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2011-12-31 最後に呑むお酒
「最後に」呑むと書くよりも、正しくは「締めに」呑むお酒のことである。
うまいお酒とか、値段の高いお酒とか、変わっているお酒をいろいろ呑んで満足した後に、
最後に、いや、締めに呑むお酒があるということである。
煙草のブレンダーという仕事があるという。

ブレンダーというのは煙草を吸うのが商売という因果な宿命の人である。
煙草は「ハイライト」の葉っぱとか、「セブンスター」の葉っぱがあるわけではない。
品種の異なる煙草の葉を調合してそれに香料をまぜてそれぞれの香りを作り出すのである。
銘柄別の香りと味わいを安定的に造り出す仕事がブレンダーである。

だから、仕事中は、煙草を吸いまくっているのである。
そのつらい仕事が一段落したときに、そのブレンダーが気持を癒すためにすることは、
自分の煙草で一服することだという。その一本がことさらうまいのだという。
煙草の仕事疲れを煙草で癒すのだという。

お酒にも、呑み疲れを癒すお酒があるのである。←本当だよ、という意味のあるある。
締めのお酒である。
庵主の場合はそれは「鷹勇〈たかいさみ〉」である。
そのお酒に辿り着くとほっとするのである。うまいまずいではなく、ほっとするのである。

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間違って難しい本を読んだ後に、軽い本を読んで頭の疲〈けが〉れを祓うのと同じである。

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by munojiya | 2011-12-31 00:17 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2011-12-31 愛されない人
愛してくれる人がいる人は幸い〈さいわい〉である。
と書くと、なんとなく「聖書」の直訳みたいでしらじらしいが、
同じことであっても、それを「よかったね」と書いたらしっくりするかもしれない。
しかし、世の中には、愛してくれる人がいない人もいるのである。

先の大津波で自分以外一家全滅した人のように、一挙に愛を奪われてしまった人たちである。
例示の場合の悲しみは相手の愛の余韻で、愛は失ったものの愛に飢えているわけではないが。
愛に飢えている人も中にはいるのである。そういう「不幸」な人にも愛してくれる人はいる。
神が愛してくれるのである。ただ、それが一神教の神様だから迷惑なのだが。より不幸になる。

庵主に言わせると愛されたくない人の筆頭がその神様である。
そんな人から愛されたらおぞましいが、そのおぞましさを押しつけてくるから迷惑なのである。
そんなに人を愛したいなら、どうぞ自分の世界の中だけで愛してくださいということである。
一々庵主に告白することなく、勝手に愛してくれる分には庵主はなにも困らないからである。

もしそれがその人の心の安らぎになるというのなら、喜んで愛されてあげる。拒む理由はない。
人の世は、需要があれば供給されるものである。神様、売春婦、うまいお酒。自堕落の三傑。
そのうまいお酒を供給させるために、庵主は人々にもっとうまいお酒を呑めと布教している。
堕落に誘〈いざな〉う邪教が庵主の酒旨〈しゅうし〉の核心なのである。堕落はうまいから。
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by munojiya | 2011-12-31 00:16 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2011-12-31 番外篇 著作権ヤクザ
ついにジャスラックの呼び方が「著作権ヤクザ」になってしまった。
音楽業界は、なんでも「著作権」で囲ってしまうものだから、
庵主はいま、どんな音楽が流行っているのか分からないのである。
只で、自分たちが作った楽曲を放送するな、流すな、唄うなというのである。

せっかく作ったいい歌も、そのせいで誰も口ずさまないものだから庵主の耳に入ってこない。
したがって、庵主は最近の歌を知らないのである。
庵主が知っているのは数十年前の流行り曲だけである。
いよいよ、ジャスラックは、楽曲演奏禁止の挙に出てきたという。

人々から、著作権の名において音楽を奪うというのである。
それでついた綽名が「著作権ヤクザ」。
文士もそれに負けてない。自炊を禁止せよという。
その文士さんは、その表現とやらを他人が作った「活字」を只で使ってやっているのである。

