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ビールの違い
大手ビールメーカーの主力ビールを飲み比べたら、
庵主にはその違いがわからなったのであるる。
ということは、会社は異なっていても似たりよったりのビールを造っているからである。
すなわち、どれも同じタイプ(スタイル)のビールなのである。

自動車でいえば、どの会社も軽自動車しか造っていないようなものである。
軽自動車はそれなりの魅力と長所はあるが、普通車や高級車の味わいには迫れない。
日本のビールメーカーはピルスナーという同一車種しか造っていないのである。
品質が安定しているといえるのが唯一の長所だが、それだけでは庵主にはつまらない。

日本では、うまいビールは、地ビールというか、クラフトビールと呼ぶか、
小(しょう)ブルワリーと称するのがいいのか、小さいビール醸造所が造っているのである。
実は大手ビールメーカーも時にうまいビールを造ることがあるのだが、
しかし、それは小ロット(少量製造)ですぐ販売が終わってしまうのである。

サントリーのビールリキュール「金麦」がマイナーチェンジ(部分変更)を行なった。
たまたま酒屋に新旧の缶が並んでいたので、同時に買って飲み比べてみた。
新しい「旨味麦芽」は、メーカーが謳うように、以前のものよりうまくなったのか。
庵主には、その違いがやっぱり全然わからなかったのである。
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by munojiya | 2008-07-31 00:10 | Trackback | Comments(0)
酒のうまさは容れ物に依存する
モンドセレクション最高金賞3年連続受賞のサントリーの「プレミアムモルツ」と
キリンの「ザ・ゴールド」と
アサヒの「ブライムタイム」と
サッポロの「黒ラベル」を銘柄を隠して飲み比べたら、どれがどれなのか、わかるか。

庵主は全然わからなかったのである。
サントリーはきれいで軽い、キリンは苦みが甘い、アサヒは味に深みがある、
サッポロはのどごしのよさに味があると捉えていたからすぐわかると思っていたのに、
ラベルを見ないで同時に飲み比べたらそのちがいが全然わからなかった。

一つひとつを飲んでいたときは、その缶や瓶のデザインを飲んでいたのである。
酒においては容れ物が呑み手に与える影響はけっして小さくないということである。
さすがに、サントリーの「プレミアムモルツ」と今キリンが売っている
「プレミアム無濾過」を飲み比べたらその違いは庵主でもわかる。

明らかにキリンの方がうまいからである、いや断然キリンの方がうまいからである。
モンドセレクションの最高金賞も庵主の好みとは全然関係ないということである。
そこが売り手と呑み手のうまさに対する感覚のちがいなのである。
売り手のいううまさを信じていたらうまいお酒にはありつけないということでもある。
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by munojiya | 2008-07-30 15:32 | Trackback | Comments(0)
『横濱人』
芸人三昧主催の公演「歌うキネマ マルコムX」を
横浜の港の見える丘公園の中にあるイギリス館で見てきた。
イギリス館というのは、かつては英国総領事公邸として使われていた洋館を
横浜市が買い取っていまはホールや集会室として使っている建物である。

歌うキネマというのは趙博(ちょう・ばく)が映画を語る芸である。
といってもそれがどういう芸であるかを知っている人は少ないだろう。
また演者の趙博を知っている人もこれまた多くはないはずである。
知らない×知らないで、多くの人はその面白さの存在さえ思いいたらないのである。

「雪の茅舎」だ、「冬樹」だ、「相模灘」だと聞いても、
お酒に疎(うと)い大多数の人はそれらの酒に興味を示すことはないだろう。
だから世にほとんど名前が知られていないうまいお酒と多くの人は接点がないのである。
庵主にはそれらの美酒が宝物のように見えるから、まったく勿体ないことだと思う。

終演後に出演者を交えて行なう打ち上げに出席したところ、これが大儲けだった。
会場になったお店は元町商店街にあって、このお店のお酒の揃えは見事である。
「十四代」本丸から龍泉まで全部、「磯自慢」全部、「田酒」全部という揃え方をしている。
『横濱人』(はまじん)というお店である、横浜でまた1軒、うれしいお店に出会ったのである。
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by munojiya | 2008-07-29 01:38 | Trackback | Comments(0)
2011年7月24日
1999年7月31日といえば、
20世紀末の日本の出版界を賑わせたノストラダムスの大予言によると
この世の終末の日になるはずだったが、空から恐怖の大王は降ってこなかった。
予言はみごと外れたのである、すなわち人類の不幸はさらに先に伸びることになった。

飛んで2012年12月22日が今の人類が初めて経験するある事件が発生する日だという。
その日付でネットを探せば概要がわかるだろう、人類は想像力が豊かなのである。
未来を見通すことができる高感度人間が親切にそれを教えてくれるはずである。
その前が2011年7月24日だそうだ、総務省(だいほんえい)発表によると。

