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お酒の味わいは呑み手が決める
著作物といい、お酒といい、それは読み手なり呑み手がその価値を判断するものである。
受け手の受容能力が高くないと、本来の価値が正しく評価されないことになる。
お酒の場合は知識と経験がないと、呑み手はその価値が判断できないということである。
つまり、呑み手はお酒の知識を高めることがうまいお酒を呑むための近道なのである。

呑み手の知識が浅いと三増酒でも満足してしまうのである。
そういうお酒しかないという現実的なあきらめとそれでもそれなりに呑めるからである。
明らかにまずいならともかく、三増酒でもなんとなく呑めてしまうからである。
しかもお酒は呑み手の気分によってはひどいものでも結構うまく感じることがある。

まずいお酒をまずいと言って呑んでいるうちはまだ若い。
大人はそういうお酒を黙って呑むのである、騒ぐとみっともないからである。
でも本当に利口な大人はそういうお酒には最初から近づかないものである。
そのためには、お酒の知識がないとお酒のよしあしが分からないということである。

うまいお酒も、ひどいお酒も、見掛けは似ているので
見た目では区別がつかないために知識で判断するしかない場合があるからである。
お酒がうまくなれば客が増えるのだからそれを客に教えるのは居酒屋の仕事である。
客にうまいお酒の情報を伝えることも居酒屋の商売の一端である、勉強していますか。
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by munojiya | 2008-01-31 23:17 | Trackback | Comments(0)
笑っちゃった
インターネットは著作権を主張する人の思惑(おもわく)を突き崩してしまったのである。
著作権の無法地帯だからである。
現在のネットの仕組みでは著作者人格権(=不快感のこと)なんか関係ないからである。
たとえばこのブログがそうである。

庵主は、自分のパソコン環境(=自分が持っている装置や使っているソフトのこと)で
四行ごとに四連となるレイアウト(配列)で書いている。
ウインドウズ(これもマックのデザインのパクリ)というOSで書いているのだが、
これをマックの画面でそのまま見るとフォントの関係で行が崩れてしまうのである。

ある行は2行になってしまい、一連が5行とか6行になることがある。
庵主はそういうふうに読んでほしいとは思っていないのに、
そういう見方をされることでひどく著作者人格権を傷づけられているというのに、
著作者が不愉快な感情を抱いていることを機械はぜんぜん気にしてないのである。

中には画面の小さい文字は読みにくいといって勝手に文字を大きくしては行を乱して
読んでいる人もいるが、そういう人が案外自分の著作権を主張する人だったりする。
自分の著作権は大切だが他人の著作権なんか気にしないのだから笑っちゃうのである。
はたとお酒の造り手も呑み手のわがままには苦笑しているのだろうと思い至るのである。
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by munojiya | 2008-01-30 01:37 | Trackback | Comments(0)
著作権を主張する人を嗤う
いつも思っていることなのだが、
著作権というのは持てるものの横暴(おもいあがり)だと思っている。
言ってることが目茶苦茶だからである。
他人のものは俺の物、俺の物はやっぱり俺の物という論理に苦笑するのである。

わが宗教を信仰すれば来るべき終末期には自分達だけが生き残れるという考え方も
庵主には馴染めない。
そんなチンケなことを考える神様がいるとは思われないからである。
馬鹿な子ほど可愛いというが救われなければならないのはそういう人の方ではないか。

人間でさえそう考えるのに、全知全能の神様がそう考えないとしたら
それは馬鹿親ならぬ、馬鹿神ということになる。
その程度の神様を信仰して他宗の人を軽蔑して憚らない人たちの品性を疑うのである。
本来、生きることに善も悪も、自分も他人もないのである、一律であることを命という。

著作権を声高に叫ぶ人は自分の価値を過大評価しているのである、哀れである。
あんたがいなくても世の中はだれも困らないということを知らないのである。
著作物とやらは、お酒は呑んだ人が勝手にその価値を評価するのと同様に
受け手のものなのである、断じて作り手のものではないからである。
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by munojiya | 2008-01-29 23:25 | Trackback | Comments(0)
ちょっとの違い
マニアというのはちょっとの違いに異常にこだわる人達のことである。
関心がない人にとってはどうでもいい違いを楽しんでいるといったほうがいいか。
純米酒だろうが、アル添酒であろうが、似たようなものだからどうでもいいのである。
それを純米酒に限るとかアル添酒は邪道だとかいうのは喧しいだけなのである。

