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タスポ
今、煙草の自動販売機には大きな文字で注意書きが書かれている。
7月からタスポと呼ばれるカードがないと自動販売機では煙草が買えなくなるという。
自動販売機を見ると、新たにカードを差し込む部分が組み込まれているから
相当のお金をかけて改造したものらしい。

タスポには顔写真が必要だということで顔つきの悪い煙草喫みからは顰蹙を買っている。
だれが考えたものかまたまた阿呆らしいものを考えたものである。
こんなものを考えた人の顔を見てみたいものである。
大方、タスポを作るのはどこかの天下り団体という利権なのだろう。

もっとも、今は顔で本人を特定するソフトウェアが進歩しているというから
自動販売機は煙草を買う人とタスポの顔写真を照合するようになっているのか。
しかし、タスポを使って試験販売したところでは
他人のタスポを使って簡単に煙草を買えたというからそれはないようである。

自動販売機で煙草を買うときにはタスポが必要だというなら、
当然、酒の自動販売機にもそれは必要だというのが類推解釈である。
そうでなければ片手落ちということになる。
酒とか煙草の自動販売機というのがそもそも間違っているのであるが。
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by munojiya | 2008-04-28 10:21 | Trackback | Comments(0)
どこの世界も同じようである
「正直、いろんな舞台を観られる環境にあって
四季の舞台が最高だとはとてもじゃないけどいえない。
実力があっても地味な役者ばかりで個性に欠けるし華がない。つまらない。
その実力でさえ学芸会っぽいのに当たる場合もある。」 (2チャンネルの板から)

お酒でいえば、「正直、東京のいろいろなお酒を呑むことができる環境にあっては
大手の酒造メーカーが造るお酒が最高だとはとてもじゃないけれどいえないのである。
実力があるのはわかるが地味な酒ばかりで個性がないから華がないのでつまらない。
その実力でさえ気合が感じられない使い方をしている場合が殆どだ」ということである。

組織が大きくなるとそこで作られる商品は品質が安定化するが、
それによって個性がなくなってしまうということである。
実用品ならそれでもいいのだが、お酒とか芸というのは毒を楽しむものだから
そんな商品なんかではつまらないということになる。

それはまた絵の世界でも同じである。
絵を大量に売っている会社があるが、
そこに掲げられている絵も同様に庵主にはつまらないものばかりなのである。
呑むにしても見るにしても後回しになる世界だということである。
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by munojiya | 2008-04-27 10:09 | Trackback | Comments(0)
「久保田」の「千寿」は普通酒なのか?
普通酒というのはラベルに特定名称が書かれていないものというのが目安になっている。
「久保田」の「千寿」のラベルには特定名称の表示がないところを見ると普通酒なのだろうか。
同じ「久保田」に「百寿」というのがあるが、「千寿」よりも安く売られているから
「千寿」が普通酒ならその下の「百寿」はどういう酒なのか心配になってくる。

とんでもない酒を「久保田」というイメージだけで呑まされているのではないかという
漠然とした不安がもたげてくるからである。
イメージだけで飲まされたうまい酒というのではサントリーにその前例があるから
「久保田」も近寄らない方がいい酒なのかもれしない。

ひょっとしたら、「萬寿」のラベルにも特定名称は書かれていないのではないか。
そうなると「萬寿」は広告のイメージで造り上げた「高級酒」ということになる。
「久保田」には電通だか博報堂だかの大手広告会社がついていると聞いたことがあるが、
呑み手は一杯くわされたということである、広告代を飲まされていたのである。

「萬寿」は高いお酒なので庵主が買える酒ではないから、
残念なことにそのラベルに特定名称が書かれているものかどうか
確かめようがないので庵主の邪推がまちがっていたらゴメンである。
酒を呑む以前に不信感をいだかせるような酒造りをしているということなのである。
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by munojiya | 2008-04-26 09:43 | Trackback | Comments(0)
呑まずぎらい
食わず嫌いという言葉がある。
なんらかの悪い先入観があって食べる気が起こらない状態のことである。
見た目が自分の好みではなかったりしてそれを見るのもいやなことがある。
あるいはかつてそれを食べてひどくまずかったからという理由によることもある。

日本酒はまずいといって呑む気が起こらない人は呑まずぎらいというべきか。
その多くは初めて出会ったお酒がひどくまずかったからなのだろう。
あるいは、お酒の呑み方を間違っていて悪酔いしてしまったからか。
お酒を呑むことがいやな記憶と結びついてしまったのである。

