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番外篇 マック使い
世に有る多くの個人用パソコンのOSはウインドウズである。
しかし、その風潮に逆らうかのようにマックOSを使っている人がいる。
はっきりいってひねくれ者といってもいい人が少なくない筈(はず)である。
大勢(たいせい)に同じないという反逆の精神に富んでいる人たちである。

今日の日本酒の大勢はアル添普通酒である。
ウインドウズはまだ使えるからいいが、さすがに普通酒は庵主には呑めない。
必然的に反主流派にならざるを得ないのである。
うまい酒しか呑めないのだから、庵主は肉体的ひねくれ者なのである。

マックを使う人はマック使いと呼ばれることがある。
いまでも一見、いや一聴か、流暢に英語を喋る人を英語使いと蔑視することがある。
いずれも揶揄(ゆや)ないし軽蔑(けいべつ)の表現であることはいうまでもない。
使い勝手ではマックはウインドウズに劣ることは否めない、使いにくいのである。

そう呼ばれてもMacから離れられないのは、Winでは味わえない魅力があるからである。
ウインドウズはダサイけれどマックはセンスがいいという違いはお酒の世界に似てる。
そのマックでこの「むの字屋」を読むと書体の関係でレイアウトが崩れてしまうのだ。
「むの字屋」に関してはマックで読むより、ウインドウズで読むとよりうまいのである。
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by munojiya | 2008-05-31 00:57 | Trackback | Comments(0)
小さな酒販店
たまたま見つけたのである。
というより、地下鉄の神保町の駅で降りて、その日いつもは通らない道を歩いてみたら
その店に出会ったのである。
西の宮酒店である。

駅から歩いてすぐの所にそのお店はあったのにいままでそれを知らなかったのである。
間口の狭い小さな店である。
「鶴齢」の幟(のぼり)が立っていたから、なにかあるという予感はあった。
店内にはいってみると本当に狭い店である。

しかし、いくつかの小さな冷蔵庫につまっているお酒に目を奪われてしまった。
「鶴齢」はもとより、静岡のお酒があった、しかも「國香」である。
「小夜衣」や「杉錦」もしぶいが、「國香」となったらもう飛んでいるとしかいいようがない。
「七田」「山法師」「天明」「車坂」(ただし、庵主未経験)等々、うまい酒ばかりなのである。

ここは宝島だ、と庵主の心は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)状態になってしましった。
一瞬、夢かと思ったほどである、そして、次にやばい、と思った。
神保町に来るとつい本を買ってしまうが、ついでに一本買って帰りたくなるではないか。
その店で初めて買ったお酒は、純米吟醸「傳一郎 雅の粋」である、「國香」の酒である。
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by munojiya | 2008-05-30 09:03 | Trackback | Comments(0)
「地酒工房」
街中を歩いていると酒販店が目につくことがある。
店の前に置かれたビールや飲料の自動販売機の陰に玄関が隠れている店が多い。
ひょっとして、と思ってとりあえず中に入ってみることにしている。
並んでいる日本酒の銘柄を一瞥(いちべつ)すればそのお店の気合と実力がわかる。

うまいお酒を造っている蔵と、そこそこのお酒しか期待できない蔵と、
呑むまでもない酒しか世に出していない蔵がある程度決まっているからである。
うまいお酒が並んでいるお店だとしばしそれらの酒瓶をながめて楽しむことができる。
そういうお店は瓶を見ているだけでうまさが感じられるからそのまま出てくるのである。

一方、庵主が呑める酒がない酒屋のときは「菊水」の「ふなぐち」があればそれを買って帰る。
がっかりした気持ちは「ふなぐち一番しぼり」のうまさでぬぐいさってしまおうというのである。
その酒屋には静岡のお酒があった。
しかも「小夜衣」(さよごろも)、「杉錦」(すぎにしき)である、しぶい、まばゆい、小憎い。

「お主、できるな」といったうれしさがこみあげてくる、同士あり、といった喜びである。
「うちには多分静岡県内でも手に入らない『小夜衣』の普通酒もありますよ」と笑っていた。
目的は「小夜衣」の「H.森本 シークレット・アンフィルタード」だったが売り切れだった。
そこで「小夜衣」の「地酒工房」を買ってきたのである。
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by munojiya | 2008-05-29 01:07 | Trackback | Comments(0)
中国の四川大地震報道は大ウソである
今、日本では中国嫌いが増えつつある。
中国共産党に支配されている中国という国に対しても、また中国人に対してもでもある。
正しくいえば、ようやく中国を客観的に見ることができるようになったということである。
日本人は病的潔癖性なのに対して、中国人は不潔だから性(しょう)が合わないのである。

