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タンパク質が足りないよ
日本人は米をやめて麦(パン)を食えというのが米国の日本占領政策の始まりだった。
貧乏人はアル添三増酒を呑めというのも戦後に始まったことである。
その後は、タンバク質が足りないよで肉を食わされ、
カルシウムが必要だということで牛乳を飲まされたのである。

さらに、「一日一回フライパン運動」というのがあったという。
油を食えというのである。大豆油だ、菜種油だ、胡麻油だ、オリーブオイルだである。
玉子は完全栄養食品という触れ込みで食わされたのである。
さらにバターだ、チーズだ、マーガリンだと横文字食品を食わされた。体質“改善”である。

それに色付き砂糖水のコーラが加わる。
これだけジャンクフーズを食べたら体が音を上げるはずである。
さらに一日30品目運動というのがあった。
それって食い過ぎじゃないのか。

ポテトチップスで塩を食い、ケーキで砂糖を食っていたら体が壊れるのである。
酒は百薬の長とはいうが、今の多くのお酒は昔の酒ではないのである。
ただのアルコールである。そんなものが体にいいわけがないということは考えるまでもない。
まずい食い物の恨みを忘れるために呑むただのストレス発散剤と化しているのである。
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by munojiya | 2009-07-31 01:56 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
プロパガンダ
プロパガンダという言葉がある。
庵主は外来語が苦手なので、強引でもそれを「政治宣伝」と訳してくれないと理解できない。
「ためにする発言」とまでしなくても、漢語に置き換えてもらうだけでいいのである。
マニフェストも庵主には意味がわからない言葉である。

「政治公約」と訳すものか。公約は政治に決まっているからただの「公約」でいいのか。
あるいは選挙の時にしか出て来ないことばだから「公約詐欺」とするのが相応しいものか、
その言葉の真意が掴めないのである。「甘い誘惑」とでも訳しておくか。
庵主はそれをマニファクトだと思っていた。よく見たらマニフェストだったのである。

てっきり、間にうけたら馬鹿を見る事柄(fact)だと思っていたものだからである。
投票者が意味を理解できない言葉を振りまいてごまかしているのだから詐欺にはちがいない。
で、プロパガンダによく使われるのが映画である。映画自体がアメリカの宣伝だったりする。
政治宣伝用の映画はこういうふうに(その実例映像)作るのである。

映像は人を騙すのである。その字幕を別のものに代えると反日映画にすることもできる。
言葉は人の心をたぶらかせるのである。言葉に酔ってしまうのである。
人の気持はいい加減だということである。気分は揺れるのである。よく騙されるのである。
唯一、舌だけはけっこうシビア(冷静)で、まずい酒はやっぱりまずいとごまかせないのである。

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こちらの映像は一段とうまく作られているが、著作権は問題ないのだろうか。
著作権はともかく、ここまでくると職人技になっている。そのセリフで泣けるのである。
主人公の気持に同化してしまいそうになる。
この映像も著作権が切れていないはずである。「字幕:戸田亜希子」とすれぱ通るのかも。

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by munojiya | 2009-07-31 00:38 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
笑い話 青森もやるじゃん
「ネットゲリラ」という電網番組(ブログ)があって、そこは笑い話の宝庫なので、
庵主はそれを立ち読みして笑って暮らすというのが最近の世過ぎとなってしまったのである。
庵主はそれを駄菓子本と呼んでいるが、駄菓子屋といった方がいいのかもしれない。
駄菓子本自体がネットの立ち読みで、このネタはさらにその立ち読みである。孫引き。

『自民党青森県連は[2009年7月]29日、津島雄二元厚相(79)の引退に伴う
衆院青森1区の後継候補者を決める選考委員会を青森市内で開き、公募に応じた
[20人の]中から津島氏の長男で秘書の淳氏(42)を選んだ。近く党本部に公認申請する。
(中略)津島雄二氏は作家の太宰治の娘婿で、淳氏は孫にあたる。(共同)』

「田酒」「桃川」「豊盃」と酒はうまいが口は重い青森の人もギャグが上手になったものである。
自分で自分を嗤うことができるようになったらギャグの世界では一人前である。
候補者を公募して世襲という新手のギャグには大笑いさせてもらったが、
駄菓子本のコメントはもっと可笑しいのである。

『>津島雄二氏は作家の太宰治の娘婿で……ようするに他人』観察が細かい。
『どういうコントだよ。青森ではこういうのが笑いのツボなのか。』青森流なのだろう。
『太宰の孫だけあって/人間失格を地で行ってる/わけですね。』太宰淳で立候補とかも。
『斜陽の自民にグッドバイ 』本当はここでやめとけばいいのだが極め付きを欄外に。

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『まだ自民の「公募」の意味を分かってないのがいたんだね。19人も。』

