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2010-04-30 甘いものに「辯天」のおり酒
愛媛でタルトというのは小豆餡をスポンジケーキで包んだロールケーキみたいな菓子をいう。
ロールケーキはジャムやクリームを巻き込んだ巻き鮨みたいな形状のケーキである。
もともとはポルトガル伝来のジャム入りの南蛮菓子だったという。
いまはジャムに替えて四国名産の柚子を使った餡をくるんだ風味豊かなケーキになっている。

新居浜市はハタダの御栗〈おんくり〉タルトは餡子の中に丸々一個の栗をいれたものである。
高級なお菓子である。1本というか、一巻きというか、それが1260円もする。
そのパッケージの装飾のお洒落なこと。贈答品としての華やかな雰囲気をたたえている。
うまいか。甘いのである。ほんのり香る柚子の香りが優雅である。

左党は甘いものが苦手という人が少なくないが、庵主は甘いものも全然平気である。
ただしお酒同様量はいらない。ほんのちょっとだけで十分なのである。
食い物でも、夢でも、もう少し食べたいとか、もう少し夢見ていたいというところで
やめるのがいいのである。それを深追いすると宿酔いとなり、興ざめとなる。

お酒も、もうちょっと呑みたいと思う所でやめるのが正しい呑み方である。
越えるのを贅〈ぜい〉という。贅は「みっともない」と読む。「はしたない」でもいい。
で、饅頭をたべながらお酒を呑む人もいるのである。うまい饅頭にはお酒が合うのである。
「御栗タルト」には「辯天」のおり酒の上澄みが妙に合うのである。餡に酒ゆえ庵主である。
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by munojiya | 2010-04-30 00:57 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-04-30 食い物が分かると世の中が見えてくる
「たかがナントカ、されどナントカ」は、池田高校の蔦監督の言葉だと聞いたことがある。
「私がナニナニについて知っている二、三の事柄」というのは映画評論家の山田宏一だったか。
「マルマルが分かると世界が見えてくる」は宇野正美先生である。
「食い物が分かると世の中が見えてくる」のである。

毒舌家の友里征耶氏である。
食い物の評論をしている人だからまさしく毒舌の持ち主なのである。
その友里氏がなんと政治を語っているのは、食い物を見極める判断力があるからである。
その食い物に対する判断力が他の物事を判断する定規になっているのである。

庵主は、お酒をその定規にしているのと同じである。
なにか一つ定規となる世界を持っているとそれを他のことに転用できるのということである。
世の中は、うまいかまずいかの二分法であるようである。
うまいまずいは、好き嫌いと言い換えても同じである。

盲千人、目明き千人という言葉がある。逆だったか。目明き千人、盲千人である。
物事には必ず反対の感受性があって、その二つが釣り合っているということである。
そうでなければ株式市場なんかは成立しないから案外それが真理なのかもしれない。
お酒の世界だけは釣り合っていない。うまいお酒は少々で殆どはまずい酒だからである。
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by munojiya | 2010-04-30 00:15 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-04-30 笑い話 一人ぐらいではどうにもなりません
人間、なかなか、教養というのは養えないものである。
口先だけは達者であっても、その主張するところの美しい生き方ができないのである。
数千年も前から宗教が“正しい生き方”を教え続けているというのに、
その商売が廃れる気配がないのだから、人間は進化しないということである。

『一人でも、「老後はこれだけあれば十分」と、自主返納するだけの勇気ある人物があれば
この国も救われるんでしょうけど、ほんとに一人も居ない。おれのものはおれのもの、
人のものもおれのもの、こういう乞食根性ばかりの老人が増えたのでは、国が潰れたとて
仕方が無いでしょう。』駄菓子本(米欄)

お金はいくらあっても困らないからだという理由にもよるが、欲は人の性〈さが〉なのだろう。
「使用期限付き貨幣」という発想を読んだことがある。
その期間中に使わなかったお金は使えなくなるという制度である。
使わないお金なら無駄だし、かえって悪さをするので無効にしようというわけである。

円歌のくすぐりに、私は蓄えがあるから区の老人手当はいりませんと区役所に申し出たら、
あなた一人が返納されてもなんの意味もありませんといわれて説得されたというのがある。
庵主は、うまいお酒を呑めと布教しているのだが、それもまたもっともっとうまいお酒を
呑みたいという思惑による。乞食根性なのである。老後はうまいお酒があれば十分なのに。
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by munojiya | 2010-04-30 00:12 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2010-04-29 こういう話が好きだ
『ヒトラーはロスチャイルド家の誰だったかの隠し子なんだよな
当然ながらユダヤ人だ。それで英仏の銀行家ロスチャイルドが共謀して
ドイツ第三帝国を暴走させ、イスラエルを建国させるために利用した。
スイスの銀行に預金してるユダヤ人を抹殺して財産を丸ごと頂いた。