大手の新聞社は「談合」しているから、またその支配下にあるTV局もだが、
読者に与えるニュースをどうするかということはいくらでも操作できるのである。
他業界の談合をよく紙面で叩いているが、新聞社の談合の方が質(たち)が悪いのである。
今度の四川大地震もおそらくは談合による嘘報道だろう(為念、捏造とは言ってない)。

中国人嫌い増加の潮目を読んだ新聞社が読者に迎合する記事をでっちあげたのである。
いちばん怪しいのは、国内の暴動を絶対報道しない中国が
この地震に関しては詳細な報道をして人民の愛国心を鼓舞しているということである。
事件があっても無いとする中共だから無いことも有るとするのはお手のものである。

チベット問題から目をそらさせるためというのがその本意だろう。
地震なら天災である、チベット弾圧を指弾している国際世論も同情せざるを得ない。
真実を報道しないことでウソをつくという手法は日本酒の世界で行われていることなので
筆が踊っている記事を読まされるとつい邪推したくなってしまうのである。
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by munojiya | 2008-05-28 11:54 | Trackback | Comments(0)
新聞だけを読んでいたのでは盲になってしまう
ネットの情報によると
元公明党委員長の矢野絢也氏が創価学会を訴えたという(2008年5月16日)。
その事件を朝日・毎日・読売は報道しなかったという。
ちなみに産経・東京・日経は報道していたとのことである。

庵主はウヨク系のブログを読むのが好きなのだがそこでのボヤキはこうである。
新聞はサヨクのどうでもいい小さな集会でも好意的な記事を書くのに
ウヨクの集会は大勢が集まってもまともに報道しないというのである。
拉致家族救援大決起集会などは書くには書くが記事には愛情が感じられないという。

マスコミに携わっている記者の性根がゆがんでいるからである。
反日日本人とからかわれている人達が記事を書いているからである。
それも一因であるが商業マスコミの限界が露呈してきたといった方がいいのだろう。
広告主の顔色を窺った記事しか書けないシステムの弊害がネットで暴露されたのである。

矢野氏と創価学会の痴話(目くそ鼻くそ)喧嘩が面白い話なのに報道されないのは、
創価学会が新聞社の大スポンサーだからその顔色を窺ってしまったというわけである。
事件が起こっているのに報道しないのが今日の新聞なのである、だから要注意である。
お酒の真実もまた新聞では語られることがないのも同様の事情によるのである。
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by munojiya | 2008-05-27 01:10 | Trackback | Comments(0)
報道しない新聞
こんな意見がある。
どのテレビ局も同じ論調でニュースを流しているのなら局の数は必要ないではないか。
とりわけ庵主のようにビール類の新製品の宣伝を見るとすぐ買ってみたくなるような
素直な人間に対してはテレビは好き勝手な世論を醸成するための格好の道具なのである。

なんたって、どこの局のニュースを見ても反対意見がないのだからそうなる。
一方的な物の見方を大量に押しつけられるとそれが正しいと錯覚してしまうのである。
すなわち本当のことをいわないで瑣末なことを大袈裟に報道しているということである。
今の商業新聞(読者ではなく、広告主の都合で成り立っている新聞)はもっとひどい。

今なら中国の四川地震(5月12日発生)の見なくても書ける記事で紙面を埋めている。
他国の地震の記事なんか2、3日で十分で、もっと肝心な国内問題を書くべきなのである。
新聞は、人権擁護法や外国人の地方参政権や裁判員法の問題点を報道しないのである。
後期高齢者医療制度のように施行されるようになってから臆面もなく世論に迎合している。

必要な時に肝心なことを報道しないから、新聞だけを読んでいたのでは
本日のテレビ番組と昨日の商業スポーツの結果しかわからないのである。
新聞を読んでいただけでは本当のことはわからないということである。
新聞は書かないお酒の真実は「むの字屋」を読まないとわからないのと同じである。
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by munojiya | 2008-05-26 01:06 | Trackback | Comments(0)
気持ちのいいお酒
お酒がうまいと感じるのはそれが呑んでいて気持ちのいいお酒だからである。
たとえば、この酒は貧乏人しか飲まない酒だという定評の酒があったとしたら
それしか飲めない生活状態にあったらそれを口にすることは惨めと背中合わせだろう。
もっともラムコーラをわざと飲んで粋がるという飲み方もあるから一概にはいえないか。

世界的に蒸留酒は貧乏人が飲む酒とされているようである。
安いからそれしか飲めないのである。
そのイメージが長く続くと蒸留酒=貧乏人という定評が固まることになる。
実はうまい蒸留酒は庵主でも飲めるほどうまいのだがそれがおおっぴらに飲めなくなる。

