<   2009年 03月 ( 102 )   > この月の画像一覧
終焉を見た
庵主がこれまでに見た終焉 。
映画はCGの出現でその夢は終わったのである。夢は実現したら夢ではない。
写真はデジタル画像でその使命を終えたのである。描ける写真は写真ではない。
以後はそれまで培(つちか)ってきた財産を食いつぶすだけなのである。 

見た目は美しくなっていくが、中身はますます薄っぺらになっていくのである。
昔がよかったというのは必ずしも年寄りの繰り言ではないようだ。
たしかに昔の方がよかったのである。
今は昔というのは、過去をいう言葉だが、別の意味で今は昔である。

将来においては、今この時点が昔になるのだから、今こそが栄えある時代なのである。
印刷というのは、活字を拾うことだった。
お金のない人はガリ版を切ったのである。
年賀状作りはプリントゴッコだっだが、今やいずれもパソコンに代わってしまった。

食い物の味わいがどんどん甘くなっている。軽くなっている。薄くなっている。
当然日本酒もそういう時代の流れに沿っているのだからすでに終わってるのかもしれない。
そのきらびやかな味わいに庵主は酔っているだけかもしれないのである。
庵主は真っ当なお酒しか呑めないから、そうでないお酒のことなどはどうでもいいのだが。
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by munojiya | 2009-03-31 00:34 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
3M
3M(スリーエム)といえば、スコッチテープのそれを思い浮かべる。
ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチュアリング社(現社名は3M)である。
焼酎の世界では、それを3Mというのだそうだ。
「森伊蔵」「魔王」「村尾」である。

宮崎正弘(みやざき・まさひろ)氏のメルマガでそれを知ったのである。
「さつま白波」「黒霧島」といえば、庵主には気軽に乗れる大衆車のイメージである。
「杜氏潤平」とか「六代目百合」になるとちょっと目が行くのである。
なにかありそうだという予感が働くのである。

それが3Mになると、庵主には近寄り難い感じがする。ちょっとしょってる高級車である。
それらより安くてうまい芋焼酎を見つけた方が楽しいという思いがわいてくる。
「森伊蔵」だったか、「森以蔵」だったか確かめるためにその公式HPを見たら、
そのHPは「富乃宝山」の西酒造のHPと双璧だった。

まずすごいのは商品の値段が書いていないのである。客の懐具合を見るということか。
じつに優雅な(=無駄な)HPなのである。役に立たないHPの見本である。
モウカッテ、モウカッテ、ムダヅカイといったところか、3Mというのは。
君子危うきに近寄らず、なのである。庵主は焼酎のうまさがわからないという意味で。
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by munojiya | 2009-03-31 00:33 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
酒の肴 支那は紂、朝鮮は恨、日本は和
見た目は似ているが、その性質は全然異なるもの。
支那人、朝鮮人、日本人。
身びいきで言うわけではないが、日本人が一番性格が穏やかなようである。
純米酒もアル添酒も三増酒も一緒くたにお酒といってしまったらその個性が見えなくなる。

日本人(にほんじん)は和である。
朝鮮人は、自分達が誇っているように恨(ハン)だろう。
そして支那人の性格は、好んで中(チュウ)国というのだから、紂(チュウ)なのである。
その違いが判れば結論が出たということである。よってこの話題はこれでおしまいである。

これまた身びいきでいうが、日本のお酒が一番うまい。
韓国に酒はあるのか。庵主はいまだそのうまい酒に出会ったことがない。
支那に酒はあるのか。庵主はいまだそのうまい酒に出会ったことがない。
日本のお酒がうまいのは当たり前なのである。地の利で選択肢が広いからである。

日本酒でも、求めて呑むことがないとろくなお酒とめぐり会えないのである。
まして、朝鮮、支那の、どこにうまい酒があるかを庵主は知らないのだから、
うまい酒に出会えるわけがないのである。
うまい酒は、それを求める人だけが味わえるのである。求めよさらば与えられん。
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by munojiya | 2009-03-31 00:30 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
うまそうに見えてうまくないもの
うまそうに思えるが、実際に口にしてみるとたいしてうまくないもの。
はちみつ、干しぶどう、梅酒、それに加えて黒砂糖。
いや、それらは本当はうまいのである。
なのに、庵主はそれ以上にうまいにちがいないと期待を膨らませてしまうのである。

あるいは、食べ方が間違っているのかもしれない。
つい、多めに口に入れてしまうからである。
本当は、それらはほんのちょっとだけ口にしてその甘さを味わうものなのだろう。
うまいかもしれなと思った時にやめておけばいいのである、過ぎたるは尚及ばざるが如し。