他人の著作権は平気で無断借用しておきながら、自分の書いたものは自分の物だという。
その下手糞な自筆の原稿を写真製版して売ってご覧。それを読もうという人は少ないから。
他人の物は俺の物、俺の物は俺のものである。都合のいい著作権である。
うまいお酒は著作権フリーである。大いに呑んで、世間にうまいお酒を喧伝してほしい。

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これは俺が造ったお酒だ。勝手にうまいと喧伝してもらっては困るという造り手はいない。
著作権の縛りが一番キツイのは映画である。そのくせ、映画屋は映像を個人に売り出している
のである。個人は勝手に駒を止めて見ることができるのだから、自ら著作者人格権を放棄して
おきながら、都合のいい時だけは著作権を主張するのである。だったら個人に売るなよ。

著作者人格権というのは、著作権の核心である。著作権は他人に譲渡できるが、著作者人格権
は譲渡できない。作り手の気分を損なうなという主張である。本で言えば、活字の書体の選択、
版の組み方もそれに当たる。ところが、ネットでは、画面の活字は拡縮自在だから、読み手が
勝手に活字やレイアウトを変えることができる。容易に著作者人格権を毀損できるのである。

ネットに自分の文章を上げることはその時点で著作権を放棄したとみなせる行為なのである。
ネットにある文章はごみ箱に捨てられたゴミと同じなのである。
中には価値のあるものも間違って捨てられているといったところか。
映画の著作者人格権でいうならば、駒を止めて見ることを前提に作られていない。

「エイリアン」の映像盤を買ってきて、駒を止めてエイリアンのデザインを見る人がいた。
それって、著作者人格権の侵害行為だろう。盤を売ることはそれを容認したということなので
ある。映画の著作権を全うしたいのなら個人に映像盤を売るのは間違っているのである。
盤を売りまくっているということは自ら著作権の保護を放棄したと見做すしかない。

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ジャスラックの愛称が『カスラック』(25番)。
自ら自分の飯の種になっている芽を潰すよくわからない団体』(76番)
音楽を殺してるのは誰か』(71番)。
流行歌に関してはすでにそのピークを過ぎているからほとんど実害はないのではあるが。

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by munojiya | 2011-12-31 00:14 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2011-12-30 鉄板のお酒
そういうお酒を「鉄板」と呼ぶ。
競馬なら、一着間違いなしの馬のことである。
すなわち、ハズレがないお酒のことである。
けっして期待を裏切らないお酒という意味である。

競馬の場合は、多くの人がそう思って馬券を買うから、当たっても儲からない。
しかし、お酒の「鉄板」は、大いに儲かるのである。いや、得をするのである。
なぜなら、それはうまいからである。
いや、うますぎるからである。鉄板のお酒に出合えることを大当たりという。

どんなものでも、自分が理解できる上限のちょっと上のものが一番うまいと感じるのである。
うまいというのは絶対値ではないのである。自分の実力に比例するのである。
自分の理解力から掛け離れてうまいお酒は、庵主には理解ではない。
そのお酒がどれほど高い所にあるのか、その位置が見えないからである。窺えないからである。

少なからずの人が「鉄板」であるというそのお酒は、絶対値がうまいのだろう。
そうでなければ、期待値が異なる呑み手のすべてに満足感を与えることできない。
そういうお酒のうまさは絶対値が高いというよりも包容力があるというべきか。
鉄板のお酒の一例が「王禄〈おうろく〉」の「丈径〈たけみち〉」である。やっぱりうまい。

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先だって、ちょっと味見させてもらった「鳳凰美田」の燗がうまかったのである。
たまたま居酒屋で隣に座っていた美貌の客に、「燗がうまいお酒をさがしています」といったら、
その時美女が味わっていた燗酒を「ちょっと呑んでみますか」と勧められたので、遠慮なく、
一口頂いちゃった。そのお酒はほんのり甘くて庵主の心に叶う燗酒だった。要するにうまい。

