<   2009年 10月 ( 93 )   > この月の画像一覧
091031 意に反して、うまー
呑めるわけがないと思い込んでいたお酒が庵主の思い込みに反してうまかったのである。
呑むまでもないお酒だと庵主が睥睨していたお酒が意外にも呑めたからである。
大手酒造会社のお酒は必ずしもまずくはないと認識を新たにしたのである。
ただし、代用ビール同様、二度と呑みたいとは思わないのであるが。

呑んだ後に満足感が残らないからである。何かが違っているという本能による。
その技に、いや、庵主が技というときは好意的評価のときだから、
悪い方向に使う技は無邪気に掛けて無邪技〈むじゃぎ〉と呼ぶことにするが、
その無邪技の巧みさには感心しながらも近寄りたいとは思わないのである。

いま三代目プリウスが売れに売れているが、そういう車に乗りたいかということである。
右も左もブリウス、前も後ろもプリウスというような車に乗りたいかということである。
コトストバフォーマンスがいい車だから合理的に判断するならそれでいいのだろうが、
お酒がただ合理的じゃつまらないのである。味わいが一つしかないのでは哀しいではないか。

あの白鶴の「まる」が136円、庵主が今一番不味いお酒だと断言する月桂冠の「糖質0」が146円
で並んでいる棚で松竹梅の「天」は120円だった。いずれも200ML入りのカップ酒である。
一番不味い酒でさえ146円の時に、評判の「まる」はそれより安い136円である。
ならば120円ならもっと酷いだろうという庵主の期待を「天」は見事に覆してくれたのである。
[PR]
by munojiya | 2009-10-31 00:54 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
091031 知の限界
『村なんて捨ててもっと外の世界を見ようよ』という言葉に出会った。
なるほど、そういう生き方もあるのかということである。
庵主などは器が小さいから、村だけで精一杯。それ以上は視野に入ってこないのである。
それに、町に出て、都会に出て、海外に打って出ても、地球の大きさが限界だからである。

人間の限界は地球の丸一つだということが地動説ですでに結論が出ているからである。
稼ぐに追いつく貧乏なしともいうが、
稼ぐにも、筆は一本、箸は二本で収入が追いつかないという言葉もある。
好奇心の数は多くても、身は一つしかないということである。

夢はいっぱいあっても、それをさばこうにも体がついていけないのである。
右手でバソコン、左手でパチンコみたいな生き方は、不器用な庵主には無理である。
どっちか一つである。かつ、一時に一つである。
お酒も呑む時は一杯だけである。

多くはいらない。
一つをじっくり呑みたい。味わいたい。
博覧強記の生き方もいいのだろうが、なにも一人でそこまで頑張ることもないのである。
地球が限界。その中でうまいお酒に出会えたならばそれで十分ありがたいことなのである。
[PR]
by munojiya | 2009-10-31 00:50 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
091031 時局物 石原都知事は毒裁者
庵主のワープロは(正しくはそれで使っている辞書は)、庵主に似て性格が悪いのである。
犬猫は飼い主の性格に似るという。
逆に、飼い主がその飼い犬や飼い猫に感化されるという説もあるが。
大きな声ではいえないが、犬・猫をペットにしているような人は、以下省略である。

都知事と打とうしとしたら、前に使った言葉が残っていたものか、土地事と出してしまった。
石原慎太郎都知事に対するイヤミになってしまったのである。
独裁者という言葉があるが、都知事の場合は毒裁者である。
なぜか毒地に向かった裁定を行なうのである。それで名前が、医師から死んだろう。

築地の魚市場を豊洲に移すということを提案したことがある。
その移転先が猛毒の地であった。
八ッ場ダムである。その水利を東京に持ってくるというのである。
その水が実は毒水だというのである。そのコメント欄の8番目である(欄外に転載)。

20世紀はダムの時代だったかもしれないが、21世紀のダムは時代遅れである。
中国の三峡ダムにその悲劇を見るのである。いや見ることになるのである。
庵主のワープロは主演と打とうとすると酒縁と出るし、種類と打とうとすると酒類と出る。
いつも酔っばらっているのである。三峡ダムもそのうち惨凶ダムと出るかもしれない。

