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造っている人が楽しんでいないお酒なんて
造り手が楽しんで造っていないお酒を呑み手がうまいと思うだろうか。
造り手がいやいや造っているお酒には無理があるのではないかという仮説である。
料理なんか、上手な人が造れば手抜きでも十分にうまいから
お酒だって、そつがない造り方をしていればそれなりに呑めるお酒になるはずである。

しかし、うまいお酒とそうでないお酒の違いはどこにあるのかと案ずるに、
そこにこもっている気合の違いであることは分かるのである。
うまいと感じるから、それを造り手の気合と思うものか、
気合がこもっているからその気魄と自分の体が共鳴してうまいと感じるものなのか。

やっている人の気が乗っていないと、それを見ている人も楽しめないというのは
芸人を見ているとよくわかる。
気が乗らないときを手抜きということもあるが、それはその時の気分のせいなのである。
気合が乗らないときの芸は見ていてもやっぱりつまらないのである。

歌手がよく薬〈やく〉をやるのは、その気分を高揚させるためだろうと庵主は思っている。
気合が乗らないと歌にならないのに、公演時にそれが枯れているときには薬に頼るしかない。
職業病という言葉があるが、薬はその商売を全うするための必要悪なのである。
醸造アルコールもまたその商売を全うするための必要悪なのかもしれない。真っ当じゃないが。
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by munojiya | 2009-05-31 14:23 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(2)
笑い話 素朴な疑問
南京大虐殺である。なぜか日本人が嫌いな日本のサヨク人の心の拠り所でもある。
話の中身は中国共産党の大ボラである。日本からお金を引き出すためのネタである。
中共が性こりもなくその嘘を繰り返すのは元がとれるからなのである。
それを知っているのに、いや分かっている上で取り合っている日本人がいるからでもある。

昭和12年の暮れに日本軍が南京を占領した時に支那人をぴったり30万人殺したというのである。
なんでも当時の南京の住民数は20万人余だというから、辻褄が合わないのである。
日本でも一騎当千という法螺があるからその類だろうが、30万人というのは控えめなこと。
2ちゃんねるのスレは笑い話の宝庫である。【引用開始】[その97番。なお余談ながら105番は笑える。]

結局、単純な疑問には誰も答えられないんだね。
南京大虐殺(笑)「中国軍は何してた?」
強制連行(笑)「なぜ帰らない?」
従軍慰安婦(笑)「朝鮮人は抵抗しなかった?」 【引用終了】

その質問をした時に、相手が必死になって嘘の答を考えている苦衷の表情を思い浮かべると、
笑ってはいけないのだろうが、笑いをこらえるのが苦しくなりそうである。
「障害者自立支援法」の趣旨を得々と説明していた役人もお役目ご苦労さまと思ったが、
三増酒を考えついたお役人様の嘘の答も聞いてみたかったものである。

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南京大虐殺のときに、“30万人”の自国民を見殺しにした自国の軍隊は何をしていたのだ
という疑問に答えられない今日の中国人には同情を禁じえないが、
今、核兵器で日本を狙っている北朝鮮に対して何ら防衛対策をとらなかった今日の日本軍は、
すなわち日本政府は何をしていたのだという疑問を後世に残すのだろうか。

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by munojiya | 2009-05-31 14:13 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
宗教新聞
『あるファストフード企業。客が注文してから商品を受け取るまでの待ち時間を1秒短縮すると、
年間8億円の増収になると試算した。客も喜ぶ。だからこそ、スピードにこだわっているという。
(原田泳幸「ハンバーガーの教訓」)』と引用して時は金なりと展開しているのは
2009年5月26日付「聖教新聞」の「名字の言」である。そのコラム子のHMは薬〈どく〉とある。

そういうのは、食事ではなくて、餌というのだろうと思うのが庵主である。
ご宗旨と最初から意見が合わないのである。信心はお金を儲けるためにするものなのかな。
食い物を口にいれることが食事だと思ってるうちはまだまだ人間性が低いのである。
食事と食事の間〈ま〉が本当の食事なのである。栄養は食ってから身にしみわたるのである。

軍隊では、早飯、早ナントカというらしいが、そんな生き方はしたくないのである。
もっともそれは戦時の智恵だろうから平時には適用できないが。
恋は会っているときではなく、会えないときに成就すると看破したのはその道の達人である。
信心も24時間やっているのはただの宗教マニアである。本当の信心は苦しくないときにある。

文章は行間を読めという。文字を読んだら騙されることがあるから。宗教新聞も、ね。
狭い日本、そんなに急いで何になる。ならば、短い人生、そんなに急いで何になる、である。
その無用とも思われる間〈ま〉を楽しむことを味わうという。それができる人を人間という。
お酒の味わいもまた飲酒と飲酒の間〈あいだ〉の思い募るところにあるということである。
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by munojiya | 2009-05-31 13:59 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
余外篇 自分は誰か
日本語の一人称のことである。
自分のことをどう呼ぶかということである。
ここでは、文章の書き手である自分のことをどういうかという話である。
英語ならほとんど「I」ですんでしまうらしいが、日本語ではそうはいかない。