お酒は燗とはいうが、今時、燗が映えるお酒は実は滅多にないのである。
本来なら改めて「鳳凰美田」を注文してじっくり味わうところだが、その時すでに定量に
達していたものだからもう呑むことができなかった。「鳳凰美田」の何かも覚えていない。
「丈径/無濾過純米」の燗は、その数少ない庵主の心に叶う燗酒の一つである。鉄板。

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by munojiya | 2011-12-30 00:22 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2011-12-30 必殺の言い返し方
人から気に食わないことを言われた時に、
あとになってから、あの時はこう言い返せば良かったのだと気のきいたフレーズ(啖呵)が
ハタと思いつくことがある。時、すでに遅しであるが、そのフレーズが結構よかったときには
その時に味わった不快な気持がなんとなく薄れるのである。決まった、という快感による。

これは、性格に似て胸もひかえめな女の子がそれを言われた時の必殺の言い返し方だという。
「お前、胸ないんだからブラジャーいらねぇだろ。」
「・・・じゃあ、あんたはパンツいらないわね。」
拠所
小島慶子を聞いていると、胸がひかえめは性格もそうだとはいえないような気もするが。

誰が思いついたものか分からないそのフレーズは応用がきくのである。
「お前、呑めないんだから、お酒なんかいらないだろう」
「じゃ、あんたは、その頭はいらないわね」
その伝でいえば、庵主に関しては、お酒も頭も両方いらないのが哀しい。自虐になっちゃう。

漫才のセントルイスの言い返しの擽り〈くすぐり〉が可笑しい。
「眼鏡を掛けている人はみんな目が悪いといえるのか。だったら帽子を被っている人はみんな
頭が悪いのか」。街で、庵主にコンタクトレンズのチラシを手渡す人がいる。なぜ目が悪いと
判るのか不思議だったが、庵主は眼鏡を掛けて歩いているのだった。帽子は被ってないぞ。

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男に、HAGAは絶対禁句である。女子にBとDとTを言ってはいけないように。
それは外見的特徴だから、頭や目が悪いのと違ってすぐ判るのである。
庵主は、それらに関しては、目にしても見なかったことにしている。
庵主に優越感を与えてくれるそういう人達には感謝して心の目を瞑って話しかけるのである。

以下は、彼女の彼に対する必殺技である。
彼「久しぶりにどこか食べに行こうか?」彼女「遠慮しとく。あなたとのためにお金使い
たくないし。」
』『給料そんな安いの!?』『あなたとの子供は今産む自信ない』『俺「結婚
する? 両親に会う?」彼女「嫌」
』同上。「まずいお酒だけど呑む?」庵主「嫌」。

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大賞はこれらしい。『「きしょい」 単純な言葉だけどグサッっときた拠所(18番)。
「ださい」「むかつく」
それを言う神経が「ださい」と思うし、耳にするとその品性に「むかつく」言い回しである。
いずれも、「美しい」の対極にある言葉である。庵主はそれを馬鹿にして使うことがあるが。

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by munojiya | 2011-12-30 00:20 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2011-12-30 一件落着
一件落着することを「チョン」という。
「それでチョンにしよう」。
チョンは、「。(句点)」という意味なのだろう。
何々しましたマル、である。そうなりましたマル、というときのマル(。)である。

熊本市でこういう事件があった。なんとなく日本人離れしたチンケな事件なのである。
一読して背景事情が分からない報道の場合は、肝心なことが伏せられていることが多い。
そういう時には「朝鮮人」とか「同和」という補助線を引くとすぐ合点がいくことがある。
特に凶悪強姦事件の時はその補助線で多くは一件落着するのである。それでチョンなのである。

この一年もチョウセン人ネタでは大いに笑わせてもらった。
チョウセン人は、日本人の感覚で見ると剽軽民族なのである。
次から次とネタがつきないというのが凄いのである。一番笑ったのはこの話
案外、チョウセン人は、緊張民族である日本人の心の癒しになっているのかもしれない。

風光明媚、人性温和な邦土の隣に朝鮮があるのは神様の嫌味だという笑い話があるが、
それは案外神様の深い配慮だったのかもしれない。
お酒も、家族にアル高を抱えている人達にとっては悪魔の水なのである。
なのにそれが身近にあることは、逆説的にそれは人の心の癒しになるからなのだろう。

