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091130 吟醸酒はうまくない
吟醸酒というのは、精米歩合60%以下の米を使って吟醸造りをしたお酒のことである。
したがって、60%以下に磨いた米で造っても吟醸造りでないものは吟醸酒とは呼ばない。
また、吟醸造りをしていても精米歩合が60%を越えているものもそうといわない。
いちおう、厳密な規格のもとに造られている高級酒のことをいうのである。

しかし、である。実は、うまくもなんともない吟醸酒が少なくないのが実態なのである。
吟醸酒は値段の高さに反して期待が裏切られることが少なくないということである。
原料米等の仕様を見ただけではその味わいが予想できない賭博みたいなところがある。
庵主には博才がないから、その値段帯の吟醸酒は鬼門である。

その値段帯というのは、四合瓶で1800円から2千数百円の吟醸酒・純米吟醸酒である。
試飲販売で、千数百円の本醸造や純米酒がうまいのに、その上の吟醸酒がひどいときがある。
きちんと磨いて丁寧に造ってるのは分かるのだが、その成果が味わいに出ていないのである。
味が頼りないのである。よく言えば品がいい味わいというのだろう。繊細な味なのである。

じっくり味わえば、妙なる味わいなのだろうが、庵主には味気ないとか思えないのである。
味にインパクトがないものが多いというのが庵主の実感である。
中途半端な値段の吟醸酒よりその下の格式のお酒を2本買ったほうがいい場合が少なくない。
吟醸酒は念のため味見をしてから買ったほうがいいのだが、試飲ができないから鬼門である。
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by munojiya | 2009-11-30 01:36 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
091130 働かざるもの食うべからず
共産主義というヒステリック(視野狭窄)ともいえる独善主義がある。
敵がいないから、いても強制的に排除してしまうから、向かうところ敵なしなのである。
それと同じ発想なのが、一神教である。
日本人なら、それがキチガイであることがわかるがご当人はそうは思っていないのである。

共産主義は頭のいい人がかかりやすいビョーキだということは分かっている。
したがって、幸い庵主には縁がないビョーキなのである。
キリスト教もけっこう頭がいいと思われ人がかかっているのを見るから、
それはインテリのハシカなのだろう。

共産主義にかぶれて、そこから脱却した人には大人を感じさせる人が多いのである。
人間の裏側が見えている人だという安心感を感じるのである。
共産主義には理想はあっても現実がないから人間が軽く見えるのである。
そのビョーキにかかった人の症状が「働かざるもの食うべからず」である。

その考え方は残酷である。いや、冷徹である。人間否定主義なのである。夢がない。
生き続ける事が生なのに、それは無意味だというのである。本当は無意味だから価値がある。
仕事のない身障者や老人や専業主婦は食っちゃあいけないのか。本末転倒が共産主義である。
仕事から逃れるために呑むお酒は反共産主義だから、主義者は呑んじゃいけないのである。
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by munojiya | 2009-11-30 01:34 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
091130 余外篇 報道されなかった事件
酒井法子の麻薬吸引事件を重大事件だと思う人はまずいないだろう。
押尾事件(森ユウキ疑惑事件)の目眩ましであることはいうまでもない。
肝腎な事件の方を報道するのが筋だろうが、“マスコミ”の意志はそうではない。
マスコミでは報道されない事件というのがある。

まずは、自分達の商売にとって都合が悪い事実である。
新聞なら押し紙のことである。TVならTBSの韓国寄り偏向報道のことである。
マスコミが報道しないのだから庵主がそんな事件があったことを知っているわけがない。
ネットにあるこんな事件が隠蔽されたという記事を目にして知るのである。

アメリカの小浜政権の政策に抗議する9月に行なわれた200万人デモ(関連記事)、
中国の衛星打ち上げ失敗で住民500人死傷という大事故の報道(映像)、等々。
韓国ではパチンコが禁止されているというニュースも聞いていないのである。
純米酒の定義が変わったときも呑み手の庵主には知らされなかったようにである。

マスコミのスボンサー様にとって都合が悪いことも記事にならないことはいうまでもない。
とはいえ、マスコミがその機動力で調べてくれないと裏付けが取れないということである。
だから庵主は、報道なければ事実なし、という世界に生きているので無知と同義語である。
よって自動車事故の悲惨もアル中の悲惨も、実態はあるのに報道されることはないのである。
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by munojiya | 2009-11-30 01:30 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
091229 何を呑むのかなんて重要じゃない
そのあとに、「誰と呑むかが大切なんだ」と続く。
なぜか日本人俳優でリメークされた国産映画「サイドウェイズ」の予告編の惹句である。
映画はワインが舞台だから「飲む」ということになるが、庵主はお酒の時は「呑む」と書く。
映画のセリフ(惹句)だからカッコイイのである。

