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2012-02-29 うまい燗酒も酸味のうまさが決め手
庵主がお酒の味わいを語る時に、故意に触れないことがある。
日本酒には、いいお酒であっても、お酒特有の「あの匂い」があるということである。
日本酒の世界では、いいニオイは香りと呼び、悪いニオイは匂い、もしくは臭いという。
問題は、その匂いをどう表現したらいいのか分からないからあえて避けているのである。

もちろん、それは芳香ではない。ないにこしたことがない匂いなのである。
うまいお酒とはその匂いが感じられないお酒のことなのである。いいお酒にもそれがあるのだ。
それは米の精の匂いなのかもしれない。いうならば藁を口に含んだような匂いがそれである。
人間でいえば体臭みたいなものである。お酒にはその匂いがきついものが少なくないのだ。

女は化粧をする。すると美しく見えるのである。本性はコワイにもかかわらずである。
お酒のその匂いもそれに似ている。その匂いが見えなければ美〈おい〉しく感じるのである。
しかし、それはお酒の本性だから消すことはできないものなので化粧するしかない。
お酒の化粧は、活性炭〈すみ〉でその匂いを除去するか、酸味でカバーするかである。

活性炭を使うとその匂いも取れるがうまみも除去されてしまうのである。味が痩せてしまう。
一方、酸味がよくできているお酒は、酸味がその匂いがうまく覆い隠してしまうのである。
「丈径」はその酸味が見事なのである。燗をつけるとその酸味が艶を帯びてくるからうまい。
酸味がお酒のうまさの決め手だというのが庵主の自説であるが、「丈径」はその実例である。

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活性炭〈すみ〉というのは粉末の炭のことである。脱臭剤のキムコみたいなものである。
それをお酒に混ぜると雑味や異臭が吸着するので、それらの欠点を除去することができる。
吸着後に活性炭を取り除くと色も抜いてしまうから無色透明のお酒になるというわけである。
無濾過のお酒の色を見れば分かるように、お酒の本来の色はほんのり黄色みがかっている。

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by munojiya | 2012-02-29 00:07 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2012-02-29 間髪を入れず
またぞろ、創価学会の噂である。よく噂(声価)が創られるから創価学会というのか。
池田大作名誉会長に、よく苛められていたと信者でもない庵主でさえも知っている
あの秋谷栄之助(秋谷城永)元会長が学会を脱会(正宗に帰伏)したという「噂」である。
「聖教新聞」紙上で、幹部らと一緒に宗門や週刊誌〈せけん〉に対してよく悪口を吐いていた。

池田教の幹部は人を恨んだり呪ったりとみっともないものだと寒心していたものだが、
それも名誉会長からの指図でいやいやながらやっていたのだろう、と思いたい。
創価学会のビデオを見たことがある。教祖が大会場で話をしている様子である。
教祖が何かいうと、会場いっぱいの信者は、間髪を入れず「ハイッ」と応じるのである。

よく訓練されているものだとこれまた感心して見ていたものである。
間髪を入れずは、「間、髪を入れず」と読む。髪の毛をいれる隙間もないという意味である。
しかし、その時は、教祖が強く同意を求めたのに、間髪を入れずのハイッはなかったという。
幹部会の席での事だという。さすがに幹部にはまだ判断能力があると評価されているのである。

いつもの間髪入れずの「ハイ!」はなかったんだな。[原文どおり]
本幹に呼ばれるような幹部も少しは考える脳が残っているようで安心した。
典拠(82番)。
燗酒〈かん〉に髪の毛が入っていたら、呑むのが躊躇われるというものである。
その時は、教祖の言葉を呑むのが躊躇われたのだろう。髪の毛が入っていたというのである。

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まあ客観的に情報があれば週刊誌に出るだろう。その時点で信頼度が70%
それで聖教が記事にしなければ90%。聖教が罵倒すれば100%。
創価の場合、朝鮮中央放送の報道姿勢を参考にすればよい。
』(19番)。朝鮮並である。
「聖教新聞」はそう読むのだそうだ。このところ「聖教新聞」が届くのが楽しみなのである。

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竹入義勝、山崎正友、矢野絢也、弓谷照彦、そして秋谷栄之助第5代会長と、
金甌無欠の名誉会長(元第3代会長)も人を見る目だけはないのである。
いや、人に裏切られやすいタイプなのかもしれない。その桂冠詩人もその一人に加えておこう。
人間、なにか一つぐらい欠点がないと親しみを感じないからそれは愛嬌というものである。

