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うまいお酒の必須条件
うまいお酒にはその味わいに立体感がある。
その正体は酸味のうまさである。
酸味といってもお酒にはいろいろな酸が含まれているが
うまいお酒は、庵主の口に合わない酒とは酸の出方がちがっているのだろう。

酸味が前に出てくれば酢を飲んでいるようなものであるが、
うまい日本酒の酸味は味わいの裏にあってしっかりその味わいを支えているのである。
普通酒の多くはその酸が弱いから呑んでいてもなんとなく頼りない味わいなのである。
そういう普通酒には柚子果汁を一滴入れて呑むとうまくなるという冗談がある。

うまくなるというよりはぼけている味が少しは締まるといった気休めだろう。
まずい酒は冷やして呑めという経験則を併用すればなんとか呑めるはずである。
さらにその手のお酒はうまい酒を呑む前に呑むという原則を外してはいけない。
うまい酒を呑んでからそういう酒を呑んでも間違いなくうまくないからである。

日本酒に限らず酒類のうまさは酸味のうまさにあると庵主は感じるようになった。
ラム酒のうまいのも、モルトウイスキーのうまいのも、ビールもまた
酸味がきちんと感じられるものがうまいのである。
お酒の酸のバランスにもいろいろあってうまいお酒はそれが美味に出たものなのである。
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by munojiya | 2007-10-31 02:00 | Trackback | Comments(0)
うまいお酒は味に立体感がある
最近「開春」の「純米吟醸」と「山形正宗」の「純米吟醸稲造(いなぞう)」に
めぐりあった。
二つのお酒とも明らかにうまいのである。
この辺から話が抽象的になる、いや、感覚的になるといったほうがいいか。

その2本のお酒がうまいと感じるのはその味にいずれも立体感があるからである。
立体感がある味といわれてもその味わいを思い浮かべることができないだろうと思う。
逆に、立体感がないお酒とはどんな味わいの酒なのかというと、
大手酒造メーカーが大量に造っている普通酒のようなきれいなお酒である。

それらのお酒は、たしかにきれいなアルコールなのでお酒にはちがいないが、
しかし、その味の中に何かが足りないのである。
味に艶(つや)がないのである。
味わいに色気がないのである。

だからメリハリのない平板な味わいに感じるのである。
舌には感じるが心に感じないお酒なのである。
体は酔っぱらうが、心が酔えないさみしいお酒が味に立体感がないお酒である。
お酒の味わいの立体感の正体はわかっているが、それはまた明日の話で。
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by munojiya | 2007-10-30 01:56 | Trackback | Comments(0)
白→赤ときて次は玉虫色か?
食品の製造年月日を不正に表示する事件が
北海道の白い恋人に続いて、今度は三重の赤福がそれをやっていると
内部告発があったようである。
白から赤に続いたから次は何色かと気になるところである。

日本酒の製造年月日表示がおかしいということはかつても書いたことがある。
それはいうならば玉虫色なのである。
その製造年月日はいつでもいいということになっているからである。
基本的にはそのお酒を製品化した時点の日付を付けることになっている。

瓶詰した日付とか、倉庫から出してきて出荷する日を製造年月日としている。
春先に造ったお酒を半年間タンクに寝かせておいてその後に瓶詰すると
瓶詰した時点の秋口の日にちがそのお酒の製造年月日となるのである。
上槽(お酒を搾ること)してからの半年間は熟成期間だというわけである。

そういう表示では何年熟成させた古酒なのかわからないのである。
製造年月日を詰口年月日などと表示している蔵元や、
ラベルに上槽年月と瓶詰年月の両方を併記している蔵もある。
上槽年月日と製造年月日の2段書きにするのが妥当なところである。
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by munojiya | 2007-10-29 01:46 | Trackback | Comments(0)
ミートホープ社の社長の名言
豚肉を混ぜた挽肉を牛肉として売っていた北海道の精肉会社ミートホープ社の
社長の発言に「消費者があまり安いものを求めるのがよくない」(大意)というのがあった。
だからそんなものを食わされることになるのだという自業自得を指摘したものである。
マスコミはそれを迷言と非難していたが、庵主はその通りだと思っている。

あまり安いものはなにかおかしなことをやっていると考えるのが当然だからである。
ビールのほぼ半額の値段で売られている代用ビールを
まともなビールだと思って飲んでいる人はいないだろう。
それが常識なのである。

