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類似品でなくて姉妹品です
ラジオのCMである。
「類似品でなくて姉妹品です」
それを聞いて苦笑してしまったのである。
広告屋さんのユーモア(楽天主義)にはかなわないのである。

その伝でいえば、アルコール添加酒(アル添酒)も、
類似品というより姉妹品と呼んだ方がいいのかもしれない。
庵主は、それを紛い物と、身も蓋もない言い方をするのである。
今気がついたが、身も蓋もないというのは、中身が空っぽという意味じゃないか。

蓋がないのである。しかもその中身もないのだから。
お酒に、いったんアルコールを混ぜたら、その際限がないのである。
上限という蓋がないのである。
アルコールを添加した酒はリキュールと呼ぶが、すでに醸造酒ではないのである。

それを、いかにも醸造酒であるかのように偽装するのは中身に実態もないということである。
真紅の絵の具がほしいのに水をタップリ加えて淡くなった赤が出てくるようなものである。
水増しというよりは、質が異なるといったほうがいいのだろう。
質が異なるから、同列で比べる類似品でなくて、見た目が似ている姉妹品なのである。
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by munojiya | 2009-06-30 01:10 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
1食48円の米は高いのか
『需給を無視した高い米価により、当然、農家はコメの増産に励み、作りすぎてしまう。
一方、消費者の方は高いコメを敬遠して、消費量を減少させる。
ここからコメの慢性的余剰が発生した。』という意見があった。
日本の食糧自給率は40%しかないというのに、米は有り余っているというのである。

なぜかというと、国内においては国際的には割高な米の価格を維持しているために、
農家は米の生産に励むからだという。しかし、その米は高いから売れないのだという。
で、米の値段が高いというその論者は、いったいいくらぐらいの米を食べているのだろうか。
ちなみに、庵主が食べている米は5キロ1600円である。

一合は約150グラムで、ご飯にすると茶碗に2杯ぐらいになる。
すなわち一食分の米代は48円である。それが高いかということである。
コカコーラ(500ML)はコンビニで147円である。147円出してお腹が一杯になるのか。
玉子は1個20円ぐらいである。まともな玉子は60円前後するが、それと比べて米は高いのか。

「月桂冠」の「糖質0」は200MLで138円である。
普通のお酒の値段は1升で2500円といったところである。200MLなら277円である。
その半額で換える“お酒”を安いからという理由だけで呑みたくなるかということである。
米の値段が高いと感じる人は、いったいいくらの米なら妥当と考えているのだろうか。
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by munojiya | 2009-06-30 00:52 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
時局物 横須賀市民、汚名返上
今度の横須賀市長選挙(2009年6月28日挙行)では小泉元総理強力支援の候補者が破れた。
当選した吉田雄人氏は33歳だという。千葉市長も若かったが横須賀の新市長も若い。
年寄りは老獪で、頑迷で、身勝手だから、日本の将来は若い人が切り開くべきだろう。
夢は自分で描くものだからである。お仕着せの夢なんかもらっても嬉しくない。

庵主も、お仕着せのお酒を呑んでいたときはちっともうまくなかったのである。
「清酒」と印刷されたラベルを信用していたからである。
それがとんでもない代物だったことは、先覚者から教えてもらったのである。
庵主は、そのときに、うまいお酒を呑みたいという夢を描いたのである。

うまいお酒が呑みたいというのもささやかな夢ではあるが、
しかし、最期は笑って死ねるか、であるから、
いいお酒にめぐり会えることは身の仕合わせなのである。
その時に夢を見ていなければ、庵主はこんなうまいお酒に出会うことはなかったことだろう。

今回も駄菓子である。それが笑えるのは日本語には諧謔の基盤があるからである。
『郵政民営化の空文句、諸行無常の響きあり。  横須賀市長が反小泉、盛者必衰の理をあらわす。
 奢れる者も久しからず、ただ夏の世の夢の如し。自民党も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ。』
横須賀市民を見直した人が少なくないのである。次は、小泉進次郎氏をどうするか、である。

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たぶん、こういう文章を悪い文章というのだろう。
締めが、成り行きが注目されます、というものだからである。
それを「成り注〈なりちゅう〉」という。取材をしないで書く手抜き原稿のことである。
考えるところがあるのなら、自分なりの結論を書けといわれるところなのである。

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by munojiya | 2009-06-30 00:33 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
お酒の中身は変わっているのにそれでもお酒
下駄箱という。今、下駄箱には下駄が入っていることはない。
ただ名前だけは昔と変わっていないが、その中身は変わってしまっているということである。
いまは、その変化を素直に捉えて実態に合わせた言い方をする。シューズボックスである。
黒板も今は黒い板ではなく多くは緑板である。さらにホワイトボードになっている。

それでも、概念的には黒板と言いならしているのである。中身は異なっているのに。
お酒という。
お酒は米から造るものだった。よもやアルコールを混ぜるという発想はなかったのである。
もっとも、明治のころから、アルコールの需要はあったというから、おおっぴらには、であるが。