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by munojiya | 2012-02-29 00:06 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
2012-02-29 笑い話 結婚式の引出物
引出物は「ひきでもの」と読むらしい。
庵主は、それを「引き出し物」と読んでいたのである。
結婚式で貰った記念品にはろくなものがないので、かといって捨てるわけにもいかないので、
引き出し(押し入れ)にしまったままになってしまうからである。

それで、引き出し物だと思っていたのである。引き出しの死蔵品のことだと思っていた。
最近の引出物は、スマートに、薄いカタログを1冊渡されることが多くなったようだ。
昔はひどかった。手に持ち切れないぐらいの嵩がある品物を手渡されたのである。
宅配便もない時には、車を持たない庵主は電車の中で運び屋の気分を味わっていたものである。

引出物は結婚産業の商略にうまく乗せられたということなのだろう。
帰化人の邱永漢〈きゅう・えいかん〉が、ご子息の披露宴の時に用意した引出物の話である。
参列者は引出物を受け取るときに一々名前を確認されたという。
その引出物は、その人の名前を彫った印鑑だったのである。台湾の名人が彫った印鑑である。

そういう引出物も困るのである。印鑑とか御札とか縁起物は捨てるときに困るのである。
ゴミ箱にポイと捨てるわけにもいかないから。印鑑なら小さいから引き出し物でもいいが。
笑える披露宴はこれだという。一生記憶に残る引出物〈わらいもの〉というわけである。
かといって、引出物においしいお酒を貰っても、呑まない人には迷惑でしかないのである。

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そういえば、昭和の御世に引出物でもらったワインが手つかずで残っているのを思い出した。
当時、庵主にはワインを飲む習慣がなかったからそのまま引き出し物になっていたのである。
早飲み用のワインだろうから、コルクは抜いていないとはいえ、もう味は残っていないだろう。
ラベルには新郎新婦の名前が入っているから無下には扱えないワインなのである。

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by munojiya | 2012-02-29 00:05 | 笑い話 | Trackback | Comments(0)
2012-02-28 うまい燗酒はやっぱりうまい
明治のチョコレートでないチョコレートが明治のチョコレートではないのは、
それは明治のチョコレートではないからです、といったCMがなかったっけ。
当節なら、ネットで検索すれば出てくるだろうが、面倒だから確認しないで書き進める。
うまい燗酒はうまいというのもそれである。当たり前のことを言うな、である。

今時のお酒の多くは、冷やして呑んだときにうまく感じるように造られているから、
燗をつけるとそのうまさが飛んでしまうのである。
燗をつけても呑めないことはないが、かえってそのお酒の弱点を味わうことになりかねない。
だから燗をつける手間が無駄ということである。わざわざ不味くして呑むこともありまい。

しかし、燗を付けたときに、冷やで呑んでいたときには味わえなかったうまさが味わえるお酒
があるのである。←本当にあるんだよという強調のあるある。
たとえば「王禄〈おうろく〉」の「丈径〈たけみち〉」がそれである。
燗を付けて呑むと実にいいのである。

何がいいのか。
すっと体に滲みていくのである。
その気持ちよさがなんとも心地よいのである。これも「うまいはうまい」か。
なぜ「丈径」はそういう心持ちにしてくれるのかの解明はまたまた次回につづくのである。

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『[カルト信者は]「この人は、偽物に掴まってかわいそう。私たちは本物を信じている」
そう信じて疑わない。それが「本物」であることの証明は「本物が本物だと言っている。
だから本物」っていう、ようわからん理論なんだけど、信じる、なんてのはそんなもの。

駄菓子本(89番)。広告(善意)も、カルト(悪意)もやっていることは同じ。洗脳である。

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by munojiya | 2012-02-28 00:10 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2012-02-28 シャドーライター
池田大作教祖の著作が、まさか本人が書いているものだと思っている人はいないだろう。
少なくとも、その写真は池田大作教祖が撮ったものではない。
なぜなら、池田大作教祖がこうやって写真を撮っているというカメラを手にした写真が
「聖教新聞」に載っているのを見たことがあるが、それで明白なのである。