代用ビールはそれをビールと見做せば格下ビールだから、
まともなビールを飲み比べたときには銘柄間の違いがよくわからないという人でも
本物のビールに比べると格下ビールは味わいが浅いことはなんとなくわかるのである。
肉の場合はそうはいかないから不正表示をされても分からないのである。

日本酒にはかつてアルコールで増量した三増酒というのがあった。
それが日本酒だといって売られていたのである。
国をあげての不正表示であるからそっちの方がミートホープ社より数段質が悪い。
その三増酒みたいな「お酒」は、実はいまでも健在なのである。
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by munojiya | 2007-10-28 01:13 | Trackback | Comments(0)
モーターショーの功罪
今日から一般公開の東京モーターショーは自動車産業のデモストレーションである。
世の関心は低くはない。
どんな商売でもそれには功罪がともなう。
いい面があっても、それに伴って悪い面もあるということである。

いまや自動車がないとまともな生活ができない世の中である。
うまいお酒が口にできるのも小回りがきく自動車があるからこそなのである。
同時に自動車産業は国内において年間百万人を越える死傷者を出す殺人産業である。
年間一万人の人が車に轢き殺されているが多分トヨタの車がトップキラーのはずである。

それだけ人を殺しても我慢できる範囲の社会悪なのだと容認されているのである。
時々気違いが起こす殺傷事件などはその数に比べたらないに等しいできごとである。
その都度「週刊新潮」が気違い対策を声高に叫ぶことになっているがしかし、
世の中の殺傷事件は正常者が起こした件数の方がずっとずっとずっと多いのである。

新潮社はまた気違い自動車による殺人をどう考えているのか示してほしいものである。
それができないのはその手の記事は所詮読者の劣情に訴える与太記事だからである。
ところで、酒造産業は心ならずもその自動車の人殺しに協力している幇助犯である。
飲酒運転で大いに自動車の狂気に貢献しているのである、罪の部分である。
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by munojiya | 2007-10-27 01:53 | Trackback | Comments(0)
クロネコヤマトは偉い
宅急便のクロネコヤマトがそれを始めた小倉昌男前会長が亡くなってから
いろいろ問題を抱えるようになったという新聞記事を目にしたことがある。
そういう社内事情はともかく、クロネコヤマトがやっていることは凄いことだと思う。
おかげでうまいお酒がうまい状態で口にすることができるからである。

いくらいいお酒を造っても
それを呑み手の口元まできちんと運んでくれる人がいなかったら
そのお酒は造った甲斐がない不幸せな酒だということである。
お酒がうまいのはそれを呑み手のところにまで運ぶ人がいるからこそなのである。

蔵元直送のお酒が宅急便で届いた。
一升瓶がよく冷えている。
開栓するとそのお酒の香りはまったく蔵で呑むそれである。
その香りにひたるだけで心はお酒に酔ってしまうのである

お酒のうまさはどこにあるのか。
運ぶ人にあるのである。
だからクロネコヤマトをはじめとする運送人こそがお酒のうまさを支えているのである。
それは呑み手に幸せを運んでくれる商売なのである。
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by munojiya | 2007-10-26 02:05 | Trackback | Comments(0)
うまいという名のバーの高さ
庵主が呑めるお酒はうまいお酒である。
うますぎるお酒はいらない。
まずい酒はどうでもいい。
そして、まずくはないがうまくもないというお酒は真っ平御免である。

量が呑めないので、
最初から甘いお酒でないと呑んだという満足感が残らない。
だから、はじめは頼りない味わいだがだんだんうまくなるというお酒には縁がない。
そんなに呑めないからである。

そしてアルコール度数が高いお酒が口にしたときにインパクトが感じられるから
そういうお酒を好むことになる。
その条件に当てはまらないお酒を呑んでも庵主には物足りないということである。
庵主がうまいと思うお酒には一定の水準があるということである。