桜酵母で造ったビールとあると、つい夢が膨らんでしまうのである。
飲んでみるとたいしてうまくはないのである。
桜という言葉が、呑み手の想像と期待を必要以上に刺激してしまうからである。
味わいが呑み手の想像を越えていないとうまいと感じないということである。

花酵母の日本酒というのがある。
一様にまずいのは、これも花という言葉に夢を抱いてしまうからである。
伝統的に磨き上げられた手法で造られた奇をてらわないお酒のうまさに得心するのである。
造り手も何かやらないとつまらないだろうから、花酵母もそれはそれでいいのであるが。
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by munojiya | 2009-03-30 01:26 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
酒の肴 速読法
速読法という、かつての価値感からいうと本を粗略に扱う罰当たりな技術がある。
日本人は劣化したといういい方があるが、その具体例だろう。いや本の方が劣化したのか。
見方によっては、それを進歩と呼んでもいいのである。本は目的ではなく手段だからである。
庵主は、それをばかばかしい進歩だと思うのではあるが。

映画をビデオで見るようなものである。
自分の都合のいい時間に映画を見ることができるのであるから合理的なのである。
昔は、映画を途中から見て、見はじめたところまで見たら映画館を出るという見方があった。
映画の上映時間と見る人の生活時間が合わなかったからである。

ビデオならそういう複雑な見方をしないですむのである。
ところで、本は速く読む物なのかということである。
その程度の内容の本しか読んでいないのだからそれでいいのだろう。
本といっても愚本と駄本とまっとうな本があるのは、お酒の世界と同じである。

速飲法というのがあって、お酒を速く飲む方法というのがあったら噴飯ものだろう。
お酒だから、噴酒物というべきか。速読法のばかばかしさはその程度だということである。
庵主は高い本を短時間で読むのは勿体ないと思う貧乏症なので速読法は異界の話である。
お酒でそれをやったら即毒法ということになるのである。器用は不器用ということでもある。
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by munojiya | 2009-03-30 01:20 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
世話物  「パック イン ミュージック」というラジオがあった
日曜日の正午から始まるラジオ番組が「バック グラウンド ミュージック」である。
若山玄蔵の声が渋い。おっと弦蔵である。
庵主は、その時間にそれを聞いていることが多かったが、
最後まで番組名が覚えられなかった。まさにBGM番組だったのである。

HPを見て今確番組名を確認したら「パック イン ミュージック」ではなかったのである。
そして、そのスポンサーの名前もよく覚えていなかったのである。
最後にその理由を聞いてわかったのだが、
番組中に全然CMを流していなかったからである。松本歯科大学(MDU)である。

番組の途中でCMをいれると番組の流れの邪魔になるからだという。
そういうのを見識というのだろう。スポンサーの鏡である。おっと鑑(かがみ)だ。
逆にいえば、鷹揚なスポンサーだったというわけである。
もう一つのスポンサーがお酒の蔵元だったという。こちらも物静かなスポンサーだった。

佐渡の「天領盃」だという。道理で番組内でよくお酒のプレゼントをしていたものである。
いまもそうなのかは分からないが松井初太郎という杜氏の名前を知っているのである。
ここしばらく呑んではいないが、庵主も一度はご縁があったお酒なのである。
その番組も最終回だった。最後の局はマファアの歌だったのである。おっと曲である。
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by munojiya | 2009-03-30 01:13 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
お酒は欠点こそがうまいのである
右翼とか左翼という言葉は政治用語である。相手を貶(けな)すためのレッテルである。
それはレッテルだから、100%左翼(独善)とか100%右翼(固陋)という人はいない。
一人の人間には左翼(刷新自壊)の要素も右翼(保守崩壊)のそれもあるのである。
100%善人とか100%悪人などという人が、まずいないように。

まずいないというのは、中にはいるからである、いずれもキチガイと呼ばれるが。
左翼傾向が強い人をサヨクという、右翼傾向が強い人はウヨクである。
サヨクは知に走りすぎて、人の心が見えなくなっている人達である。
ウヨクは情に走りすぎて、その裏付けが甘い人達である。

ウヨクはサヨクの軽薄さを馬鹿にするし、サヨクはウヨクの頭の固さを見下している。
ウヨクもサヨクもいずれも欠点なのである。
実は、その欠点こそがその人の個性と魅力を醸し出しているのであ。
欠点のない人はつまらないのである、お酒もまたそうである。