その写真を見ると、教祖は、コンパクトカメラを片手で持って、まるでアラーキーが街中で
カメラを振り回しているかのような ぞんざいな扱いをしていたからである。
常人がアラーキー(荒木経惟)の真似をしても、それでは写真は撮れないのである。
ファインダーにしっかり目を付けて、脇を締めて息を殺してシャッターを静かに落とす。

シャッターは押すのではない。半押しをしてためておきその一瞬を捉えて落とすのである。
拳銃の引き金は引くのでないという。絞っておいて落とすという。シャッターもそれと同じだ。
いずれも、押したり、引いたりしたら機体がぶれるからである。それでは当たらない。
カメラを片手で振り回して写真が撮れるわけがないのである。

クレジットが教祖になっている写真は「聖教新聞」の写真部の部長だったかが撮ったものだ
という話を読んだことがある。
池田大作と書いて「シャドーライター」と読むのである
今は、「かげむしゃ」とでも読むのかも。それで「柳陰」を思い出した。“幻”の酒だという。
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by munojiya | 2012-02-28 00:07 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2012-02-28 信じる人は救われる
「google」のルビ。
産経新聞方式で書くと、「g(い)o(か)o(が)g(わ)l(し)e(い)」。
「o」が「か」と照合しているのである。しかも「oo」で「かが」となるところがいい。
しかし、「g」も「e」も「い」と読むのは整合性がないのである。

「い」は、一音二字(一つの音に二つの仮名が振りあてられている)と思えばいいのか。
「エ」という音が、「え」と「へ」に使われているように、である。
さらに、「g」は、「い」と「わ」に使われている。
これは、一字二音である。「は」を「ハ」とも読むが「ワ」とも読むようなものである。

その「いかがわしい」がまた如何わしいことをやっているという。
gメールといい、今度の噂といい、どんな悪さをやっているのか庵主には分からないのである。
情報収集業者だから、スポンサーはCIAだという見方も当たっているのかもしれない。
それを言ったら「読売新聞」もCIAがスポンサーだというから、今は監視社会なのである。

次はクラウドだということで、個人のデーターを全部向こうに差し出すことになる。
それを思うと、「鎖国」というのは自分の独立と自由を守ることなのである。
日本の場合、「開国」しても何の利益もないからである。持ち出しになるだけである。
もっともそれを経済繁栄と呼ぶのかもしれないが。まずい酒を安く買ってきてもねぇ。
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by munojiya | 2012-02-28 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2012-02-27 燗酒のうまさ
お酒がうまいとは書いているが、ほとんどのお酒は言うほどにうまいわけではないのである。
しかし、しかしである、中に、本当にうまいお酒があるということなのである。
庵主はアルコールが呑めない質〈たち〉であるが、その庵主でさえ呑めるお酒があるのだ。
それが本当にうまいのである。庵主が呑むというよりも、体が勝手に呑んでしまう酒である。

お酒が呑めない人なら分かるだろうが、ある程度の量を呑んだらもうそれ以上呑めないという
限界点がある。体がそれ以上のアルコールが体に入ることを拒むのである。
そうなったら、意志で無理に呑もうとしても、もう一滴も呑めなくなる。
が、そういう状態の時に、庵主の体がすっと受け付けてしまったお酒があるのだ。

福井の「梵〈ぼん〉」の純米大吟醸だった。精米歩合が20%のお酒だった。
今は、もうそんなにお酒を呑むことはないから、無理してまでお酒を呑むことはないが、
世の中には凄いお酒が本当にあるということなのである。
雑誌などの特集では、「燗酒がうまい」ということになっているが、はたして、である。

燗酒にも、たしかに、うまいものがあるのだ。
寒中の燗酒は、うまいまずいは抜きにしてそのぬくもりが有難〈おいし〉いのだが、
その味わいもうまいという燗酒は少ないのである。とはいえ、いくつかを上げることができる。
そのうちの一つが「丈径」である。そのうまさはどこにあるのか。また次回につづくである。
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by munojiya | 2012-02-27 02:01 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)
2012-02-27 手の込んだ嫌味
庵主は、未来を見る目もないし、馬券が当たった試しがない、前世を見る能力もないから、
生まれてからの記憶しかないので、輪廻を語る人の能力に感心してしまうのである。
仏教やその源流となったインド哲学の分野では、輪廻転生とか因果応報ということが
時々語られる。

