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2010-03-31 「久志良」
「久志良」。
右から左に読む。「らしく」である。良い志しを久しく、である。
とある学校の校長室に掲げられている扁額である。
「先生は先生らしく、生徒は生徒らしく、あるべし」という意味である。

映画「けんかえれじい」(鈴木清順監督)の会津は喜多方中学の一場面である。
横書きなのになぜ、左から右にではなく、右から左に読むのかというと、
これは一行一字の縦書きだというのである。理にかなっているのである。
なるほど、縦書きで一行が一字なら、右から左に読むというのは正調である。

麻生太郎元総理である。
平成21年の新年に臨んで色紙に揮毫したという。
「平成廿十一年」と書いたという。
「廿」は「にじゅう」だから、馬から落馬である。「にじゅう・じゅう・いちねん」

元総理にはファンが少なくない。援護があるのである。字が読めない同士の連帯感である。
「廿+一」と書いたのだという。あれは十ではなく+だというのである。理にかなっている。
たしかに20+1で21である。たとえば十四日なら十余り四日というようにである。
お酒も、焼酎みたいな辛口じゃなくて、甘みをたたえたお酒「久志良」なくてはつまらない。
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by munojiya | 2010-03-31 01:32 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-03-31 笑い話 これがプロの編集技術だ
「これがプロの編集技術だ!!」とあるから褒め言葉だと思ったら逆だった。
以前にも取り上げたかもしれないが、この技である。
苦笑するしかないのである。
プロなんかに、なりたくなくなるではないか。みっともない。

技術は使いようによって、よくも悪くも使えるから別に嘆くことはないのだが、
せっかくの技をこんなふうに使うというのでは見ていて哀れを催すだけである。
お酒造りも一つの技である。
同じ米、同じ精米歩合、同じ酵母等同じ条件で醸しても造り手が違えば同じお酒はできない。

酒造りも料理と同じところがあって、造り手の技の違いがでるからである。
それまで大したお酒を造っていなかった蔵元の杜氏が変わると俄然うまくなることがある。
同じ蔵、同じ設備で造っても味が変わるのだからその違いは技の違いなのである。
お酒のうまさは技のうまさなのである。いや、造り手の味というべきなのかもしれない。

「福乃友」が醸した安い普通酒などは下手な吟醸酒より味わいがあるのである。
それはただ磨いただけの手抜きの酒ではなく、気合が伝わってくる技の酒だからである。
庵主はそれをうまいと感じたのである。
そういう技をもっている造り手ならプロと呼んで吝か〈やぶさか〉ではないのである。
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by munojiya | 2010-03-31 01:30 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2010-03-31 年度末の怖い話
怖い話である。一つは中国産の食品である。
農薬入ギョーザ事件の犯人がなぜか今頃捕まったというニュースが流れてきた。
事件以来2年たっている。今になって犯行に使われた注射器が見つかったという。
そんな好都合に発見されるという話があるのだろうか。ちょっと考えると怖いのである。

二つ目の話はもっと怖い。
アメリカでは小浜大統領が医療保険制度改正案を通したということで、
わが国の新聞はそれを手放しで讃える記事を書いているが、馬鹿というしかない。
その財源は年間80兆円だという。そんなお金は今のアメリカのどこにあるというのか。

その原資は日本に押しつけてくるしかないではないか。
アメリカ人の健康保険料のために日本人のお金がまた召し上げられるということである。
その動きについてはここに詳しい
そのお金は帰ってこないお金である。日本の財政が厳しいという折にである。

日本酒の酒造年度は、会計年度とは異なりその年の7月1日から翌年の6月末日までである。
6月30日までは平成21酒造年度のお酒である。だから新酒といえば今は21年のお酒である。
今年(22年)になって搾ったお酒を「平成22年新酒」と称するお酒もあるから紛らわしい。
その新酒は酒造年度でいうと平成22年のお酒ではなく、平成21年のお酒なのだから。

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4月馬鹿は冗談だが、これは民主党馬鹿である。こちらは本物の馬鹿というほかはない。

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by munojiya | 2010-03-31 01:23 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
2010-03-30 アル添は女の化粧だと思えば
白と黒の間には無数の灰色がある。
それで、どこからが黒で、どこからが白かということは意外と曖昧なのである。
アメリカ人は二進法で、真っ黒が黒、真っ白が白だというみたいだが、
日本人はそんな単純を好まない。

白は、実は真っ白の一歩手前のほうが白く感じるのである。
黒も真っ黒では味気ないから、染色では薄い青や薄い赤を染めてから黒にするという。
何をいいたいかというと、醸造酒である日本酒にアルコールをどこまで加えてもいいか
ということである。

客観的には、醸造酒にアルコールをまぜるとリキュールということになる。
リキュールを醸造酒と称して売ったら不正表示である。
魚業界では鯛に似た魚を鯛として売るようなことがあるがそれは糾弾されるのである。
お酒はそういう不正表示が法律で許されているのである。よくいえば、擬制である。