-----

八ツ場ダムが造られる吾妻川は、かつて「死の川」と呼ばれていた。
上流の硫黄分によって水質が強い酸性に変わってしまうからだ。
もともとダム建設には適さない川なのに、旧建設省は川に大量の石灰を流し込み、
中和させることで、ダム建設を強行した。

そのためのコストは莫大だ。
中和のための工場に加えて、中和によって生成されたヘドロをためる「品木ダム」
さらにそのヘドロを脱水・圧縮して埋める処分場が造られた。
現在、ヘドロは処分場に高く積み上げられている。

ところが、この「品木ダム」の上流には万代鉱という閉山した硫黄鉱山があり、
ここから高濃度のヒ素が排出されているというのだ。
八ツ場ダム問題を長年取材しているジャーナリスト・高杉晋吾氏は、こう警鐘を鳴らす。
「万代鉱は温泉源で年間50トンのヒ素[砒素]が排出されています。

ここ10年間だけでも500トンのヒ素が中和生成物(ヘドロ)に蓄積されている。
致死量にして25億人分です。(中略)
ヒ素は自然界に存在するもので、温泉水に含まれるのは普通だ。
入浴する分には問題もない。しかし、飲料水としてはどうなのか。[表記は原文通り]

[PR]
by munojiya | 2009-10-31 00:42 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
091030 日本人対日本人
庵主の仮説である。
日本列島に土着していた住民が、すなわち抵抗して賤民にされたのが日本人〈にほんじん〉、
一方、占領軍が、すなわち支配層が日本人〈にっぽんじん〉、と呼び分けているという説である。
「日本」の読み方が二つあるのはそういう事情〈ゆらい〉をぼかした上でのことなのである。

よって、支配層の組織はニッポンと読む。日本銀行、日本郵便などはNIPPONと読む。
大日本帝国は当然、ダイニッポンテイコクと読むのである。ダイニホンではない。
それに対して、わがお酒はニホンシュである。原住民の酒である。辻褄が合うのである。
庵主の駄洒落ですよ。信じないように。騙されないように、である。

支配層の特徴は、背が高い、頭がいい(イヤミですよ)、
そして、性格が悪い(感心しているのである)。要するに尊大である。凶暴性ありが特質。
日本人〈にほんじん〉は、倭(小柄)である。よって、和である。温和であることが特質。
見目麗しい日本人〈にっぽんじん〉vs〈ブス〉日本人〈にほんじん〉という構造である。

「庶民」というのは、十人並みという好意的な意味ではない。
庶子の庶である。占領軍の落とし子である。どこの馬の骨が分からないということである。
「平民」も、貧乏人という意味ではない。賤民の意味である。平家の平に由来するという。
「日本」の意味については過去記事に書いたとおりである。それも駄洒落であるが。
[PR]
by munojiya | 2009-10-30 01:20 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
091030 クオリティ
駄菓子本(135番)
『公平であるべき報道は偏向
真実であるべきドキュメントは捏造
清清しくあるべきスポーツは八百長

笑いと感動のバラエティは殺伐
これがTBSクオリティ』
TBSである。潰してしまえ、である。つぶせ(TUBUSE)の子音を並べてTBS。
TBSが、なぜそうなってしまったかについてはネットの噂子〈うわさし〉が口さがない。

クオリティという言葉は人物評にも使えそうで、『島田伸介[ママ。正しくは紳助]って
同じ会社の人物は例え[ママ]、上司、目上であろうが、社外の人物に対しては敬語をつけないで
人物名を伝える。 という社会常識しらずに、吉本興業だかの女性社員が、幹部社員を
敬語つけないで呼んだと言い出して、暴行した犯罪者でしょ。』(204番)

庵主にとってはシンスケよりもこの時期はかんすけのクオリティに心引かれるのである。
ところで品質という日本語があるのになぜクオリティという二流語を言葉を遣うのだろうか。
庵主なら“クオリティ”の高い日本酒よりも“品質”が優れたお酒を選ぶのである。
ゴージャスな前者よりも、真っ当に作られた後者の方が心に叶うからである。ただそれだけ。
[PR]
by munojiya | 2009-10-30 01:19 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
091030 本末転倒
なんでもCF(コマーシャルフィルム)のコンクールがあるという。ACC CMフェスティバル
造り手の立場からいえば、すぐれた商業広告を顕彰しようというわけである。
受け手の立場からいえば、見てここちよい商業広告を見出そうというものである。
肝腎な部分が抜けているのである。その広告が本当に効果があったのかということである。