すなわち前世に功徳善行を施したものは現世(今生)において王者 貴者 富裕者 美人 才人
強壮者 健常者として生まれ変わり、そうでなく悪逆非道な悪行無慈悲をなしたものは
その報いとして被差別者 悪人 乞食 醜人 非才 病人 朝鮮人などとして生まれてくる。
典拠

庵主は、こんなことを書いたら、そうでない人から妬まれるかもしれないが、
お酒だけは、なぜかうまいものに恵まれているのである。
輪廻説では、こういう人の前世というのはどうなっているのだろうか。
呑めないお酒が、うまいお酒についてなら、すいすい呑めるのである。

体質的に(量が)呑めないお酒を呑まされるということは、前世の悪行に対する苦業なのか。
しかし、それがうまいお酒だということは前世の善行に対するお褒めの縁なのか。
リンク先の引用の落ちがモアさんになっているのが可笑〈いやみたら〉しいのである。
彼らがキリスト教を好むのは、輪廻する仏教では救いがないからなのだろうか。

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日本人の多くは、もし生まれ変わるとしたら、また日本人でも構わないと思っているだろう。
しかし、彼らは、また同じ境遇には生まれたくないと思っているという。
輪廻思想では、またその同じ境遇に生まれてしまうから救われないというものである。
しかし、進化論を認めない一神教でもまた、同様に救われないのであるが。宗教は地獄だ。

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by munojiya | 2012-02-27 01:50 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
2012-02-27 石原79歳、亀井75歳、平沼72歳
75歳以上を後期高齢者と呼ぶ。
その3人が集まって新党を作るという相談をしているらしい。
平沼赳夫議氏はまだその歳に至っていないが、
後期高齢者党ということで、略して後高党〈こうこうとう〉である。

後高党の能書である。
落語にあるのである。「孝行糖」である。
孝行糖。孝行糖。孝行糖の本来は、粳(うる)の小米(こごめ)に寒晒し、榧(かや)
銀杏(ぎんなん)、肉桂(にっき)に丁字(ちょうじ) 。チャンチキチスケテンテン。

昔々唐土(もろこし)の、二十四孝(にじゅうしこう)のその中で、老莱子(ろうらいし)
いえる人。
親を大事にしようとて、拵えあげたる孝行糖。食べてみな。美味しいよ。
また売れたったら嬉しいね。
典拠

後高党、後高党。後高党の本来は、売国〈うる〉の、小米〈あめりか〉に寒晒し。
蚊帳〈かや〉に石原、亀井に平沼。チャンチキスケテンテン。
国を大切にしようとて、拵えあげたる後高党。食べてみな。美味しいよ。
また、売れたったら嬉しいね。平沼議氏の「國酒」なら呑んでみたい気もするけれど。

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本日から、これまで議員の敬称として使っていた「君」をやめて「議氏〈ぎし〉」を使います。
建前として、主権者である庵主の代理人〈ぱしり〉である議員を「先生」と呼ぶわけには
いかないので、その敬称をどうするか困っていたのである。とりあえずは、国会慣習に
倣って「君」を使ってきたが今後「議氏〈さん〉」という敬称を作ってそれを使うことにする。

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by munojiya | 2012-02-27 01:43 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
2012-02-26 お酒の呑み方
正しいお酒の呑み方である。
お酒は燗を付けて呑むものである。
すなわち温めて呑むものなのである。
冷やで呑むのは下賤〈げせん〉とされている。

なお、冷やというのは、冷蔵庫で冷やしたお酒のことではない。
室温のことである。常温のことである。
室温よりも低い温度の、冷蔵庫で冷やしたお酒を呑むということはそのしきたりからいうと、
その先は書かない。

そのしきたりは江戸時代のものなのだろう。
今では、お酒はきちんと冷蔵庫で冷やして保管するものとなっている。
江戸時代にはなかった冷蔵庫が各人が持てるまでに普及したからである。
お酒の酒質もそれに合わせて、冷やして呑んだときにうまいものが造られるようになった。

そういうお酒を燗で呑むと不味いのである。
うまくないのではなく、不味いのである。お酒の欠点が一気に広がるからである。
今、燗を付けて呑んでもうまいというお酒はほとんどないといっていい、と庵主は思っている。
しかし中にはあるのだ。例えば「丈径」がそれである。なぜその燗はうまいのか。解明は次回。
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by munojiya | 2012-02-26 00:19 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)