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知らないうちに食い物が変わっていた
納豆は、昔は自然醗酵だったから今日のようによく糸を引くものではなかったという。
それが効率がいい納豆菌による醗酵法に、いうなれば速醸法に変わっているのである。
多くの醤油が丸大豆からではなく安い脱脂大豆から作られるようになった。
そして知らないうちにお酒に安いアルコールが混ぜられるようになっていたのである。

本来の造り方からいえばどれも邪道であるが、お酒も中身が変わっていたのである。
そういう日本酒を「ニセ物、マゼ物、マガイ物」といって糾弾したのは故穂積忠彦である。
一時はそんなひどいお酒ばかりだったのが、いまはいい方に変わってきているのである。
だから今の呑み手はうまいお酒が呑める幸せな時代に生きているということなのである。

季節は冬。
いま蔵元は寒造りの最中である。
タンクの中で今年もまた多くのお酒が醸されていると思うとワクワクするではないか。
年が明け、厳寒の時分になるとうまいお酒の仕込が始まる。

酒呑みにとって、年が明けるということは本当におめでたいことなのである。
新年もまたうまいお酒が味わえるということだからである。
来年はどんなうまいお酒と出会えるのだろうかと心馳せると
新春の訪れがこよなくうれしく思われるのである。
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by munojiya | 2007-12-31 01:46 | Trackback | Comments(0)
年賀状
元旦に届けるために年内に「明けましておめでとう」と嘘の年賀状を書く陋習がある。
一年の計は元旦にありというが偽年賀状から始まるのだから日本は偽の国なのである。
何年か前までは年賀状といえぱプリントゴッコだったが今はパソコンに変わってしまった。
その方が作る方としては手間が省けるからである、より楽だからである。

しかし、もらう方はパソコンで作った一見きれいな年賀状よりも
手間をかけたことがわかるプリントゴッコのほうがなんとなくうれしいのである。
そのプリントゴッコも版画などの手のこんだ年賀状にはかなわない。
そこに自筆でなにか書き添えてあったらそれが一番うれしい年賀状である。

心が通うからである。
ダイレクトメールじゃあるまいし、宛名をプリンターで刷った年賀状などは論外である。
とはいえ、暮れの忙しいときに何十枚ものはがきに手書きで宛名を書くのは大変である。
年賀状を作るほうはそれが楽だから手抜きでついプリンターに頼ってしまうのである。

それって、お酒と同じではないか。
工場で造ったキレイなお酒よりも、手間をかけて造ったお酒のほうがおいしいのである。
さらにその味わいに一滴でも造り手の気持ちがこもっていれば一番うれしいのである。
庵主がうまいと思うお酒は、手書きの年賀状みたいな造り手と心が通うお酒なのである。
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by munojiya | 2007-12-30 01:09 | Trackback | Comments(0)
リスナー
ラジオでは放送を聴取している人のことをリスナーと呼んでいる。
前後の言葉から、それがラジオを聞いている人のことであることは分かるが、
リスナーという言葉の由来がわかる人はどのぐらいいるのだろうか。
英語のリッスン(聴く)からきた言葉であるが日本語としてはなじみは薄い。

リスナーと聞くと、庵主はつい日本語で栗鼠(リス)を思い浮かべてしまう。
日本語としては馴染んでいない言葉なので
リスナーという言葉だけが浮いているように聞こえるからである。
リスナーという言葉に相当する日本語がないのである。

お酒の場合は、お酒を好んで呑む人を愛飲家とか愛酒家という言い方があるが、
庵主はそれをさらにくだいて呑み手と呼んでいる。
ラジオを好んで聴く人を固い言葉では聴取者というがそれをくだいて言うにしても
ラジオという言葉自体が外来語なのでリスナーに相当する日本語が作れないのである。

愛ラジオ家とか、嗜ラジオ者という場合のラジオに当たる言葉がないからである。
中国語ではテレビを電視というが、ラジオは無線電だから、それを援用すると
愛無家となって、愛のない人になってしまう。
それでは愛をふりまく宗教に対する反逆者になってしまうから塩梅が悪いのである。
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by munojiya | 2007-12-29 12:08 | Trackback | Comments(0)
「白露垂珠」(はくろすいしゅ)
年末になってブログの更新なんかやってられないほど忙しいのである。
忙しいはずなのに、ちゃんとお酒は呑んでいるのである。
お天道さまと米の飯はついてまわるというが、
庵主の場合はそれにお酒が加わるようである。

