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呑まずに死ねるか
ナイトウ・チンはコメディアンである。
内藤陳(ないとう・のぶる)である。
その人、読書家ということで、いや活字中毒患者で、やたらと本を読みまくっている。
その人がいう読書の醍醐味の神髄が「読まずに死ねるか」である。

面白い本を知らずに死んでいくのでは生まれてきた甲斐がないというのである。
読書に淫すると、それほど面白いものらしいのである。
もちろん、おもしろい本に限定していえばであるが。
お酒も同じである、「呑まずに死ねるか」。

うまいお酒はほんとうにうまいのである。
その前には数多くの呑むまでもない酒瓶の山があることは読書と同じである。
もっとも、うまいお酒に出会うためにはそういうお酒も呑む必要があるということで、
けっきょく、どんな酒でも口をつけるというのが酒呑みの貪欲なところである。

多読の活字中毒患者が薦める本や、広くお酒を呑んでいる人が勧める酒は、うまい。
その一杯は、うまいを知らずに死んでいくのは本当に勿体ないと思う一瞬である。
多くの日本人はその日本酒のうまさを知らないで死んでいくのだろう、勿体ない。
ちょっと「むの字屋」でも読めばいくらでもうまいお酒が呑めるというのに。
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by munojiya | 2008-06-30 01:02 | Trackback | Comments(0)
「車坂」
東京に住んでいると視野にはいってこない県がある。
鳥取とか島根とか佐賀とかである。
和歌山もその一つである。
庵主にとってはうまいお酒を送ってくれる大切な県ばかりなのであるが。

たしかに、お酒でも呑まなければ、和歌山県とは庵主も接点がなかったのである。
紀州の梅干しがあるとはいうが、今多くの梅干しの原産地は中国(支那)になっている。
その和歌山から「車坂」(くるまざか)がやってきた。
「車坂」がうまい酒だという評判は聞いていたがなかなかめぐりあえなかったのである。

が、ちゃんとそれが呑めるようになるのだから身の幸せを感じるのである。
純米大吟醸(精米歩合50%)、和歌山産山田錦100%、うすにごり、生酒である。
辛口であるとラベルには書いてあるが日本酒度の表示はない。
呑んでみるとたしかに辛口のようであるが、それが甘いのである。

普通の辛口を謳うお酒は甘みを切って辛口と称しているから庵主には呑めないのである。
そんな焼酎まがいのお酒なんかうまくもなんともないからである。
ところがこの「車坂」は甘味をしっかり残して切れがいいから気持ちがいい辛口である。
うまいという一線を越えていて技を感じるいいお酒である、同じ蔵の「鉄砲隊」もうまい。
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by munojiya | 2008-06-29 10:58 | Trackback | Comments(0)
料理とうまいお酒
一流料亭なのに、うまいお酒を置いていないお店があるという。
せっかくのいい料理なのだからうまいお酒で味わいたいという人がいる。
なぜうまいお酒を置かないかというと、お店の言い分はこうである。
うまいお酒を置くとうちの料理が負けてしまう、と。

いい料理ならその味を引き立てるお酒を用意するのが料理人の仕事ではないか。
お酒の味がわからない料理人などはまだまだ未熟だというのである。
それにふさわしいお酒が用意されていない料理は物足りないというのである。
お酒が分からない料理人は修行が足りないというわけである。

でも、それってただの酔っぱらいの強欲なのではないか、と庵主は思うのである。
高い料理なのだから、お酒も高いものを出せというケチな料簡からなのではないか。
酔っぱらった舌で料理を食ってその味わいの妙がわかるのだろうか。
舌を酔わせて料理を食うというのはまずい料理の場合の生活の智恵なのではないか。

ワインはよく料理との相性がいわれるがあれはまずい料理を食べる便法なのではないか。
本当にうまい料理は、べつにお酒がなくても十分に味わいが深いのである。 
そして本当にうまいお酒は、それだけで完成されたうまさが味わえるのである。
料理人は案外ちゃんとお酒のうまさを知っているのにちがいない。
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by munojiya | 2008-06-28 01:05 | Trackback | Comments(0)
お酒を呑むかアルコールを飲むか
庵主のお酒の呑み方はますます変態的になってきた。
いや、より贅沢になってきたといったほうがいいか。
酒呑みの道を外れてしまっているのである。
ひたすらお酒のうまいという感動を求め一口の悦楽を求めるようになったからである。

うまくもなんともないお酒には興味がなくなったからである。
もともとアルコールを飲んで酔っぱらいたいという気持ちがなかったのである。
お酒を口にして酔いが回って来るまでの十数分たらずが庵主のいうお酒である。
だから2杯目はいらないのである、うまいお酒をちょっとだけ味わいたいのである。

