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2010-12-31 蕎麦屋でお酒を
年越し蕎麦である。
だれがそれを始めたものか。
土用の鰻の平賀源内みたいな知恵者がいたものか。
いずれにせよ、大晦日においしいお蕎麦が食べられることは幸せなのである。

大晦日は蕎麦屋の書き入れ時である。
今日本は“みぞうゆう”の不況に“恵まれている”が、その日の蕎麦屋は活況に満ちている。
生活は厳しくても年越しはやっぱり蕎麦だからである。
年越し蕎麦に対抗して、近年、年明けの饂飩を考えた人は知恵者である。

ささやかな生活でも、きまって蕎麦や饂飩が食べられるということは幸いである。
生きているということなのだから。
ついでに、お酒という悪さもできるならこんなうれしいことはないのである。
生きているということは実は罪作りなことなのである。

他の生き物の命を食い物にすることだからである。
不条理と書いて「いきる」と読むのだろう。ゆえに蕎麦をたぐって細く長く生きるのである。
酒呑みのあこがれは、昼間から蕎麦屋のつまみで酒を呑みながら蕎麦をたぐることである。
それが様になる男になることなのである。庵主はまだまだである。もう少し生きてみようか。
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by munojiya | 2010-12-31 00:29 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-12-31 危険な選択
非武装で平和を守ろうとするか、武装して平和を維持するかである。
日本は非武装の道を選んでいるが、それを勇気ある選択というか無謀な選択というかである。
非武装平和が後者であることは確かである。
自分に守るべきものがない人はそれでもいいのである。ヤクザ映画ではそれを鉄砲玉という。

しかし、家族とか子供がいる大人はそうはいくまい。
真っ当なアメリカ人は、なぜ銃規制に反対するのか、ということである。
銃の乱射事件で大量の犠牲者が出る事態が続発しているのになぜ銃を規制しないのか。
前提が異なる社会では理が必ずしも利にならないということである。害になることがある。

『地域のだれもが銃を持っている社会を考えてみよう。このとき法律が改正され、銃の所持を
規制することになったとする。その結果もっとも不利益を被るのは、法律を守る善良な市民だ。
彼らは違法なことができないから、国の求めに応じて銃を放棄する。ところが無法者は法律を
無視するから、自宅に大量の銃を隠し持つにちがいない。

善良な市民の家に銃がないことを知った彼らは、いつでも押し入って家族を皆殺しにし、財産
を奪うことができる……。このようにいったん銃社会が成立してしまうと、まっとうな人ほど
銃規制に反対することになる。』 出処
酒という狂気が溢れる社会で禁酒を選択することは勇気か無謀か。お酒を呑んで考えよう。
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by munojiya | 2010-12-31 00:27 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2010-12-31 もう一つの危険な選択
危険な選択と標題に掲げたが、はたしてそれが本当に危険なのかどうかは庵主には判らない。
原爆を炸裂させることなら、それが危険なことだということは考えるまでもなく判るが、
こっちの「危険性」については、考えても判らないのである。
「薬はリスク(回文)」というから、できれば避けたいということはいえるのであるが。

アルコールは本来なら人体には有害であるが、人はそれを呑みこなしているのである。
中には、一気飲みして急性アルコール中毒で倒れる人もいるが、
そういう人が出ることは社会的には折り込み済である。交通事故の死亡者と同じである。
運が悪かったねで終わりである。

交通事故の被害者となって死んだ人のことを馬鹿というのが当たらないように、
急性アル中で死んだ人も馬鹿というのは当たらないだろう。あえて言うなら無知である。
無知は、時によっては危険だということである。
無知ゆえに、「それ」が危険かどうか判断できないのである。

「それ」とはこれである。そのワクチンは本当に効くのかということである。
それ以前に、本当に善意からそれが行なわれようとしているのかということである。
疑問を抱く人が少なくないのである。さあ、どっちを選択するか、である。男でよかった。
君子危うきに近寄らず。さらに、現在の癌の治療法は間違っているという説もあるのである。

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憲法第9条を信奉していれば平和で過ごせると考える人は幸いである。
ならば、自分からは癌にならないと信奉していればけっして癌にならないのだろう。
世の中はなんでも自分の意のままになるという考え方である。積極的楽観主義である。
それって、今の境遇が悪いのはみんな社会のせいだという考え方の裏返しなのではないのか。

