘柄は報道されていないが、そのうちわかるのである。
「このビール瓶で人の頭を殴ってはいけません」と表示されたビールが出たらそれである。

-----

ウェブではうまくルビが振れないので、欄外で庵主が大好きなルビを振っておく。
八百長(ちゅうしゃ)、脱税(ごっつぁん)、可愛がり(はんごろし)ということになる。
朝青龍の不祥事が2場所出場停止なら、協会は同様に営業停止というところだろう。
少なくともNHKは当分相撲中継を中止するしかないだろう。

節度がないことで有名なフジテレビでさえPRIDEとは手を切ったのである。
まして横綱審議委員を出している皆様のNHKが頬っかむりすることはできないだろう。
また、これまでの力士の急死例を精査したら同様の刑事事件もまじっているはずである。
日本相撲協会とは常的に気で手を(なぐ)る協会だったのである。

庵主の映画の定義はこうである。
映画とは、他の芸術分野に比べて「傑作」の出現率が異常に高い表現技術のこと。
それにならって相撲を定義すると、
相撲とは、他のスポーツに比べて、力士の「死亡率」が異常に高い格闘技のこと。

もちろん、「傑作」のルビは「はったり」であり、「死亡率」のそれは「なぶりごろし」である。
時津風部屋の「部屋」はさしずめ「ないむはん」といったところか。
気違い部落というのは、その内情に自分の生活感情とは異なるものがあって
できれば関わり合いになりたくない連中のことである。

*****

ちなみに、この事件の妥当な解説はこちらのブログ
9月28日付けの記事(スポーツ界の記事は後半)でお読みになれる。
この程度の解説を新聞やTVはやっているのかどうか、庵主は事情に疎いが、
そうでないとしたら両者は読んだり見たりする価値がないということである。

さらに凄惨を引き起こした原因について穿った見方がこちらのプログにある。
ネットのおかげでいままで報道されなかったことを知ることができるようになった。
人は、それまで教えられてきたことがウソだったと知ったときに、
心の準備がないとひどく心が傷つくものである。

きみは実は私たちの実の子供ではないんだよ、とか、
きみが教えられてきた日本の歴史は明治政府が造った虚構だよ、とか、
それを不意に知らされたら困惑して
つぎにそれを信じ込ませてきた人たちに恨みを感じることだろう。

朝日新聞のように時々嘘の報道をするのも困ったものだが、
事実を隠蔽して報道しない新聞の方がもっと質(たち)が悪いということで゚ある。
隠されている事実というのは、即ち知らなくてもいい事はあるのが当たり前なのだが、
それを知らなかったという自分の不甲斐なさに落胆(がっかり)するのである。


+++++

この事件の問題点は事件を起こした時津風親方ではないということである。
この事件で一番悪いのはこの人たちである。
そのブログに書かれている最後の部分を読んでいただきたい。
下手な新聞の解説記事よりずっとおもしろいのである。

[PR]
by munojiya | 2007-09-30 00:40 | Trackback | Comments(0)
樽出しのラム酒が飲める店
銀座の6丁目のとあるビルの2階に「庫裏」(くり)というお店がある。
日本酒が呑める店である。
美酒が数多く揃っている店である。
しかも小グラスなら300円から呑めるので日本酒を飲み比べることができる。

庵主は量は呑めないので、
ここでいくつかのお酒を呑んで最近のお酒の傾向をチェックしてくるのである。
たっぷりの和らぎ水も用意されているから庵主にはありがたいお店である。
乙な酒肴もあるが、手をかけたものではないので長居をするお店ではない。

で、同じビルの4階に「葉隠」というバーがあるのである。
ここにそれがあったのである。
ラム酒である。
それがミニ樽から出して飲ませてくれるラム酒である。

気のせいか、香りが一段と豊かに感じるのである。
ラムレーズンのラムのにおいがする。
チェイサーにと、牛乳が出てきた。
酒銘は「ハバナクラブ」だといっていたが、実にいい香りだったのである。
[PR]
by munojiya | 2007-09-29 01:45 | Trackback | Comments(0)
黒糖焼酎の誘惑
黒糖焼酎というのは、いうならばラム酒である。
サトウキビを原料とした蒸留酒だから、ラム酒の仲間なのである。
そして、黒糖焼酎という呼び方は、シャンパン同様地域限定名称の酒なのである。
奄美群島で造られたそれだけが黒糖焼酎と名乗れるからである。

「黄桜」はお台場(東京の地名)でお酒を造っているが
お台場でサトウキビから焼酎を造っても黒糖焼酎とは呼ぶことができないのである。
それは、あえていえばお台場ラム酒ということになる。
ラム酒のデメララ同様、それをオダイバと呼んで愛でる方法があるかもしれない。

庵主が黒糖焼酎に一目置いているのは「長雲」と出会ったからである。
その焼酎が、妙にうまかったのである、庵主と波長が合ったのである。
後日、杜氏名を付した黒糖焼酎「松村健郎」を口にしてそのうまさに納得したのである。
さらに、ラムレーズンの香りに誘惑されてめろめろであることは前回書いたとおりである。