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今年もあと一日を残すだけとなったが、一年は年越し蕎麦で落着である。そこでまた一杯。

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by munojiya | 2011-12-30 00:16 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2011-12-29 「紀土/純米・山田錦低精米八十%」
そのお酒の本名は長い。はっきりいって庵主には覚えられなかったのである。
「紀土/純米・あがらの田で育てた山田錦低精米八十%」である。あとからネットで確認した
「紀土」は和歌山のお酒で、最近めきめきその人気が高まっている。出合ったら呑め、である。
「紀土」は「きっど」と読む。「KID」である。

和歌山産の山田錦で醸した低精米八十%のお酒である。
その何が凄いのかというと、精米歩合が80%というところである。
普通のお酒の精米歩合は70%以下である。
精米歩合が60%以下なら吟醸酒、50%以下なら大吟醸酒と名乗ることができる。

精米歩合は、お酒の品質の善し悪しの基準になっているのである。
磨けば磨くほど(精米歩合の数字が小さいほど)いいお酒だということである。
なのに、このお酒は、米は山田錦とはいえ、それを80%しか磨いていないのである。
数字〈スベック〉だけを見れば、安い、かつそれほどうまくないはずのお酒なのである。

原料米の山田錦も兵庫山田ではなく、地元山田と呼ばれる格下の山田錦である。
そんなお酒が呑めるのか。酒造りからすれば酔狂〈じゃどう〉としかいえないお酒なのである。
さあ、呑んでみよう。ーん、呑めるのである。期待するほど、いや逆だ、危惧するほどには
悪くはないのである。次のうまいお酒に向けて最初の一杯として呑むにはぴったりである。
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by munojiya | 2011-12-29 01:27 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2011-12-29 認識論
民主党の仙谷由人政調会長代行は24日のBS朝日の番組で、消費税について「10%分、
25兆円ぐらいは歳入をちゃんとした税収で確保できる財政をつくらないと、5年でこの国は
崩れる」と述べ、15%までの引き上げが必要との認識を示した。また、消費増税を含む社会
保障と税の一体改革大綱について、来年2月中旬までの策定を目指すと強調した。
拠所

「認識」を示した、のである。
中国には、「上に政策あれば、下に対策あり」という言葉がある。
いきあたりばったりの政策をそのまま受け止めたらたまらないから、下は知恵を絞るという。
日本では「上に認識〈うそ〉あれば、下にも認識〈かんぐり〉あり」である。

まず、仙谷由人という人の信用がないのである。三百代言の代名詞みたいな人だからである。
その人が言っていることに価値はない。先の「中国船長事件」のようにすぐ転ぶのである。
あるのは、買物の駆け引きみたいに、売り手がハッタリで15%を提示し、現行税率との中を
取って7~8%、もしくは切りがいいからと10%にもっていく見え見えの魂胆だけである。

「認識」とはそれを認識する人の都合でどうにでもなる真実のことである。
真実とは客観的事実だという意味ではない。自分にとって都合のいい解釈のことなのである。
本物の酔っぱらいは、自分が酔っていると「認識」していないものである。
庵主は、酒に弱いから、それがすぐ自覚できるのである。「認識」が足りないのである。

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確か民主党は埋蔵金と事業仕分けで20兆円ぐらい引き出すと言っていたはず。
で、それができなかったのである。そんな財源なんか出てこなかったのだから。嘘だったのだ。
その、同じ人が、15%までの引き上げが必要と言っても、馬鹿じゃないかぎり二度も騙され
ないというものである。「15%までの」とあるからその言に信念がないことは認識できる。

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「上に認識あれば、下にも認識あり」
駄菓子本は、その読みを『おどし』(5番)とし、『だまれ』〈4番)と読み分けるのである。
15%[に]しないと滅びるぐらいなら早く滅びた方が良いだろ』(9番)。
喜んで滅ぼう!』(10番)。仙谷君の腹は読まれているのである。