身近にいる人がお酒を呑んでみっともない振る舞いをしているのを見て
ああはなりたくないという嫌悪感から避けているということもあるかもしれない。
一番不幸なのは、それを呑む前に、本などで悪口を先に読んでしまい、
間違った先入観を抱いてしまったときである。

庵主が劇団四季を見たいと思わないのもうっかり悪口を先に読んだからである。
悪口を言われるほどに人気があるのだからその芝居は本当は面白いのだろうが、
ことお酒の世界では大手酒造メーカーが造っている酒は呑むまでもないというのが
経験則だから、ついそれになぞらえてしまったのである。
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by munojiya | 2008-04-25 16:08 | Trackback | Comments(0)
どっちに転んでも困る問題
4月26日に北京オリンピックの聖火が長野市にやってくる。
今回の聖火リレーはそれ自体が中国膺懲オリンピックとなっているために
高度文明国である日本はどうやってそれに参加するのか注目されているのである。
中国のチベット弾圧に対して何らかの抗議をしないと「世界」の物笑いになる。

参加することに意義があるオリンピックになぜ参加しないのかというわけである。
が、参加するとこんどは中国の政権担当者の心を痛める事態になるというわけである。
どっちに転んでも困る問題を作るのはユダヤ人が得意とするところだといわれている。
だから嫌われるのである、質(たち)が悪いのである。

老獪な「白人」はアジア人同士で戦争させることを画策しているのだという。
日・中・朝を反目させるのはその戦略の一つであるというのが国際陰謀論の指摘である。
いまになって突然、中国のチベット侵略が、やっと表面化したのはそのせいだろう。
それを弁えて日本ではどうやってスマートに聖火に抗議するのか、センスが問われている。

そこで長野冬季五輪の開会式を演出した「浅利慶太」にお知恵を借りればいいのである。
浅利慶太といえば劇団界大手の「劇団四季」の主宰者である。
庵主が大手酒造メーカーの酒同様に劇団四季の芝居に興味がそそられないのは
どんな世界も大手は大味であるような気がして庵主の心が動かないからなのである。
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by munojiya | 2008-04-24 23:55 | Trackback | Comments(0)
安田弁護士の深慮遠謀
光市(庵主はどこにあるかわからないが)母子殺人事件の犯人に死刑判決が出た。
犯人は犯行当時未成年だったが日本の裁判は長いから今では一丁前の年齢になっている。
犯行の内容が凄惨なものだったことから死刑相当というのが世論のようである。
判決は世論に逆らえないから義を曲げて今回ついに大衆の声に折れてしまったのである。

裁判員制度の行く末を見るような判決である。
そんな裁判ではいけないと多くの弁護士が匙をなげた被告人の弁護についたのが
人権派弁護士といわれている安田好弘弁護士だった。
その弁護方法が奇抜だったために、大方の顰蹙を買ってしまったのである。

それがドラえもんまで出てくる屁理屈だったことから失笑がもれたほどである。
人殺しの裁判というのは吉本興行ごっこでいいのかと思うような弁護だったのである。
外道の弁護になりふりかまわず奔走する安田弁護士に非難の声が集中した。
しかし、それは安田弁護士の深慮遠謀だったようである。

前例主義で優柔不断の裁判官をドンと突いて世論の声を実現させてしまったのである。
深慮遠謀といえば、大手酒造メーカーが悪役を買ってまでまずい酒を大量に造るのも、
国策でお酒なんか二度と呑みたくないという人をふやすためなのかもしれない。
本当は国民の健康を思ってわざとそういう酒を造っているにちがいないのである。
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by munojiya | 2008-04-23 14:17 | Trackback | Comments(0)
今日のチベットは明日の日本になるか
なぜか、どういうわけか、いまチベット問題が世間の注目を浴びている。
その背景は新聞やテレビでは報道されないからネットで読むしかない。
昭和26年にチベットに侵攻した中華人民共和国によって
チベット人に対する苛酷な人権侵害が行われているという。

その目を覆いたくなるような蛮行は通州事件を思い出させる。
通州事件は過去の出来事であるがチベットはそれが今なお続いているのである。
その行動には中国人の本性を見る思いがする。
日本人が中国人の気風を嫌う理由がそこにあると思う、やることが凄惨なのである。