とはいえ、ことお酒に関してはそのちょっとの違いが明らかにうまさの違いなのである。
お酒の中身に関する知識がないとうまいお酒にめぐり会えないということである。
いくらでもお酒が呑める人なら体当たりで呑みまくればいいのだろうが、
庵主は量が呑めないから極力まずい酒を避けないとならない。

最初からうまいお酒を選ばなくてはならないということなので
ちょっとの違いにこだわざるをえないのである。
一度、心に叶(かな)ううまいお酒に出会ってしまったものだから、
今度はそれ以上にうまいお酒が呑みたくなるのである。

そして具合の悪いことにそういうお酒が実際にあるのだからうれしいのである。
このうまさが上限だと分かっていたらあきらめもつくが、
呑むたびに庵主が思いもよらなかったよりうまいお酒が出現するのだからやめられない。
お酒のちょっとの違いがわかることでうまいお酒がいくらでも呑めるということである。
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by munojiya | 2008-01-28 00:27 | Trackback | Comments(0)
お酒は商品である
庵主は大手酒造メーカーが造っているうまくもなんともない通称日本酒や
サントリーなどが造っている模造酒のたぐいを嗤(わら)うのであるが、
かといってそういう酒がよくないとは思っていないのである、枯れ木も山の賑わいである。
いま、日本では、自分が飲むものであっても酒は造ってはいけないことになっている。

特に国が免許を与えた人にだけ酒造りが許されているのである。
ならば、選ばれた人は責任を持ってうまい酒を造る努力をするのが真っ当なところだろう。
呑み手が喜ぶお酒を造ろうとしない造り手の矜持のなさを嗤っているのである。
そして一方では、酒も商品なのだから玉石混淆であることを知っているのである。

いい物もあれば、ひどい物もあるから商品は面白いのである。
商品の造り手もピンキリで、それに応じて買い手の懐具合もいろいろだから
必ずしも品質が優れているとか値段が高い物が常にいいというものではないのである。
その商品に対する期待感も買い手によって異なるということである。

庵主はうまいお酒の味わいを知ってしまったからうまくもまずくもないお酒を敬遠するが、
その程度のお酒を日本酒だと思っている人はお酒にそれ以上の期待しないのである。
だからそこそこに呑める安いお酒で十分満足できるということである。
庵主のお酒に対する期待値は大方の人よりもちょっとだけ高いということなのである。
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by munojiya | 2008-01-27 03:30 | Trackback | Comments(0)
日本酒は日本人の世界
これまでに日本酒を呑んでうまいと感動して涙したことがありまか、私はあります。
ない人は日本人に生まれてきた甲斐がない人ですよ、うまいお酒を呑みましょうよ。
本物の日本酒はお酒が呑めないという人が口にしてもうまいとわかるものなのです。
そういうお酒を呑んだことがないという人は目の前にある宝物に気付いていないんです。

世界に数多有る酒の中でも、日本酒は日本人が長い歳月をかけて磨き上げてきた
日本人の体と気風に一番合っているおいしい酒なんです、心に叶うからうまいんです。
日本酒は、単に酒というよりは日本人の美意識が結晶した呑める芸術品なんです。
ただし、まともな日本酒は、真っ当な日本酒は、本物の日本酒は、ね。

というのが、庵主のツカミである。
いま日本酒は百花繚乱、宝物ともいえるうまいお酒が次々に造られているのである。
日本酒には日本人のモノ造りの精緻さと情熱がつまっているのである、だからうまい。
と、同時に日本人のいい加減さも立ち込めている世界である。

アルコールを大量に混ぜたものが臆面もなく「清酒」と称して造られているのは
一部の造り手には酒を造ることの誇りもなくその志の低さを明瞭に示しているのである。
大手の酒造メーカーが、そんな代用酒なんかは造れないとお上に意見することもせず
連綿と偽日本酒を造り続けているのもまた偽装国家日本の、日本人の一面なのである。
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by munojiya | 2008-01-26 00:06 | Trackback | Comments(0)
これはビールではありません
酒販店のビール売場にいくと、ビールと発泡酒と代用ビールが並んでいる。
ビールと発泡酒はまだそれをいう普通名詞があるからいいのだが、
通称第三のビールとか第四のビールと呼ばれている代用ビールが可哀相である。
その他の雑酒とかリキュールと表示されているだけでまだ名前がないのである。

選んで第三のビールと称されている代用ビールを求めるときには
「その他の雑酒をください」というしかないということである。
がんもどきというのがあるから、それらはビールもどきと呼んでもいいのだろうが、
それでは第三のビールと第四のビールの区別がつかない。

