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2010-08-31 「ハートランドビール」
「ハートランドビール」という国産ビールがある。
二十年来造られているビールであるが、飲んだことがある人は少ないのではないだろうか。
あまり出回っていないからである。
キリンビールが造っている。

このビール用に作られた専用の緑色の瓶が美しい。
専用瓶なので、瓶の胴体には浮き彫りで「HEARTLAND BEER」の文字と
シンボルの一本の木が描かれている。 
品質は本物ビールである。

原材料は「麦芽・ホップ」だけ。
庵主には酒に関するいくつかの経験則がある。
そのうちの一つに「パッケージの美しい酒にうまい酒なし」というのがある。
経験則だからこれが結構当たっているのである。

庵主は桐箱やきれいな瓶は飲まないから、中身がうまければそれだけで十分と言うのである。
お酒のいいところは、呑んだ後に甘美な記憶は残るが形が何も残らないという潔さにある。
器が美しいと残しておきたくなるのである。形が残るものは記念にはなるが重荷にもなる。
「ハートランドビール」はそれを飲んだという爽やかさだけを残して消えていくのがいい。
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by munojiya | 2010-08-31 00:53 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-08-31 人間の屑
『残念ながら、この人間社会には、「くず」といわれる人種が存在する。
三宅なんとか、阿比留ナントカ、辛坊ナントカ、これ「人間の屑」デスね。
権力・権威と言ったものに、しがみつく以外に、生きるすべを持たないのです。』
出処はその米欄。

その三ナントカが人間の屑かどうかは庵主には知る由もないが、
せめて、三宅久之、阿比留瑠比、辛抱治郎ときちんと書いて上げたいものである。
みんな一生懸命生きているのだから。しかも三人のファンは少なくないのである。
辛抱さんの本名は辛さんで、この三人は、存外、朝鮮人トリオだったりして。

庵主などは、阿比留とあると、酒を浴びると見えちゃうし、
辛坊とあると、まずい酒を呑むのは辛抱に耐えないと思っちゃうし、
久之とあると、之(この酒)を久しく呑み続けたいと読んでしまうのである。
人の名前を見るとお酒を思い出すのだからかなり危なくなってきたかと自戒するのである。

人間の屑については疎いが、お酒の屑については庵主は詳しいのである。
屑というよりも、それは失敗作というべきだろう。
呑むまでもないお酒のことである。気合が入っていないお酒のことである。
屑があるから、真っ当なお酒のありがたさがいやますのである。屑は有用なのである。
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by munojiya | 2010-08-31 00:50 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-08-31 笑い話 未菅の待機
旧聞であるが、菅政権がひどいらしい。子供店長ならぬ子供政府状態だというのだ。
称して「未菅の待機」である。
「最小不幸時代」を標榜したら、即「宰相不幸時代」と返されるのである。
その指向性が韓国寄りなので、韓首相とも呼ばれている。

全部当たっているから可笑しいのである。
そういう総理を戴く有権者はたまったものじゃないが。
パチンコ屋、エロビデオ屋、高利貸し、ソープランド、ヤクザ屋、政治家と、
汚れ仕事をみんな朝鮮人に押しつけてきたツケが回ってきたのである。

おっと、新興宗教が抜けていた。統一教会、創価学会と、日本人には評判が悪いのである。
日本のキリスト教の教会も朝鮮人の神父が増えているという。
よく女性信者とことを起こして新聞ネタになることでそれが分かるのである。
大本山のバチカンでは男色神父が新聞ネタだから聖職は不自然が強いられる商売なのだろう。

日本人が坊さんをやっている在来仏教は相変わらず葬式仏教で食いつないでいるだけである。
昔の人は暇だったから宗教をやる時間があったのだが、今日の人はその余裕がないのである。
酔っ払うために飲む人はともかく、お酒を味わって呑むということは余裕の創出なのである。
お酒を呑むと時間はあっという間に過ぎていくが、心は逆にゆっくりと流れていくのである。
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by munojiya | 2010-08-31 00:49 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2010-08-30 「半蔵」と出会う
長年、意識的にお酒を呑みつづけているからいろいろなお酒との出合うのである。
庵主のお酒の呑み方は「浮気呑み」だから、すなわち、前夜呑んだお酒と今夜呑んだお酒が
毎日異なるという呑み方だから、呑んでいる銘柄の数はやたらと多くなるのである。
こと日本酒に関しては一つの銘柄をこれと決めてそれを呑みつづけるということはしない。