そもそもチベットが人民解放軍による侵略に抗(あらが)えなかったのは
武装していなかったために人民解放軍の銃器の前には抵抗できなかったからである。
「人民解放軍」は中国語だから日本語では人民虐殺軍と訳したほうが正しいようである。
中華思想は侵略思想なのである、そういう人達が海を隔てた隣に住んでいるのである。

きちんと武装しておかないと日本はチベットの二の舞になるというのが識者の見方である。
キチガイが目の前にいる以上チベットを他山の石として備えておく必要がある。
武装というのは毒だからない方がいいのだろうが、選択肢はアルコールという毒と同様に
身を守るためにはそれを否定することではなく、うまく使いこなすしかないのである。
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by munojiya | 2008-04-22 08:29 | Trackback | Comments(0)
気というのは生命力エネルギーのこと
お酒のうまさはそこに含まれている気にあると思う。
気というは生命力エネルギーのことである。
気のエネルギーが高いお酒がいい酒である。
いい酒とはいっても好みがあるからそれが自分にとってうまいかどうかはまた別である。

醸造酒である日本酒にアルコールを添加した酒をアル添酒というが、
アルコールを大量に添加した酒はもはや日本酒とは呼べないものである。
アルコールがお酒のうまさを低位の状態で固定してしまうから
呑んでも味わいがないからである。

庵主はそういう酒を酔っぱらうための酒と呼んでお酒の範疇にはいれていない。
そういう酒もあるということで端(はな)から視界の中にはないのである。
気が感じられないお酒なんか呑んでもうまくもなんともないからである。
真っ当にお酒を造ると造り手の気合がお酒にこもるものである。

その気が感じられるお酒がうまいのである。
少量のアルコールを添加してお酒の香りを残したり酒質を整えるという手法もあるが、
それは料理でいえば隠し味といった使い方だろう。
それでお酒がうまくなるのなら庵主はそれを気にしないのである。
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by munojiya | 2008-04-21 11:45 | Trackback | Comments(0)
善光寺偉い
長野の善光寺が北京五輪の聖火リレーの出発会場になることを辞退することにしたという。
さすがに、宗教弾圧国のオリンピックに共産、おっと協賛したのでは
自分の商売の存在地盤が崩れるということに気がついたようである。
宗教は阿片だとかいって否定する国と商売宗教が並立するわけがないからである。

あとは聖火を持って走るランナーの知性と教養と良識が試される番であるが、
あの星野仙一や萩本欣一が走るということで鼎の軽重が試されているところである。
はたで見ているとこの状況で本人がどう決断するのか、ことの成り行きが楽しみである。
二人の不幸は開催国がたまたま共産主義国の宗教弾圧中国だったということである。

不徳というのはそういう決断を迫られる場面に遭遇する運命に見舞われた人をいうのだろう。
多くの人は戦場に駆りだされることや凶器を持った暴漢に襲われることはないから、
人を殺すという場面に直面しなくてもすむので殺人を悪だと平気で断罪するものである。
殺(や)やらないと殺される現場ではそんな平時の良心なんか意味がないということである。

不徳時の他人の決断を良識をもって非難する人がいるがそれは机上の空論でしかない。
アルコール依存症患者などもあってはならない存在なのだろうがそれを悪といっていいのか。
多くの人はアルコール依存に陥らないから平気で酒なんか呑むから自業自得だと非難する。
その立場になった人の不幸に、それが不徳であることにまで気が回らないものなのである。
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by munojiya | 2008-04-19 07:55 | Trackback | Comments(0)
商売上手
三個の果実が描かれていて「沖縄産シークワーサー」と大書してあるのである。
商品名が「クリスタル シークワーサー/糖類ゼロ」であるから
沖縄のシークワーサーをタップリ使っているものだと思う、
のが普通である。

ところが、よくよく見ると缶にちゃんと書いてある。
「果汁0.1%」と。
相撲にうっちゃりという決まり手があるが、
その表示は見事にうっちゃりを決めているのである。

見事は美事と書いた方がふさわしいかもしれない。
お酒の定義というのがあって、日本では酒税法に拠るのだが、
アルコール分1%以上の飲料のことを酒と呼んでいる。
それ未満のときはアルコールがはいっていても酒とは呼ばないことになっている。

果汁0.1%の飲料をシークワーサージュースと呼んでいいものかどうか、
灰色線上にあるのである。
これって「糖類ゼロ」というより「果汁ゼロ」とした方がふさわしいのではないか。
商売上手なのである、サントリーの「カロリ クリスタル シークワーサー」である。
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by munojiya | 2008-04-18 10:35 | Trackback | Comments(0)