呑んで酔いを楽しむというのが酒呑みの正道だろう。
酔うためだけなら安いアルコールで十分なのである、うまいまずいとご託はいらない。
ことアルコールに関しては安いから悪いということはないのである。
アルコールは安い方がきれいなのである、ただその味わいがつまらないだけなのである。

庵主がいうお酒というのは呑んだときに心にしみてくる味わいのことをいう。
それも酒とはいわれているがただのアルコール飲料は体を酔わせるだけの飲物である。
味わう酒呑みと酔いたいアルコール飲みはどちらも酒を呑んでいるように見えるけれども
求めるものが異なっているということなのである。
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by munojiya | 2008-06-27 11:13 | Trackback | Comments(0)
うまい
うまい、というのは生きている実感のことだろう。
日常生活というのはさしてうまいものではないからである。
日常の生活をケといい、そうでない時をハレということがある。
うまいというのはハレの言葉なのである、その機会は数少ないということである。

煙草や酒がやめられないのは、表面的には中毒症状であるが、
うまいという快感が味わえるからやめれられなくなるのである。
うまいというのは普通は物を食ったときに使われる表現であるが、
酒や煙草はそのうまいが容易に得られるから重宝なのである。

いいお酒というのはうまいという快感と出会える確率が高いお酒のことをいう。
普通酒といい、経済酒といい、洒落てレギュラー酒といい、または紙パック酒と呼ばれる
どうしようもない「日本酒」はそのうまいに出会えることがほとんどない代物である。
うまくもない酒を呑まされる苦痛に耐えなければならない根性で呑む酒なのである。

庵主は根性がないから庵主はそういうお酒には興味がないのである。
一転して、まともなお酒の世界に踏み込むと、うまい、の目白押しである。
その世界が魅力的なのは、これまでに出会ったことがないうまいに出会えることである。
それまで知らなかったうまさがドンドン広がるのだからやみつきになるのである。
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by munojiya | 2008-06-26 09:57 | Trackback | Comments(0)
多分
多分、と庵主は思うのである。
酒と煙草の魅力は、自分の体を苛める快感なのではないかと。
人間の心の奥にある、だれでも秘めているマゾヒズムを満足させるからなのではないかと。
マゾヒズム(被逆趣味)は癖になってしまうのである。

でも、酒や煙草をを簡単にやめられる人もいるから、
その程度は人によってそれぞれなのだろう。
女の子に残虐映画を好む人が少なくないのは男よりもその業が深いからなのかもれしない。
庵主などは楳図かずおのグロテスクな漫画は恐ろしくて読めなかったものである。

堅気の女に酒煙草を与えなかったのは
子供を産むときにいずれも赤ん坊に悪影響を与えるからだろうが、
女の方が被虐に対する依存性が高いからやめたほうがいいという智恵なのかもれしない。
そういえば、禁酒・禁煙に成功したと自慢している女を庵主の周囲では見たことがない。

女は一度それらに依存するとやめられなくなるからだろうか。
禁酒・禁煙はそれができる男の楽しみなのだろう。
もっとも禁酒はともかく禁煙は簡単にできるものらしく、俺は何度も禁煙したことがある
と自慢している作家がいたが、禁煙明けに吸う一本がしみじみとうまいらしいのである。
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by munojiya | 2008-06-25 09:34 | Trackback | Comments(0)
酒癖が悪い
誰が主導しているのかわからないが、今煙草を吸うことに対する圧力が高まっている。
庵主は喫煙を全然気にしないのである。
ただし、庵主のそばでは吸わないで欲しいという条件が付くが。
車の排気ガスだって庵主の体に直接吹きつけられない限り気にしていないのだから。

酒を飲むと、酒癖が悪くなる人がいるが、
煙草を吸って煙草癖が悪くなる人がいるということを聞いたことがない。
俺の酒が呑めないのかというセリフはあるが、
俺の煙草が吸えないかというセリフは寡聞にして聞いたことがない。

飲酒運転(アルコール)で人を轢き殺す人は少なくないが、
吸煙運転(ニコチン)で事故を起こしたという話も聞いたことがない。
煙草より酒の方が殺傷力はずっとずっと大きいのである、犯罪性が高いのである。
なのに酒よりは犯罪度の低い煙草喫みに対する包囲網はどんどん狭められている。

