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うまいお酒は右肩上がり
当たり前のことだが、いつまでも続く繁栄というのはない。
黄金期の日本映画は質量ともに豊かであったが、その復活はもうないだろう。
映画という形は残っているがその質がおぼつかないのである。
歴史というのは文化の盛衰があるということを教えてくれるのである。

表面的には栄華を誇っているテレビも実態は凋落傾向にある。
だれもが、つまらないとか、くだらないと思いながら惰性で見ているのである。
それでもその影響力は小さくないから侮(あなど)ることはできないが、
その全盛期を過ぎていることは間違いないだろう。

映像や画像は文字の文化には敵(かな)わないのである。
文字の文化である出版もいまは振るわないという。
本を作っても売れなくなったという。
それは作り過ぎであって、低質の本が増えただけのことだからなにも心配はいらない。

お酒もそうだがほとんどの本はどうでもいい本なのである。
その日本酒であるが、今、右肩上がりそのものなのである。
日本酒が日々ますますうまくなっているのである。
呑んだときに心までも揺すぶられるうまいお酒が次々と出現しているのである。
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by munojiya | 2008-02-28 00:43 | Trackback | Comments(0)
新潟シリーズ どぶろく特区
過日ちょっと新潟の蔵元に行ってきたのでその時の話をいくつか続けたい。
「どぶろく」を呑んできたのである。
あえてカッコ書きにしたのはそれほどうまくなかったからである。
それは商業どぶろくの味であって自家製のどぶろくの味わいではなかったからである。

なぜか酒造法ではどぶろくを造ってはいけないことになっている。
個人の自家用醸造を禁止した上で、さらに酒造免許を持っていても
どぶろくを造って売ってはいけないというのである。
それはどぶろくがうますぎるからであるにちがいないと庵主は邪推している。

新潟で呑んだどぶろくは合法などぶろくである。
どぶろく特区の酒造免許第1号となった牧村(今は上越市)のどぶろくだからである。
そうでないどぶろくが出回っているが、
密造酒を呑む行為は密飲とでもいうのだろうか。

そういう酒はいけない行為だけにいっそう酒がうまいに違いない。
新潟特区の商業どぶろくが物足りなかったのは造り方がキレイすぎるからである。
目の粗い布で濾したにごり酒のようなどぶろくでは
美し過ぎてどぶろくの豪快なそして素朴なうまさが味わえなかったのである。
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by munojiya | 2008-02-27 00:29 | Trackback | Comments(0)
濁っているのに清酒
日本酒のことを酒税法では清酒と呼んでいる。
清酒とは澄んでいる酒のことである。
どういうわけか、濁酒(どぶろく)は造ってはいけないことになっている。
にごり酒というのがあって、どぶろくみたいではあるがそれも清酒だというのである。

濁酒と清酒の違いは、濁酒(醪)を濾したものが清酒である。
醪中の固形成分を取り除いた透明部分を、すなわち澄んでいる酒を清酒と呼ぶ。
醪を濾さないと米粒や溶けて粉状になった米がまじっているので白く濁っている。
にごり酒というのは白濁している醪がまじっている日本酒である。

にごり酒は澄んでないのになぜ清酒というのかというと、
酒税法でそれも清酒と呼んでいいとあるからである。
清酒というのは醪を濾したものという定義があるのだが、
その濾し方に厳密な制限がないから、濾すときの布等の目は粗くてもかまわないという。

編み目が3ミリ幅の布で濾してもいいという了解があるのだという。
醪を笊(ざる)で濾したようなものでもそれは清酒だというわけである。
呑み手はそれをまさに笊法だといって笑っているのだが、
酒税法は万事この調子のお笑いの宝庫なのである。
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by munojiya | 2008-02-26 01:48 | Trackback | Comments(0)
日本の酒税法はお笑いネタの宝庫
サントリーは飲み手にお笑いネタを提供してくれるユニークな会社だと書いたが、
それ以上に呑み手を爆笑に誘(いざな)ってくれるのが日本の酒税法である。
天下のサントリーも所詮酒税法下の会社だから酒税法にはかなわないのである。
酒税法はお笑いネタの宝庫で、ハチャメチャといっていいほど可笑しいのである。

というのも、酒を徴税物資として捉えているために
うまい酒を造るということは二の次、三の次になっているからである。
酒税は搾れば搾るほど出てくるといわんばかりに、
搾ったカスみたいなものまで酒と称して売りつけているのだから阿漕なのである。