徳島だけ消費税を上げる社会実験を行った後でいいだろ』(11番)
それをやったら、隣県の売上が上がります。
越境したら低い消費税で買物ができるのなら、みんなそうするからである。
仙谷君を責任を持って選出した徳島県なら自ら信念をもってその言を実行してみてはいかが。

新しいこと始めても今までやってたことは見直さずそのまま続けんだろ?
上に乗せていくだけじゃいくら金あっても足りねえよ。
既得権事業者にこだわらず有名無実化してる事業を見直して切っていけよ。
金なんかすぐに出てくるわ。
』(47番)

お酒四合瓶1500円(高い酒は呑まん)。米代5キロ1500円(高い米は食わん)。
庵主の場合いずれも2週間分である。酒をやめれば米代は簡単に出てくるのである。
酒代は確保したいから税金を上げる(=生活費をよこせ)と言われてもねぇ。
もっとも、酒なんかきっぱりやめてしまえ、と言われても。それは、無理だよねぇ。

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なんで財源をデフレで消費税に求めんの?
固定費削る方が先だろ! 問題すり替えてんじゃねぇーよ
』64番)
上げても日本は滅ぶ
どっちにしても滅ぶならあげんな
』(113番)。強力な論理〈りくつ〉である。

正しい推論〈みこみ〉増税しない財政破綻大恐慌発生→ほろぶ
増税15%→大恐慌発生税収大幅減やっぱりほろぶ
どっちにしてもほろぶ。
』(232番)。推論と論理はどうとでもいえるのではあるが。
正しい認識『10万円の買い物したらそのつど国に1万5千円支払うとか狂気だろ』(223番)

もう一つの正しい論理。
原発反対派『[原発は]なくていいんじゃないのか』(2番
原発推進派『反原発のやつらは、当然電気を一切使わないんだよな?』(3番)
それに対する反論『[それをいうなら]お前は原発の電力だけで暮らせよ

原発動いてないから電力使用禁止な
』(42番)
電気はブレーキのついていない原発でなくても十分に発電できるということなのである。
原発推進派は賠償金も払えよ』(143番)。
浪江町や大熊町の住民は近隣市町村にどうやって賠償するつもりなのか。もう土地は売れない。

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by munojiya | 2011-12-29 01:26 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2011-12-29 笑い話 貧乏自慢
一点豪華主義という言葉がある。
質素な生活を送る中で、その一点だけにはこだわりとなけなしのお金を投入することである。
それを誇示すると、はたから見たときにはその一点だけが浮いて見えるのである。
ゆえに、羞恥心ある人はやらない主義(生き方の癖のこと)である。

ただし、その一点を上手に隠して悦にいっている人がいる。
そういうのを気障という。
気障というのは、見掛けより中身がいいことをいうのだという。
気障に徹することを「粋〈いき〉」という。「やせがまん」の蔑称、おっと別称である。

貧乏自慢というのは金持ちの嫌味なのである。というより余裕のあらわれというべきか。
アメリカの大統領がわざとジーパン(今はジーンズというのだったか)を穿くようなものだ。
本当に余裕がなくなったらそんな話なんかしていることができない。
庵主が安いお酒を語れるのも余裕があるからである。うまいお酒を知っているからなのである。

安いお酒しか知らない人には語りようがないではないか。
フードコート」という言葉を初めて知った。新しい貧乏自慢のネタなのだという。
庵主が時々利用している池袋駅の「キッチンランド」だったかのスタイルがそれなのだろう。
それが便利なのは、すぐ食べられるからである。それ以外の理由はない。いや、時間貧乏か。

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「コストコ」という言葉も知らなかった。倉庫のことをいうらしい。
貧乏先進国であるアメリカからやってきた「貧乏形態」のことをいうようである。
フードコートには、すでに「(貧乏人の)餌さ場」という訳がついているが、
コストコは日本語では何というのだろう。訳語は「治外法権」らしい。(75番)