かなっくホールはJR東神奈川駅から徒歩1分というところにある。
ホールはJRに並行して走っている京浜急行の仲木戸駅からも徒歩1分で駅から近い。
そこで、過日庵主が関係している「芸人三昧」が主催している催しものがあった。
その帰りに3人で、会場のすぐ近くにある「文次郎」に立ち寄ったのである。

「文次郎」(ぶんじろう)については以前に書いたとおりである。
一人はお酒がぜんぜん呑めない男、一人はいいお酒を一通り呑んで知っている男、
そして庵主の三人である。
庵主が頼んだお酒は「相模灘」の特別純米酒である。

お酒が呑める男は「川中島幻舞」である。
そして、呑めない男には「白露垂珠」の美山錦の純米吟醸無濾過生を勧めたのである。
その男が一口それを含んで、「このお酒なら呑めるよ」と感動していた。
一口だけとはいえ、その男も呑める「白露垂珠」は評判通りのうまいお酒なのである。
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by munojiya | 2007-12-28 15:59 | Trackback | Comments(0)
不正表示の季節
今年は、商品の不正表示を叩くことが新聞やマスコミの売れ筋商品だった。
だれも困っていないのに、それはよくないと正義の拳(こぶし)を振り上げたのである。
不正表示に関しては、お酒の世界は大人の世界で、実に鷹揚なのである。
この場合の鷹揚というのはデタラメという意味の言い換えである。

それを鷹揚と書くことも不正表記なのであるが、それは日本の文化なのである。
軍隊は自衛隊といい、戦争勝組連合を国際連合と美称するのである。
そして実態の方は見て見ない振りをすることになっているのである。
お酒の表示は製造年月日からして適当で、しかも賞味期限の表示なんかはない。

呑み手が責任をもって呑めばいいという世界なのである。
さすがに毒を入れることは禁則であるが、アルコール自体が毒なので、
急激に死ぬか、時間をかけて寿命を縮めるかなのだから大した違いはないのだが、
緩慢な死というのは時として悦楽をともなうことがあるからお酒はやめられないのである。

不正表示でいえば、年賀はがきは年頭からの嘘表示である。
放送局じゃあるまいし、旧臘(きゅうろう)に、あけましておめでとうはないだろう。
それがまかりとおっているのが日本の文化なのである。
日本酒の表示がいかにいいかげんであるかについては順次指摘していきたい。
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by munojiya | 2007-12-23 23:38 | Trackback | Comments(0)
笑える酒
その手の誇張表示はべつにサントリーに限ったことではないが、
このサントリーの酒の売りはその度が過ぎているのでことさら笑わせてくれる。
先だって、丸米仕込を売りにしている菊正宗には苦笑させられたが、
こんどの酒もそれに劣らぬ大苦笑物の酒である。

売りが「果汁UP!」なのである。
それはいわゆるチューハイでサントリーの「カロリ。 カシスオレンジ」である。
いわゆるチューハイと書いたのは、チューハイに定義はないようだからである。
安価なアルコールを薄めて果汁と甘味をちょっぴりいれた酒だと思えばいいのだろう。

口当たりのよさと、値段の安さが魅力の酒である。
深く味わう酒ではないのでほんのり甘くて適度に酔えればいい酒である。
だから深くは詮索しないが、その果汁分をアップしたと缶に大書してあるから
果汁分がどれだけなのかと表示を見てみたのである。

「果汁1.5%」とある。
1%というのは、感覚的にはないというのとほとんど同義語である。
それ以前が何%だったか知らないが、コンマ何%かは増量されたのだろう。
このハッタリがおかしいので庵主はサントリーの酒が好きなのである。
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by munojiya | 2007-12-22 23:29 | Trackback | Comments(0)
カップ酒に込められた気魄
お酒は実際に呑んでみないとうまいかどうかはわからない。
では、初めて出会ったお酒を買う時はどこで判断するのか。
ラベルを見るしかないのである。
蔵元の評判と造りを照らし合わせて買って呑んでみるかどうかを決めることになる。

うまいお酒は瓶を見ればオーラを感じるのですぐわかると庵主は書いているが、
オーラというのは経験則から導き出された庵主の心象のことである。
しかも、それは実は結果論で、後付けのこじつけなのである。
オーラを感じたからうまかったのではなく、うまかったお酒にオーラを感じるのである。

「石鎚 無濾過純米 槽搾り
豊な(ママ)吟香に加え、含み香に重厚さを備えた調和の取れた純米酒。
35日にも及ぶ低温発酵の(ママ)よるきめの繊細さを感じ取っていただければ
幸いです。」

