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満腹だけど満足じゃない <二本立興行>
毒米を使った麹米で造った西酒造の「薩摩宝山」には残存毒性がなかったという。
では、その焼酎を呑めるかということである。
なんとなく不安なのである、安全なのに、安心じゃないからである、気のせいなのである。
体にはなんともないのに、頭がウンといわないというわけである。

毒性は残っていないのだから、知らずに呑めば「薩摩宝山」はうまいのである。
人は頭(快感)で食うという本があったが、お酒は気持ち(先入観)で呑んでいるのである。
ということは、その気持ちを説得できればまずい酒もうまいと思って呑めるということか。
庵主にはだめだが、「越乃寒梅」信者には壜がそれであればうまく感じるはずである。

その夢をこわすことはないのである、いやこわしてはいけない。
だから、庵主は「越乃寒梅」が出てきたら酒は口にせずにそのラベルを褒めるのである。
呑んだあとに、満腹感はあるのだけれど満足感を感じないということがある。
庵主はお酒の量は呑まないから、料理の数を頼むのである。

呑み終えたら客観的には十分満腹のはずなのに、なぜか空腹感が拭えないのである。
それで仕上げにラーメンでも食べたものならあとがよくなかったということが少なくない。
アルコールを呑んだ後はそうなるというのだが、食とは実は心を満たすことなのである。
今呑んでいるそのお酒で心はこの上なく満足していますかということなのである。
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by munojiya | 2008-11-30 00:30 | Trackback | Comments(0)
赤い紙
徴兵令状のことを赤紙と呼んでいたということは読書で知った。
なんでも赤い色(というよりピンク色)の薄っぺらな紙が使われていたからだという。
命と引き換えになりかねない不幸の手紙だった。
大東亜戦争の末期には、軍部も必死だったのだろう、赤紙を乱発して不幸をばらまいた。

そうして徴兵された兵隊は多くが二度と日本に帰って来なかったが、
戦死した兵士の6割近くは、戦闘死なんかではなく、餓死や病死だった、
という説を聞いたことがある。
それが事実だとしたら、天皇陛下の名の下に多くの兵隊は無駄死にさせられたことになる。

裁判員制度の裁判員の召集令状を赤紙と称する人がいる。
好き好んで刑事裁判の、しかも重要事件の裁判に関わり合いたいという人は
まずいないだろう、時間の無駄だからである、いい迷惑だからである。
しかもまともな知識もない人に、裁判を任せたいという被告もまた少ないだろう。

裁判員というのは平安に暮らしている国民に苛酷なことを要求する制度なのである。
裁判員になるということは運転免許を持っていない人に車の運転をさせるようなものである。
それで事故を起こしたら未必の故意を問われても否めないことだろう。
お酒を呑んで運転して死傷事故を起こしたら未必の故意が問われるように。
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by munojiya | 2008-11-30 00:26 | Trackback | Comments(0)
日曜日のくつろぎ篇 幸せな宮崎駿
宮崎駿(みやざき・はやお)監督のアニメは日本人の心を沸き立てるようである。
庵主はなぜかその手の奔流に心が吸いよせられないのである。
何となく馴染めないのである、忌避しているというよりも、なぜか縁がないのである。
へぇー、そんなに面白いのか、と横目で眺めているだけで参加しようという気が起こらない。

興味がわいてこないのである。
学生運動の高潮期にも心が動かなかった、それは別世界の出来事に見えていた。
それに先立つビートルズも庵主はどこがいいのかわからなかった。
サザンオールスターズの活動停止にもさして感慨はない、それを語る話題すらないのである。

宮崎駿のアニメも血沸き、肉躍ることがない、新作が囃し立てられも血が騒がないのである。
アニメと聞いただけで、今は最後まで見続ける根気があるだろうかという心配が先に立つ。
でも実際にスクリーンに向かってみると最後まで見ることができるのだが、見る前はいつも
アニメなんかをいい大人が長時間も耐えられるのだろうかという不安に襲われるのである。

新作を、慈しむように自在に語ってくれるファンに囲まれている宮崎駿は幸せなのである。
「崖の上のポニョ」を見て、精神科医はそれがキリスト教の精神構造に由来することを見出し、
保守主義を標榜する人はそれを極左思想だと指摘するから作者の心は病んでいるのだろう。
それを見たいとは思わないのはうまいお酒を呑んだほうが言葉は自在に膨らむからである。
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by munojiya | 2008-11-30 00:19 | Trackback | Comments(0)
日曜日のくつろぎ篇 宮崎駿の補遺
宮崎駿監督の2008年11月20日、東京・有楽町の日本外国特派員協会での講演。
この国に立ち込めている不安や将来に対する悲観的な考え方は、実は子どもたちには
全く関係ないことなのです。つまり、この国が一番やらないといけないことは、
内部需要を拡大するための橋を造ったり、道路を造ったりすることではなく、

