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無心とは快感の極みのことである
生きていることは個性なのに、
その個性を主張することは自分の心の重荷になるということである。
そんなものを強いられると子供なら狂うのである。
禅というのはなにか。それだけで大部の本が書けるほど大儀なものらしい。

庵主は直観でそれは無我の境地を得ることだと思っている。
禅の本を書く人は禅を語ることで無心の境地に遊んでいるのである。
長く書けば書くほど、長くその境地を味わっていられるからキリがないのである。
分厚い本を読まなければ禅に至らないというのなら、多くの人には無縁な技である。

人はなぜ禅に心ひかれるのか。
それは我執を拭い捨てて心が軽くなれるここちよい状態をもたらしてくれる技だからである。
個性なんかどうでもいいという世界だからである。無個性こそ快感の極みなのである。
死ぬことが永遠の無個性だが、禅はひとときのそれである。心の洗濯なのである。

仕事に打ち込んでいる人は金儲けのためもあろうが、それが心地よいからである。
やっていることは禅と同じなのである。吾を忘れていることが快感だからなのである。
お酒を呑んで酔うことは手っとり早い禅なのである。快感だからやめられなくなるのである。
庵主の場合はまずい酒では酔えないからそのお酒に対する注文がうるさいだけなのである。
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by munojiya | 2009-04-30 00:34 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
NHKがとうとう日本反日協会になってしまった
NHKといえば、戦後はアメリカの手先になって日本人を“善導”していた放送局である。
だんだん当時の行跡が明かにされつつある。ろくな放送局じゃないということである。
そのNHKは、かつては出演者から日本薄謝協会と呼ばれていた。
出演料が安かったからである。

最近は韓国ブームを煽って儲けているということで
日本韓流(はんりゅう)協会と揶揄されている。
今度は、日本偏向協会と見透かされた上、とうとう日本反日協会にされてしまったのである。
それというのもマスコミの権威と信頼性が下落したからである。

ネットのせいである。悪事千里を走る。
これまでは放送局や新聞の言うことは絶対だったのである。嘘はいわないと思われていた。
ネットはその嘘を暴いてしまったのである。
NHKの放送内容がおかしいというので、出演者にすぐ確認できるようなったからである。

それで、NHKが恣意的(でたらめ)な編集をしていたことが露呈してしまったのである。
庵主はNHKに受信料を払っていないので高みの見物であるが、払っている人は喧しいのである。
21世紀は暴露の時代である。裏付けのない権威は尊敬されない時代になってきたのである。
日本酒の嘘はとっくのとうに暴露されて今は再生の道を歩んでいるのである、一部であるが。
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by munojiya | 2009-04-30 00:26 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
番外篇 トウさん、カーさん
トウ小平という人がいる。
トウという字は、登の右側に、都の右側の部分を書く字である。
そのトウがバソコンで使えない漢字なのでトウと書くことにする。
自分のバソコンではその字が書けるときにうっかり使うと相手にはそれが読めないことがある。

相手のパソコンにそのフォント(電字体)がないときである。
その文字が !) と表示されていることをよく見る。
トウ小平が、「!)小平」と表示されるのである。
発信した人にはちゃんと見えているがこちらでは読むことができない文字である。

活字印刷のときは、その活字が無い時は!)の部分に〓を嵌め込むのが通例である。
〓を印刷用語で「ゲタ」と呼ぶ。下駄の歯の跡に似ているからである。
当該活字がないときに暫定的に活字をひっくり返して組んでおくのである。
あとから、校正の時点で活字を買ってきて正しい字に直すというわけである。

台湾に柯徳三という人がいる。姓のフリガナはカであるが発音する時はカーさんである。
大陸がトウさんで、台湾がカーさんである。ただそれだけ。
〓でいえば、日本酒にも〓が必要な酔狂な酒銘がある。バソコンで打てない漢字である。
「オン(人偏に宛)」とか「ヨ(酉に与)右衛門(よえもん)」である。勘弁してほしいのである。
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by munojiya | 2009-04-30 00:12 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
支那
グローバルスタンダード(米国英語)ではチャイナと呼んでいる国名を日本では「支那」と書く。
中国共産党は、その「支那」がいけないのだという。
「支那」は中国語じゃないのである、日本語である。
現地語で漢字を読めといった韓国人神父と同類である。

日本語では、パク・チョンヒと読まないのである、ボク・セイキ(朴正煕)である。
じゃ、ペ・ヨンジュンはなんで裴勇俊といわないかというとそれは芸能人だからである。
山田勇を横山ノックと呼ぶようなものだ、言うなれば愛称である、それは商品名である。
支那人から、日本人に、トイレットぺーバーは手紙と言えといわれても困るのである。

見た目は同じ文字だから、それが中国の漢字と同じ意味だと勘違いしているのである。
小国の日本が「本」なのに、大国のチャイナを「支」と呼ぶのは無礼だというのである。
匈奴、蒙古、鮮卑、吐蕃、さらには倭国と、他国を尊字で呼ぶのは支那の礼儀だろう。
ならば、支那のどこが悪いのか庵主には理解できないのである。支配好きの旦那である。

