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2010-06-30 うまくなって魅力がなくなった「DO」
最近は次から次に新しい代用ビールが発売される。
「ドラフトワン」もその波に揉まれてなくなってしまったのかと思っていたのである。
庵主がうまいと思ったビールはすぐ消えていくという経験則を想起したのである。
が、その「ドラフトワン」がマイナーチャンジ(小手先改良)して再登場した。

自動車で全体のコンセプト(売り)を見直すことをフルモデルチェンジ(前面改良)という。
一部だけ手直しして新発売と称して売ることをマイナーチェンジ(目先改良)と呼ぶ。
「DO」はマイナーチェンジで再登場と書いたが、モデルチェンジに近いのかもしれない。
中身のコンセプト(主張)が変わってしまったようである。

よくいえば「ニュー ドラフトワン」はうまくなったのである。
同時に庵主が求めていたあのうまさがなくなってしまったのである。
つまらなくなってしまったのである。庵主はそこが好きだったのに。
好きだった女の子が美しくなって魅力がなくなったようなものである。

「ドラフトワン」のうまさはその酸味の味わいのうまさだったのである。絶妙だった。
こんどのはその味わいよりもビールの味わいを再現することに方向を換えたようである。
麦芽を使わない“ビール”である。「DO」は独自の味わいから紛い物に傾いてしまった。
味わい的には売れている「のどごし生」に近づいた。しかし同じ物は二ついらないのである。
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by munojiya | 2010-06-30 00:45 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-06-30 笑い話 今月の傑作
『変な脚本でも許される会社』駄菓子本(431番)
庵主はこの一言で大笑いしてしまった。
アニメーションの制作会社であるジブリのことである。
人気には敵わないのである。なんでも許されてしまう。

庵主は、宮崎駿はロリコンの代名詞だと思っているからそれでいいのである。
古賀政男はその道の代名詞であるし、
井上ひさしはDV(家庭内暴力のこと)の代名詞であるように。
いずれも裏の顔の方がより「敬意」に値する人達である。表も裏も大物ということである。

人間は、異常な方が面白いということの実例である。
ただし、異常なことと品がないこととは別である。
異常であってもかまわないが、品がないのがよくないのである。
品がないとつまらないということである。

代用ビールのつまらなさは、そこに品が感じられないということなのである。
本当は、一生懸命あんなものを造っているらしいのである。まずくても品があれば救われる。
その熱意が、品のよさにつながっていないのが哀しいのである。
折角飲んだのに哀しさを感じる酒なんて、飲んでいる自分が哀しくなってくるではないか。

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これも可笑しい。
『主要人物全員が性格悪いってのはなかなか凄い漫画だと思う
良いか悪いかは別にして』駄菓子本(387番)
まんが「美味しんぼ」のことである。

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by munojiya | 2010-06-30 00:44 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2010-06-30 「マスゴミ」「ミンス」「害務省」
ブログは日記がわりなのだと思う。
庵主はそこに書かれていることは書き手のウンコだと思っている。
物言わぬは腹ふくるる技なりである。書くことは排泄行為なのである。
それを我慢していると気が籠もってしまうのでそれを吐き出しているわけである。

お通じをよくして体をすっきりさせる行為がブログなのである。
だから、他人のウンコの美醜やニオイを論じてもしょうがないのである。
それは商品化された情報ではないからである。
商品はそれを買ってもらうために見た目をよくする必要がある。

汚い包装紙に包んで並べておいたのではだれも手にとってくれないからである。
ブログを覗き見することは、それ自体が下品な行為なのである。
覗き見文化なのである。良心と羞恥心が疼く理由である。
聡明な読者はそれをさりげなく読んでいるのである。悪徳の愉しみである。

趣味が悪い人はコメントを残すのである。庵主もつい。本物の紳士は人を語らない。
傍目には見識があると思われる人が平気で、マスゴミとかミンスとか害務省と書くのである。
ウンコである。他人に見せるものじゃない。体にたまると悪いものを吐き出しているのである。
「ウンコ」もまた人前にさらす言葉じゃなかった。世には悪酒もあるということである。
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by munojiya | 2010-06-30 00:41 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2010-06-29 「NEW! Draft One」
第三のビールという言い方がある。
三流劇画と呼ぶとそれはエロマンガのことである。
三という数字にはいかがわしいという意味がある。
同時にそれだから面白いのだという居直りの気分が含まれている。

そう考えると、第三国人とか三位一体という言葉も意味深である。
三の定義はまがいものということでいいのだろう。
本流ではないということである。嫡流〈ちゃくりゅう〉ではないということである。
その第三のビールの代表がキリンの「のどごし生」とこの「ドラフトワン」である。