浮気男が根性がないのと同じように、庵主は根性のない酒呑みなのである。
横山大観〈よこやま・たいかん〉は、ただ一つ「酔心〈すいしん〉」を呑みつづけたという。
飽きないこと。それは天才の呑み方なのである。庵主は凡才ゆえ、その真似はできない。
その替わりに、いつも新しいお酒との出会いがあるのである。

新しいお酒とはそのお酒を醸している造り手との出会いのことである。
その出会いが楽しいである。
しかも、お酒という共通の追求点があるだけに話はつきないのである。
そのお酒を味わっていても、庵主はその造り手を見つめているということなのである。

また一つ新しいお酒と出会ったので、その記録を残しておく。
三重のお酒で「半蔵〈はんぞう〉」である。
たまたま立ち寄った百貨店の試飲販売で初めてそのお酒を味わったのである。
大吟醸は納得できる味。木桶造りの酒に光るものがあった。呑めるお酒がまた一つ増えた。
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by munojiya | 2010-08-30 00:40 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-08-30 イニシエーション
イニシエーションと聞いてオウム真理教を思い浮かべる人も古い人になってしまった。
教団が地下鉄にサリンをばらまいた事件(1995年3月20日)も15年前の話である。
21世紀に生まれた子供たちにはその事件の記憶がないのである。
日本人の皆殺しを図った新興宗教の尊師が麻原彰晃〈あさはら・しょうこう〉である。

宗教団体というのは狂気と裏合わせだから怖いのである。
もっとも狂気がなければ宗教に共感できないから信者はみんなどこか不健全なのである。
日本人のように、それらの宗教のいいとこどりをして「節操がない」ことは健全の証である。
一つの考え方に拘ることは、一貫性があるともいえるが、独善的だということなのである。

そのイニシエーションの意味が分からないのでウィキで調べてみた
霊性を注入することだという。人間は、霊性があるから生きているのである。
「お前は必ず死ぬ」と当たり前のことで脅して、御布施を巻き上げるようなものである。
宗教屋というのはまったく商売がうまいのである。言葉巧みにお金を引き出すのがうまい。

薬物(LSDという幻覚剤等)を使ってイニシエーションをやる方法があるという。
おお、そうか。アルコールを呑むことはイニシエーションだったのかと気付いたのである。
庵主が宗教に興味がないのは、日頃からイニシエーションをやっているからなのである。
霊性が充実しているから、他の低劣なそれでは満たされないからなのだと知ったのである。

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麻原彰晃死刑囚の死刑が執行される気配がないがどーなっているのだろう。
単純凶悪犯の死刑が順次執行される中で、法律の規定に反してまで執行を伸ばすものは
冤罪の可能性があるからだという。冤罪でも法曹界の面子で死刑にしてしまうからである。
麻原彰晃の死刑が執行されないのは本当の犯人の名前がいえないからだろうと思われる。

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by munojiya | 2010-08-30 00:34 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2010-08-30 番外篇 ネット情報はなぜ読みにくいのか
キンドルとかiPadの登場で、こんどこそ電子書籍の時代だと囃し立ているのは
はっきりいって悪いが、お酒でいえばろくな酒を呑んだことがない人たちである。
うまいお酒を味わった人は、酔っぱらうことはお酒の本質ではないということを知っている。
だから、呑んで酔っぱらうことができればいいというだけのお酒に重きをおかないのである。

本の本質は、そこに書かれている内容だけではないということなのである。
食い物の本質が、そこに含まれている栄養成分だけではないのと同じである。
電子書籍というのは、ただの文字情報であり、栄養成分だけなのである。無味乾燥。
味がない。香りがない。べつの言葉でいえば、しょせん紛い物〈まがいもの〉なのである。

もちろん世の中の多くは紛い物だから、それがないと数多くの人の生活を支えられないので、
それが悪いことだとか、間違っていることだというわけではないが、
紛い物は、そればっかりだとむなしくなってくるのである。紛い物ばかりでは心さみしい。
本物には味わいがあるということである。味わいを捨てて実用をとったのが紛い物である。