端〈はた〉から見たら、どっちもビョーキである。
普通の人なら、万が一病気になった時に備えてあらかじめ健康保険料を払うものである。
私は病気にならないと宣言したら、病気がやってくる理由がないと楽観することができたら、
そんな備えは要らなくなるのである。浮いた保険料でうまいお酒が呑めるというわけである。

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by munojiya | 2010-12-31 00:25 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-12-31 番外篇 師走の校正問題
出題は、もちろん「村西とおる日記」(2010.12.10の日記)である。
『夢々自分は有名になったのだから』
『ご本人自身も一層驚かられておるのではないでしょうか。』。この日本語は大丈夫か。
『半官びいきの国民性にあっては珍しいことでございます。』。半可くさい菅びいきか。

『だから朝から晩までテレビはこの付度の海老さまの事件報道で一色なのでございます。』
『いくら愁傷に振るまっていても増上慢は生涯のもの』
『ニューヨークでの公演など大成功を治めております。』
『頭の切れも濶舌もキー局でアナウンサーがつとまるレベルではありません。』

『自分では絶対にオキュウをすえることができなかった「ワンパク亭主」に
変わりに世間さまにオキュウをすえていただいたこと、でございます。』
『いさぎ良さがないのでございます。』『懲らえ性もなくただイライラして』
『謹言実直な、自衛隊出身者らしい礼儀作法と率直なうけ答に好感を持ち採用致しました。』

『自衛隊時代に何があつたのか』『見比べてみると明きらかに内容が違っていました。』
『彼もまたご多聞にもれず』。監督もまた御多分にもれずご他聞と書いてしまったのである。
最後は誤植ではなくて遊び。村西監督の忠告の捩りで、「危[〈つまら〉]ない」のは一見
普通の人[〈さけ〉]、を装っている「変質者」[〈てぬきさけ〉]でございます。

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監督はパソコンをやらないというから、これらの誤植は入力者の見落としである。為念。

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「変質者〈かわりもの〉」が集まってやっているこういう写真(18禁です)もネットにある。
「やればできるけれど、やってはいけないことを本当にやってしまうこと」というのが
庵主の「変態」の定義である。この写真を宗教行事と説明した人がそれである。
映画「パフューム」のラストもこれに似た場面だったというから変態は洋の東西を問わない。

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by munojiya | 2010-12-31 00:14 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2010-12-31 駄洒落の神様
1号室、2号室、3号室、5号室、6号室、7号室、8号室、10号室と呼ぶ業界がある。
4と9は、死と苦に通じるから縁起が悪いので忌避するというのである。駄洒落である。
それじゃ、なんのための数字なのか意味がなくなってしまう。
それをやったら、5と聞いても、それが4番目なのか、5番目なのか判らないではないか。

日本語の神髄は、実は駄洒落にあるということなのである。駄洒落が実用に優先するのだ。
駄洒落を使いこなせるようになることがいっぱしの日本人なのである。
西洋ではそれと似たようなことをユーモア(残酷)と呼んでいるが、
日本では諧謔〈じぎゃく〉という。諧謔的に難しい(繁画)漢字を使っていうのである。

日本人は無宗教だというインテリ〈けいはくもの〉がいるが、そんなのは嘘である。
お正月にはちゃんとお正月飾りをして年神様を迎えるのである。
それをしない人は罰〈ばち〉があたってその年はろくなことがないからである。
神とは嫉妬の代名詞である。逆らう神に祟りなし。嫉妬に逆らう人を馬鹿とも呼ぶのである。

お正月飾りは暮れの29日にしてはいけないという。二重苦を避けるという駄洒落だろう。
しかし今はいいのだという。それは福を呼ぶ日だからという解釈だという。ものは考えよう。
4は仕合わせのシ、9〈ここのつ〉は幸福のコである。病の時は確かにそれが欠けている。
一升とは一生の付き合いという意味なのか、と一笑に付して「むの字屋」は本年を納めたい。