庵主にも焼酎が呑めることが分かったのは黒糖焼酎があったからなのである。
焼酎の味わいを「うまい」というのは庵主の気持ちの中では違和感があるのだが、
その味わいが、また呑んでみたいという蠱惑的な魅力に満ちていることはたしかである。
そういえば沖縄のブルーシールアイスクリームのサトウキビアイスも庵主は好きである。
[PR]
by munojiya | 2007-09-28 00:53 | Trackback | Comments(0)
アイスクリームはラムレーズン
庵主は、酒を飲んだ後に甘い物を口にしないとなにか物足りないものが残るのである。
うまい餡がはいっている饅頭でも、カステラなどでもいいが、
最後にシャーベットかアイスクリームを出してくれるお店がある。
最後にちょっとだけ甘いものを出してくれるお店が庵主は好きである。

酒を飲んだあとに、ただ酔ってしまったというむなしい思いではなくて
今夜は充実した酒を飲んだという満足感がそれによって残るからである。
日本料理のお店では季節のアイスを出してくれるところがある。
今の季節なら葡萄のシャーベットだったり、柿のアイスクリームだったりする。

で、庵主が一番好きなアイスはラムレーズンアイスクリームである。
一説によると、男が口にしていいのはバニラアイスだけなのだという。
ストロベリー味とかチョコレート味のアイスクリームは女子供の食べ物だとか。
しかし、ラムレーズンアイスはレーズンに忍んでいるアルコールがいいのである。

アルコールが秘めている悪徳(チョイワル)の魅力が密かに感じられるところがいい。
ラムレーズンアイスの、その香りにも庵主は心がひかれる。
その香りに蠱惑されて、庵主の体は今ラム酒の世界に傾きつつあるようなのである。
いよいよ庵主も焼酎に体がなびくようになってきたのかもしれない。
[PR]
by munojiya | 2007-09-27 02:21 | Trackback | Comments(0)
宗教は平気で人を殺すためのおまじない
チンケな宗教がある。
自分たちだけがよければいいという独善的な宗旨を掲げる宗教である。
「しゅうきょう」という音に別字を当てると臭狂とか執凶とかになるが、
その音が意味するところはそんなところだろう。

文字が意味をあらわすのではなく、発音がその意味をあらわすものだからである。
例えば教育を狂育と書いてもその本義はたいして変わりないということである。
「きょういく」という音に含まれている響きにその意味の本質があるからである。
それに当てられた文字は、たんに衣装にすぎないからである。

一つの宗旨にはまると他宗派の信者を平気で殺せるようになるのは
実は人間の知恵なのかもしれない。
その点、日本の神道(しんとう)は人殺しをしない宗旨である。
そこいらの雑宗に比べると断然精神的到達度が高いのである。

精神的に人を殺すのが平気になるのが宗教なら、
肉体的に人を轢き殺せるようになるのが飲酒運転である。
落語では、私はもう酔っていますからという人はホントは酔っていませんね、という。
俺は酔ってないという人にかぎって十分に酔っているというのが噺家の考察である。
[PR]
by munojiya | 2007-09-26 01:20 | Trackback | Comments(0)
人々を幸せにしない日本というシステム
捕虜収容所で、
日本人は、一反の布が渡されたときに、それをみんなで少しずつ分けたという。
だからみんな継ぎを当てたものを着ていたという。
ドイツ人は、一人の人にその布を与えて一着分の綺麗な服を作ったという。

日本人はいつまでも平等にぼろ服を着て、幸せな状態とはほど遠いままだったという。
ドイツ人は一人ずつきちんとした服を着た幸せな人がふえていったという。
一番いいのはだれもが綺麗な服を着ることができるようになることだが、
そうでないときはどうするかということである。

日本酒の話である。
いま特定名称酒は生産量の3割ぐらいである。
その中のうまいお酒だけを庵主は呑ませていただいている。
まずい酒は呑めない体質だからである。

庵主の酒環境はドイツ式で、数少ない幸せ者の役をやらせてもらっているのである。
まずい酒でも満足できるという人たちがいるのだからそれは放置しておいていいものか。
低品質のお酒の質を少しでも向上させて幸せな人を増やすことに意を注ぐべきか。
所詮、味は好みなのだから、そこまでお節介を焼く必要はないのかもしれないが。
[PR]
by munojiya | 2007-09-25 02:32 | Trackback | Comments(0)
健康煙草
最近は中国産の食い物や製品の評判が悪い。
そこで作られる野菜は毒菜と呼ばれ、
そこで作られている薬などは飲むと死ぬことがあるからである。
安全管理がなっていないのである、それが中国人に対する信頼の限界なのである。