走り高跳びのバーでいえば、一定の高さをクリアしていないお酒は呑めないのである。
そして必要以上に高いバーは求めていないのである。
そのバーの高さがその呑み手の好みというものなのだろう。
うまいと感じるバーの高さを越えているお酒なら、庵主はそれで十分満足なのである。
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by munojiya | 2007-10-25 00:58 | Trackback | Comments(0)
うまいという名の幸せ
庵主が呑みたいのは、うまいお酒であって、うますぎるお酒は必要ないのである。
うまいと感じるお酒は幸せの世界であるが、うますぎるお酒は地獄だからである。
うますぎるお酒はきりがないということである。
上には上があるからそれはいつまでたっても完結しない不毛の幸せだからである。

その点、うまいお酒はその時点で完結している幸せだから満足感が味わえるのである。
それで十分だと庵主は思っている。
というより、究極のうまさを見つけようという努力をすることが面倒くさいからである。
お酒に限らずそれを口にしてうまいと感じたらそれで十分なうまさだということである。

うまい味噌はないかと探していたが、庵主の口に合う味噌がみつかった。
仙北市の安藤醸造元が造っている庵主好みのちょっと甘口の味噌である。
近くのスーパーで売っているいくつかの味噌を買ってきて味わってみたのだが、
いま一つ味わいにもの足りないものを感じていたところだったのである。

探せば、世にはもっとうまい味噌があるかもしれないが、庵主はこの味噌で十分である。
うまい味噌に出会えたことを幸せに思うのである。
庵主にとってはお酒もうまいという水準を越えていればそれ以上は求めないのである。
でも、こわいもの見たさでちょっとだけ呑んでみたいのである、うますぎるお酒を。
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by munojiya | 2007-10-24 01:35 | Trackback | Comments(0)
味がないお酒は悪い酒ではない
松竹梅のお酒を取り上げて
それが、庵主が呑んでもうまくないお酒だと書いたが、
それを読んで駄目な酒だと思われた方は早計である。
庵主は、お酒だけでそれを味わうタイプだから、それはうまくないということなのである。

うまいお酒は、時として料理の味わいを損なうことがある。
香りの強過ぎるお酒ではそれがうるさくて料理の味が十分に楽しめないのである。
お酒が強過ぎるということである。
そういうお酒は料理とのバランスがよくないのである。

庵主が好きな甘いお酒とかアルコール度数が高いお酒もそうである。
料理を味わいながらそういうお酒を呑むのはきびしいのである。
お酒の個性が強過ぎるからである。
この場合のお酒のうまさはクセが強過ぎるといった方がいいかもしれない。 

その点では一見味わいがないうまくもなんともないお酒の方が食が進むのである。
お酒が料理の味わいの前に出ない方が長い時間お酒を楽しめるということである。
時間をかけて酔いを楽しむという呑み方の人には
庵主がいううまいお酒は逆に鼻につく酒でうまくないはずなのである。
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by munojiya | 2007-10-23 01:31 | Trackback | Comments(0)
きれいなお酒
「松竹梅 黒麹四段 辛口 生冷酒」(300ML瓶入り305円で購入)を呑んでいる。
日本酒は普通は三段仕込であるが、甘味を出すために四段仕込をすることがあるから
庵主好みの甘い酒かと思ったら日本酒度+10という辛口の仕上げになっている。
大手酒造メーカーのお酒の実力を味わってみるためにわざわざ買ってきたのである。

好奇心から、といったら、ちょっと差し障りがあるか。
口にしてみると全然問題ない味である。
まずくはない。
そして、庵主にとってはうまくもないのが惜しい、何かが物足りないのである。

雑誌でいえば編集長の気合が感じられないさびしさがただよっているといったところか。
でもその酒質はよくできている、変なクセがなくて美しい酒である。
モダンな味わいである、当世風の若向きの味だということである、味が浅い。
その味わいを言葉にすればナイーブなお酒である、ケチをつけるまでもないのである。

クールな味だといってもいい、そつのないお酒だからである。
でも、庵主の心に叶(かな)うものがない、さびしい味わいのお酒なのである。
そういうお酒のことをこれからは「きれいなお酒」と呼ぶことにしようと思う。
きれいな娘(こ)だね、でも、ただそれだけの娘(内面語=お酒)だね。

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美しい酒というのは、美酒とは違いますので誤解のないように。
美しい国というのは前安倍総理がいっていたようにわが国のことであるが、
美国と書くと中国語ではアメリカのことである。
美しい酒と美酒とはなんとなく似ているがそれぐらいの懸隔があるということである。

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by munojiya | 2007-10-22 02:00 | Trackback | Comments(0)