すでに明治の時代から行なわれていたアル添酒はなかったということにしておこう。
今のお酒はそのほとんどがアルコール添加酒なのである。
そういう酒を、昔と同じようにお酒と呼ぶのはちょっとおかしいのではないのか、
というのが庵主が普段から書いていることである。

黒板が、いまやホワイトボードなら、いまの日本酒はホワイトリカーと呼びたいところだが
その言葉はすでに使われているので、クリアーリカーとでも呼ぶことにしようか。
以下、尾籠につきご容赦を。それを同列に扱うのはクソミソ一緒というものではないのか。
自民党をクソ味のカレー、民主党をカレー味のクソというから、今はクソカレーとでもいうのか。

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二大政党制というのは、アメリカで使われた手法で国民を貧困にする政策である。
日本では読売新聞あたりが音頭をとって導入されたことで、今日、食うに耐えない
選択を迫られているのである。ちなみに読売新聞はCIAの手先といわれているが、
なるほどその主張とその行動の意味するところをみるとむべなるかなである。

「ワンカップ大関」は、大衆酒だというのに、その中に上撰と佳撰というランクがある。
そんな世界にすら差別があるのである。どこが違うのか呑み比べてみたことがある。
酒っぽいアルコールが佳撰、アルコールっぽい酒が上撰、である。
庵主ならどっちも呑まない、選ばない。もっとましなものを知っているからである。

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by munojiya | 2009-06-29 01:18 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
日本人の定義
何をもって日本人というべきかというときに、
靖国神社の境内の空気に小理屈を言う前に実感でなじめる人とするべきか、
忠臣蔵を見てそのハチャメチャな論理を素直に納得できる人とするべきか、
前畑頑張れを聞いて涙がこぼれる人とするべきか、その決定打を探しているところである。

元中国人石平(せき・へい)さんは日本に帰化した日本人である。
元韓国人の呉善花(ご・ぜんか)さんも日本に帰化した日本人である。
クロード・チアリ(智有 蔵上人)さんとか、サッカーのラモス瑠偉さんも今は日本人である。
外来の日本人は日本人と呼べるかということである。

そういう人たちを日本人といえるのはどういう場合かということである。
草として日本に帰化している人もいるだろうが、そういう人は日本人とは呼べないだろう。
そういう人は、アメリカからの帰化ならアメリカ人だし、北朝鮮のそれなら北朝鮮人だろう。
出自は問わず、日本語が話せて日本人の味方なら日本人とするのでいいのかもしれない。

そうすると、日本人の血を引いた反日日本人はどうするかという問題が生じるのである。
他罰的でなくて感謝の気持がある人、自分は偉いと宣伝する人ではなくて謙虚な人である。
庵主の日本人判別法は、日本酒を呑んでそのうまさに共感〈なみだ〉できる人というものであるが、
女に酒は呑ませられないからこの判別法は使えないのが惜しいのである。

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モグリの日本人を区別するならこれが決定版に違いない。「座布団何枚」の意味が判るか否かである。

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by munojiya | 2009-06-29 01:08 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
時局物 あれ、あれ、あれ
ネットの情報であるからどこまで信用できるかは読み手の判断による。
その点、とりあえず、書き手が内容を保証している既存マスコミの信用性は高いのである。
もっとも、金主(スポンサー)の意向から時々嘘記事を流している新聞もあるというから、
だれが金主であるかを見極めることは読者の教養とされているのである。

ネットにあった記事(「★阿修羅♪」である)というのは次の通りである。
『西松建設新任取締役(2009.5.15) [庵主注:つい最近のできごとである]
(1)新任取締役候補者
   取締役 葛城幸一郎 (現 常務執行役員施工本部 土木技術担当)

   取締役 山本享司 (現 常務執行役員札幌支店長)
   取締役( 社外取締役)齊藤勝昭 (元 飛島建設株式会社 取締役執行役員専務)
   取締役( 社外取締役)逢坂貞夫 (元 大阪高等検察庁検事長)
検察の天下り先の西松建設。手を組んで西松事件を起こしたんだね。さすが検察!!』
 
なんだ、西松建設事件というのは、検察が天下り先を新規開拓するのが目的だったのか。
いじましいを越えて、みっともないのである。正しくは、腐れ切っているというべきだろう。
与謝野氏に献金していたあのオリンエント貿易には詐欺犯担当だった警察OBがいるとの話も。
検察や警察が天下りしている蔵元というのがあったらそのお酒はちょっと怖いのである。

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・ひょっとして、月桂冠にはそういう天下りはいないだろうとは思うが。
・ところで、検事長の西松建設への天下りはマスコミでは取り上げられたのだろうか。
・そういえば、統一教会の文鮮明教祖が事故死したという話が流れているが、
その真偽は検証されているのだろうか。マスコミも時に役に立たないことがあるのである。