美しいだけのお酒は、出会えたことはうれしいのに、なぜか物足りないのである。
心に残るお酒は、そこに欠点があるお酒である。
その欠点が可愛いのである。
人間もまたその欠点があるからこそ可愛いのだろうが、サヨクの相手は疲れるのである。
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by munojiya | 2009-03-29 00:38 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
日曜日のくつろぎ篇 サンデー・マガジン50歳
「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」が創刊50周年を迎えたという。
その記念パーティーが、小学館と講談社の共催で行なわれたという。
出席した漫画家の顔ぶれというのがすごい。ネットによると、さいとう・たかを、ちばてつや、
藤子不二夫(A)、高橋留美子、あだち充、等々、まさに錚々である。

さらに山根青鬼(!)、川崎のぼる、松本零士、永井豪と続く(最近の漫画家は知らない)。
別の見方をすると、わが国の隠れた億万長者である。ベストセラー作家なのである。
その天才たちと庵主は今同時代に生きているのである。
それが日本人という誼(よしみ)で享受できるのだから気分がいいではないか。

日本人に生まれた幸運である。身の幸せである。まさに僥倖(ぎようこう)なのである。
もっとも、庵主は今は名杜氏と同時代に生きているという感動の方が大きいのだが。
庵主は、いい子だったからサンデー派である。案外GHQの模範児だったのかもしれない。
そのせいか、大日本雄弁会講談社のマガジンの漫画には長く親しめなかったものである。

別の見方という点では、
今は出版不況で、50周年の記念パーティーを小学館も講談社も1社で開催できないほどに
落ち込んでいるのかと見ることもできないことはないのである。漫画の最終回だったりして。
実際はエールを交換しての漫画界挙げてのお祝いだったのだろうが。劣化は漫画にも。
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by munojiya | 2009-03-29 00:37 | Trackback | Comments(0)
日曜日のくつろぎ篇 時間がなくなりました
パンダが亡くなりましたといういい方は問題があるのだという。
ペットに餌をあげるという言い方は間違いだとはよく物の本に書いてあるが、
しかし大勢はペットに餌をあげるという人が多いのである(大勢は多いは馬から落馬かな)。
庵主は、重複はチョウフクと読むが、ジュウフクと読む人が増えたら敵わないのである。

発足をハッソクというのを聞くと虫酸が走るのである。今はそれを総理読みという。
さいわい書き言葉では、書き手がハッソクと書いていても発足とあるから気にならない。
亡くなるとか、死亡するというのは人間についていうのだから
パンダなんかの動物には用いないというのが正しい言葉遣いなのだという。

パンダについては異説があって、上野のパンダ様などはその出自といい、知名度といい、
人間並み待遇なのだから例外的に亡くなるといってもいいのではないかという意見がある。
思えばパンダはいかにも中国人に似ている動物である。
見掛けは優しそうに見えるが中身は凶暴。つい見掛けに騙されてしまうところがである。

安住紳一郎(あずみ・しんいちろう)の日曜日の午前中のラジオ番組の話がネタ元である。
その日の放送の最後が、もう一つ話題があったようだが、時間がなくなりました、だった。
話はあるが紙数が尽きたという書き方も同様で、語るまでもない内容だということである。
もう一本うまいお酒があるのですが今宵のお酒はここまで、と同じこれまで切りである。
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by munojiya | 2009-03-29 00:32 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(0)
時局物 地デジテレビをただで配れという話
2011年7月24日は、TV局にとっては、天から恐怖の大王が本当に降りて来る日である。
アナログ放送が終了する日なのである。正しくは終了する予定(はず)の日である。
TV放送の電波がアナログからデジタルに変わるのだという。
現在のアナログテレビではTV放送を見ることができなくなるという。

それで困ったのが放送局である。
今でもTV離れが進行しているのに、そうなったら、
それを機にTVを見なくなる人がふえるのではないかということである。
TVを見る人が減ったら広告が入ってこなくなるので商売に差し支えるからである。

そこで民放連の広瀬道貞会長が、260万世帯に地デジTVをただで配れといっているらしい。
情報源は「池田信夫biog」である。相変わらず舌鋒は鋭い。恥を知れとまで書いている。
その費用は自分達が出すのかと思ったら、税金から出せというのである。
テレビが本当に必要な物ならちゃんと自分で買うものなのである。余計なお世話である。

テレビなんか個人の娯楽である。そんなものに税金を使うのはおかしいんじゃないのか。
さらに、もともとテレビを見ない庵主のところに配られても有難迷惑なのである。
お酒をただで配るというのなら、こと庵主に関しては異存はないのである。
もっとも小沢一郎が国民全員に携帯電話を持たせろと言ったとき同様、欲しくはないが。
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by munojiya | 2009-03-29 00:31 | 時局物 | Trackback | Comments(0)