気にする人は、アル添を面妖視するのである。庵主は気にしない。
相当の量が混ざっていないとそれが判らないから気にしようがないからである。
庵主は、アル添は女の人が化粧をするようなものだと思っている。
ただそれをやり過ぎると、厚化粧になってしまい地顔のよさが見えなくなるのである。
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by munojiya | 2010-03-30 00:57 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(1)
2010-03-30 時局物 ハマグリ事件
洽という漢字がある。おそらく読めない人の方が多いのではないかと思う。庵主も読めない。
ゴウで調べたら出てこなかったのである。
それで似たような字の蛤〈はまぐり〉に置き換えてハマグリさんと呼ばれている。
中井洽〈なかい・ひろし〉国家公安委員長である。女関係にだらしないという。

『中井国家公安委員長の女性問題も、鳩山内閣で、彼だけが朝鮮高校の授業料無料化に反対
したので、マスコミの餌食に成って居るだけです。自民党がこれを批判するのを見ると、
どこを向いて居るのか疑問です。SPに囲まれた要人が、ちんけなマスコミにリークされる事
の方が問題です。カメラが銃だったら、即死ですよ。』●出所(米欄)

橋本龍太郎元総理は中国女だったが、今度の公安委員長は朝鮮女だという。
元巨人の二岡選手が山本モナとのラブホテル事件で謹慎になり、謹慎明けで出てきたときに、
ロッカールームで同じチームの谷選手が二岡の顔をまじまじと見つめて一言いったという。
「お前の女の趣味は悪いな」。周囲にいた選手たちがどっと笑ったという。

小澤一郎幹事長は、買い込んだ不動産に中国女や韓国女を住まわせているという。
女は男の元気の元、お盛んなことでというしかないが、ハマグリさんの路チュー盗撮事件には
そういう裏の事情があったというわけである。新聞にそういう解説はあったのだろうか。
ハマグリといえば酒蒸しを思い浮かべるのは庵主が政治にはとんと疎いからなのである。
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by munojiya | 2010-03-30 00:56 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
2010-03-30 笑い話 才能の無駄遣い
またまたネットで見かけた笑い話である。
『なんだろうこの才能の無駄遣いは。』
本文の可笑しさもさることながら、この落ちの一言で笑ってしまったのである。
こういう言葉遊びが出来るようなったらいっぱしの日本人なのである。

日本人になるための三大条件。
一つ、日本人はスケベでなくてはならない。(真面目でなくてはいけない)
一つ、日本人は諧謔を嗜まなくてはならない。(謹厳でなくてはいけない)
一つ、日本人はうまいお酒を知らなくてはならない。(呑み過ぎてはいけない)

最初の条件は、淫靡に親しまなければならない、と書き直しておこう。
それを実行すれというのではなく、その深奥を愛でる心の余裕を持てということである。
諧謔とはユーモアである。皮肉でもある。内にある意地悪心を自覚せよということである。
うまいお酒を知るとは伝統文化を継承してその神髄を見極めろということである。

神髄を見極めるにはそれに酔ってみるにしくはないのである。
お酒はそれを口にするといやでも酔いが回ってくる。話はそれからである。
お酒が呑めない人はそれを呑んではいけない。文化は言葉でも伝えることができるから、
呑めない人はそれを読めばいいのである。「むの字屋」がそれなのである。
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by munojiya | 2010-03-30 00:50 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2010-03-29 女・ふるさと・お月さま
いずれも、遠くから眺めていると美しいものである。
まちがっても近寄らない方がいいものの代表例である。
大手の日本酒メーカーのお酒もその一端を担う〈になう〉のである。
そのパッケージに書かれている能書きの美しいこと。

へえーっ、お酒って、そんなにうまいものなのか、という思いにさせられるのである。
それを呑んだならきっとこれまで味わったことがない口悦にひたれるにちがいないと
夢がふくらむのである。アルコールはなぜか人を誑〈たぶら〉かすのである。
香水がそうである。女心を誑かすのである。それをつければいい女になれると思うのである。

酒は男心を誑かすのである。酒を飲めばいっぱしの男になれると思うのである。
酒と煙草は男の元だと勘違いしてしまうのである。
あれは酒や煙草が男なのではなく、それをうまそうにのむ演技力が男伊達なのである。
酒や煙草が男らしく見えるのはその演技力がある男だということなのである。

実はお酒には二種類あるということである。
一つは酔っぱらうための酒、もう一つが味わうための酒である。
前者は気合で呑む酒、後者は心で呑む酒である。後者は知れば知るほどうまくなる酒である。
後者のお酒なら演技力はいらないのである。地で呑んでうまいからである。
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by munojiya | 2010-03-29 00:26 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-03-29 歴史に学べること
歴史に学べという。本屋の宣伝文句じゃないかと庵主は思う。
歴史に二度はないからである。
同じ状況でも、役者が異なるから同じ結果にならない。
同じ米で、同じ磨きで、同じ酵母で、同じ杜氏が造っても同じお酒にはならないのである。