いや、酒飲みのセリフはどこでも気障だということだろう。
うまい酒を飲むと、気のきいたセリフを言ってみたくなるのである。
まずい酒だと、呑んでいるのがみじめになるが、
それがいい酒だと、飲み手もつい いい気分にさせられてしまうからである。

いいお酒は一人で呑んではいけないのである。
そんなうまいお酒ならお相伴に与りたいからである。
酒呑みは意地が汚いから、おっと好奇心と向学心があるから、
どんなお酒でも口にしてみたいのである。だからみんなで呑もうと網を広げるのである。

お酒はみんなで呑むと楽しいということである。
お酒は人の心の中の善も悪も呑み込んでしまうので、心が解き放たれるからである。
呑む相手がいないときはというと、なにも困ることはないのである。
いいお酒の向こうには確かに神を感じるからである。いつも同行、いや同好二人なのである。
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by munojiya | 2009-11-29 01:00 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
091129 子供がバカになる教育
手品の種明かしである(映像47分。音声有り注意)。入口はこちら
陰謀論の面白さにワクワクされるに違いない。この映像もその謀略の一つかもしれないが。
世界はどこに向かっているかが分かってホッとするはずである。
今身辺で起こっていることの正体が見えてくる。目に見える世界を映画だとする。

映画で演じている俳優は、その製作者の意にそって演じているということである。
世界には日本人の想像を越えたおかしな人が現にいるということである。
使い切れないお金があってもさらにそれを欲しがる強欲〈はくじん〉のことである。
名誉や権力なんかそのお金でいくらでも購えるのにさらにそれを欲しがる狂気のことである。

マスコミはなぜその実態を伝えないのか。本当のことを報道しないのか。
なんてことはない、マスコミは向こう側の手札なのである。
読者は騙される側の人なのである。
人は、記者が善意で記事を買いていると思い込んでいるものだから騙されてしまうのである。

「今の世代の子供たちは“バカ”になるように教育されている」という。
子供の個性の尊重、平等の押しつけ、嘘の歴史の刷り込み、一律の給食等々である。
読み書き算盤ができない生徒が少なくない現実を見れば庵主は納得してしまうのである。
お酒はその教育からはみ出している世界である。真実が見えてくる世界なのである。
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by munojiya | 2009-11-29 00:53 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
091129 これも有名税
有名税である。
外国ではカルトとして一目置かれている創価学会のこれもその人気がありすぎるゆえの
有名税なのだろう。
人気があるものにはそれに反発する人が出てくるのである。

俺は大衆とは違うといううぬぼれからである。それをへそまがりともいうが。
みんながいいと言っているのだから、そのうえ俺もそれに加担するまでもないだろうという
醒めた立ち位置に身を置く人がいるということである。
世の中に100%いいというものがあるわけがないという知性によるのである。

どんなものにも当然なんらかの欠点があるはずだから、
その欠点と長所とを比較して利が多ければそれでも可とするのである。
少数派にも意地があるという判官贔屓である。弱者に付いてこそ男だという心意気である。
朱に交わって赤くなる気恥ずかしさでもある。

酒に交わって紅〈あか〉くなるのも気恥ずかしいのである。
すくなくとも、昼間から顔を紅くしているとみっともないとされるのである。
庵主が酒が苦手なのは、一滴(5ML)でも顔が紅くなるからである。
そして「越乃寒梅」や「久保田」なんかを無視するのは、つむじ曲がりだからである。
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by munojiya | 2009-11-29 00:32 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
091128 純米酒に梅干し
純米酒に梅干しを入れるのだという。
梅干しを入れるのは焼酎の間違いではないかと思ったが、それなのだという。
女性が足の踵のカサカサを取るためにそれを塗るといいのだそうだ。
純米酒にはそういう使い方もあったのかと感心するのである。生活の智恵である。

庵主などは、もう呑む気が起こらない飲み残しのお酒はお風呂に入れるという智恵しかない。
カカトのカサカサは、女の人はクリームなどを塗ってスヘスベにするのだろうが、
庵主は軽石派である。軽石でその部分の皮をこすりとるのである。
一穴主義という言葉がある。

庵主が造った言葉ではない。念のため。
山口瞳が本で書いていたのである。謹直な人のことである。
山口瞳が教えてくれたのである。そういう人のことを軽石というのだそうだ。
その心は、カカトするばかり、だそうだ。

お酒に関しては、庵主も軽石である。
ただし、その心が違う。毎日呑む銘柄が異なるのである。それを浮気酒と呼んでいる。
一つのお酒を一途に呑み続ける根性と強い意志がないのである。すぐ飽きるのである。
軽薄なのである。イシが軽いのである。それほどお酒には別嬪が多いということである。
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by munojiya | 2009-11-28 02:12 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
091128 いい物は悪い
『事業仕分けでスパコンを手がけている理化学研究所の野依所長の、
「歴史の審判を受ける覚悟があるのか」の恫喝は強烈ですね。しかし、
そういう自分たちが、アメリカの大学や企業の資金で研究を続けていた事実はどうなんよ?
そこを指摘した論考はいまだ見あたらないね。』 ●そのコメント欄