チャイナは大国でも「中国」とへりくだっているのに、日本は尊大だというである。
だから、見た目は同じ文字を使っているが「支那」は日本語だといっているのである。
中国語ではビールのことを[欄外画像参照](ピーチュウ)と書くが、口に卑しい酒だそうである。
その漢字はビールに失礼だから美酒(ビーチュウ)と書けと言うのは難癖というものだろう。

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by munojiya | 2009-04-30 00:05 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
お酒の広告シリーズ お酒は楽しく、ほどほどに
ほどよく、おいしく、いいお酒。
お酒はなんといっても適量です。
3番目はサントリーだった思う。
標題に使った惹句の裏返しみたいなのはサッポロか。
            
タイトルはたしかキリンのそれである。
たまたま乗った地下鉄にあった3社のビールの広告中の注意書きである。
庵主は記憶力がよくないので、ちょっと違っているかもしれないが、
ビールはほどよく飲みましょうというのである。飲まないという選択肢もあるが、飲むときはである。

キリンは、米を使うのをやめた新「一番搾り」である。
サッポロは、「冷製サッポロ」だったか。
サントリーは「ストレート」だったか、そんな感じの名称の新製品の広告である。
三つ同時に見ると、とてもじゃないが覚えきれないのである。違っていたらゴメンである。

「一番搾り」の広告はお金が掛かっていた。2スペース使って松嶋奈々子とイチローである。
庵主は醒めているから、ビール代のうちいくらかは二人の懐に入るのかと思ってしまう。
1缶10円にはならないにしても1円ではすみそうにないなと他人の財布の皮算用である。
イチローが1で、奈々子は7だから合わせて八の末広がりかと思いながら見ていたのである。
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by munojiya | 2009-04-29 00:26 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
新納豆
納豆の話である。
今の納豆は昔の納豆とは違っているという指摘である。
茨城(いばらき)出身の幕内秀夫(まくうち・ひでお)氏が書いている。
氏が子供のころ食べていた納豆は、かき回してもなかなか糸を引かなかったという。

昔の水戸納豆は大豆をただ藁に入れて自然醗酵に任せていたからだという。
それが納豆だったのである。
今の納豆は違う。それでは大量生産ができないから納豆菌を使っているという。
今の納豆は十分に醗酵していてよく糸を引くが風味がないという。

新旧の納豆を同じ納豆と呼んでいいのかということである。
ならば、昔の風味のある納豆は本納豆だろう。
今の納豆菌で造ったよく糸を引く軽便納豆は新納豆だろう。
本という言葉は旧来の造り方をしているものに付ける言葉なのである。

お酒でいえば純米酒こそが本というべきお酒なのである。アル添酒は新醸造酒なのである。
それを本醸造酒と呼ぶことは用語が間違っているとつねづね庵主がいっている理由である。
で、新旧の納豆はどっちがうまいかというと、多分新納豆の方だろう。
それを見せかけの納豆とはいうが、それが今の食生活なのである。現実なのである。
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by munojiya | 2009-04-29 00:25 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
時局物 FAX
バソコンの普及とインターネットの拡大で、ファクシミリは旧メディアになってしまった。
と、思っていたが、そのFAXがじつはいまなお健在だったのである。
いや、かえって威力を発揮しているのである。
紙に書かれた文字は印象が強いということである。その合法的な迷惑感が役に立つのである。

国会で成立する数多くの法律は、議員がその中身を検証した上で採決されるものではない。
数が多くてそこまで目を通していられないからである。
そのいいかげんさを利用して時にはとんでもない法律がまかり通ってしまうのである。
郵政民営化法案も、その中身を理解している議員はいないはずである。

その法律の中身を知っているのはそれの原案を作ったアメリカ人だけである。
ブラックボックスが組み込まれている法案である。時限爆弾というべきか。
外部の者にはその中身がよく判らないようになっているのである。
今は、そういういかがわしい法案の危険性をネットが議員に代わって見つけてくれるようになった。

危険な法案を事前に通報することで議員を動かすことができるようになったのである。
国籍法改正のときにはそのためにFAXが使われてその有用性が確認された。
議員のFAXに押し寄せた数多くの要請書に議員は閉口していたというから効果ありだったのである。
この「むの字屋」もFAXで送ったら。いや、やっぱりそれは迷惑以外の何物でもないのである。
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by munojiya | 2009-04-29 00:19 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
罪な人 松本零士と宮台真司
一人は漫画家、一人は社会学者である。
いずれも罪な人である。レイシかレイジか、ミヤタイかミヤダイかはネットでご確認を。
二人は影響力をもっているということである。幸いなことに庵主には罪はないのである。
著作は時に人の心を傷つけたり、人の命を奪うことがあるということである。

著作権を謳うなら、その責任もきっちりとるのが筋だろう。
物書きにそれだけの腹があるのだろうか。だからほどほどにということである。
お酒もそうだが、著作物もまた時には毒になるということである。
いずれも普段は人をなごませるものなのに、ある人にとってはそれが凶器になるのである。