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by munojiya | 2009-07-31 00:27 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
人智は児戯なり
人は進歩しているのかということである。
進歩しているのだという幻想に騙されているのではないかということである。
少なからぬ人は薄々そのことに感づいているようである。
日本人は劣化しているのではないかという漠然とした心象がそれである。

知れば知るほど虚しくなるのはなぜかということである。知らなくてもいいのである。
知っているという人たちの顔を見よ。あんな風になりたいかということである。
庵主は手品が好きである。今はもうその種明かしを覗くことはしない。
表面の不思議を楽しんでいるのである。その方が幸せだからである。

歌を聞いているときにその楽譜が見えてくるような思いがしたり、
映画を見ているときにそのセリフが書かれている台本が浮かんできたら無残である。
そういうことが本当にあるのである。そういうのを芸がないというのだが。
映画の綺麗なセットを裏側から見せられるようなものである。

庵主は、種明かしなんか見たくないのである。
夢が壊れるということである。
人の裏側も、庵主は見たくない。それを暴こうとする人智を賢明といっていいものか。
庵主はお酒の裏側は暴くのである。うまいお酒を呑みたいからである。強欲なのである。
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by munojiya | 2009-07-30 00:37 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
親の顔が、いや見るまでもない
近ごろ都で流行るものはこの衣装(「ねずきちの ひとりごと」)の話題である。
もうどうしょうもない世代が出てきたということである。
親の顔を見たいと思ってそのデザイナーのご尊顔を見たら、もういいやである。
着物の業界はこれを阻止すべきである。着物はバンツを見せて着るものじゃないのだから。

リンク先のブログにあるTVの映像の内容はさらにひどい。殆ど馬鹿といっていい発言である。
お前さんの首から上についているものは何だい、
という、からかい言葉があるがそれを思い出したものである。美醜の判断もできないのか。
これじゃまともな人がTVを見なくなるわけである。

その時の出演者の顔を馬鹿面〈ばかづら〉と見たのは庵主一人だけではあるまい。
案外庵主一人だったりするかもしれないが、その面〈つら〉は人前に晒す顔じゃないのである。
和服の業界も元気のない業界である。
着物を愛する人だけを相手に細々とやっているが、しかし、その美の極致は感嘆に値する。

そのことは清酒業界も似ているのである。
お酒に美を見出すことができる一部の人だけがそのうまさに舌鼓を打っているのである。
バチンコ、サラ金、宗教団体のCMしか流れていないという放送業界の堕落した放送を見て
そこまでは墜ちてほしくなかったと思ったものである。TVには愛のある視聴者すらいないのか。

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後日の補記。ちなみに、
『ワコールは ミスユニバースの下半身
ショッキング・ピンクのガーターベルトとストッキングの提供社です』
だそうです(その458番)。

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by munojiya | 2009-07-30 00:23 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
アイドル
アグネス・チャンというタレントがいる。
元アイドルである。
いまは、別の意味でアイドルになっている。
口さがないネットのアイドルである。

どのように持て囃されてるかということについては
例によって駄菓子本である。
さらに創価学会の池田代作、おっと大作名誉会長が作詞したという歌を唄っていることで
さらに非をあおってしまったのである。をたきつけてしまったのである。

チャン氏が広告塔となっている日本ユニセフ協会というのもひどいらしい。
ネットでは日本ユ偽フ協会と表記されている。その実態はネットで検索すればわかる。
よくいえば、体のいい天下り団体、悪く言えば本醸造酒である。
知らない人が見たらそれを本物だと誤認してしまういかがわしさということである。

アイドルといえば、日本酒にはアイドルがいない。
ワインには田崎真也というアイドルがいるのに、日本酒の広告塔がいないのである。
ビールには三船敏郎というビッグアイドルがいたことがある。サッポロの高揚期だった。
その人を見たらお酒が思い浮かぶアイドルがいないことでその低迷を知るのである。
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by munojiya | 2009-07-30 00:05 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
夏はビールだ
東京は暑い日が続いている。
湿度がやたらに高いのである。
皮膚にまとわりつくその湿気のしつこさはいたずらに疲労を募らせるのである。
そのかわり、喉をうるおすビールがうまい。

庶民は今、そのビールが飲めなくなったのである。
飲んでいるのは、代用ビールなのである。発泡酒さえも高くて飲めないからである。
今、何世紀だ。21世紀である。20世紀の庶民はみんなビールを飲んでいたのである。
時代が下ったら、進歩しているはずなのに、その飲み物は明かに劣化してしまったのである。

庵主はそのことを指して、見た目は綺麗になったが中身は劣化しているというのである。
映画がCGで劣化し、写真がデジタルで劣化したのである。
食品添加物なども、進歩というよりは劣化と呼ぶべきなのだろう。
庵主が日本酒のアルコール添加を劣化と見るのはその流れである。善し悪しとは別である。