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by munojiya | 2009-06-29 00:54 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
「月桂冠」の糖質0というお酒
ビール類には「糖質0」を売り物にするものがあって、その看板を見て買う人が少なくない。
ならば、日本酒でもということでやったのが、暇な酒造会社なのだろう「月桂冠」である。
いや、研究陣が充実しているので研究熱心な会社なのだと言うべきなのだろうか。
よく考えるまでもなく、 日本酒のうまさは、米に由来する甘さの部分にあるということである。

そのお酒から糖質を取り除くということは。
その結果は想像するまでもないのである。
健康指向のために、甘味0のお汁粉を作ってしまったようなものである。
と、ここまでが呑む前の庵主の印象である。

実際に呑んでみないとよしあしの評価はできない。
人には添うてみよ馬には乗ってみよ、お酒はまず呑んでみよ、である。
酒銘は「糖質0」でいいものか。その200ML入カップ酒仕様のものを138円で買ってきた。
その値段を見たら、一瞬身震いをするではないか。「ワンカップ大関ブラック」より安い。

安いという喜びと同時に、大丈夫なのかこのお酒は、という驚愕に襲われるからである。
もちろんアル添で、13度~14度という度数は庵主の好みからは外れている。
しかし、それでもうまければ呑めるのである。うまければ全然問題ないのである。
呑んでみた感想は、まさに砂糖のはいっていないお汁粉だった。好奇心の強い人ならどうぞ。
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by munojiya | 2009-06-28 00:42 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
恐い話 マイクロチップ
これは恐い話である。
国際陰謀論だから恐怖の底は深い。
新型インフルと同じで不安を煽ることがその手法だから本当のところは庵主には分からない。
その恐ろしい話というのは、体内埋め込み用のマイクロチップである。           

まず、ペットに埋め込むのである。それを便利だといって実行するのである。
つぎに徘徊老人に埋め込むのである。
そしてみんなに埋め込むのである。
なんとなく聖書(狂気)の預言にそって世の中が進んでいるのが恐いのである。

聖書の預言というのは例の666の預言である。そこにはそらおそろしい世界が書かれている。
あらゆる人間を管理しようという発想である。例外を許さないというところが狂気なのである。゙
では、だれがそれを管理するのか。キチガイ、がである。
電子マネーというのも恐い。それはけっして便利なものではないのである。

庵主は、貨幣経済というのも一種の宗教なのではないのかと思っているのである。
宗教だから信者の気持ちの問題なのである。庵主には今それを深く考える余裕と能力がないのだが。
アルコール依存症の人はマイクロチップが埋め込まれたら酒が手に入らなくなるのである。
酔っぱらいのいない社会というのが一番恐いかもしれない。
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by munojiya | 2009-06-28 00:38 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
余外篇 顔のない人
CGというのがある。
コンピューターグラフィックのことである。
疑似画像のことである。ありえない映像のことである。
実写が本物だとすれば、ニセモノである。

それが実用化されてから、映画が面白くなくなった。映像としてはつまらなくなった。
またCGだろうということで、映像から感動がなくなったからである。
要するに、撮影の現場でいうならばそれは手抜きということである。
日本酒 でも、アルコールを混ぜて、ハイお酒とやっちゃった人達がいる。

たしかに、アルコールだから酒には違いないが、なんとなくつまらないのはそのせいである。
この歳になってニセモノを見せられてもちっとも面白くないということなのである。
若いうちは、それが楽しいのである。ロボットに夢を見るのである。
人間そっくりのニセモノ造りに夢をはせるのである。そんなものは、むなしいだけなのに。

金正雲。北朝鮮の次期独裁者だというが、その顔がなかなか出てこないのである。
多分それは実在しないバーチャルな人物じゃないのか。
いま、一生懸命CGでその顔を造っている最中なのではないのか。
映画が大好きだという金正日のCGセンスを今期待して待っているところである。
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by munojiya | 2009-06-28 00:31 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
ほんとうに利口な人は裏を見ない
世の中で一番愚かな人は、
手品の不思議を楽しまないで、その種明かしを詮索する人である。
実は、手品の種を考える人の方が頭はいいのである。
しかし、本当に幸せな人は手品を見て不思議だと感動できる人の方である。

映画を見ていて、脚本が頭に浮かんでくるようでは、そんなものは芸ではない。
演奏を聞いていて、楽譜が見えてくるようでは感覚異常としかいいようがない。
裏が見えるということはちょっと、いや、かなり異常だということである。
幸せを捨てる手っとり早い方法はその裏を見るということである。

惚れた女の、あるいは男の裏が見えてしまえば、恋は一遍に醒めてしまう。
本当に利口な人はそんな裏側を見たりしないのである。
見ない振りをするのである。そのことには目をつぶるのである。
分かっていても見ないのである。

お酒の裏側を見ることも、本当はしないほうが幸せなのかもしれない。
利口な人はしないことなのかもしれないが、
しかし、まずいお酒が呑めない庵主にとっては、
その正体を見極めることが、逆に幸せを求める最短距離だったのである。
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by munojiya | 2009-06-27 01:49 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)