被害者特権という最強の楯を手に入れ、ユダヤ財閥に対するいかなる批判に対しても
ナチ、レイシストなどのレッテルを貼ることによって無効にできる無敵の財閥になった。
世界中で核実験を繰り返し、毒の食糧でゴイム[非ユダヤ人のこと]を病気にして
製薬と生命保険でまた儲ける死の商人であるにも関わらずだ。

ナチスはシオニストの掌の上で踊った。
シオニストに抵抗する正統派のユダヤ人は生け贄(ホロコースト)に捧げられた。
主犯がシオニストで従犯がナチスだということは理解しておきたいところだ。』(158番)
そのナチスの思想を引き継いだのが今のCIAだという話をする人もいる。

加害者のユダヤ人も被害者のユダヤ人も同じユダヤ人だと見てしまうと本質を見失う。
お酒もそうである。見掛けは同じように見えても純米、アル添、三増酒という違いがある。
それをいっしょくたにお酒と呼ぶことで本質を見失ってしまうのである。蒙昧という。
お酒を知るということは、物事の本質を見極めるということなのである。
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by munojiya | 2010-04-29 00:21 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2010-04-29 馬鹿の定義
馬鹿という言葉がある。
その定義である。
一般的には、自分を神様とみなして、その価値観に合わない人の総称のことである。
よって、他人から見れば自分が馬鹿に該当することが少なくないのである。

庵主の定義はこうである。
「文字をディスプレイで読んでそれが情報だと思っている御方」のことである。
文字というのは手にとって読むものなのである。
かつ、それが書かれた、あるいは印刷されたものは紙でなくてはいけない。

それがプラスチックフィルムであってはいけない。
布帛でもだめである。
紙である。植物繊維を使って漉かれた紙でなければならない。
文字というのは、目触りではなく、手触りなのである。文字の味わいを文化という。

甘くないお汁粉、香りのない香水同様、手触りのない文字なんてのは意味がない。
アルコールの入っていないお酒を呑む馬鹿がいるかということである。
だからパソコンでこれを読んでいる人は実は遅れている人(文化度が低い人)なのである。
文字で読んでもお酒のうまさが分からないのと同じである。さあ本物のお酒を呑みにいこう。
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by munojiya | 2010-04-29 00:16 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2010-04-29 近頃都に流行る噂話
『民主党のベテラン職員は「首相は、幸夫人がインドの占い師から『普天間問題は米国が譲歩
して解決する』と言われたので楽観していた」との党内で広まったうわさ話を紹介する。
そして、こう付け加えた。「こんなうわさが流れること自体、おしまいだ」』●出所
昔、カーター大統領のかみさんが占い師に頼っていたという話を思い出した。

噂が噂に思えないところがおそろしい。平仮名書きの「おそろしい」である。
さもありなん、という意味である。事実はともかくもっともらしく思えるということである。
みっともないとしか思えない今の日本政府を端から眺めて笑っていてはいけないのだろうが、
きっと渦中にいる人には自分の姿が見えないのだろう。そういうのを盲状態というのである。

政府筋はみんな一生懸命やっているのである。馬鹿を。人は自分の姿は見れないからである。
しかし、それが分かっていてもどうしようもないのである。人は理では流れないからである。
多分、日本が対米戦争に突入したときも今と同じような状況だったのではないか。
当時の日本人を嗤う人は、その時の日本人の役をいま演じているというわけである。

後世、嗤われることは必定であるが、当時もまたどうすることもできなかったのである。
いいお酒に酔いながら他人事〈ひとごと〉のように霞が関を眺めていると見えてくるのである。
醒めた目になるために酔っぱらうというのもおかしな話であるが、理で情は見えない。
忙中閑ありなら、酔中醒ありである。素面では見えてこない情景もあるということである。
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by munojiya | 2010-04-29 00:14 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
2010-04-28 「悪い酒は、カラダによくない」
よく、街中に芸術と称して、裸女の彫像が置かれていることがある。
そういうのを嫌う人が少なくないのである。
裸なんか人前にさらすなという真っ当な感覚の持ち主である。
そんなものを芸術と称するから芸術家は馬鹿にされるのである。

芸術が真っ昼間から陽光を浴びて晒されているかという当たり前の感覚に反するからである。
それに違和感を感じないという無神経な感覚を芸術とは呼ばないからである。
芸術とは、恥ずかしながら天賦の才能を人前に晒すことである。
廉恥心のある人なら、恥ずかしくて、そんなものを自分の作品だとは言えないのである。

しかし、本当の才能は溢れ出るものだから、排泄しないと狂ってしまう。
本当の芸術とは天才の排泄物なのである。著作権なんかはおこがましいものなのである。
著作権をいえるものはしょせん商売ものである。知らなくても困らないものばかりである。
本当にいいものは求めるものではない。向こうの方からやってくるものなのである。