日本のテレビ局ビジネスが終焉する日なのだという。
現在のテレビ放送はアナログ波で行われているが、
その日を以てアナログ波は停波し地上デジタル波による放送に変わるのだという。
すなわちテレビ放送はデジタルテレビに買い換えないと見ることができなくなるという。

それを機に多くの貧乏人はテレビを捨てることになるのではないかと危惧されている。
貧乏人が見ないテレビ放送なんか広告価値がないから局は大減収になるというわけである。
その地上デジタル波の略語である「地デジ」は語感が汚いと悪評たらたらである。
「月桂冠」なら通るのに、さすがに「地デジ」は大方の人が抵抗を示したのである。
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by munojiya | 2008-07-28 11:19 | Trackback | Comments(0)
麒麟麦酒は芸が細かい
夏である。
きりっと冷やした水代わりに飲むチューハイは喉元で炭酸がはじけて爽快である。
期間限定と謳った麒麟麦酒の氷結ストレート果汁「パイナップルクーラー」である。
酒税区分は、リキュール(発泡性)①、とある。

「パイナップルの氷結ストレート果汁を使用した、
はじける香りと爽快な酸味の夏限定チューハイ。」
庵主には氷結ストレート果汁というのがどういう果汁なのかよくわからない。
わからないというのは、いかがわしいということである。

一応果汁とあるから、2~3%の果汁は使われているのだろうと思われる。
で、缶に書いてある表示をみてみると、「アルコール分 5% 果汁30%」とある。
果汁30%とあるから、おっと思って、よくよく見ると、3.0%なのである、3%である。
果汁が3.0%なら、アルコール分も5.0%と表示するのが首尾一貫というものだろう。

たぶん、それを30%と誤認されることを狙っているのだろう、芸が細かいのである。
「原材料 パインアップル果汁・ウォッカ・糖類・酸味料・香料」で、「お酒」とあるが、
このお酒という表示はもちろん日本酒と誤認されることを狙ってのことではない。
お酒といえば日本酒のことをいうが、日本酒と誤認されてもメリットがないからである。
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by munojiya | 2008-07-27 07:44 | Trackback | Comments(0)
アー、よかった
昼間のTBSラジオの番組「ストリーム」を聞いていたら、
出演者がコーヒーの飲み比べをやっていた。
3種類のコーヒーの味の違いが判別できるかというものである。
結論をいうとコーヒーはあまり味の違いが明確ではないということである。

飲み比べたヒーヒーは、一つは100グラム7350円のコーヒー、
二つ目は1杯50円のUCCコーヒー、そして番組で出している定番のコーヒーである。
1杯735円のコーヒーと1杯50円のコーヒーの違いが
コーヒーを飲み慣れている出演者がそれをすぐに判別できなかったのである。

庵主がコーヒーの味の違いがよくわからないというのは普通だったのである、安心した。
庵主にとっては、コーヒーは極端にまずくなければどれでもいいということである。
日本酒も、多くの人はそんな感じで呑んでいるのだろう、どれも大して変わらないと。
一々能書きを確かめてお酒を呑む方が異常なのであるが、実はそれが間違いなのである。

大手4社のビールを飲み比べたことがあるが、たしかにその違いがわからないのである。
庵主だけでなく、多くの人が判断に苦しんでいたのである。
大手のビールはどこも品質が安定しているからさほど差がないということなのだろう。
がしかし、日本酒はうまいものとそうでないものの差が大きいからすぐわかるのである。
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by munojiya | 2008-07-26 09:06 | Trackback | Comments(0)
モンドセレクション
容量333MLの瓶にはいったコエドビールを買ったら、
瓶の首に「モンドセレクション最高金賞」と印刷されたシールがかかっていた。
「北海男山」の純米大吟醸が以前からモンドセレクション受賞を謳って売っていたが、
はたしてそのモンドセレクションというのはなにものなのかを庵主はよく知らない。

日本ではお菓子の世界に全国菓子大博覧会というのがあって、
あれは協賛金さえたくさん出せばちゃんと入賞させてもらえると聞いたことがある。
モンドセレクションも同様の賢い人が考えた小遣い稼ぎなのだろうと邪推している。
オリンピックと同じように白人が得意とする権威で儲けようという商法なのだろう。

お金を出す方は、審査料が17万円だというがそれに見合う栄誉がもらえるから
お互いに商売になるということで共に儲かるというなかなか頭のいい商売である。
しかしてモンドセレクションの実態は。
昔なら誰に聞いたらいいのがわからなかったがいまはネットがある。