ネットの情報が読みにくいのは、全体像が見えないからである。
書籍の場合は、頁という大きさと厚さがあるから、いま自分が読んでいる場所が分かるが
ネットの文章はその全貌が一覧できないので先が読めないために疲れるのである。
本をめくるように見せる芸の細かいソフトもあるから、その点は改善されることだろうが。
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by munojiya | 2010-08-30 00:30 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2010-08-29 日曜日のくつろぎ篇 達観している人
『いつも、いつも、人の文章を読んでいるだけの人間、というのは、つまらない人間だ。
人生そのものが傍観者だ。私は、そういう人間たちに対して冷ややかです。
人生を何かに賭けて本気で生きていない人たちだ。「すぐに決めつけるな」と反論なんか
するようだと、ますます、自分が駄目な人間だと気付かない人間だ。』出典(その17番)

わが副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉先生の言葉である。
これと同じような言葉を「読んだ」ことがある。つまりこの言葉の元ネタである。
「原罪」を売り物にする宗教である。神を試してはいけないとだめ押しするのである。
反論は許さない。類書なんか買わずに私の本を買えというのである。商売熱心なのである。

まず無知な人を脅〈おど〉しておいて、私の言葉を信じれば救われると勧誘する商法である。
副島先生は文筆業者である。学者は本を書いてそれを売らないと食っていけない。
つまり「人の文章を読む」奇特な人がいるから生きていける商売だということである。
本を読む人間はつまらない人間だというのである。つまらない本を読む人のことをである。

副島先生は、つまらない人間相手に本を書いているのである。寺山修司は言った。書を捨てよ。
その構図を心に描くと、冷やかな人生を送っているのだなと思ってしまう。達観というべきか。
ただし、他人の書いたそんな本なんか読んでもつまらないよという助言は有益である。
では無駄な読書をせずに浮いた時間はどうすればいいのか。お酒呑んで過ごせばいいのである。

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『私は、自分が読めない漢字は、本当に不愉快になります。ひらがなか、かたかなで、
ルビを( )に入れて振りなさい。[中略]姜浩 と書いて、「キョウコウ」と読むのか、
「かんひろし」と読むのか、分からない。分からないものは分からない。』(同上。以下同)
副島もフクシマなのかソエジマなのか読めないがだれも困らない。副島で分かるからである。

『頭の良さ、悪さも、だいたい、それらの教養として、今でも、周囲から測定される。
私、副島隆彦は、知識人であり、教養人であるから、それらの勉強を、小さい時からずっと
自分でやってきた。今でも、いつでも辞書を引く。清朝(しんちょう、大清帝国)で成立した
「康煕(こうき)辞典」と、諸橋徹二(もろはしてつじ)の漢字辞典を引くようにしている。』

意味は判るがその漢字が読めないことより、諸橋轍次を諸橋徹二と誤記する方が困ると
庵主は思うが、「読み」には厳しい先生も「書き」には頓着しないのである。
傍観者をやっているとそういう誤植がよく目につくのである。のめりこんだら気がつかない。
副島先生の頭の中では、徹二と書いていてもちゃんと正しく轍次になっているからである。

そこで「むの字屋@校正係」を発揮するべきか否か庵主はためらうのである。
書き手はちゃんと轍次と認識しているのに手が勝手に徹二と書いたものだからである。
敬虔な読者は無謬の先生が書かれたものだから諸橋徹二と覚えてしまうかもしれない。
誤植の指摘は書き手にとっては余計なお世話だろうが読者に対しては小さな親切なのである。

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『経営者たちは皆我が強くて強運の持ち主ばかりです。ビジネスの感は鋭いが
政治にはまるで無知です。政治だけでなく経済の知識もあやふやで,世界情勢
についても何も見えていません。』引用元
「感」は「勘」だろう。「感」では意味がとれないのである。誤記の方が困る事例である。

意味がとれないというのは、読んでいてそこで引っかかってしまうということである。
文章を読むときは一字一字追いかけて読んでいるのではなく、漢字を直感的に捉えて読んで
いるから、その部分であれっおかしいと感じてつまずいてしまうのである。
よく読めば「感」は「勘」であることが分かるから意味は通じるのではあるが。