庵主などは正直だから、
つい「ビールの紛い物をください」といいそうになってしまうが、
多少の抑制力はあるので
「安いビールはありませんか」とその手の代用ビールの売場に案内を乞うのである。

果実の絵が描かれたチューハイには「これはお酒です」と書かれていることがあるが、
代用ビールには「これはビールではありません」という表示をしておかないと
ビールと誤認して飲んでいる人が少なくないのではないだろうか。
その注意書きをしないのは無作為による不正表示なのである。
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by munojiya | 2008-01-25 22:48 | Trackback | Comments(0)
厳寒に熱燗
厳寒である。
この時分に呑む燗酒のうまさは至福といっていいうまさである。
身も心も温かくなるのがいい。
冬はお酒がことのほかうまい季節である。

常温でもお酒がきりりと締まっていて冷蔵庫で冷やしたものとはちがううまさがある。
もちろんその温度で呑むお酒もうまいのだが、
お酒によっては燗をつけても十分にうまいお酒がある。
いや、それどころか、燗を付けるとぱっと花開くお酒があるのである。

大方のお酒は燗を付けるとアルコールくさくなるのが落ちであるが、
さすがに、庵主はそういうお酒は呑めないので普段は燗酒を好まないのである。
しかし、中にはあるのである。
この時期に燗酒にするとなんともいえない甘さをたたえるお酒が。

庵主は「十四代」の「本丸」や「磯自慢」の本醸造をぬる燗にして呑むのが習わしだが、
今は目一杯熱燗にしてお酒を呑みたい、そのぬくもりにひたりたいのである。
熱燗にしても味が崩れない強靱なお酒でないとそれはできない。
「浪乃音」の純米吟醸がそれだったのである、厳寒の夜が楽しくなるお酒なのである。
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by munojiya | 2008-01-23 01:46 | Trackback | Comments(0)
杜氏3兄弟のお酒
うまい燗酒を探している。
百貨店で、真っ当なお酒を探す。
間違っても「燗酒」とか「燗上がりする酒」と書かれて売られているお酒は買わない。
いまだかつてその手の酒が庵主の口に合ったことがないからである。

でも好奇心から「獺祭」の「温め酒」(あたためざけ)を買ってしまったのである。
庵主はお酒を呑むのは午後10時までとは決めているがそれが守れないのである。
うまいお酒しか呑まないことにしているが、まずそうな酒も好きなのである。
首尾一貫しないという点では庵主はいたってだらしない酒呑みなのである。

その百貨店の酒売場には全国各地の銘酒が並んでいる。
なんと、沖縄の「黎明」(れいめい)の本醸造までおいてあったのには笑ってしまった。
大きな声ではいえないが考えようによっては下手物の極みといっていいお酒である。
でも、そういうお酒も呑んでみたいのである、庵主の好奇心は。

そういう中ですうっーと庵主の目が行ったのは滋賀の「波乃音」(なみのおと)である。
純米吟醸を買い求めて、裏ラベルを見たら杜氏名が3兄弟となっている。
造り手の気持ちと気合がそれだけで伝わってくるのである。
それを見てこのお酒なら燗にしても呑めるにちがいないという確信が強まったのである。
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by munojiya | 2008-01-22 01:35 | Trackback | Comments(0)
この冬の燗酒を探す
この冬に呑む燗酒がまだ決まらない。
今冬はまだ燗を付けると甘くとろけるお酒と出会っていないのである。
百貨店のお酒売場では燗酒特集ということで、
燗酒とか燗上がりとか燗杯と洒落た酒とか温め酒と称するお酒が並んでいる。

が、庵主の経験則ではその手のお酒に燗を付けて呑んでも
蔵元が自慢するほどにうまくなるものはほとんどないというのが実感である。
ごく普通の真っ当に造られた評価が高いお酒を燗にして呑んだ方がうまいことが多い。
たとえば、「開運」の無濾過純米酒のぬる燗に庵主はお酒の甘さを感じるのである。

あるいは「奥播磨」の燗でもいいのである。
ただ、既に定評を得ているお酒ではおもしろくないということで
毎年異なる銘柄をさがしているというわけである。
温め酒という「獺祭」の純米50%磨き1年熟成酒を買ってきてみたのである。

「獺祭」はいつも新酒の会で出来立てのお酒ばかり呑んでいるものだから、
もっと熟成したものを呑んでみたいと思っていたのである。
温め酒(あたためざけ)は熟成のうまさが売りになっているから
ちょっとためしてみたかったのである、はたしてその燗はうまいのか。
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by munojiya | 2008-01-21 02:35 | Trackback | Comments(0)