いずれも、麦芽を使わないでビールみたいな味わいを実現した下手物である。嫡流でない。
「ドラフトワン」の原材料は「ホップ・糖類・エンドウたんぱく・カラメル色素」とある。
その材料名を見ただけではどうやって造っているのか庵主には見当がつかないのである。
サッポロビールが造っているのだから毒ではあるまいという信頼によるのである。

食い物屋は一度信頼を失うとそれを回復するのは大変である。
理性では大丈夫だと分かっていても体が恐怖心から拒否反応を起こすからである。
今「富乃宝山」を安心して呑めるかということである。その事件を知らなければ呑めるけど。
ニュー「ドラフトワン」の話はまたまた次回に続くのである。
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by munojiya | 2010-06-29 01:45 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-06-29 猿も木から落ちる(その本篇)
見出しの付け方という話である。
トヨタのテストドライバーが事故死したという見出しが目についた。
とっさに浮かんだ言葉が「猿も木から落ちる」だった。案の定、運転中の事故だった。
もしその車がトヨタだったらみっともない死にざまをさらしたなと同情したのである。

酒呑みが酒で死んだらとことん馬鹿にされる。
「いい人だったのに、お酒さえ呑まなければ、長生きできたものを」とか、
「酒で家族に迷惑かけてきたからこれで一安心だ。今度だけはいいことをしたよ」とか、
「酒に溺れてしまったんだな。酒さえ呑まなければいい奴だったんだが」とかである。

飛行機のテストパイロットはよく事故死する。
テストパイロットというのは試作機で事故死するのが仕事なのではないかと思うほどである。
しかし、自動車のそれは逆に車で死ぬと馬鹿にされる。車の信頼を傷つけるからである。
だから、その見出しを瞥見すると馬鹿なテストドライバーがいたなと思うのである。

年齢が67歳とあるから、年寄りには車の運転は無理だということを実証したのかとも思う。
「麒麟も老いては駄馬に劣る」という言葉があったことを思い出したのである。
念の為、記事を読むともらい事故みたいである。見出しに騙されたのである。
見出しを付けるということは相当の要約能力必要とするが、あの「毎日新聞」だから。
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by munojiya | 2010-06-29 01:39 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-06-29 笑い話 もう一つの笑い
笑い話には相手の真面目さをひょいとかわしてしまう可笑しさとは別のスタイルがある。
意はあるのにそれが暴走してしまっているという可笑しさである。
相手の真面目とまともにぶつかったのでは絶対勝てない場合は前者である。
当方の力不足がわかっているときには笑いは自分の身を守るための武器になる。

相手を倒すための武器ではなく、己〈おのれ〉の優越感を保つための武器である。
自分の未熟を笑う笑いである。
一方、実力がありすぎる人が、その勢いを自分で制御できなくなった様を見るのは
他人の振る舞いを見て笑う可笑しさである。

その、もう一つの笑いの実例である。
『ブログの文章がカラフルなのは色ごとに意味があるのだそうだが、
もう少し色数を絞ってもらわないと文章に集中できませんよ、
と唯一の苦言を黒田さんへは申し上げた。』とは庵主の芸能情報源である泉幸男氏。

太字、大文字、色文字と文章全体が強調になっていたら、強調の意味がなくなってしまう。
講義を聞くと素晴らしい人らしいが、文章の書き方を知らないのである。
行間がない文章は文章ではないという常識もないようである。笑うしかないのである。
行間とは行と行の空きのことである。大手のお酒もその行間がないからつまらないのである。
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by munojiya | 2010-06-29 01:35 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2010-06-28 「ニュー ドラフトワン」
蒸し暑い季節になった。
ビールがうまい季節である。
酒といえば煙草であるが、その煙草の方は今やたらと規制が厳しくなっている。
路上での歩き煙草は禁止である。

公共の建物内での喫煙も禁止である。
神奈川県では海水浴場での煙草も禁止することにしたという。
もちろんマスコミを使った煙草の広告は禁止だったか自粛されているはずである。
一方、ビールの広告は大氾濫である。

煙草は有害無比であるが、酒はまだ健康に寄与する部分があるということか。
負は付き物なのである。たとえば、自動車事故の死傷者を0にすることはできない。
もしそれを0にしようとしたらとんでもない費用と規制とが必要になるだろう。
ある程度の死傷者が出ることには目をつぶって社会全体の利益の方を取るのである。