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余韻
「むの字屋」は酒が呑めない庵主でも呑めるうまいお酒を求めるために開いた求道の庵である。
結論はすでに出ている。うまいお酒とは何かというと、それは本物のお酒のことなのである。
本物のお酒とは真っ当なお酒のことである。委細はすでに書いた通りである。

その見分け方を会得したので、いま庵主が呑んでいるのはうまいお酒ばかりである。
世の中には永遠に到達しない目標を掲げる暢気〈りんね〉な人もいるが、
庵主はせっかちなので現世での美禄を求めたのである。生きるとは命を継ぐことである。
うまいお酒とは酒の命がうまいのである。うまいとは自分の命に叶うということなのである。

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by munojiya | 2010-12-31 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-12-30 「龍力」のカップ酒
庵主の今年最後のお酒は「龍力〈たつりき〉」だった。
といっても、「秋津」や「上三草」や「上松」や「米のささやき」ではない。
カップ酒の「龍力/特別本醸造」(製造年月10.11)である。
格式の高いお酒はうまいのが当然だから、もう庵主の心をときめかせないのである。

心トキメクのはそうでないお酒で、庵主の意表をついてうまいお酒である。
発見する楽しみがあるお酒である。やられた、と思わずうれしくなるお酒である。
カップ酒にはいくつかの欠点がある。
一つは栓が大きいのでその密閉度が低いため味の劣化が早いということである。

また、お酒が空気に接する面積が大きいという容器の構造上の欠点もある。
利点が短所になっているのである。
酒瓶の口が狭まっているのは、注ぎやすさもあるが空気との接触面が小さくなるからである。
ということは、カップ酒は新しいものをうまいうちに呑めということである。

「龍力」のそれは、精米歩合65%の特別本醸造である。酒質は軽くすっきりしている。
日本一の酒米処播州産の山田錦20%使用、五百万石80%使用の由緒あるカップ酒である。
ことさらうまいということもないが、ちょっと気になるキュートな味わいとしておこう。
庵主の好みはしかし、精米歩合70%の「菊水/ふなくち一番しぼり」に親しむのである。
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by munojiya | 2010-12-30 00:20 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2010-12-30 資本主義というのはネズミ講なのだろう
資本主義というのは、要するに貧乏人から「合法的」に搾取する仕組みことなのではないか。
豊かな生活を送っている人はそういう人達の「犠牲」の上に成り立っているのである。
そして、そういう見たくない部分は目にしないですむシステムが資本主義なのである。
お金があれば何でもできるという仕組みである。故にお金には価値の実体はないとも言える。

いま日本人が安い物を買えるのは多くの中国製品が入ってくるからである。
ユニクロだ、100円ショップだ、外食産業だの内実は中国の安い人件費によるものである。
中国人を安くこき使ってその利益を「搾取」して甘い汁を吸っているということである。
それが経済原則だという人もいるがやっていることはそれである。

それは何かというと、最後はみんなが不幸になる経済制度だということである。
ネズミ講と同じで、先進国は、カモの数が多い限り当面は儲かるという仕組みである。
中国人十数億人、印度人十二億人が目下のカモである。
それだけカモがいれば先進国は当面は楽ができる。うまくやればまだ楽ができるはずである。

しかし、ネズミ講だからいつかは破綻することは分かっているのである。
そういう見たくない部分は目にしないというシステムが資本主義なのである。
汚い部分は見ないというのは利口な生き方なのである。幸せに生きるコツである。
お酒もその悲惨な害の部分には目を向けないのである。だからお酒はうまいのである。
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by munojiya | 2010-12-30 00:18 | 酒の肴 | Trackback | Comments(0)
2010-12-30 「パパは何でも知っている」
昔のTV番組に「パパは何でも知っている」という番組があった。提供は洋酒の寿屋である。
当時のTVは多くのアメリカ製番組で埋められていた。TVはアメリカの宣伝兵器だったのだ。
バブル世代というのはそういうTVを見て育ったのである。頭の中はアメリカだったのである。
アメリカ仕込みの考え方に汚染されているのである。その習慣が長く続くと思っていた。