金で買える一流品がないことをみればそのことが分かるはずである。芸術とは縁なのである。
街中の裸が目につく人は、裸に対する意識が敏感すぎる一種の病気なのだという。
ゴルフを始めた人はなんでもゴルフに見えるようなものである。バターがパターに聞こえる。
庵主もお酒ばかりだから、ついそういう言葉が目についてしまうのである。すでに病気である。
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by munojiya | 2010-04-28 00:15 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-04-28 時局物 主催者発表
沖縄が沸いている。今日本で一番血が騒いでいる地方だろう。政事は祭り事でもあるのだ。
祭り事は面白いからである。普天間基地問題で盛り上がっているのである。
このたびは9万人集会(主催者発表)が開催されたという(2010年4月25日)。
話半分に聞いても4万人から5万人が集まったのだからすごいものである。

主催者発表というのは、一般的には大袈裟な数字であることが多い。
大相撲では95%以上座席が売れていれば満員御礼の垂れ幕を出すという。
満席でなくても、満員なのである。また席は売れていても客が来ない場合もある。
空席があっても満員と呼ぶのはそういう事情である。来られない人もいるという含みである。

沖縄の大集会は左翼の運動の一環だということで、大袈裟率が高いというのが常識である。
以前の沖縄の大集会のときは、主催者発表は12万なのに実数は2万余だったことがある。
約6倍の吹っ掛けである。今度もそうなら9÷6で2万人弱かなと思ったが、情報筋によると
3万人前後だったというから吹っ掛け率は3倍か。含みの参加者も加えて9万人なのかも。

以前よりは賢くなっているが左翼は日本海軍のようにまだ計算がちゃんとできないようである。
集会時には警察が調査した参加者数が発表されるが沖縄ではそれをやっていないという。
情報関係者というのは、その警察の数字のことなのだろう。発表はしないが調査はしている。
これはうまいお酒である(主催者発表)。まずい酒だ(情報関係者)。どっちを信じますか。

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ルビ 主催者発表「つくりてのおもい」 情報関係者「のみてのかんそう」

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by munojiya | 2010-04-28 00:10 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
2010-04-28 ちょっといい話
うまい、まずいは好みだから、ある人のうまいが必ずしも他の人にもうまいとは限らないが、
お酒の場合だと一般的にうまいお酒は好き嫌いを別にしておおむね一致するのである。
嫌いなお酒をうまいというのはなんであるが、自分にとっては好みの味ではないものの、
その味をうまいと思う人がいることは理解できるということである。

下世話な話でいうと、好みの顔ではないがそれが美人であることは判るということである。
うまいお酒は、美人と同義語なのである。
美人であっても好みがあるし、その出現率も同様である。数は少ないが間違いなく存在する。
そばにあると、ワクワクするし、楽しいというのも同じである。

だから、お酒の味わいを女性にたとえるとその感動が相手にもよく伝わるのである。
うまいお酒の話は楽しいのである。心がときめくからである。
日常生活の中でちょっとした楽しみになるからである。
ちょっといい話というのは、うまい食べ物があるという話である。よろしかったらである。

三鷹のラーメン屋「花月」の「ベジタブルラーメン」(期間限定)である。
これほど香り豊かなラーメンを庵主は経験したことがない。おすすめである。
そのお店のちょっと先に「ありのみ」という居酒屋がある。こちらもおすすめである。
まずお酒を味わってから、その帰りに「ベジタブル」が黄金の組み合わせである。

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「花月」はJR三鷹駅下車。新宿から見て進行方向左手の出口から出て、
駅前にある三菱東京UFJ銀行を左側に見る道を直進して二、三分の左手。
「ありのみ」は「花月」のさらに先を二分ほど行ったところ左手にある地下1階のお店。
目印は「酒処赤とんぼ」というお店の道路上に置かれている黄色い看板である。

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by munojiya | 2010-04-28 00:05 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-04-27 光るものがあるお酒
ぶらりと立ち寄った居酒屋で光るお酒に出会った。
だから、居酒屋は面白いのである。新しい発見があるからである。
あるときは、一人で呑んでいたら、隣の女の子が気を遣ってくれたものである。
だから、居酒屋は楽しいのである。心がなごむのである。

居酒屋は呑み終わったらまた自分の世界に戻れるという切れのよさもいいのである。
戻れなくなった人のことはアル高(アルコール依存症)と呼ばれて嫌悪される。
一説にはそれは病気なのだといわれているが、アル高は傍迷惑なことに変わりないから、
病気であろうと性格破綻であろうと救いがないことでは廃人の一種なのである。

光るお酒は、その居酒屋のご主人が蔵を回って見つけてきたものである。
小さい蔵のお酒だから酒銘をあげてもしようがない。どこでも呑めるお酒ではないから。
山形のお酒の試飲会に、同時に「月桂冠」の吟醸酒が出ていてそれはうまかったという。
それは、である。普段の「月桂冠」はあえて呑むまでもないことはいうまでもない。

それはうまかったといっても、そのうまい「月桂冠」を呑むことができないのである。
存在しないのと同じである。大手酒造メーカーもうまいお酒を造っているという人がいるが、
どこにいっても呑めないお酒なんかないのと同じである。よって大手のお酒は避けるのが正解。
一方、その光るお酒は呑んでいて楽しかった。そういう居酒屋に行けぱ呑めるのである。
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by munojiya | 2010-04-27 00:15 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)