近似値のお酒は醸せるから、それをもって歴史に学べというのは正しいのかもしれない。
しかし、お酒同様、去年と同じものなんか呑んでもつまらないのである。
結果の分かっている賭け事がつまらないのと同じである。
何が起こるか分からないからワクワクするのである。

庵主が歴史から学んだことは、人は一寸先も読めないということである。
そして、人は過去の歴史についてならいくらでも能書きが言えるということである。
予言者と呼ばれる大法螺吹きがいるが、その手の人が絶えることがないということである。
予言が当たっていたと後からいうのなら、それが起こる直前に言ってほしいのである。

後付けの講釈は競馬の予想紙にいくらでも載っているのである。
庵主は、新酒がその先どう味が変わっていくのかわからないが、
中にはそれが読める人がいることは確かである。その予言が見事に当たっていたことがある。
「このお酒は台所の隅に半年も置いておけば味がのってきます」。信じて買った庵主が偉い。
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by munojiya | 2010-03-29 00:24 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2010-03-29 電子出版
出版界が揺れている。
紙と活字で売っていた本が、ネットの出現で以前のようには売れなくなってきたからである。
しかも、不況で読者に本を買う余裕がなくなった上に、少子化で読者の数が減っている。
こういうのを三重苦というのだろう。

本の本質は何かということである。
文字なのである。中身なんかはっきりいってどうでもいい。嘘でも可なのである。
今販売されている本のほとんどは嘘ばかり書いてあるのである。それが売れている。
そういうのを一般的には小説とか呼んでいるが、実用書も眉唾物に人気がある。

後世にまで残る実用書というのは数少ないことでそれが分かる。
ということはその内容はどうでもいいことだということである。時の話題にすぎない。
今時「冬のソナタ」の解説書を読む人はいない。「おしん」の解説書なら庵主は読みたいが。
同じ内容のものならネットの方が安いのである。電子出版である。

印刷代、デザイン代、紙代、製本代といった費用が掛からないからである。
しかし、本というのは、その紙の手触り、活字の美しさ、そして造り手の気合なのである。
その感触がなくなったら、工場で造ったアルコール度数の低いお酒と同じである。
酒には違いないが酔えないのである。つまらないのである。香りのない本なんか読めるか。

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デジタル本のいいところは、検索が便利だということである。紙本は便利に勝てない。
かつ、保管のスペースを必要としないということである。結論は紙本の利点との併用だろう。
庵主の庵は、著者には失礼ながら駄本の山に囲まれていて二進も三進もいかなくなっている。
一度読んだ本は場所塞ぎにしかならないのに、再読することもないのに捨てられないのである。

その内容が後日容易に探し出せるのなら、思い切って捨てられるのだが、
処分した本は、きまってそのあとそれが必要になるという法則があるようである。
亡くなって初めてわかる親の恩というが、本にもそれがあるらしい。
そういうのを書物依存症というのかもしれないが、アル高同様断ち切れないのである。

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by munojiya | 2010-03-29 00:20 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2010-03-28 日曜日のくつろぎ篇 邪推の時
「罪得会」の名前を知っている人はネット通である。
庵主のワープロでは、正しく「在特会」と変換できないのは新語だからである。
「在日特権を糾弾する会」だったかの略である。独禁法ではないが長くて覚えられない。
京都新聞によると「在日特権を許さない市民の会」が正しい名称だった。
                                         
在日朝鮮人の特権を許さないとするその「在特会」の活動が勇ましい。
ネットにある映像でその活動の様子を見たらがっかりすることは間違いない。
在日朝鮮人の独壇場だっだ「外来右翼」の世界に「愛国右翼」の旗を立てた新興勢力である。
ただ残念なことは、噂によると、その資金源が同じところから出ているということである。

アメリカの二大政党制にならったのか、我が国の右翼も二大右翼制になったのである。
それによって大本がより利益を得ることができる体制だということである。
儲ける仕組みは、『ユダヤ人がユダヤ人を虐める・・・朝鮮人が朝鮮人を虐める・・・
とゆうことでしょうかね?・・・』と読まれてしまっている。(米欄) 

「在特会」の活動資金源はどこかというのがミソである。その邪推が飛び交うのである。
今日の社会は情報社会だという。肝腎な情報が全然伝わってこない社会のことである。
知らなくてもいい情報は溢れているというのに。本当の情報が手にはいらないのである。
実態はそんなものである。お酒も、うまいお酒があることを知らない人が多いのである。
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by munojiya | 2010-03-28 00:27 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(0)