そういう中国製品が安価だということで世界中にばらまかれていることから
世界各国で中国産品を食べたり飲んだりしたことによる被害者が続出している。
庵主もできれば国産の食い物や加工食品を選びたいが、
しかし、身の回りの食糧がいつの間にか中国産が占めるようになっていたのである。

すべての中国産品が毒だというわけではないだろうが、
その製造管理状況がよくわからないから不安はぬぐえないのである。
もっともそんなことに心配していたら食うものがなくなるから運を天にまかせるしかない。
まっとうな食い物を食べましょうといわれても対応のしようがないのである。

健康のために食べている物でかえって体をいじめているというのが日本の状況である。
そんな中で健康を害する二大悪食と目の敵にされているのが酒と煙草である。
庵主はお酒は多少わかるが煙草はよくわからないのでなんともいえないが、中国には
健康煙草と称して売っている煙草があるというから中国人は一枚上手なのである。
[PR]
by munojiya | 2007-09-24 00:31 | Trackback | Comments(0)
本当のことを書かないジャーナリズムは嘘を書いているのと同じ
自民党の総裁選挙は見た目は福田康夫と麻生太郎が争っていることになっているが、
馴れ合い選挙であることは誰もが知っていることである。
福田康夫が新総裁になることは最初から談合で決まっていることだからである。
それを知っているはずなのに新聞は事の真実を伝えようとしない。

だから今の新聞は読んでも役に立たないということである。
安倍総理が職をなげうったために
空転する国会の経費が1日3億円といわれている。
それは税金の無駄遣いであるが、それを糾弾する新聞はない。

本来なら税金を浪費する原因を作った自民党にその損失を補償させなければならない。
それを言わない新聞は政府・自民党と談合しているからである。
紙面で談合を叩いている新聞社のふるまいもまた究極の談合体質そのものなのである。
新聞がジャーナリズムでなくなって久しい。

勝谷誠彦氏は今日の日本の状況を偽装国家と呼んでいるが、
本当のことを書かない新聞をもってウソばっかり書いていると庵主は言うのである。
合成清酒だの、第3のビールだの、第4のビールだのという偽装が蔓延するのは
酒税法の精神がゆがんでいるからであるが、それを指摘する新聞も亦ないのである。
[PR]
by munojiya | 2007-09-23 01:32 | Trackback | Comments(0)
井上芳雄はワイヤードマイクを知らないという
若手のミュージカルスター井上芳雄は、コードが付いているマイクを見て
そのマイクに付いているコードは何ですかと尋ねたという。
若い人なので、コードが付いているマイクを知らなかったというのである。
年寄りはマイクにコードがついているのは当たり前だと思っているのに。

中国人から、日本の人気TV番組のビデオを送ってくれと頼まれて
ビデオテープを送ったら、これは何ですかと聞かれたという話を読んだことがある。
中国はテープの時代を飛ばしてすでにDVDが当たり前になっていたのである。
ビデオといえばテープと思った日本人は遅れていたのである。

若い人は白黒TVを知らない。
カラーフィルムしか知らない世代がモノクロフィルムの面白さに感動していたことがある。
音楽はレコードをステレオ装置で聴くものだったがいまはパソコンで聴くものである。
若い人からその黒い円盤はなんですかと聞かれてがっかりする人は年寄りである。

庵主のこれまでの人生で一番感動したことは、
レコードがモノラルからステレオに変わって音には立体感があると知ったことである。
そういう面白い部分を若い人は知らないのだから不幸だということなのである。
お酒でいえば三増酒の世界を知らないでうまい酒だけを呑んでいるようなものである。
[PR]
by munojiya | 2007-09-22 02:52 | Trackback | Comments(0)
別の時
デジタル録音というのは音楽として聞く音ではないというのが庵主の持論である。
あれは人間が聞く音ではないと庵主は思っている。
それをいい音だと思って聞いている人は音楽を聞いているのではなく、
ただ音を聞いているだけなのである、いうなれば普通酒で満足できる人なのである。

音楽とはその心を聞くことであって、音質の善し悪しを聞くことではない。
オーディオマニアが馬鹿にされるのは本末転倒なふるまいがおかしいからである。
音楽を聞くのではなく、再生音の善し悪しにこだわるから
興味がない人がその話を聞くとただただおかしいのである。

部屋にスピーカーを合わせるのでない、スピーカーに部屋を合わせるのだという。
足に靴を合わせるのではない、靴に足を合わせるのだという旧陸軍の話と同じである。
雑音まじりのレコードを聞いて深く心を打たれたのに、
音は確かにきれいなCDではその感動がないというのは音が間違っているからである。

普通酒はそのデジタル録音であり、特定名称酒は心に響くアナログ録音である。
メリハリのない味わいが好きな人には普通酒の雑味すらない無難な味がいいのだろう。
雑音がまじっていてもいいから心に響く味わいを求めるには特定名称酒である。
音だけ聞いていればいいという人は普通酒、いい音を求めるときには特定名称酒である。
[PR]
by munojiya | 2007-09-21 00:17 | Trackback | Comments(0)