泣く子と地頭にはかなわないというのが日本人の諦めだから、
税務署の言うことと○○○○の恫喝には逆らえないのである。
最近は食品の偽装表示が世間の話題になっているが、
酒税法がいうところの酒の定義はその先駆者だといっていいほどである。

酒税法は読めば読むほどそのいかがわしさが見えてくる法律である。
そのいかがわしさは、すなわち屁理屈は一種芸術の域に達していて噴飯ものである。
だから、その条文を知れば知るほど笑えるのである、笑って諦めるのである。
酒税法であって酒造法ではないので紛い物が跋扈しているという指摘は当たっている。
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by munojiya | 2008-02-25 01:03 | Trackback | Comments(0)
戦く、躊躇う、論う
読めない漢字というのがある。
「戦く」を「おののく」とすぐに読める人は少ないのではないだろうか。
すくなくとも庵主は読めなかった。
しかし躊躇うとは平気で書くのである。

「躊躇う」は「ためらう」と読む。
そんな読めない漢字を使うのは実は字数を減らすためなのである。
他意はない。
というのもこのブログのスタイルが四行四連としているためなのである。

1行の文字数が多くなってどうしても1行におさまらないときに
字数を減らすためにあえて読めない漢字を使っているというわけである。
スタイルに拘るとそういうしなくてもいいことをすることになる弊害もあるということである。
「拘る」は「こだわる」であるが、これも字数を調整するためである。

酒銘には、あえて読めない、しかも書けない漢字を使っていると思われるものがある。
「開春」にパソコンでは書けない「人偏に宛」と書くお酒があるがそれもスタイルだろう。
「おん」と読むのか、「えん」と読むのか、いつもわからなくなるのである。
「論う」は「あげつらう」と読むのだろうが、庵主にはそれで正しいのかどうか自信がない。
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by munojiya | 2008-02-24 00:04 | Trackback | Comments(0)
「いのちの食べかた」
「いのちの食べかた」というドキュメンタリー(現実)映画が上映されている。
今人間が食べている肉、野菜、塩などがどのようにして作られているかを
ナレーションも音楽もなしに淡々と映し出していく映画である。
だから、場面によってはそれがなにをやっているのかわかないところもある。

それを補うのが映画のパンフレットなのだが、
例によって中身が薄っぺらで、値段が600円もするから買うのはやめた方がいい。
ほとんど同じ内容が映画の広告HPでただで読めるからである。
また、それを読んでもよくわからないところが残るから中途半端だからでもある。

生きている豚と肉屋に並んでいる豚肉との間で何が起こっているかは想像に難くない。
しかし、それが目の前に出てくることがないのは多くの商品と同様である。
豚肉の場合は生き物の肉を加工して食っているのである。
加工現場はむごいのであるが、それを食っている人がそれをいっちゃあいけない。

その点、植物を食うのは気が休まるというので菜食主義者だと自慢する人もいるが、
しかし、その植物だって人間に食われるために生まれてきたものではないのである。
自分が生きるということは何を食ってもむごいことなのである、知らない方が幸せか。
お酒でも呑んで気を紛らわせたいが、その酒も原料は米で命を呑んでいるのである。
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by munojiya | 2008-02-23 00:15 | Trackback | Comments(0)
サントリー的安い酒の造り方
サントリーという酒造会社は飲み手の世界ではお笑いネタの最大の供給源である。
小さい蔵元の悪口はさすがに書けないが、サントリーなら「一流」会社だから、
かりに貶(けな)したところで商売に支障を与える心配がないからである。
貶されるようになって初めて「一流」という考え方もあるから、それである。

庵主の手元に「SUNTORY CHU-HI カロリ。地中海マスカット」という缶酒がある。
主原料はもちろん醸造アルコールである。
それが4%はいっているから十分酔える。
それではうまくもなんともないのでそれに香料が入っている。

それがさわやかなマスカットの香料である。
それだけでは味が薄っぺらで物足りないから甘味を加えて造った手軽な酒なのである。
その程度の酒なら自宅でも簡単に造れるのだが、まず醸造アルコールが手に入らない。
マスカット香料も1滴でいいのに必要以上に買うのは不経済だから酒を買った方が安い。