代用ビールは、味わって飲むものではない。味わったらむなしくなるからである。
ビールは喉で飲むというが、それで飲むのである。
まずいと気がつく前にあおってしまうのが上手な飲み方なのである。
その涼〈りょう〉を楽しむのである。涼を味わうのである。それが庶民の智恵なのである。
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by munojiya | 2009-07-29 00:33 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
では、うまいビールを一杯
夏のビールは水代わりである。だから代用ビールでも十分役には立つのである。
喉を潤〈うるお〉してくれさえすればそれで十分だからである。
しかし、それを飲みすぎて体の気力が落ちているときには、やっぱりうまいビールである。
喉の感触だけがビールみたいな代用ビールでは心がいやされないからである。

で、見つけたのが「支那側県麦酒」である。
庵主のワープロの癖が出てしまった。正しくは「品川縣麦酒」である。
結論を先に書いてしまうが、これはうまい。明かにうまいビールである。
本当ならば、ビールの味はこういうふうに進歩してほしかったのである。

ただし、330ML瓶で480円である。高いのである。
キリンビールの「のどごし生」は350ML缶で123円である。その約4倍の値段なのである。
現実は厳しいのである。うまいビールを横目に見て「のどごし」しか飲めないからである。
庵主は、例によって量を飲まないので、平気で「品川縣麦酒」を口にするのである。

一本の余韻で代用ビールなら4本分の満足感をまかなってしまうことができるからである。
まずい代用ビールを飲んで生きていることの虚しさを味わうよりは、
想像力にまかせてうまいビールの世界に遊んだ方がずっとここちよいからである。
喉の乾きは「東京水」(東京都の鉄管ビールのこと)を飲んで我慢できるからである。
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by munojiya | 2009-07-29 00:27 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
もう遅いかもしれないが静岡県地酒まつり
たぶん、もうチケットは売り切れているかもしれないが、
「静岡県地酒まつり IN TOKYO 2009」の話である。
2009年9月6日(日曜日)の13時から品川プリンスホテルで開催される会である。
これがプラチナチケット化しているのである。

今、どこのお酒がうまいかと聞かれたら、
庵主はためらわず静岡のお酒だと答える。
なんてことはない。庵主の好みに合っているからなのだが、
それはまた、この会のチケットの人気によって裏付けられていることでもある。

多くの呑み手がそのうまさを認めているということである。
静岡のお酒のいいところは、蔵元の個性がはっきりしているということである。
味の違いを楽しむことができるのである。綺麗なだけのお酒ではつまらない。味がない。
庵主は、造り手の主張や試行を技と呼ぶ。静岡のお酒には技が感じられるのである。

チケットは、e+〈イープラス〉なる発券会社の扱いである。全て前売券で当日券はないという。
発売日当日の午前中に庵主が申し込んだら予約番号が499番だった。1枚3500円である。
おっ、ぎりぎりブービーかと思ったら、今回のチケットは会場を大きくして1000枚だという。
まだ手に入るかもしれない。静岡県酒造組合のHPから申込みができる。
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by munojiya | 2009-07-29 00:17 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
東京にもうまい酒あり
智恵子さんは、東京には空がないといったというが、
庵主もまた、東京には呑める酒がないと思っているのである。
酒都東京には、全国各地からうまいお酒が集まってくるというのに
そのお膝元に庵主がうまいと感じるお酒がないのである。「喜正〈きしょう〉」を除いてである。

もちろん、東京のお酒は悪い酒だというのではない。よくも悪くも特徴がないということである。
北海道のお酒同様、いま一つ色気がない酒ばかりなのである。
呑まずに死んでもちっとも悔いが残らないお酒である。そもそも極める気がないのだろう。
本邦第一の都会である東京にうまい酒がないのは都会住まいの人には欲がないからである。

上昇志向が必要ないからである。上昇志向などははたで見ているとみっともないからである。
天下第一の町に住んでいるのだからそれ以上を望むまでもないからである。
出世願望に満ちているのは田舎の人なのである。それでしか自尊心を満たせないからである。
都会の政治家がヤワなのは強烈な権力志向が欠けているからなのである。

それで東京のお酒はそこそこなのである。無理な力みがないのである。よってうまくないのである。
と思っていたところに中村酒造の「千代鶴〈ちよづる〉」の金賞受賞酒があったのである。
金賞酒といえば香りの酒だが、その香りに傾いていない堂々たる大吟醸酒である。これは凄い。
久しぶりに大吟醸酒の品格を味わうことができたのである。これなら呑めるのである。
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by munojiya | 2009-07-28 00:59 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)