畏れ多くも「朕」に始まって、「私」、「僕」等々と数限りないのである。
「むの字屋」のような閑文(コラム)においては、その選択が読み手との距離感を決めるから、
すなわち、書き手の気取りの程度を決定するからどれを使うかは無下にはできないのである。
「僕」も、「ボク」や「ぼく」とするとまたその表情が変わるのである。

「小生」というのがある。齢〈よわい〉で箔をつけるために「老生」と書く人もいる。
気取り度が高いのは「コラム子」は、という書き方だろう。「著者」は、も気障度は高い。
若い人が「自分」は、と言っているのを聞くと庵主にはなんとなく軍隊用語のように聞こえる。
ビデオショップにエロビデオを借りに来た私服の客に女店員が「駅前の交番のおまりさん?」

「ち、違います。ほ、本官は警察官ではありません!」 一人称で商売が分かるのである。
日本酒庵だから「庵主」なのだが、なんとなく尼寺の尼僧を思い浮かべる人がいるようである。
酔亭「むの字屋」だったら、亭主になるところだったがそれではカミサンに頭が上がらない
感じがするので庵主でよかったかと、オイラは、いや拙者は、いやコラム子は思うのである。
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by munojiya | 2009-05-31 13:48 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
正義・正論・差別
正義といい、正論といい、差別といい、それらに共通する心情は、すなわち裏にある心は
その人にとって都合のいいことという利己的な打算である。
正義が一つなら宗教戦争は起こらない。正義はいっぱいあるから戦うのである。
アンタの正義はそのうちのたった一つなのである。

正論というのも、アンタの今の境遇ではそれがいちばん心地よいというだけのことである。
戦場の正論と日常の正論が異なることを考えればそれがわかる。
差別にいたっては弱者を騙ったナンクセといったほうがいい場合が少なくないのである。
日本ではカツアゲと同義語に近いのは差別を口にすると金になるからである。

いずれも自分にとって儲かるという状況に変わりはない。
それでいいのである。
人はいまそこにいる状況でしか生きられないからである。
生きていくためには状況に合わせるしかないからである。

その人のお酒の状況もまたさまざまである。
だから庵主がうまいとか、おいしいとか、ここちよいといっても信じてはいけないのである。
もっとも、ある程度のお酒を呑み比べた人なら庵主のお酒の評価は納得はできるだろうが、
それが本当にうまいかどうかは最後にはそれぞれの呑み手の好みによるのである。
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by munojiya | 2009-05-30 16:14 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
それは逆シリーズ ホスピス
ホスピスというのがある。
ピスというのは、英語ではおしっこのことだという。
カルピスと聞くと英語少年は牛のおしっこから作ったのかと思うらしい、という話がある。
ホスピスといっても馬のおしっことは関係ないのである。

終末医療病院とでも訳すのだろうか。
おまえはもう死んでいるともいえる死を予言された人を治療する病院である。
死につつある人なのだから、治るわけがないので治療といっては語弊があるから医療である。
で、ホスピスというのは、その死んでいく人のための病院なのだと思っていたのである。

じつは逆で、死んでいく人を見送る家族の気持をしっかりさせるための病院なのだという。
当人に対する配慮が゙3割、その家族に対する死を受け入れる心構えの醸成が7割だという。
なるほど、死んでいく人はそれでおしまいだが、残される人の心持ちの方が重要なのである。
ホスピスのお医者さんの話を聞いたことがあるが、涙なしには聞けないものだった。

そういう幸せな境遇で死ねる人もいるということである。貧乏人には縁のない世界である。
死んでいくのに幸せもなにもありはしないが、そういうところに入れるのも身の幸せだろう。
庵主の身の幸せはうまいお酒とめぐり会えたことである。呑めないのにうまいのである。
生まれてきて一つでも幸せに恵まれたらそれでよしとしようと思うのである。天に感謝。
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by munojiya | 2009-05-30 16:08 | 酒の肴 | Trackback | Comments(1)
朝倉摂・石坂啓・いわさきちひろ・金光松美
男か女か、庵主には判らない名前である。
石坂啓さんだけは、本人に会ったことがあるので、かっこいい女性だということは判った。
胸元からのぞく乳房の膨らみがかっこよかったのである。庵主の心が揺れたのである。
そこだけ見入っていたのでどんな顔をしていたかよく思い出せないが間違いなく女性である。

見当がつかないものといえば、輸入物の赤ワインのラベルの表示である。
庵主は、こってりめの赤ワイン(カベルネ・ソーヴィニヨンの)が好きなのだが、
その赤ワインがどの程度の「こってり度」なのか判らないものが多いのである。
淡口~中口~濃口といった尺度表示にその味わい点を打っている輸入業者は親切である。