香料入り安直酒というのでは魅力がないので売りが地中海マスカット入りなのである。
その果汁分が2%だとあるからほとんど入っていないと言っていい量でしかないが。
これを飲んでも酔えるから酒には違いないが、その実態は清涼飲料に近い酒である。
アルコール入り清涼飲料のうまさ(爽快感)と酒のうまさ(陶酔感)は別物なのである。
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by munojiya | 2008-02-22 01:20 | Trackback | Comments(0)
醸造アルコールを酒として飲む不幸
甲類焼酎は醸造アルコールと表記することもある。
以前はそれを原料用アルコールと表示していたが、
すこしでもイメージをよくするために醸造アルコールと書き換えたのである。
というのも原料用アルコールと書くと工業用アルコールと誤解する人がいるからである。

日本酒の普通酒や甲類焼酎のアルコールは化学的に合成したアルコールではなくて、
含糖物質を醗酵させて造った人間が飲んでも問題ないアルコールだという訳である。
普通は製造原価が安いサトウキビの廃糖蜜を醗酵させて造っている。
外国から粗留アルコールを輸入してそれを国内で精留して造られているようである。

庵主はその現場を知らない。
ネットで調べても醸造アルコールが1リットルいくらなのかも分からないのである。
香水の香料とか、食品添加物とか、どこで売っているか分からない商品の一つである。
それなのに現実には大量に流通しているのだから不思議な商品なのである。

醸造アルコールは、安く、てっとり早く酔いを楽しめるという利点があるが、
庵主の好みには合わないのである。
そんなアルコールでは酒を飲んだという快感が残らないからである。
本物の酒には心まで酔わせてくれる余韻があるからである。
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by munojiya | 2008-02-21 16:43 | Trackback | Comments(0)
知ってしまった故の不幸
食い物は好みの問題だから、
庵主は甲類焼酎をあんなものは人間の飲物ではないと言い切ってしまうが、
甲類焼酎が性(しょう)に合う人はそれはそれで全然かまわないのである。
酒(アルコール飲料)は自分がうまいと思えばそれが一番なのだから。

庵主が、普通酒なるお酒とか、甲類焼酎を見下すのは
呑んでみてもちっともうまくないからである。
それはそうである、いずれも個性を殺した酒だから庵主の心に伝わってくるものがない。
しかし、確実に酔っぱらえるから、しかも安いのでそれが好みの人には最適である。

庵主はアルコールの絶対量が飲めないので最初からうまい酒でないと駄目なのである。
そういう体質的事情によって自分の好みを書いているから、
このブログは庵主とは体質の違う人にはちっとも役に立たないブログなのである。
酒の世界は、そして酒の好みは広いということを知るための参考にはなるだろうが。

焼酎も甲類とか乙類の違いを知らなければいずれもおいしいと思って飲めるのだろう。
その違いを知ってしまったためにしなくてもいい不幸を背負ってしまったのである。
知らぬが仏、という言葉の深さを知るのである。
とはいえ甲類焼酎がうまいかといえば、庵主には理解できない酒だということである。
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by munojiya | 2008-02-20 01:23 | Trackback | Comments(0)
食事の酒と餌の酒
人間が食うものは食事である。
動物が食うものが餌である。
餌の本質は最低限生きるための食い物であってそこに精神的な潤いは必要ない。
一方、食事はそれを楽しんで食うものであって、精神的な余韻がともなうものである。

精神的な満足感が残らない食事はさびしい。
うまいという感動がなくて、味気ない、ただ空腹を満たすだけの食事なら餌に等しい。
先に甲類焼酎について書いたが、では乙類焼酎というはどういう焼酎なのか。
乙類焼酎を旧式焼酎ともいう。

甲乙とあると、甲の方が上のように思えるが実は逆で乙類焼酎の方がうまい。
乙類焼酎が本来の焼酎であって食事の範疇(はんちゅう)にはいる酒である。
甲類焼酎とは焼酎とは呼ばれているがいうなれば餌である、徴税用の酒なのである。
甲類焼酎とは連続式蒸留器で造った無色透明で癖のないきれいなアルコールである。

乙類焼酎は単式蒸留器で造る芋とか米などの原料の風味が残っている酒である。
風味が残っているということは個性があるということである。
甲類焼酎はその個性を取り除いたアルコールである。
そんなアルコールを飲んでもおもしろいのかということなのである。
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by munojiya | 2008-02-19 13:24 | Trackback | Comments(0)