さらに「【原材料】米・米麹 【原料米】麹:掛 全量松山三井60%精米
【日本酒度】+3 【酸度】1.6 【使用酵母】蔵内自家培養酵母
【醸造年度】平成18BY 【アルコール度】16度以上17度未満」と続く。
「石鎚」を呑んだ経験とラベルに漂う気魄からカップ酒ながらこれは買いなのである。
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by munojiya | 2007-12-21 16:20 | Trackback | Comments(0)
カップ酒「石鎚 無濾過純米 槽搾り」
大関がワンカップを発売してヒットしたことから、
各社がそれにならってカップ酒を出すようになった。
カップ酒を詰める機械メーカーの売り込みの成果なのかもしれないが、
いまでは全国の蔵元のカップ酒を楽しめるようになった。

一般的に、カップ酒にはうまいものが少ないというのが常識である。
代表的な「ワンカップ大関」などは、佳選、上選、大吟醸とラインナップがあるが、
それがお酒のうまさの違いなのだと思っているとしたら
日本酒のうまさの凄さをまだ知らないということである。

「ワンカップ大関」のうまさは、工場で大量生産するお酒の味わいなのである。
それとはべつの気迫がひしひしと伝わってくる日本酒の世界があるということである。
カップ酒の面白さは、まれに力のあるお酒がはいっている僥倖に出会うことである。
旅先で期待もしないで買ったご当地のカップ酒が意外にうまかったという話を聞く。

カップ酒にはそういうおいしい意外性があるということである。
カップが広口で、蓋の密閉度も甘いことから酒質の保持には向いていないという人も
いるカップ容器であるが、時にはうまいお酒が詰まっていることもあるのである。
「石鎚」のカップ酒を貰って呑んだのだが、これがなかなかのものだった。
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by munojiya | 2007-12-20 23:22 | Trackback | Comments(0)
ラム酒の誘惑
モルトウイスキーを集めてそれを飲ませてくれるモルトバーや
バーボンウイスキーを集めたバーはよくあるが、
ラム酒を集めたお店はすくないのではないだろうか。
その少ない一つが庵主の庵のすぐ近くにあったのである。

大人は、アイスクリームはバニラ以外に食べてはいけないという説がある。
ストロベリー味とか、チョコレート味のアイスクリームは男は食べてはいけないという。
庵主は、ラムレーズンアイスクリームの香りが好きでもっぱらそれだから、
酒の世界におけるラム酒の位置同様に本道から踏みはずれているようである。

ラムレーズンの甘い香りに惑わされてそのラム酒にたどりついたのである。
ラム酒との出会いは池袋のバーでのことである。
たまたまカウンターの隣に坐った客がラム酒はデメララに限ると語っていたことだった。
デメララという言葉を記憶に刻んだのだが、その後すっかり忘れてしまっていた。

庵の近所の女バーテンダーが仕切るバーに「ロン・サカパ・センテナリオ 23年」があった。
その香り、甘さ、そして度数が高いのになめらかに喉をすぎていくうまさ酔ったのである。
ところでデメララってどういう意味なのだろうか。
庵主のラム酒の旅が、そのお店「マンボバー」との出会いで始まったところである。
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by munojiya | 2007-12-19 23:00 | Trackback | Comments(0)
偽の酒でもうまければいいのだが
アル添の日本酒を真っ当なお酒ではないと思うが、
だからといって、それが駄目な酒だというわけではない。
うまければ、庵主はどんな造り方をしても全然かまわないからである。
しかし、一般的にアルコールの誘惑に負けたお酒は弱い酒が多いのである。

お酒を造るということはアルコールを造るのが目的ではないと思う。
きれいなアルコールを造りたいというのなら、
お酒に混ぜる醸造アルコールのほうがずっとずっと淡麗辛口で麗しいのである。
その美しいアルコールを混ぜると折角のお酒の味わいがだれてしまうのである。

アルコールの添加は女の化粧のようなものである。
一見美しくなるのだが、美しいだけでは心に叶うとは限らないのである。
商品としては見掛けが美しければそれでいいのだろうが、
お酒は呑めばうまいかどうかは、その気立てのよしあしはすぐわかる代物である。

気がつかないで呑んでいる時はいいのである。
化粧で整えた味なのかと気付いたときにがっかりするのである。
呑み手に失望と不信感を与えかねない酒なのである。
気がつく前に呑み手を酔わせてしまえばお酒の勝ちなのではあるが。
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by munojiya | 2007-12-18 01:27 | Trackback | Comments(0)