この子どもたちのための環境を整えること。常識的な教育論や日本の政府が言っている
ようなくだらないようなことではなくて、ナショナリズムからも解放されて、
もっと子どもたちの能力を信じて、その力を引き出す努力を日本が内部需要の
拡大のためにやれば、この国は大した国になると信じてます。

アホか、ナショナリズムから解放されたら根無し草の人間になってしまうのである。
その桎梏(しっこく)があるから人間なのである、その一点で輝いて見えるのである。
男から金玉を取って、男から解放された男に魅力があるだろうか。
人間から悪心を取り除いたら魅力もなんにもない人間になってしまうのと同様である。

ナショナリズムを喪失した日本酒なんか、庵主なら呑みたくない。
呑んでもつまらないことが判っているからである。
庵主が宮崎アニメにのめりこめない(血が沸かない)理由がそれで分かったのである。
アンチ日本人漫画を書きつづけた手塚治虫の漫画はその気持ちがよくわかるのであるが。

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判る=違いが見えること。
分かる=得心すること。
わかる=好き嫌いは別にしてその気持ちが理解できること。
      立場が違えばそう思うだろうと想像はできること。

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by munojiya | 2008-11-30 00:15 | Trackback | Comments(0)
番外篇 どんでん返し
長編小説の、最後の一行で泣いたことがある。
海老沢泰久の「監督」である。
一行といっても、その文字数は十数字に満たない。
見事に泣かされたのである、欣喜の中で涙したのである。

どんでん返しともいえる一本のセリフだった。
野球小説だから、代打満塁サヨナラホーマーといった劇的な、いや小説的な一行だった。
絶体絶命の時に援軍来(きた)るの報を聞くような一転歓喜の瞬間を体験したのである。
そういうどんでん返しをこの16行でいつかはやってみたいとは思っているのであるが。

話は、嘘でもいいから、ハッピーエンドに限ると庵主は思っている。
最後は幸せな気持ちにしてほしい、それが読者に対する最低のサービスというものである。
90分の映画でいえば、89分まで陰気くさくても最後の1分でそれをひっくり返してくれたら
庵主はその芸に拍手するが、今では10分も見てつまらなったら出てきてしまうのである。

この「むの字屋」はお酒を語るブログだから、話題は必ずお酒に絡めてあるが、
時には話題が大きすぎて、最後の一行にたどり着くまでお酒とつながらないことがある。
本当ならばそれがどんでん返しなっていればいいのだが、いつも窮余の一策なのである。
終わり。
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by munojiya | 2008-11-30 00:10 | Trackback | Comments(0)
夢物語 <二本立興行>
今日の日本の学校教育は以前に比べて質が落ちているというのが大方の感想だろう。
子供の行儀が悪いという、もっともこれは親の質が落ちているためではあるが。
学校で学習する以前の問題として、子供のしつけがなってないのだという。
その学習においてはゆとり教育が行なわれたことで学力の低下を招いたという。

公教育は何をやっているのかという非難の声は小さくない。
日教組の反日教育が日本人精神を劣化させている元凶だという説がある。
それを改善するためには、もっと優秀な人材が教員になるようにすることも重要だ、
という人もいるがそれは夢物語なのである。

映画の観客動員数が減ったときに映画人が口にした言葉は
もっといい映画を作らないとダメですね、というものだった。
それが簡単にはできないから映画は低迷していたのである。
学校の先生もそう簡単には質を揃えられないというのが実際のところなのである。

考えることは、現在の質でどうやって要求水準を実現していくかでなくてはならない。
お酒の質をもっといいものにしなくてはならないといってもそれができるだろうか。
上酒(きどり酒)、下酒(なかせ酒)、並酒(なごみ酒)の割合は殆ど変わらないのである。
それをどう呑み分けるかが呑み手の教養なのである、現実的な対応なのである。
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by munojiya | 2008-11-29 01:23 | Trackback | Comments(0)
「私は貝になりたい」
「私は貝になりたい」が映画になったという。
中居正広と仲間由紀恵だという。
庵主はフランキー堺で見ているから、
見る前から、時代錯誤という印象から逃れられない。

こんどの映画は初公開から五十年目の映画化なのだという。
ということは、庵主が見たフランキー堺の記憶は、TVの再放送だったのだろう。
戦争はいやだという、心情的に当たり前のことを描いていた内容だったと思う。
庵主は、そのころはB級だのC級戦犯だのという言葉は知らなかったのである。

いまどき、それを映画化するというのは、何の宣伝なのだという疑念が先に浮かんでくる。
この危機に直面して、日本人は今度も貝のように口を噤(つぐ)めといいたいのか。
お酒に木桶造りという逆行造りが造り手の中で流行っている。
それがうまいのかというとそうでもないのである。