『「パパは何でも知っている」は50年代のアメリカ中流家庭を描いたホームドラマで、「パパ」
は大きな保険会社のサラリーマン(アメリカでは組織人=オーガニゼーションマン)だった。
60年代までは、アメリカでもひとつの会社で生涯を過ごす終身雇用が当たり前だった
(親子孫3代が同じ会社で働くことも珍しくなかった)。

それが70年代以降、日本メーカーをはじめとする外国企業との競争で業績が悪化すると、
家族経営を信条としていたIBMやコダック、AT&Tなどの大企業が次々と大規模な
リストラに追い込まれ、終身雇用や年功序列はまたたくまに消滅した。』 引用元
アメリカの風は数年遅れの日本の姿だという経験則がある。日本には前轍があるのである。

『いまではすべての会社がいつでもどこでも交換可能な“汎用仕様”のマニュアルで運用され、
労働者の価値観も変わり、自分たちが“サラリーマン”だった時代があったことすら覚えて
いない――わずか40年ほど前のことなのに。』(同上)。
お酒も40年前は今日のようなうまいお酒は少なかったのである。時代は変わる。否、移る。
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by munojiya | 2010-12-30 00:11 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2010-12-30 番外篇 NOW LOADING
動画が使われているホームページがある。
庵主はHPの動画が大嫌いである。ただし、映画の予告編は別。ネット上のそれは便利だ。
動画はこれ見よがしにうるさいからである。街中の街頭ビジョンも同じ理由で大嫌いである。
尤もそれを使う方はそれが目的だから、作り手と受け手との気持が乖離しているのである。

同じことをやっても、それを気配りと受け取る人と賢しらなと受け取る人がいるのである。
動画を使うHPでは最初にそのデーターをローディング(取り込む)する時間がかかる。
その待ち時間が庵主にはイライラさせられるのである。
そのわずかな、そして矢鱈と長い時間が「NOW LOADING」である。

「NOW LOADING」ではこれが面白い
おっ、おっ、おっと思っているうちに終了するから時間を感じさせないからである。
これはいいが、待ったという気持を起こさせない工夫をしないでフラッシュなんか使うな。
それとスキップボタン(動画を見なくてもいいように飛ばすボタン)は必須である。

そのHPはいくつかあるタグ(見出し部)にカーソルを持っていくと写真が変わるのも面白い。
HPの見せ方も進歩しているのである。進歩していないのは新聞記事を読ませる技術である。
ウェブ産経新聞なんかその工夫が全然ない。記事を読むのにスクロールするのは面倒臭いのだ。
「むの字屋」は動画を使わない。それを造るのが面倒くさいからだけなのだが。
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by munojiya | 2010-12-30 00:08 | 番外篇 | Trackback | Comments(0)
2010-12-30 「女の子はカワイイのが仕事だゾ!」
アンケートの回答である。その後の振る舞いで嫌われることである。なおオチは665番。
一位になったのは『すぐ寝てしまう』。
二位が『すぐに手や体を洗いに行く』
三位が『急いでタバコを吸われる』。

お酒を呑んだ後の反応ではない。
庵主などはお酒を短時間に呑みすぎるとすぐ眠たくなってしまうのである。
お酒が呑めない体質だからである。
だから会社の接待要員には使えないのである。会社勤めができるわけがなかったのである。

かつての日本酒は手にした盃がべとべとしたという。
その原因は解っている。三増酒だったからである。
三増酒というのは、お酒にアルコールをまぜて増量した酒である。
薄めた酒だから、味が乏しくなる。そこでまず糖類をいれて厚みを出すのである。

その糖類というのは具体的には水飴である。昔の蔵元には水飴がはいった四斗缶があった。
三増酒を呑むと、その糖分がなぜか盃の外側にまでまわってしまうのである。
手がべとべとになるのである。だから呑んだ後はすぐ手を洗う必要があった。
お酒を呑んだときの煙草がまたうまいのである。冒頭のアンケートの設問はこれである

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『寝る×
喋る×
風呂×
帰る×

何をしろと?』(133番)。371番で勉強してください。
お酒なら、さらに呑みつづけるというのが正解である。
夜〈よ〉が明けるまで呑みつづけろ、である。
朝、呑み終えて満足を覚えたときに飲む冷えた生ビールが、これがまたうまいのである。

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by munojiya | 2010-12-30 00:05 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)