つまり役に立った広告だったのかということである。
すなわち、その広告によって広告主は広告の製作費用を上回る利益が得られたのかどうか。
お金は掛かっているが、ちっとも売上に貢献しなかったCFに価値があるといえるのか。
見た目が美しいだけのそれは造り手の自己満足でしかないだろう。

そんな映像を広告主のお金で造ったとしたら背任横領罪ではないのか。
ちっとも役に立たないものを他人の金で作ったのだから、詐欺というべきか。
CFの評価なんか、S/N比ではないが、売上/広告代ですぐ判るのである。
そのCFは広告主にどれだけ利益をもたらしたかで優劣は一発で判断できる。

それが映像コンクールなら、ぴあ当たりがやることじゃないのか。
販売効果を無視してCFの出来映えを競うというのは本末転倒なのである。
うまいビールを造るのがビール会社だろうに、ニセモノを造るのも本末転倒なのである。
広告業界もかなりおかしくなっているということである。いや、もともとそうだったか。
[PR]
by munojiya | 2009-10-30 01:16 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
091029 醸造アルコールはCGである
映画「沈まぬ太陽」を見てきた。映画についてはも読んでからどうぞ。
冒頭10分ぐらいのところで、庵主のツボを押す泣ける場面があったので入場料の元はとれた。
で、CGの話であるが、映画を見ていてもそれと気がつくことはなかった。
ちょっとクサイ映像があって、その場面がそうかもしれないと思った程度で気にはならない。

つまり実用上は全然問題ないのである。
それが目障りになることはなかったからである。
しかし、CGはそれが使われているということを知ったときに違和感がぬぐえないのである。
見ている分には気にならないのに、なんとなく本物じゃないという不快感が残るのである。

気分の問題なのである。騙されたという苦笑である。馬鹿にされたという不愉快な思いである。
そして、CGも上手に使ってあればそれは隠し味ということになるが、
それが多用されていると鼻につくことはいうまでもない。あざといということになる。
CGはお酒における醸造アルコールに似ているのである。必要悪〈てぬき〉である。

手抜きが悪いというのではなく、それがばれたのではつまらない世界もあるということである。
日常の食事は時間や金をかけて作ってられないが、割烹でそれが出てきたら寂しいのである。
アニメは全編CGみたいなものだが、太陽のあとに見た「サマーウォーズ」の方が楽しかった。
アニメは所詮デザートだが、それが美味かったのである。細田守と奥寺佐渡子を銘記した。

-----

奥寺佐渡子は、あの「時をかける少女」のシナリオも手がけていた。奥寺ヨシッ!、である。
信州上田が舞台の「サマーウォーズ」に出てくるお酒は「御園竹」である。芸が細かい。
で、おばあちゃんの遺書の封が×になっているのである。若い人が作った映画に微笑。
「締め」は、×(ばつ)でもX(エックス)でもメ(片仮名のメ)でもなく「〆」なのである。

[PR]
by munojiya | 2009-10-29 00:48 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
091029 客の足元を見る商売
JAL(日本航空)がついに窮地に追い込まれてきた。
GM(アメリカのゼネラルモータース)の末期症状に似ている。
再建を口にする経営陣にその目処はない(経営能力がかなり不足しているようである)。
従業員は自分達の立場がわからない(頑張れば頑張るほど悪くなる実例を見るようである)。

なんでも渦中にあると自分が見えなくなるからしかたがないのだが。
傍〈はた〉から見ているとよく見えるのである。
冷静な大方はいったん潰してしまったら、という無責任な思いである。
JALは、与党だった自民党にとっては甘い汁を吸うための恰好の国策会社だった。

過大な空港着陸料(車でいえば駐車料)と従業員の給料を支払い、議員の利権に金を出し、
マスコミの只券(タイアップのタダの搭乗券)乞いに応え、株主には優待券をばらまいて、
それを一般の乗客にしわ寄せしていたのである。乗客は高い運賃を支払わされているのである
JALの運賃が高いから、ANAの運賃もそれに倣って高値になっているということである。