年賀状作りにワープロではなく、プリントゴッコを使うようなものである。
手間をかけるという造り手の満足感が優先する酒造りで、呑み手のためのものではない。
新作「私は貝になりたい」も、B・C級戦犯という嘘を指摘していないのなら、
GHQ公認宣伝映画の枠を越えることはないだろう、というのが見る前の感想である。
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by munojiya | 2008-11-29 01:18 | Trackback | Comments(0)
番外篇 今、ネットがなかったら
マスコミがまたやってくれたのである。
民主党の金融対策チームが
2008年11月25日に金融危機対応策の追加策として「行動計画」の原案を発表した。
その中にさりげなくこんな条項があったという。

「(2)ドルの「完全追随」ではなく多極化指向の為替政策
 ・IMF(国際通貨基金)への資金支援だけでなく、特定国への個別支援」
めざとい人はこの特定国への個別支援の部分を見落とさなかったのである。
民主党は元社会党の極左を含み、特ア三国からいっぱい資金援助されている政党である。

特ア三国の支援は、もちろん自民党にも行なわれているのだが、
民主党の政策はそのスポンサー様に忠実すぎて日本人の利益を害すると批判されている。
その一端を示すのがこの条項だったのである、資金援助に対する見返りである、収賄だね。
馬脚を表すと書いても同じだが、すでにそれは分かっているからこれはその証左である。

マスコミは、意図的にか、小泉毅で忙しいためか、それを見落としてしまったのである。
今のマスコミの目は盲同然で、国籍法改正案も今なお眼中にないのだという。
今、ネット情報がなかったら、何が起こっているかわからないということなのである。
マスコミでは報じられないうまいお酒のいや真っ当なお酒の情報は「むの字屋」でどうぞ。
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by munojiya | 2008-11-29 01:13 | Trackback | Comments(0)
主義者の主張 <二本立興行>
のっけから引用である。
「読売新聞」2008年11月14日付け夕刊の記事による。
国鉄(今はJRか)の駅構内を全面禁煙にするという動きについての一つの意見である。
【引用開始】

一方、たばこ問題情報センターの渡辺文学代表は、「たばこを吸ってから電車に乗り込む
喫煙者の呼気には有害成分が含まれ、分煙対策では解決にならない。JRは灰皿を置くのが
サービスという発想そのものを変えなくてはいけない」と指摘している。
【引用終了】

喫煙者に対する囲い込みの極右(清潔派)は喫煙者の呼気にまで言い及ぶのである。
「お酒を呑んでから電車に乗り込む飲酒者の呼気には不快成分が含まれ回りの乗客の迷惑
は計り知れない。節度ある飲酒をという注意書きだけでは嫌酒対策としては解決にならない。
飲酒の場を提供するのがサービスという発想そのものを変えなくてはいけない」のである。

饅頭(まんじゅう)や煙草はみんなで集まって食ったり吸ったりしてもうまくもなんともないが、
お酒はみんなでわが総理や名誉会長の悪口を言いながら呑むのが一番おいしいのである。
一人で呑んでもちっとも面白くないないのである、内にこもってかえって体によくない。
ただ集団酒呑みはうるさいから騒音対策として分飲を主張する人はいるかもしれないが。
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by munojiya | 2008-11-28 02:41 | Trackback | Comments(0)
乖離
テレビスター、筑紫哲也が癌死して毀誉褒貶がかまびすしい。
庵主は、テレビを持っていないので、氏がTVでどう振る舞っていたのかを知らないが、
生前に読んだものには悪口が多かったから庵主の読み物が偏っているのだと思っていた。
少しはいいところもあるだろうと思っていたのである。

だがしかし、死後、ネットでその評価を読むと悪口ばかりが目につくのである。
ところがTVや新聞などの旧メディアでは筑紫哲也の評価はそれとは正反対なのだという。
ネットの記事によると、立花隆は氏を「日本最大のジャーナリス」と言ったとまである。
「の」と「ジ」の間の「反日」とか「売国」とかを故意に抜かしたか、と邪推したくなるのである。

裏を取れないネタも、また悪意の嘘も、そして公にされていない真実も、暴露記事も、
くそみそ一緒にあふれているネット情報だからどこまで信用できるかはわからないが、
既得権メディアである旧メディアと新入組のネットメディアの乖離は甚だしいのである。
大メディアは相互扶助団体だから、その遠慮がないネットの方が真実に近いのだろう。

「青木直人BLOG」に、私は生前の筑紫氏を誉めそやす「識者」たちの声ではなく、
ほかならぬ最低の現場環境のなかで、「スター」筑紫哲也のために番組を作成し続けた
彼ら[庵主注:放送現場の賃金労働者]の筑紫評価こそを聞きたいと思う、とあった。
それが一番身近な人物評価だろう、お酒は実際に呑んだ人の声を聞くのが確実なように。
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by munojiya | 2008-11-28 02:29 | Trackback | Comments(0)