日本酒も赤ワインに劣らないものがある。
辛口と書かれた酒があるが、日本酒度の表示がないとどの程度なのか判らないのである。
超辛口という表示も蔵元によって+5だったり、+8だったり、+12だったりとまちまちで、
庵主が呑める辛口なのかどうかが判らないものがある。庵主は+8が限度である。

金光松美も判っている人には、男か女か、わざわざ言うまでもないことなのだろうが、
いくつかのサイトを見てもすぐにそれが出てこないのである。
日本酒の辛口も、造り手は辛口といったら自分の基準しかないと思い込んでいるようである。
しかし、多様な辛口のお酒を呑んでいる庵主にはその物指しでは役に立たないのである。
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by munojiya | 2009-05-30 15:40 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
差別語の作り方
差別語というのは、要するに、俺は相手が気に食わないという気分を込めた言葉である。
それを聞いた相手がめげるという効果があれば所期の目的が達成されるというわけである。
快哉を叫ぶことができるというわけである。優越感というビタミンが不可欠な人間の性〈さが〉である。
しかし、その言葉が自分の気に食わない相手には痛痒も感じなかったらつまらないのである。

ジャップというのは、アメリカ人が日本人を差別する言葉だというが、
英語に疎〈うと〉い庵主はその意味を解しないから、
日本人を叱咤激励してくれる掛け声なのだと思ってしまうのである。
アメリカ人が日本人の存在を認めて一目おいてくれたものだと思ってしまうのである。

それでは効果がないと思ったアメリカ人は、こんどはニップと言い出したという。
ジャパンからニッポンに、認識がより日本語に近づいたかと感心しているところである。
大体、日本人はアメリカ人なんか相手にしていないからその手の言葉がないのである。
ヤンキー、ゴーホームと罵るのはサヨクのデモのシュプレヒコールであるが効果はあるのか。

アメ公も、飴を思い出すから甘いのである。日本語だから相手は全然理解できないのである。
そこで庵主は、相手も分かるそれ用のあざとい言葉を造ったが強烈なのであえて書かない。
ところで、酒呑みを差別する言葉があるかと思い巡らせたが思い浮かばないのである。
仮にあったとしても、うまいお酒を知らない不幸な人のいう言葉に重きはないのである。
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by munojiya | 2009-05-29 00:15 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
シオンの議定書
「シオンの議定書」である。 ●参考(色遣いが悪いのと行間がないので読みにくいが)
それは、陰謀論者のバイブルである。
予言が当たったという場合には二つの場合があるということである。
一つは結果的に予言されていた事例が的中したということである。

数撃ちゃ当たるという場合である。
予想される結果を全部言っておけばいい。競馬なら全点買いである。どれかは当たる。
もう一つは、予言に合わせて行動することによってその結果を引き出した場合である。
「シオンの議定書」は偽書だと言われているが、その予言はよく当たっているのである。

本屋に行けば売っている。ただその出自が曖昧だということである。
しかも、世の中はたしかにそこに書かれているとおりに進行しているのである。
それは真実の書なのである。そこには何かあると感じるのは当然である。
白人の律儀なところは陰謀を巡らした時には必ずそれを事前に示唆するということである。

突然、不意に、意表をついてそれをやることはない。罠が好きな人達の性癖なのである。
だれかが、その議定書に沿って行動しているということである。予告書なのかもしれない。
庵主の本棚にもその全文がどこかにあるはずだが宗教書を読まない質なのですぐ出てこない。
案外、お酒の行き着く先も何か書かれているかしれないと思って繙いてみたくなったのだが。
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by munojiya | 2009-05-29 00:10 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
笑い話 おもわず噴き出した話
これには笑ってしまった。
その165番である。
本当に噴き出してしまったのである。
最近あなたが大笑いしたのはいつですかと聞かれて答えられだろうか。

なかなか心から笑えることは少ないのである。
落語や喜劇映画の笑いはいうなれば薬を使って笑うようなものである
自然発生する笑いではない。
一番おかしいのは期せずして生じる笑いである。

笑いがあると心が落ち着くのである。心に余裕が生まれるのである。
みんな冷静にそれを見ているということである。
165番だけ読んでもそのおかしさはわからない。
その前からの流れを読みこんでから165番の笑撃に耐えてほしい。

笑いの核爆弾はこれである。
そのおかしさを共有できたら嬉しいが、もし笑えなったらお酒同様好みの違いということで。
人とお酒を呑んで嬉しいのは、うまいという感動が一致したときである。
笑いとうまいは人の心を一つにするのである。

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これ(ご注意:映像なので音有り)も大笑いである。必見。クリスマス篇はそのあとでご覧ください。
でも、著作権は大丈夫なのか。それはともかく、そのコメントがいい。
このセリフのおかしさが分かる人が少なくないということである。
見えている人はみんな判っているのである。ただどうしようもないだけなのである。

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by munojiya | 2009-05-29 00:05 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)