その運賃もお盆やお正月の帰省時期の運賃はことさら高値にしていた。
客の足元を見てぼっていたのである。そんなナショナルフラッグキャリアがあるか。
席は埋まるのだから、年に二度の藪入りのときこそ運賃を下げるのが商売というものだろう。
客が黙って呑んでいることに甘えてうまくもない酒を造って国酒だという業界もまたである。

-----

米国のフラッグキャリア・パンナムがなくなっても誰も困らなかったという前例があるのである。
大きすぎて潰せないというのは大いなる誤解である。大き過ぎて動きが悪くなっているのである。
庵主は大きすぎるものは有害だと思っているから、平気でその解体に与〈くみ〉するのである。
銀行や企業がどんどん大きくなっていくことで世の中がつまらなくなっているではないか。

[PR]
by munojiya | 2009-10-29 00:45 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
091029 怖い話 123便
ネットで拾った怖い話である。
題して、「日航ジャンボ123便 生存者は自衛隊員がアーミーナイフで殺害していた」
見出しに騙されないように。しかし、あの事件は、わからないことが多すぎる。
搭乗者の中にかなり重要な人物(キーパーソン)が乗っていたという説もある。

いま起こっていることの真相ですらわからないである。今、池田名誉会長はお元気なのか。
もっともらしく語られている「歴史」などはかなりいいかげんだと見たほうがよさそうである。
学者の世界もまた業界であって、業界内の掟には逆らえないということなのである。
師の言ったことはそれが嘘であっても信じなければならないからである。逆らえないのだ。

恩師が白いものを黒といったら、弟子も黒と言わなければならないチンケな世界らしい。
どこかの業界とよく似ているのである。ご批判無用の業界をヤクザという。
シバリがキツイ業界のことである。シバリを司馬遼と書くのは司馬遼太郎からだろう。
もっともらしく嘘を書くことである。嘘とわかっているのに言挙げしないことである。

冒頭のネット記事も妄想で書いたものかもしれないが読者にはそれは確認できないのである。
その国の読者にとってここちよく感じるストーリーが歴史なのである。真実は二の次である。
それでいいのである。うまけりゃ、それが似非酒(偽史)であっても幸せだからである。
なお、「むの字屋」のお酒の記述はすべて真実である。もっとも、庵主にとっては、であるが。

-----

この証言と照らし合わせると、もっと怖くなるのである。

[PR]
by munojiya | 2009-10-29 00:37 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
091028 アルコールなんか飲みたくない
世の中には利口な人がいるものである。
日本酒にアルコールを混ぜたら簡単に増量できるではないか、と思いついた人である。
しかし、水増ししたお酒(それを玉をきかせるという)が頼りない味になるように、
アルコールを加えただけではお酒にはならなかったのである。

アルコールは、確かにお酒の主成分ではるあるが、お酒ではなかったからである。
それをごまかすために酸味料を加える。つまり酸味がたりないとお酒は呑めないのである。
まずい酒というのはその酸味が弱いのである。酸味がへたっているお酒のことである。
大手酒造会社が造るお酒の頼りなさは酸味に味がないことに由来するということである。

たしかにスペック上の酸味はきちんと出ているのだがその味わいに魅力がないのである。
化粧品会社が指導したとおりの化粧をして一見美しく見える女の子みたいなのである。
それだけでは魅力的ではないということである。すぐあきるのである。
美味いは甜いでもある。甘い酒なんか呑めるかという酒呑みがいるがそれはアル中の言である。

辛口の酒が呑みたいのなら、綺麗な焼酎を呑むといい。ヌケといいキレといい絶品である。
そこで水飴とかを加えることになる。水飴の甘さとお酒の甘さはちょっと違うのである。
アメリカ人は健康のため睡眠をとれというと睡眠薬を飲み、栄養が必要だといったら
サプリメントを飲むという。酒だといってアルコールを飲むようなものである。蔑笑である。

-----

サプリメント=ゴミ薬。(ジャンクフード=ゴミ食、から)ジャンクドラッグのこと。

[PR]
by munojiya | 2009-10-28 01:19 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)