なぜか、日本人の矜持に手を突っ込んでくる女が、アグネス・チャンといい蓮舫といい
なぜか、中国系の女だということが可笑しい。怪しいではなく、可笑しいである。
蓮舫は、「世界で二位ではだめなんですか」と反問したらしい。
選挙で、次点なら議員として活躍できないだろうに。スポーツなら2位は努力賞であるが。

事業仕分けに快哉を叫ぶ人もいるが、同時にそれを公開処刑だとして忌避する人もいる。
一つの物事の評価は時に二分するということである。それを善と見る人と悪と見る人がいる。
『首相官邸に乗り込んで、鳩山首相に詰問・ネジ込んだ野依良治(理化学研究所所長)は、
「族議員」ソノモノだ』●出所(コメント欄)学者や芸術家の世界にも商売人はいるのである。

『「科学技術」 の名の下に、コノ分野の予算を「聖域化」してしまおうと言う、
サモシク アザトイ学者根性がアリアリ』(同上)。そういう見方もあるということである。
物の見方には、表と裏があるということである。
お酒はうまいという主張に対しても、それを嗤う意見があることだろう。それでいいのだ。

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老境の達見によるとこうである。いいとか悪いとか、好きとか嫌いと言っているうちは青い。
『「主張の首尾一貫性」などというものは,意に反して「硬直した思考」である可能性は
非常に高く,人間が物事を生起し続けている以上,あらゆる事象は固定しないと考えるのが
正しい見方だと思います.』 ●出所(反響欄の8番目)

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by munojiya | 2009-11-28 02:06 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
091128 「あの呑み屋 俺にとっては 星三つ」
うまいものである。
ラジオの川柳である。詠み人の名前は失念した。
見酒乱、おっと変換する必要がなかった、ミシュランの「めしどころガイド」である。
今年もこの時分に発行されるレストランガイド本「ミシュラン」2010年版に掛けた句である。

庵主は1607円が躊躇い点だから、惜しいことに2千円を越えるガイド本は買えないのである。
三つ星のお店というのは、安心して食べられる店ということなのだろう。
お酒でいえばきっちり造られた隙のない大吟醸のようなものではないのか。
いい原料を使って、丁寧な仕事で造られ、美しい器で出てくる美酒である。

値段のことを考えなければ、それを味わうことで豊かな気持になれるお酒である。
一方、庵主が呑むお酒は、そんなに気張って呑むお酒ではない。第一財布がうんと言わない。
もっと気さくで楽しいお酒なのである。かつ、うまいお酒である。性格がいいお酒がうまい。
庵主の酒は、うまいまずいを越えて、おいしい酒も下に見て、楽しいお酒に向かっている。

ちなみに、庵主のビールといえば、一つ星である。
北海道生まれの庵主は父の代からサッポロビール派だからである。キリンの味は分からない。
たぶん、庵主にはそのガイドブックにある三つ星のお店とは縁がないことだろう。
しかし、庵主の手が届く一つ星でも、文句をつけながらも十分に楽しめるということである、
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by munojiya | 2009-11-28 02:01 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
091127 心に染みるお酒の続き
安いお酒を詰め替えた瓶がたまたま熟成酒がはいってい瓶だったのである。
その安い酒というのは、純米酒ではない、米だけで造ったお酒である。
庵主などは人が悪いから、廃物利用の酒かと思ってしまうのである。
屑米とか、事故米寸前の安い米を使っているのかと邪推するのである。

幸い、アルコール醗酵をさせると、できあがった酒には毒成分は残っていないということが、
さきの事故米焼酎事件で分かったから、かりにそういう酒であっても呑むことに支障はない。
あとはその味に対する好みと、そういうお酒を呑む度胸があるかどうかの問題である。
見ぬもの清しで、知らないで飲み食いすれば全然問題ないのである。

人間はけっこう丈夫にできているということである。
そもそもアルコール自体が毒なのだから、
お酒を呑むということはすでに一線を越えているということで、
もうなにも心配することはないというわけである。

で、その米だけの酒に純米酒の香りが、老ね香寸前の香りがついてしまったのである。
香りには特に語ることがなかった酒におっと思わせる香りが付いたのである。
だがしかし、香りを衣装、その中身の酒を着ている人とすれば、衣装が身についていない。
中身にそれを着飾るだけの力がないのである。それはやっぱり元気なときに呑むお酒だった。
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by munojiya | 2009-11-27 00:42 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)