健康が、今は健康産業の食い物になっているのである。健康志向というビョーキである。
肥満体も多少ならどうってことないのに変な数値を決めて患者を増やしているのである。
医者や製薬会社が病気でもなんでもない人を病人に仕立てて儲けようというからくりである。
「ドラフトワン」のマイナーチェンジの話は次回に続くである。
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by munojiya | 2010-06-28 01:34 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-06-28 猿も木から落ちる(その前振り)
登山家が言うことには、いや言ったとされることには、
いやいや、そう言えばかっこよく聞こえるから作られた言葉なのだろう、これである。
「登山家は山で死ねたら本望だ」(そんな言葉がなかったら庵主の創作ということになるが)
案外、山で死んだ登山家をド素人かと馬鹿にして言った「救いの言葉」なのかもしれない。

山で、墜落死などされた分にはその後片付けが面倒くさいのである。傍迷惑なのである。
ときには、捜索にヘリコプターを飛ばすこともある。
平坦な死に場所ではないから、地上をはいずりまわって探すことが困難なときにである。
山に登る人は、その時に備えて常に電波発振器を携帯させたらどうだろう。

トヨタのテストドライバーが運転中に死んだというニュースである。
庵主は見出しだけ読んで委細を読まないから、つまりそそっかしいから、事情を読まずに、
「猿も木から落ちる」だなと嘲笑するのである。乗っていたのがトヨタの車なら本望かな。
トヨタの車が殺傷した人の数はすでにわが国の原爆の被爆者数を上回っているではないか。

車を作るということは、悪ではないが、厄払いと供養が欠かけない仕事なのである。
お酒は飲酒運転でそのお手伝いをしているから、大きなことはいえないのである。
登山家が山で死ぬのもみっともないが、酒呑みが酒で死んだ時には救いの言葉はない。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」がそれに一番近いかもしれない。
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by munojiya | 2010-06-28 01:32 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-06-28 怖い話 今流行っている怖い話
今、ネットで流行っている怖い話は、アジュバント(免疫補助剤)である。
ワクチンに使われるアジュバントには不妊作用があるという。これは必読
「サーバリックス」という子宮頸ガンワクチンにはそれが使われているという。
そのワクチンをほぼ強制的に接種させる悪巧みが今進んでいるという話である。

あの厚労省が補助金を出してその接種を進めようとしているのである。
それをうたれた女の子は子供が産めなくなるのではないかというのである。
サーバリックスは民族根絶やしワクチンなのだという怖い話である。陰謀論はこちら
この前の鳥インフルエンザのワクチンもその危険性を指摘する人が少なくなかった。

国が税金を投入して購入したものの かなりの量が使われずに廃棄されたはずである。
しなくてもいいワクチンを接種して儲けていた人がいるということである。
厚労省の一部の役人とワクチンを作っている製薬メーカーである。共犯の可能性もあるが。
損をしたのはそれに千数百億円も税金を使われた納税者である。ワクチンで死んだ人もだ。

以前幼児に接種していた混合ワクチンは副作用で死亡例が多く今では廃止されたはずである。
いま突然出てきた子宮頸ガンワクチンの真意は如何。基礎知識。映像はこれ(注意:音声あり)。
病気でもない人に薬を打つという考え方はたしかにおかしな話なのである。薬は毒である。
酒を飲まなくても生きていける人に無理に酒を飲ませるようなものか。酒も毒なのである。
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by munojiya | 2010-06-28 01:22 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-06-27 日曜日のくつろぎ篇 お酒を呑むとは
これがおもしろい。
なるほど、ご飯を食べるということはそういうことなのか。
で、今お酒を呑むということはというと。
庵主はお酒は、造り手・呑ませ手・呑み手によって成立している世界であるという。
そのうちのどの一つが欠けても、お酒を語れないからである。

お酒を造ってくれる人がいないと庵主はお酒を呑むことができないのである。
どんないいお酒を造ってもそれを呑み手に教えてくれる人がいないと巡りあえないのである。
呑ませ手とは酒販店であり居酒屋である。お酒の目利きのことである。
しかし、その三者ではないのにお酒の世界を実際に支えている人達がいるということである。

運び手という存在である。お酒を呑み手の口にまで運んでくれる人がいないと
どんないいお酒でもないと同じである。
今、庵主が口にしているお酒は、実はお酒を呑んでいるのではないということである。
運び手の仕事を呑んでいるのである。

お酒を呑むということはその液体を呑むということでなくて、
それに関係している人達に対する信頼を味わっているということなのである。
いい仕事をしている人たちの集大成だからそのお酒はうまいのである。
うまいということの本質は他人に、とりわけ同じ日本人に対する信頼感のことなのである。
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by munojiya | 2010-06-27 00:38 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(0)