庵主の飲酒は、伊達眼鏡ならぬ伊達飲酒だからどんな酒を飲んでも自分自身では
その酒に貴賤感覚はないが、しかしうまいまずいの価値判断は避けられない。
まずい酒は飲めないからすぐわかるということである。
そして日本酒に関して言えばそのほとんどはさしてうまくはないのである。

それでも日本酒に心ひかれるのは、呑んでいて気持ちがいい酒が少なくないからである。
日本酒と称していながらアルコールを大量に混ぜた酒はさすがに勘弁してほしい。
その造り方がなんとも安易に感じられて呑んでいても心さみしくなるからである。
うまいお酒とは心豊かな気分にさせてくれる真っ当なお酒をいうのである。
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by munojiya | 2008-05-25 02:29 | Trackback | Comments(0)
世間とずれているものだから
最近サザンオールスターが解散するというニュースが世間を賑わせたというが、
庵主は全然関心がないのである(あれっ、サザンオールスターズだったか)。
思えばビートルズと同じ時代に生きていたのにそれにも全然興味がなかった。
そういえば学生運動華やかなときにもそれがただの風景にしか見えなかったものである。

それで一番困ることはその歌を聞いても時代の空気が浮かんでこないということである。
映画などで時代を示すためにその曲を使われてもピンとこないということである。
もっとも庵主は映画を見てもその筋が理解できないので、あとから解説書を読んで
納得するというのが庵主にとっては映画を見るということだから支障はないのだが。

要するに世間と少しずれているのである。
だから、どうでもいいお酒のうまさに拘るのもまた人々の関心からずれているからである。
酒は酔えればいいんだと割り切って呑む人が、実際は多いのだろう。
庵主は、幸か不幸か、その手の酒が呑めないのである。

アルコール臭いお酒とかリキュールと書かれたビールみたいなものをのむと、
幸せ感に包まれるどころか逆に虚しさを感じてしまい惨めな思いにかられるからである。
だから、もしこの「むの字屋」に共感して通ってきている人があるとすれば、
その人は世間では少数派に属している可能性があるということである。
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by munojiya | 2008-05-24 07:10 | Trackback | Comments(0)
できない相談
2011年までに純米酒は全廃してすべてアル添酒に変えるという相談には乗れない。
今CO2(←本当は小さい2)の発生量を減らすことがビジネスのネタになっている。
あれは壮大なホラ話だという説も流れている。
たぶんそっちの説が正しいのだろうと庵主は思っている。

新聞が真面目な顔をして書いていることは疑うに限るという経験則による。
穀物からアルコールを作ってそれを自動車の燃料にしようということから
世界的に食料用穀物の生産が減って発展途上国では食料騒動が起きていると聞く。
そんなときに米をいたずらに磨いて酒を造るなどというのは狂気の沙汰だというのである。

だから、酒は酔えればいいのだから、米はもっぱら食用にするため純米酒は全廃して
日本酒はアルコールを大量に添加したアル添酒だけにしようというのがその趣旨である。
という法案を提示されても、庵主はそれには乗れないのである。
だって、大量にアルコールを混ぜた酒なんかうまくないもん、俺ゃ呑めない。

そんな法律を作ったとしても実現はできないだろう。
日本酒はアル添が当たり前だと思わせるためには日頃からの洗脳が必要だが、
あと3年でそれをやるのは時間的に一寸無理があるということでもある。
停波も、現在のTV受像機がまだ殆どアナログだということを見れば3年では無理だろう。
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by munojiya | 2008-05-23 10:19 | Trackback | Comments(0)
停波
テレビを持っていないので庵主の生活には全然奸計ないことなのだが、
テレビ包装に使われている電波がアナログ波からデジタル波に変わるという。
予定では2011年のことだという。
それによって何が怒るかというと、今のテレビが見れなくなるということである。

アナログテレビではデジタル電波による放送は受信できないのである。
せっかく大枚はたいて買った、「著作物(TV番組)盗聴(タダ聴き)装置」が
まだまだ使えるというのにそれを使えなくしてしまうというのである。
庵主なら、テレビの購入費を返せと叫んでしまうところである。

財産権の侵害がまたまた一官庁の思いつきで行なわれようとしているのである。
非難轟々の高貴高齢者保険両の値上げもまた一官庁の思いつきによるものである。
ちょっと前にはまだまだ全然使える中古電気製品を売らせないという法律を作ったのも
一官庁がしでかした余計な仕事だったが、停波もその二の舞になりそうである。

庵主の辞書では漢字変換ができないがアナログ電波をやめることを停波と呼ぶらしい。
でも2011年に予定通り停波できるかどうかは疑わしいという。
数千万台のテレビが全部使えなくなるということだからそうは問屋が卸さないようである。
2011年から純米酒を全部アル添酒に切り換えるというようなものらしいのである。
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by munojiya | 2008-05-22 00:29 | Trackback | Comments(0)