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by munojiya | 2010-08-29 02:01 | 日曜日のくつろぎ篇 | Trackback | Comments(0)
2010-08-29 アウトソーシング
外注のことをアウトソーシングという。
外注と書けば2文字ですむのにわざわざ8文字の外来語を使うのは
外注という言葉では言い表せない意味を含めているということなのだろう。
「アウトソーシング」はビジネス用語として登場したもので、実はそれは商品名なのである。

なんでも自分でやるのではなく、餅は餅屋に任せることが経済的だという考え方である。
コンサルタントという商売がある。経営指南業とでも訳すのだろうか。
この新しい手法を導入すれば会社は儲かるといってビジネス技法を売り歩く商売である。
これまで数多くのビジネス技法が販売されたが、その多くは役に立たず捨てられていった。

一昔前、いや、三昔前か、プログラムの「ベーシック」がその新商品だったことがある。
「ベーシック」はこれからのビジネスマンには不可欠な知識だと煽っていたものである。
それは嘘だったのである。今時そんなものをやっているビジネスマンはいないだろう。
まともなビジネスマンは、プロのプログラマーが作ったソフトを使いこなしているのである。

企業の心臓部である人事や経理も外注にするという大胆な発想さえあるが、大丈夫なのか。
昔は、プランテーション作物は国際的に見たときには合理的な農業だと教わったものだが、
その作物が不況のときにはその国の経済が立ちゆかなくなってしまうという弊害が伴う。
思えば、それをやれば体にいいからとお酒を呑むことを外注に出す酒呑みはいないのである。
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by munojiya | 2010-08-29 01:53 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)
2010-08-29 番外篇 聞かなきゃ分からない文章
日本語は英語と違って論理的でないと指摘して悦にいっている人がいる。
日本語は劣っているということで、自分は英語が分かると暗に自慢しているのだろう。
お前さんが使っている日本語が論理的でないのは、あんたの頭の出来がよくないだけだと
庵主は思うがそのことは口にしないのである。

まずいお酒をまずいといってもうまくならないように、
それをいってもその人が利口になるわけではないからである。言えば人の心を痛める。
そのよくできている英語もまた、書き手の能力いかんでは意味が通じないことがあるという。
英語も使い方によっては論理的ではないのである。

『英語としてはそんなに難しい物ではないのだが、その時の政治状況を考えると簡単ではない。
この辺のところは、ワイナー自身に聞かないと分からないことなのかも知れない。』
と雁屋哲氏が述懐している
英語圏で生活しているから英語に堪能な氏においても理解できない英語があるのである。

書いた本人に真意を聞かなきゃその意味が分からない言語が論理的といえるのか。
漢文にいたっては、読む人の都合でいかようにも解釈できるものが多々あるのである。
「魏志倭人伝」などは読み手によって意味するところが変わってしまうのだからすごい。
その点、日本語は言葉の方向は正確である。書き手が杜撰だと手に負えないだけなのである。
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by munojiya | 2010-08-29 01:41 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2010-08-28 キリンの「秋味」
♪季節の変わり目をあなたの心で知るなんて~
暑い暑いと言ってるうちに季節は秋が巡ってくる。
庵主は季節の変わり目をキリンの「秋味」の発売で知るのである。
季節限定のビールである。当社比1.3倍の麦芽を使ったというビールである。

近頃は庶民の懐具合に合わせた、アルコールを混ぜたビール風味リキュールが全盛の中で
「秋味」は数少ないビールなのである。
しかも、毎年秋口だけの限定醸造と銘打って麦芽の使用量を3割も増量するという
キリンの大盤振る舞いビールなのである。

ビールだけあって、アルコールを混ぜて造った代用ビールとは違い、
アルコールのスカスカ感がないので味は整っているが、麦芽を増やした分を他の原料で
調整したものか、米・コーン・スターチといかがわしい原料が使われている。
キリンはたしかビールは「麦100%の時代へ」のはずだったと思う。主張に一貫性がない。

コーン・スターチはコーンスターチなのか、コーンとスターチなのかも庵主には分からない。
「秋味」はどうやって造ったのか庵主には理解できない不可解ビールなのである。
庵主は、うまければどうやって造っても文句はいわないのである。
で、「秋味」が1.3倍うまいかというと、まずくはないが、としかいいようがないのである。
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by munojiya | 2010-08-28 00:43 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)