煙草を吸う人は行儀が悪いからにほかならないのだが、それにしても異常である。
漫談のローカル岡(故人)のボヤキである。
自宅で煙草を吸ってもいいかとカミサンに聞いたら、いくら吸ってもいいというんだよ。
そのあとに、でも吸った煙を吐き出さないでねと、念を押すんだよ、うちのカミサンは。
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by munojiya | 2008-06-24 16:16 | Trackback | Comments(0)
酒と煙草
酒と煙草は二大悪癖だとされている。
それらをのまないでも全然平気な人がいるということは
人間がただ生きていく分にはなくてもいいものだということである。
とりわけ、女子供にはすすめられない二大不健康習慣なのである。

両方に共通する弊は臭いということである。
煙草の煙が吸着したすえたニオイや酔っぱらいの酒臭さが好きな人まずいないだろう。
その臭いの消臭法が一つあって、吸うこと、飲むことである。
自分からニンニクを食べればそのニオイがわからなくなるのと同じである。

酒煙草の魅力は、その飲酒後、または吸煙後に余韻として残る不健康感にある。
加えて、いっぱしの不良気分にひたれるからたまらないのである。
人は、ついいい人間を演じたくなるから酒と煙草でそれにブレーキをかけるのである。
アクセルだけでブレーキがついていない自動車はおっかなくて乗ってられない。

共産主義の間違いは人間の表(正義)を強調して裏(敵意)を剥き出しにすることにある。
表裏の釣り合い゙とれていないからどうにも美しくないのである、違和感がぬぐえない。
酒煙草のいいところはそのあとに襲ってくる虚しさにある。
虚しいからそれを紛らすために何かに打ち込んでみようかと思ってみたくなるのである。
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by munojiya | 2008-06-23 16:41 | Trackback | Comments(0)
たばこ1箱1000円にせよという動き
煙草喫みには受難の時代になってきた、宗教家ならそれを法難と呼ぶところである。
煙草を吸うという習慣はコロンブスがアメリカ大陸を発見したときに
インディアンの蛮習を世界に伝えたことに始まるというから酒の伝統より浅いのである。
歴史用語で「朝鮮征伐」というと朝鮮人は怒るが、「アメリカ大陸発見」も同様にひどい。

日本人なら朝鮮征伐という言葉に全然違和感を感じないのである。
同様に、アメリカ大陸発見に違和感を感じないとしたら征服者の気分なのである。
正確に言えば、征服者の側に与(くみ)してその下っ端をやっているということである。
多くの人は権力者になることはないからそれで得することは何もないというのに。

庵主が著作権なる発想に違和感を感じるのはそれで一銭も儲からない立場にあって
ただボッたくられるだけだからそれで儲けている人たちをやっかんでいるからである。
吸煙は今日では世界的な風習となって、吸煙文化となっている習慣であるが、
だれの思惑なのか、健康に悪い煙草は陋習(ろうしゅう)だということになってきた。

だったら販売をやめればいいのであるから、その運動には裏があるといっていいだろう。
さらに現在1箱300円前後の煙草を1000円に値上げして税収増を図れという動きがある。
その伝でいうならば、すなわち国民の健康を願って同時に税収を上げたいというのなら
砂糖類(人工甘味料を含む)に税金を掛けた方がずっと目的にかなうのではないか。
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by munojiya | 2008-06-22 10:32 | Trackback | Comments(0)
やっとビールが飲めた
このところは味見のために代用ビールばかり飲み続けたものだから、
まともなビールが飲みたくなっていた。
ビールの専門店に行けばいくらでもうまいビールが飲めるのだが、
酒を飲みに行く時間がないのでビールが飲みたいという思いだけが募っていた。

近くの酒屋をのぞいても庵主が飲めるビールがないのである。
「プライムタイム」がない、「ニッポンプレミアム」がない。
サントリーが期間限定で造るうまいビールも今は出ていないのがさびしい。
庵主が好むビールはいつもすぐ廃盤になる運命にあるようだ。

見ると、キリンの「ザ・ブレミアム無濾過(リッチテイスト)」があった。
330MLの瓶で売られているビールである。
「豊かで厚みのある味わいと華やかでフルーティな香り。キリンの最高級プレミアム。」
だからキリンビールの技の集大成と思っていいのだろう。

このビールは明らかにうまい。
香りといい、味の厚みといい、300円足らずでこの贅沢が味わえるのだから幸せである。
原材料は「麦芽(大麦・小麦)・ホップ」でアルコール分は5.5%とある。
庵主はビールもまたほんの一口しか飲まないからこういう濃厚芳醇な味が好きなのである。
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by munojiya | 2008-06-21 10:31 | Trackback | Comments(0)