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ファミールだっけ?
中学生の時に親と行くの恥ずかしくて仕方なかった
それを言ったら親が「うちは貧乏なんだから仕方ない」って言った
』(87番)
そもそも家族で半日潰す苦労を知らないから言える事だわ』(80番)。家族も大変だ。

「餌さ場」にも序列あり。『フードコートでソフトクリームを食べる家族なら微笑ましいが
がっつり飯食ってるのはちょっと引く
』(93番)
フードコートで注文してる奴は勝ち組だぞ
ほとんどの家族はおにぎりとか水筒もってきてる@近所のコストコ
』(99番)

貧乏人じゃないけど普通に子供連れて行くわ
子供喜ぶし
お前らそんなしょうもない拘りばっかで生きてて楽しいの?
力抜いて楽しめよ
』(96番)。そういう楽しむ余裕がある人はすでに貧乏人ではない。

庵主も、安いお酒を楽しんで呑んでいるのである。
けっして馬鹿にしているわけではない。なぜならそういうお酒は面白いからである。
出合いはなんでも楽しんじゃわないとつまらないではないか。
どれもがうまいお酒だったり、いいお酒ばっかりだったら、呑んでいてホントつまらないのだ。

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正直言うと、フードコートは初心者向け
ミニストップでラーメン食うほうが難易度高い
』(156番)
どんな世界にも、初心者と上級者の垣根はあるのである。上級者の余裕である。
大吟醸酒は初心者のお酒、実は、紙パック入りの低廉酒こそは上級者が呑むお酒なのである。

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彼女とフードコートなんてみすぼらしくて行けないわ』(195番)
地方全否定かよ
車で30分の場所にあるジャスコで飯食うのが地方カップルのデフォだろ
』(206番)
それでジャスコが嫌悪される理由が解ったのである。日本の生活感情を破壊してるのである。

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こういう大型ショッピングモールとかで注視すればわかるが
子供連れてくる家族は大抵、2人以上の子供がいる
父母はお前らぐらいの年かもっと若い
一人の子供より二人以上の子供を同伴してくる家族のが圧倒的に多い

もう現実的に日本の格差社会は進んでる
子供を作れる奴は二人、三人と続けて作れるが
子供を作れない奴は一人も作れない
』(201番)
観察とはそういう見方をすることをいうのか。子供をうるさいと感じたのでは駄目なのである。

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本日の落ち。『長居してるかどうか、はお前らがそこに長居してるからこそ分かる事だよな?
自分も長居してるって事じゃねーか。頭おかしいんじゃねぇの
』(207番)
「今の日本人ははどうしてこんなにダメな奴ばかりなんだ」
「そりゃ、あんたがいるからだよ」という問答に似ている。自分の姿は見えないのである。

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by munojiya | 2011-12-29 01:15 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2011-12-28 山吹色のお酒
ウイスキーのそれは琥珀色という。
琥珀色と聞くと、庵主はウイスキーの色を思い浮かべるのである。
誰に仕込まれたものか判らないが、すでにパブロフの犬状態なのである。
琥珀色を見ると、それがなんとなくうまそうに見えるのだから困ってしまう。

うまいというのは、誘惑の中でも最強の部類だからである。
飲みたくなってくるのである。
で、飲んでみると、それほどうまいものではないのである。勿論うまいものもある。
庵主は、うまそうに見える「色」には弱いのである。

日本酒のそれはなんというか。
山吹色〈やまぶきいろ〉という。黄金色と呼んでも同じだが、黄金色では何となく下品である。
その山吹色のお酒が、今はほとんど造られていないのである。
新酒鑑評会が無色透明のお酒をいい酒だとして造り手の価値観を変えてしまったからである。

山吹色の新酒は今は流行りではないのである。
無濾過のお酒がうっすらと黄色がかっていることがある。庵主にはそれがうまそうに見える
のは、色のせいというよりもそのお酒が醸し出しているうまさが感じられるからだろう。
「岩清水/五割麹」はまさに山吹色だったのである。その色を見るだけでもお酒が堪能できる。
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by munojiya | 2011-12-28 00:09 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)