いまネットをググッて(検索サイト「グーグル」を利用すること)みたところである。
「男山」も「コエドビール」もそれなりにうまいから真面目にはやっているようである。
ただ残念なことは日本ではだれもその権威を知らないからあまり価値がないのが惜しい。
こと酒に関しては、呑めば一発でうまいかどうかはわかるから意味がないのであるが。
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by munojiya | 2008-07-25 13:18 | Trackback | Comments(1)
番外篇 庵主が嫌いなもの
好き嫌いの問題である、だから、よしあしとは関係ない。
いや、美意識の違いだといったほうがいいか、それらは美しくないということである。
他人のホームページを見たときに気になることをいくつかあげてみよう。
美しくないから、そういうのは庵主は嫌いだというわけである。

その一は、フラッシュ(動画ソフト)を使ったHPである。
知りたい事柄をすぐに見つけたいと思っているのに、
それを遮(さえぎ)るかのように延々とつまらない画像が流れるのである。
しかもそれをスキップ(すっとばす)するボタンも付いていない時には最悪である。

その二は、赤地に白文字とか、本文の文字がすべて真っ赤という色遣いのものである。
目がチカチカして読みにくいことこのうえない。
引用部分などに斜体文字を使ったものも読みにくい。
強調したい部分をバカでかい文字で書いているのはみっともない、下品の見本である。

行間に空きがない読みにくいブログを目にするが、人に読ませるつもりがあるのだろうか。
デザインの都合なのか、小さい文字を無神経に使っているHPも読みにくい。
実は、このブログも文字が少し小さいのが気になっているのである。
読みやすいHPの見本は「むの字屋」である、そういうのをすべて排除してあるからである。
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by munojiya | 2008-07-24 00:04 | Trackback | Comments(0)
コエドビール
コエドビールは埼玉県三芳町にある株式会社協同商事コエドブルワリーのビールである。
江戸の台所として栄えたという埼玉川越を小江戸と呼んだことからコエドビールである。
そのビールの名付けがおもしろい。
伽羅(きゃら)、瑠璃(るり)、漆黒(しっこく)、紅赤(べにあか)である。

そのネーミング(商品名)に心が引かれる。
それを見ると庵主にはなんとなくうまそうに感じられるのである、そそられるのである。
武州小江戸川越産金時薩摩芋紅赤(焼芋加工)を使ったという「紅赤」を買ってきた。
まさしく、庵主にはこれはビールである。

田村正和がサッポロのビールリキュール「麦とホップ」を新ジャンルと断った上で
「私にはこれはビールです」といって勧めているのは出演料が透けて見えるご愛敬だが、
庵主にとってはコエドビールの「紅赤」はこれは十分にビールなのである。
実は「紅赤」は麦芽比率が25%未満ということで発泡酒である。

しかし、十分に飲み応えがある、これはうまい、飲んでいて楽しいビールである。
水代わりに飲むビールと味わって飲むビールの違いである。
和食、洋食、中華料理等々なんにでも合うビールというのはほとんど水代わりだろうから
味わって飲むビールではないが、コエドビールならほかのビールも味わってみたくなる。

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ただし、コエドビールのホームページは最悪である。
庵主の美意識の対極にあるのがこれである。
なぜかというと庵主はフラッシュ(動画ソフト)を使ったHPは大嫌いだからである。
つまらない動画を延々と見せられてイライラさせられるからである、不快の極みである。

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by munojiya | 2008-07-23 01:35 | Trackback | Comments(0)
あなたがいない国
日本語には相手を自分と対等に扱う言葉がないと林秀彦氏が書いているのを読んで
盲点をつかれた思いがした。
たしかに、日本語には、あなた・お前・おたく・お主・貴殿・貴様等々二人称は
たくさんあるが、英語のYOUのように相手を対等と見る言葉がないのである。

日本語の二人称は、これまた数多くある一人称にそれぞれ対応する言葉であって、
相手を敬ったり、見下す関係でしか使えないというのである。
「あなた」というのが比較的上下関係を拭った言葉のようにも思えるが、
ダイレクトメールなどで「あなた様」などと書かれたら素直には受け取れないのである。

商人なんかに、対等に思われたのではなんとなく見下された気がするからである。
しかも、「あなた」に「様」を付けられたものなら揉み手をして付いてこられるようで、
自分にではなく、財布の中のお金に愛想を振りまいているようにしか思えないからである。
だから、正しい日本語では、それを避けて二人称を使わないのである。

法の下(もと)の平等ということから人間はだれしもが平等だと勘違いしている人がいる。
人間の容貌・能力には優劣があるし、長幼という序列があるからそうはいかない。
だから対等な「あなた」を求めることは難しいのだが、だれもが「あなた」になれる席がある。
酒呑みが集まってお酒をたしなむときだけは、みんなお酒の前においては対等なのである。
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by munojiya | 2008-07-22 09:52 | Trackback | Comments(0)