ロマンチックな親から、芽恵照という名前をつけられた女の子がいるという。
その女の子のため息である。見た目がその名前のイメージと乖離していたのだろう。
それでいつもひどく心が傷ついているというのである。それが一生続くのだと嘆いているのである。
元はといえば、松本零士の漫画なのである。当人にはその自覚も責任もないだろうが。

宮台真司も女の子の自殺の手引きをしたことがあるという。勿論不本意ながらであるが。
その本で「生きることに意味もクソもない」と書いたら、それを読んだ素直な女の子が
意を強くして自殺してしまったことがあるというのである。著作は時に傍迷惑なのである。
「むの字屋」を読んでお酒を始める人はいないだろうとは思うが、念のために。毒ですよ、お酒は。
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by munojiya | 2009-04-29 00:18 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
ひふみの原則
安部司氏の新刊が出たという(「なにを食べたらいいの?」新潮社1260円)。
氏は食品添加物を食品メーカーに売り込む仕事をしていた人である。
よくある元自衛官という書き方にならえば、元食添売込人といったところか。
その本の中に出てくるのが「ひふみの原則」だという。

じゃ、何を食べたらいいのかという問いに答える指針である。
ひ、非伝統的なものは食べない。(お酒なら、アル添酒は駄目)
ふ、不自然なものは食べない。(高精白のような下手物は不可)
み、未経験なものは食べない、でひふみの原則である。(融米造り、焙炒造りは避ける)

という記事(「しんぶん赤旗」2009年3月22日号「本立て」欄)を読むと
それになぞらえてお酒の「あいうの原則」を作りたくなるのである。暇なのである。
ただし、食品添加物(微毒)から身を守るひふみの原則とは逆に、
こちらは、お酒の世界を狭くする愚かな原則である。人間の面白い部分に目をつぶることである。

あ、アル添酒は呑まない。
い、いいお酒しか呑まない。
う、うまいお酒しか呑まない、であいうの原則である。
それをやったら、いちばん美味しい部分である酒の肴(お酒の悪口)がなくなってしまうのである。
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by munojiya | 2009-04-28 01:00 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
時局物 飲ませる、抱かせる、掴ませる
2016年に、東京にオリンピックを招致しようと石原都知事が頑張っているが、
また電通の利権かと世間の目はさめている。都知事の儲けはいくらになるのかと皮算用している。
五輪を口実にして、現在築地にある魚市場を豊洲に移しその跡地にオリンピックのためだけの
プレスセンターを造るのだというのである。そっちの利権なのかと邪推したくなる。

ところが、豊洲の移転先が東京ガスの工場跡でとんでもない土地だったのである。
その土地には有害物質がたっぷり染み込んでいるということがばれてしまったのである。
そんなところに食い物の市場を持っていったのでは食の安全と安心が保てない
と築地市場の移転に反対している人たちの意見の方に庵主は与(くみ)するのである。

日本人が食べる魚等の海産物はいったん築地を通るから、
海の幸を食べる全日本人の健康と引換のオリンピックになりかねないのである。
オリンピックで猛毒地である豊洲への移転が実現したら、命と交換のオリンピックである。
五輪は二番手国の振興対策だったのではないのか。そうか、日本は後進国に落ちたのか。

オリンピック開催には事前審査があって、その調査団が4月14日に東京視察に来たという。
接待の心は、飲ませる、抱かせる、掴ませるだという。
五輪開催の要望を飲んでもらって、国民に希望を抱かせて、選手に金メダルを掴ませるために
視察団の委員を心からおもてなしするのである。本気でそれをやっているのかな、ということである。

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故・青島幸夫が都知事選挙に立候補して当選したことがある。
その前の鈴木俊一都知事が企画した世界都市博覧会を中止させるというのがその公約だった。
庵主もつい青島の意見に乗ってしまったが、いま考えるとしまったと思っている。痛恨の一票である。
お祭はやったほうがいいのである。酔っぱらうことが楽しいように。

ゼニカネはあとからついてくるからである。酒代とタバコ代が出ない財布はないともいう。
今度のオリンピックも、対立候補地がシカゴなら、ここは東京に取ってくるべきである。
飲ませろ、抱かせろ、掴ませろ、でどんな手を使ってでもシカゴに渡すべきではない。
しかし、マドリッドやリオデジャネイロならそこまでして張り合うこともあるまい。

2016年五輪の開催はともかく、その招致運動のデザイン関係は美しい。庵主は気にいっている。
庵主の庵があるここ曙橋の商店街の路地にまで五輪招致の旗が掲げられているのである。
その費用はどこから出ているのだろうか。協賛企業からか、都税からか。
五輪は、広告会社にとっては、よほど儲かるようになっているのだろう。

その費用の明細を見ると、トンデモナイ利益が乗っかっていることは邪推するまでもない。
そのお仕事の内容に比して過大な金額が支払われているはずである。
イベントのガードマンが小1時間ほどエレベータの扉の前に立っているだけで4万円とかである。
だれも請求書の明細をチェックしていないのである。それが税金からなら怒るのだが。

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by munojiya | 2009-04-28 00:46 | 時局物 | Trackback | Comments(0)